オトシモノ×ガカリ
時刻は午後8時すぎ。中秋の名月が闇夜を照らす頃、とある田舎町に点在する私立歩学園校舎の廊下を大西教員が一人で歩いていた。欠伸を漏らしながら自分の足元だけに懐中電灯の明かりを照らして適当に巡回する大西教員。窓越しからスズムシやコオロギの鳴き声が微かに聞こえるが、校舎内は不気味なほど閑散としており、大西教員の上履きの足音のみが反り返って廊下に響いていた。
「ん…なんだ?」
ふと窓から見えた閃光のような光に気づいた大西教員。首を捻ってグラウンド手前に点在する部室棟に目をやると、再び眩い光が小さく一瞬のうちに光った。光った場所に目線を向けると、そこには二つの人影が見えた。暗い上に遠距離なので、人相と服装が確認し難い。
「あ……」
するとその二つの影は散開して一人は校門へ、もう一人はグラウンド方面へと走っていくのが見えた。
大西教員は慌てながら校舎の外まで走り、まず校門周辺を確認したのち、闇夜に染まったグラウンドの一面を見渡してみたものの、どちらも人影ひとつ見当たらなかった。
翌朝の私立歩学園校舎、職員室前の廊下に設けられた掲示板に大きく貼られたとある新聞記事を目当てに、若干数の生徒たちが集結していた。その記事の内容は―
またも出現! 闇夜を駆ける怪盗X
本日早朝、ホッケー部部室の扉に「×」の印が書かれた紙が貼られていたのが発見された。そしてホッケー部員の中で唯一の1年生である長谷部耕太くんのホッケースティックが部室内で紛失してしまったとのこと。キャプテンから話を聞くと、普段は長谷部くんが部活終了後も居残ってグラウンド整備と片付けを済ませてから部室の鍵を閉めて帰るが、昨日は長谷部くんが足の故障で病院に行っており欠席だったため、活動終了後はキャプテンである自分が部室の鍵を閉めたと供述。事件の前日に被害者が欠席していたことから、やはり現在暗躍している「怪盗X」による窃盗という可能性は否定できないだろう。我々新聞部は今回、彼が真夜中にホッケースティックを抱えて部室棟から逃走する瞬間を奇跡的に写真に納めることができた。
私立歩学園 新聞部より
文章中に、黒いコートと帽子を身につけた人物がスティックを脇に抱えて部室棟から走り去る写真が掲載されていた。ピントが合っていないらしく、帽子の影から見える怪盗の人相がはっきりしない。
「昨日の夜盗んでったのか…見回り何やってんだよ」
「昨日の見回りは大西だったって。やる気ないよね~あのオッサン」
「この一年可哀想~。朝練のときずっとランニングだったらしいぜ」
「まあいいんじゃん?怪盗Xって盗んだ物は後でこっそり返すらしいし」
「今度うちのオニ顧問の私物盗んでくれないかな~」
「休んだやつしか狙われないんだろ?あのゴリラに限って絶対ありえないって!」
「うほほほ…残念…」
新聞部の記事に注目してざわめく生徒たち。そんな高い人口密度の後方で、満足そうに笑みを浮かべる男子生徒と女子生徒が並んで立っていた。
「皆最近、怪盗Xに御執心だね。吉平」
誇らしげに男子生徒に話しかけたのは2年A組所属、新聞部部長を務めている赤松ユメだった。黒髪でレギュラー・スタイルのツインテールが印象的である。
「無理もない。俺たちは学生だ。当たり前の日常に満足できないのが当たり前なのさ」
眼鏡の鼻受けに人差指を当てて答えたのは遠藤吉平。赤松ユメと同じく2年A組所属並びに新聞部の副部長を務めている。
怪盗Xとは、ここ私立歩学園に通う生徒の私物を盗んでいく泥棒である。もちろん怪盗というだけあって、顔も素性も一切が謎に包まれた人物なのだ。怪盗Xが現れた当初、教職員及び生徒たちは、異常な不審者ではないかと嫌煙していただけであったが、闇夜に紛れての犯行。そして盗品の持ち主の机上に×印を紙切れに書いた犯行声明を残していくという奇抜な手口が次第に生徒たちの間で話題となり、不審者から一転して今や過半数の生徒を網羅するほどの人気者なのだ。
遠藤吉平と赤松ユメは、人口密度の高い職員室前からひとまず離れると、人の気配がない閑散とした廊下を二人で肩を並べて歩いていた。
「なあユメ。この世には様々な愚者が蔓延っていると思わないか」
「また始まった…」
遠藤吉平の癖は哲学者気取りで語り始めること。普段付き添っている赤松ユメにとっては拷問にも似た言動なので、彼女は頭を抱えて「はいはい、そうだね」と、気のない態度で相槌した。その後吉平の[語り]が続く―。
「例えば…やりたくもないことを一心不乱にやる愚者…やりたいことに一歩通行で周りが見えていない愚者…協調性を美徳とする愚者や、後で教師や親から説教を受けると分かっていながら馬鹿をやり通す愚者…つまりさっきの連中だ。朝礼が間近に迫っているのに職員室前で掲示板の新聞に夢中になっている。そろそろ生活指導の教師がしびれを切らして出てくる頃だ」
「…その言い草は酷くない?吉平。こうして読者がいてこそ成り立っているのが私たち新聞部なんだからさ」
真剣な面持ちで反応するユメに対し、吉平は微かに微笑む。
「そんな愚者の中でもとびっきり大馬鹿なのが、俺…遠藤吉平だと言える。俺は私利私欲に忠実な犯罪者なのだから」
「ちょっ…!声大きいよ。誰かが聞いてたらどうすんの」
ユメは周囲を警戒しながら声を潜めて吉平に注意した。
「心配ない。誰にも気づかれたりしないさ」
威風堂々たる姿勢を崩さない遠藤吉平。彼こそが、現在校内を騒がせている泥棒―怪盗Xの正体なのだ。今年の春に、頼みの綱だった新聞部員の3年生二人が卒業したため、残りの部員は吉平とユメの二人だけとなってしまった。新聞部の主な活動は、校内における近況などを写真や文章などにまとめて新聞を作成し、職員室前に設けられた掲示板に貼りだす。特にわかりやすい成果を遂げられるわけでもない地味な部活なので、新入部員が一人も現れず、新聞部は部員不足による廃部寸前の危機にまで追い込まれていた。そんなとき、部長のユメがとある企てを画策した。自作自演で事件を起こしてみてはどうかと。その偽事件を用いて校内の誰もが注目するような記事を書く。それに興味を示して入部してくる生徒が出てくるのではないかと考えた。最初は半信半疑のまま彼女の提案に同意していた吉平であったが、実行に移した結果、怪盗X出現から約二週間後―1年生が三人も入部してきた。その甲斐あって新聞部は廃部の危機を免がれたのだ。
吉平とユメは2年A組の教室まで登校して各自の席に座ると、並んで着席している31名の同級生たちと共に担任の小林雅之先生による朝礼を受けていた。
「上野…遠藤…岡崎…」
小林雅之先生は2年A組の出席簿を片手に出席確認の点呼をとり始めた。名前を呼ばれた生徒は安易に返事をしていく。吉平も自分の苗字を呼ばれたので、無感情に「はい」と返事した。
「木岡…菊知……菊知…菊知…」
名前を呼ばれても応答がない。小林雅之先生はこの場にいない生徒の名前を幾度か連呼すると、名簿の枠内に[遅]と記入した。
その直後に、教室の教卓側の格子戸を開いて一人の女子生徒が登場した。
「おー!菊知。最速記録だな。おめでとう!」
小林雅之は遅刻してきた女子生徒に対してやや皮肉が込められた激励の拍手を送る。同級生の皆も便乗(悪乗り)して拍手を送った。吉平も音が響かない程度のやる気のない拍手をしていた。
「にひひひ~、みんなおはよう…ひひ」
遅刻した女子生徒の第一声で、2年A組の皆はタカが外れたように吹き出した。
菊知五巳は自分の後頭部を撫でながら何故か照れている模様。そもそも普通の生徒なら遅刻したとき、全員の注目を浴びる前側ではなく後ろ側の入口からそっと忍んで入るものだが、彼女は学校のクラスに一人は存在する[遅刻の常習犯]なのだ。既に羞恥心が欠落している。毎朝遅刻する原因によるヒントは、彼女の目の下に茶色く染まっているクマである。つまり答えはただの夜ふかし。小林雅之先生の言うとおり、本日の遅刻はまだ過去最速記録(?)。普段は一時限目以降から不規則な時間帯で現れる。
「早く席につけよ~」と小林雅之先生に促され、菊知五巳は「にひひひ~」と不気味に笑いながら自分の席に座った。
すると五巳の隣の席にいた女子が、手ぶらのまま着席する彼女を不思議そうに見つめる。
「あれ、五巳。鞄どしたの?」
「あ…家に忘れちゃったみたい」
何にも囚われない愚者―と吉平は内心そう思った。
三時限目の数学は自習となり、宿題の問題集を解く優等生がいれば友達と駄弁る者もいて、いささか和やかな雰囲気であったが、途中から担任の小林雅之先生が教室に現れ、「話がある」と言って菊知五巳を職員室に連行した。おそらく遅刻の件できつい指導でもされるのだろう―と吉平を含め誰もがそう確信していた。そして午前の授業が全て終了し、昼休憩の時間となった。
吉平は怪盗Xの記事を書き上げるべく、新聞部の部室に向かう廊下を悠々と歩いていた。要訳すると、これから怪盗Xが起こす犯行内容を事前に記事にしておこうと彼は考えている訳だ。何故なら既に私物を盗む目標者が定まっているからだ。同級生の須藤真由紀という女子生徒。彼女は明後日より部活の遠征に出発する予定なので、その間教室の席を空ける。須藤真由紀は教室を出るときや帰宅時など、とにかく席を空けるときに何かしら私物を自分の机上に置いておく―という特質な癖がある。どういう理由でそんな行動をするのか、以前吉平が本人に直接尋ねたところ―「ジンクス」とだけ答えたそうだ。それを聞いた吉平は、「お前は犬か」と須藤真由紀に突っ込んで、その後彼女から無言の鉄槌が下されたことは言うまでもない。
ともかく明後日、須藤真由紀の机に置かれているであろう私物を、彼女が遠征に行って席を空けている間に盗む算段だ。
「ん…?」
吉平はふと歩みを止めて前方から歩いてくる女子生徒に目を向けた。
「お?キミは確か、同じクラスの遠藤君よね」
「……そうだ」
女子生徒の正体は[遅刻の常習犯]の菊知五巳であった。彼女は何故か出会い頭に吉平の立ち位置をぐるぐる廻って舐めまわすように観察していたかと思うと、彼の頭や肩を撫で回し始める。そんな掴み所のない行動をされ、さすがに吉平は眼鏡の鼻受けに人差指をあてながら五巳を睨む。
「おい菊知…お前はいったい何がしたいんだ?」
それを合図に吉平の正面で立ち止まった五巳は、人差し指を口に咥えて不適に微笑む。
「にひひひ~遠藤君の体、背が高くて筋肉ついてるわね。男の子って感じぃ」
「変態かおのれは…」
同じ性別でもここまで周囲の女子と生態系に相違が出てくるものか―と吉平は内心そう思って頭を抱えていた。五巳は懲りずに、なにやら棒状のような長物で吉平の腹回りを小突いてくる。
「腹筋かた~い。にひひひ~」
吉平はその変態的言動に耐え切れず、五巳が小突いてくる棒の先端を力強く掴んだ。
「お前な、いい加減に……」
掴んだのは、昨夜彼自身が盗んで隠しておいたはずの長谷部耕太のホッケースティックだった。あまりに唐突な出来事だったので、吉平はスティックを掴んだ右手に視線を向けたまま硬直していた。
「お?遠藤君、どうかしちゃったの?」
「お、お前…」
吉平はそこで一旦口を閉ざし、動揺するな―と心の中で自分に言い聞かせると、一般人を装ってその場をやり過ごすことにした。
「それ、もしかして怪盗Xが盗んだやつじゃないか?」
「そうよ~」
「それをどうして菊知が持っているんだよ?」
「先生に頼まれて~、見つけて~、今から持ち主に返し行くとこなの」
「頼まれたって…何を?」
「にひひ……」
すると五巳はいきなり吉平の顔に切迫して不気味にこう言う。
「ゲームイベント…[怪盗Xを捕まえろ]…ってね」
この台詞を言い終えるまでの一瞬だけ、彼女の目つきが若干鋭くなり、吉平は思わず冷や汗を滴らせて固唾を飲むと、怯えきった小動物のように後ずさりする。まるで何もかも見透かされているような気配に苛まれたからだ。
すると五巳はスカートのポケットから、折りたたまれた紙切れを取り出して吉平に掲げて見せる。怪盗Xの記事が書かれた今朝の学校新聞だった。
「話を変えるけども、新聞の記事に嘘を書くのはよくないなあ~遠藤君?」
「は、嘘…どういうことだ?」
なるべく平常心を保持して、針が胸に突き刺さるような恐怖感をおもてに出さないよう心がけている吉平であったが、自分たちが佇んでいるこの廊下を先程から通りすがっている生徒や教師に見られながら、自分を疑惑の目で見つめる五巳に迫られている―という膠着状況に、やはり動揺を隠せないでいた。
「この記事の最後の一節…[我々新聞部は今回、彼が真夜中にスティックを抱えて部室棟から逃走する瞬間を奇跡的に写真に納めることができた]…しかしスティックが盗まれた時間帯は真夜中ではなく、昼休憩の間ではなかったのかと私は見ているの」
人差し指を口に咥えながらそう語る五巳を見て、吉平は呆れた表情で嘲笑う。
「はっ、なに馬鹿なことを言っているんだ。盗んでいたのは確かに夜…」
「放課後の部活終了時に、ホッケー部のキャプテンさんは確かに部室の扉の鍵を閉めてから帰宅したそうよ。施錠方法は南京錠式ではなく、扉に設置された鍵穴に指して閉める鍵穴式。合鍵は作ってないらしくて、その日鍵はキャプテンさんが持ち帰ったって…直接本人から聞いたの。記事にも半分同じことが書いてあるじゃない」
五巳に話を遮られた所為か、吉平は少し機嫌を損ねて声を強ばらせる。
「人を疑わないやつだな菊知は。何故そのキャプテンが確実に鍵を閉めたと分かるんだ?」
吉平に妥当な指摘を受けても五巳は平然と答える。
「怪盗Xが盗んだ場所に必ず置いていく[×]と書かれた紙が、ホッケー部部室のドアに貼られていたのをキャプテンさんが発見した早朝…ドアの鍵はちゃんと施錠されていた」
「ピックか針金を使って開錠したのかもしれないじゃないか」
「そして部室内のスティックを盗み出し、そのピックか針金を使ってコツコツ~っと丁寧に鍵穴式の鍵を閉めたと?…盗み終わったのなら、校舎を巡回する先生に悟られないうちに早く帰りたいはずなのに、随分と律儀で優しい泥棒ね。それに、夜間に直接部室の中へ入れたなら、犯行声明の×印を書いた紙は部室内に置いておくこともできる。そうしなかった理由は、あたかも夜間に盗んだように見せかけるための口実。普通他人の所持品にまで気を配る人なんていないから、盗んでも翌朝まで悟られない自信があった。ちなみに盗まれた時間帯が昼休憩だと私が思った理由は、ホッケー部の朝練終了時、キャプテンさんは鍵を閉め忘れて…放課後にやっと気づくまでずっと鍵は開けっ放しだったそうよ。つまり、人目を避けて盗める好機は各教室で行われる朝礼の直前から放課後直前まで。狙うターゲットが当日欠席であると確定するまでは実行出来ないから、朝練前に盗むことは不可能。これは仮説だけど、怪盗の正体がこの学園の生徒であるならば、犯行時間は昼休憩に定まるわ」
五巳の見解に思わず口ごもってしまう吉平。そして工を焦り、こんな逸話を持ち出す。
「……っ記事には書かなかったが、怪盗Xが現れた日の夜に校舎を巡回していた大西先生は、部室棟前で確かに人影を見た…と言っていた。だから間違いなく怪盗Xは昨日の夜、部室棟前にいたんだ。スティックを抱えて逃げる瞬間を撮った証拠写真もその記事に載せてあるだろ!どこに疑う余地があるんだ?」
感情を剥き出してそう訴える吉平。対する五巳は依然として冷静な態度を崩さずに話を再開させる。
「そうね。私も大西先生からそのときの話は聞いたわ。白い閃光のような光が一瞬見えて、光った場所を確認すると、部室棟前で二人の人影が見えた。その直後に人影の一人は校門へ、もう一人はグラウンド側へ走り去ってそのまま行方をくらました。遠藤君の言うとおり、その人影の正体は怪盗X。そしてもう一人の人影の正体は、写真を撮影した新聞部員の誰か。大西先生が見たという白い閃光は、おそらくスマートフォンかデジタルカメラのフラッシュの光だったの。新聞部員の誰かさんは、怪盗Xがスティックを抱えて去っていく様子を撮影して、校門まで走って直帰したんだわ。そして、グラウンド側に走っていった怪盗Xは、抱えていたスティックをどこかに隠した。グラウンドのどこにも掘り起こした形跡は見当たらなかったので、死角になるような箇所を徹底して探したの。そして下水溝のドブ板を小林先生にひっくり返してもらったら、布切れに包まれたコレを見つけられた…という訳よ」
五巳はホッケースティックを吉平に掲げて見せた。
「………」
吉平は五巳と目線を合わせたまま寡黙をとおす。
それから五巳はホッケースティックを両手で持ち替えて「返しにいかないと」―と言って吉平の肩を通り過ぎていく。そして少し歩いてから立ち止まり、吉平に振り返って無感情な口調でこう言う。
「そういえば、怪盗Xの出現が話題になってから、新入部員が加わったそうね。今朝みたく事件直後の…しかも朝礼前に記事を完成出来るぐらいだもの…きっと活動の熱意が伝わったのね…おめでとう。春は部員不足で廃部寸前だったのに…ある意味怪盗Xが盗みを続けてくれたおかげかもね」
睨む吉平に微笑みかけた五巳は首を戻し、歩みを再開させた。
「それじゃあまた教室で会いましょ。[新聞部副部長]の、遠藤吉平くん…にひひひ~」
去り際にそう言った五巳の台詞を頭の中で繰り返し唱えた吉平は、奮起を露わにして左の手のひらを右手の握りこぶしで力強く打った。
「あの女…」
すると、後ろの柱の影に隠れていたユメがおどおどと憔悴した様子で吉平の元へと小走りして寄っていく。
「ちょっとちょっと吉平!今のはヤバイでしょ」
「ユメ…お前見ていたのか?」
「うん…まあ…登場するタイミング渋っちゃってさ」
ユメは俯いたまま立ちすくむ吉平を見守り、しばらく沈黙が続いた。
「菊知五巳…自由奔放な馬鹿女子だと思っていたが、前言撤回。あの女…昨日の夜に偽装工作していたことも含めて、俺たちが怪盗Xだと疑っている…」
その続きを察してユメが代弁する。
「うん…怪盗Xの…いや、私たち新聞部の敵になるかもね」
さきほどの会話の流れで、五巳が怪盗Xを捕まえようとしていることは明白。一体どのような事情でそんなことをしようとしているかはさて置き、彼女の推理により自分たちが怪盗Xの正体であるという事実が校内に公表されれば、たちまちPTAなどの重役の間で深刻な問題となる可能性が高い。そうなれば最悪の場合、新聞部の活動停止―という処遇に追い込まれることも否定できない。新聞部をこのまま存続させるためには、菊池五巳を敵と判断し、自分たちが怪盗Xであると悟られない対策をしなくてはならない。
吉平はしばらく眼鏡の鼻受けに人差し指をあてて考え込むと―。
「…とりあえず対策として、四月に書いた怪盗Xの初記事とその次の記事を今から処分しておこう。その二面の内容では、俺たちが怪盗Xの名付け親ということになっているから、変に悟られないようにしておきたい…これも念のためだ」
吉平の提案にユメは深く頷いた。それを合図に二人は新聞部の部室に向かい、部室のドアにかけられた南京錠を、吉平が持っていた鍵で開錠して中に入っていった。
「あの菊知…前々から奇天烈な女子とは思っていたけど、本当は何者なんだ?」
怪盗Xの過去記事が書かれた新聞を徐にシュレッターにかけながら吉平がそう尋ねたところ、ユメはもう一部の記事を棚から下ろして答える。
「ああ……あんたは女子同士の会話の中身なんか聞き入ったことないから知らないだろうけど、あの子…五巳は女子の間で[落としもの係り]の愛称で通ってんの」
「この学園に係りの仕事なんてないだろ。小学生じゃああるまいし…」
吉平が片まゆをひそめて嘲笑うと、ユメは背後から彼の後頭部を軽く小突いた。
「愛称っつってるでしょ?とにかく女子が落として亡くしちゃった物とかを、いわゆる論理的思考で探し当てちゃうの。一年生のときから遅刻常習犯で、リアルに留年寸前だったらしいんだけど、担任の先生や学校の上層部…PTAの人が失くした私物まで探して見つけるものだから、その天才的観点と人間性を買われて遅刻は免除。頭脳明晰でテストの成績はいつも上位だから、無事二年生に進級できたって訳」
今朝の様子とは全く違う雰囲気を見せたさきほどといい、ユメが話したこの逸話といい、菊知五巳という女子生徒の器は計り知れず、吉平は少々目まいを引き起こす。
「ず…随分飛躍した話だな。でもそんなことをやってのけるほど頭が良いのなら、何故あいつは毎朝遅刻する?内申に響いて将来損することぐらい分かるはずだろうに」
「ああ…うん。五巳、ゲームオタだから。毎日飽きずに深夜まで夜更かししてゲームやってるんだって。さっきの[怪盗Xを捕まえろ]…っていうのもゲーム感覚留まりならいいんだけど…」
苦笑を浮かべながらの説明を終え、作業に集中するユメ。その様子を見送った吉平は、眼鏡の鼻受けに人差し指を当てて上の空になっていた。
「落としもの係り…菊知五巳…」
◆
「ゲーム感覚なのか?てめぇの学園生活は」
現在の2年A組は三時限目の自習中。職員室の自分の机前に菊知五巳を呼び出した2年A組担任である小林雅之先生は、床にしゃがんでモバイルゲーム[パズ●ラ]に勤しむ五巳にそう言い放った。
「人生は常に選択肢の連続。一度しかない人生をどうやって過ごせば楽しくなるか、ブロックをどう動かせばコンボ連チャンできるか……人生とゲームは表裏一体。人は皆、人間というゲーマーなのよ、先生…にひひひ」
真顔でそう語った五巳と視線を合わせたまま、小林雅之先生は机の手元に重ねていた教科書を一冊手にとって丸めて棒を作ると、五巳の前頭部を上から振りかぶってぶちかました。彼女は「ふぎっ!」と奇声を発して体制を崩し、床に尻餅をついた。
小林雅之先生はどっしりと座り直して、片眉をひくひく上下に動かしながら床で経たり込んでいる五巳に説教する。
「いっちょ前に屁理屈こいてんじゃねぇーよ、クソガキが。今日は大目に見てやったが、一昨日は昼飯前の重役登校、昨日は六時限目の授業途中から乱入…明日また遅刻するようなら、てめぇの花のJKライフは永久にゲームオーバーだ。わあってんのか?こら」
「にひ…先生相変わらず口悪。そもそも留年するってだけなのに、まさにその解釈がオーバーって感じぃ」
にやにや嘲笑ってぶつぶつ愚痴をこぼしながら[パズ●ラ]を再開している五巳。ついに堪忍袋の緒が切れたのか、小林雅之先生は五巳の手中にあるスマートフォンの画面上を適当にタップした。敵のターンでボスキャラから攻撃を一発くらって天珠全うしたようで―
「ふぎゃあああああ!10コンボ以上確定で打開状況だったのにぃ!」
五巳は即立ち上がって両手で頭をかきむしる。そして不適に嘲笑して座っていた小林雅之先生のカッターシャツの胸ぐらを両手で掴んで前後に揺らしながら泣き叫ぶ。
「連日無休で無敗だったのよ!何さらしてくれてんの性悪教師!」
小林雅之先生は手のひらを肩まで上げてみせ、呆れた口調でこう言う。
「リアルに無遅刻無欠席のほうを心がけろよ。あと教師には敬語使え、ボッチ寸前女が…まあいい。今日呼び出したのは遅刻とは別件の用事だ。身構えなくてもいいだろう」
小林雅之先生と目線を逸らしてふてくされたまま立ちすくむ五巳は、上唇を尖らせてこんな皮肉をぼやく。
「私に何か御用ですか?パワハラ30歳独身教師この野郎」
「じゃ、とりあえず場所変えるか…なんなら生徒指導室でその軽口を針と糸で縫合してやろうか?このクソオタクビッチが」
そんな痴話喧嘩を繰り出しながら、小林雅之先生の先導で五巳は職員室から出て別室に移動する。しかし個性派同士の口喧嘩ほど手に余ることはない―ので、二人のやり取りを傍観していた教職員たちは敢えて一度も関与しなかった。
五巳と小林雅之先生は生徒指導室前で肩を並べて佇んでいた。
「本当に生徒指導室とは…え、エロ行為しないでよね、先生」
「ああ、ガキの青臭い肌には興味も感心も一切ねぇから安心しとけ」
顔を赤く染めて後ずさりする五巳のボケを軽く受け流した小林雅之先生は、生徒指導室のドアを開き、「入れ」と言って五巳を促した。彼女は言われるがままに入室すると、手前のソファに腰を落とした。
「お?数学の大西先生。用事で帰られたって聞いたのに…」
向かいのソファに座っていたのは、昨日の夜に校舎を巡回していた大西教員だった。彼の隣に脚を組んで座った小林雅之先生から説明される。
「担当直入に言うとだ。例の怪盗…エックスだかっていうコソ泥を、お前に捕まえてほしいんだよ。もし捕まえることができたら、代償として四月から今日までの遅刻…分かるか?つまり夏休みのひと月を除いた半年分の遅刻を免除してやる。やるか?」
五巳は人差指を咥えてしばらく考えにふけったあと、硝子テーブルに俯いた視線を小林雅之先生に戻して不適に微笑む。
「にひひひ~、面白そうじゃない。題して…[怪盗Xを捕まえろ]。獲得経験値ならぬ獲得資金は[遅刻免除]で一石二鳥…もちろん引き受けるわ、先生」
その後、昨夜の巡回中に怪盗Xを目撃したと思われる大西教員から話を聞き、論理的思考で怪盗Xに盗まれたホッケースティックの在り処を突き止めた―。
◆
二日後、2年A組の生徒―須藤真由紀は部活の遠征に出たため、彼女の席は空席。そして机上には例によって彼女の私物と思われる黄緑色の手鏡がこれみよがしに置かれていた。
昼休憩前の三時限目。2年A組の生徒は男女別で体育の授業を受けていた。男子は校庭でサッカー。女子は体育館でバレーボール。
同級生の女子が皆体操服かジャージを着て汗を流しながらバレーを楽しんでいるのに、五巳はひとり制服姿のまま体育館の片隅で見学していた。
「にひひひ…みんなこのお寒いなか頑張るわね~」
三時限目終了の予鈴が鳴り響き、女子陣は片付けを終えて体育館から続々と出て行く。教室に上がる階段前で男子陣と合流し、彼らは2年A組の教室に戻ろうとしていた。
「え…誰あれ?」
一人の女子生徒が教室内を指差した。皆は彼女の指差す方向に目を向ける。窓際の須藤真由紀の机前に、黒の帽子を頭に被り黒のコートを羽織った人物がいた。その直後にユメが好奇心の目を輝かせる。
「怪盗Xだ!」
二年A組の皆が呆気にとられている隙に、怪盗Xは須藤真由紀の机上に置かれていた手鏡を懐に入れて盗むと、教室から飛び出して三階に上がる階段に向かって走っていく。
「シャッターチャンス!」
携帯を取り出し、逃走する怪盗を追って走り出したユメを合図に2年A組の皆も条件反射で動き出す。
「面白そう!」
「俺たちも行こうぜ!」―と我先にと言わんばかりに逃走を続ける怪盗を追走する。
怪盗Xは屋上へと続く階段を駆け上り、扉を開いて屋外へと出て行く。ユメの先導で2年A組の皆も屋上まで走っていく。しかし、黒ずくめの人物の姿は彼らの視界から忽然と消えた。しかし、ユメが「飛び降りたんだよ!」と叫んで前方に走っていく姿を見て皆も彼女に続いて走る。
「いた!あそこ」
ユメが指差す方向にあったベランダに、黒ずくめの影を確認した皆は、揃って屋上の出口へと急いで駆けていった。しかし、ここまで皆に付いてきた五巳は片膝をついて息を切らしている。
「ふぃーっ…ふぃーっ…私、もう限界死ぬ…!」
五巳は幼少の頃から自室に閉じこもってゲームばかりしていたため、外で駆け回って遊んだ経験が皆無。しかも体育の授業が嫌いで「体調不良」―などと大ボラを吹いては毎度の如く見学していた。故に彼女の身体的体力は限りなく無に等しい。
2年A組の皆が屋上から出て行く姿をしばらく見送り、よろよろと体を揺らしながら悠々とした足取りで五巳も屋内へと引き返そうとしていた。
「お?」
屋上出入り口の脇に置かれた口が開いたままの段ボール箱が五巳の目に止まった。
「菊知。行かないのか?」
扉付近で待っていた吉平に促され、五巳は出入り口まで走った―。
「で、行ってみたらその人形がベランダにあったと?」
昼休憩。五巳と並んで廊下を歩きながら小林雅之先生が指差したのは、彼女が抱きしめている綿を布袋で包んだだけの簡素な造りの人形だった。肩には黒いコートが着せてあり、頭部には黒い帽子が被せてある。
「会議室のベランダに固定されていたの。屋上から真下を見ても充分視覚に入る位置に」
「じゃあこういうことか?お前の考えで怪盗Xが学生だと仮定するとして…変装したそいつはザイルかロープを使って三階の会議室ベランダまで降りて、あらかじめ用意していた人形に自分が身に着けていた帽子とコートを着せてからどこかに隠れ、会議室まで走ってきたお前らと合流した」
小林雅之先生による一通りの推理を聞いて、五巳はしばらく人差指を咥えて考え込んだが、徐に首を横に振った。
「にひひひ~まあいいセン行ってると思うけど、合流するタイミングが違うわね。それに、前を走っていた人たちと、逃げる怪盗Xとの間隔は20メートルもなかった。皆が会議室のベランダを見下ろしている頃には、ザイルかロープを伝って降りている怪盗の姿が目撃されているはず。先生の話ではいくらなんでも行動が迅速過ぎるわ」
しばらく廊下を歩いていると、屋上へと通じる階段から、みかん箱寸法の段ボール箱を一つ抱えている吉平と、首から一眼レフカメラを下げているユメが降りてくるのが見えて、五巳は吉平たちの元まで寄って話しかける。
「お?遠藤君。その段ボールどうしたの?」
「…これにはカメラの機材が入っている。新聞記事に載せる写真を屋上で撮影していた」
吉平は無感情にそう答えると、「じゃあ」とだけ言って早々に去って行くのだった。ユメも小林雅之先生に軽く会釈して吉平の後を追っていく。五巳はその姿を不思議そうに人差し指を咥えて見送った。
五巳と小林雅之先生は屋上へ通じる階段を上がり、五巳が扉を開く。
「怪盗Xは開ききったこのドアの影に隠れて制服に着替え、追ってきた皆と合流した。おそらく、皆が下の階のベランダに置かれた人形に気をとられている隙に……お?」
五巳はしきりに屋上の出入り口脇を見回した。小林雅之先生がその様子を見て尋ねる。
「おい、どうかしたのか?」
「怪盗Xは、ここに置かれていた段ボール箱にコートと帽子を入れたと思うのだけど、見事に回収していったみたいね。やはり怪盗の正体は、遠藤吉平…」
納得のいかない表情で人差し指を咥えていた五巳は、スカートのポケットから一枚の紙切れを取り出してみせる。小林雅之先生がそれを取り上げた。
「なんだこりゃ?」
「怪盗Xが盗んだ場所に残していく犯行声明よ。須藤さんの机の上に置かれていたの。いつもは×印が書かれているけれど、今回は何故か…」
紙切れに書かれていたのは句点のような印のみ。
「書く時間が無かっただけだろ。お前らに盗む瞬間を見られて逃げた訳だし…それより、さっき段ボール箱を持っていった二人をとっちめに行くか」
小林雅之先生は紙切れを五巳の手元に返すと、背伸びをして屋上から降りていった。
「…時間が無かっただけ…ふ~む…」
五巳は人差し指を口に咥えたまま、点の印が書かれた紙切れをじっと眺めて考え込む。
「お~い遠藤、赤松。ちょっと待て」
小林雅之先生は職員室前の廊下にいた二人を呼び止めて、吉平が抱えている段ボール箱の中身を見せてもらいたい―と言うので、吉平は大人しくダンボール箱を床に置いて蓋を開いてみせた。
中に入っていたのは、確かに写真撮影に使用されるような[150ワットストロボ]と呼ばれるパラソルのような機材。それが小さく折りたたまれているだけであった。
「大西先生に借りていた物なので、今から返しに行かないと…」
吉平が困惑気味の表情で訴えるので、小林雅之先生は職員室へ入っていく二人を見送るだけだった。
放課後。窓から差し込む夕日に照らされた2年A組の教室には、机に突っ伏している**以外の生徒は誰ひとりいなかった。人の気配がA組の教室から消えたことを確認した彼女は、自分の席から徐に立ち上がると須藤真由紀の席に直進した。椅子を引くと、座席の上に一本のマーカーペンが無造作に置かれていた。
「ふ~む…やっぱり盗んだのは手鏡だったか」
そう呟いた直後に、A4寸法の桃色のファイルと一冊のノートを重ねて脇に抱えている小林雅之先生が教室に現れた。
「おい菊知。てめぇに言われた通り、これまでに怪盗Xから私物を盗まれたガキ共の名前をリスト化した。それに怪盗Xの記事が載せてある過去の新聞を新聞部のやつらから借りてきてやったぞ」
小林雅之先生は、桃色のファイルと一冊のノートを教卓に並べて置いた。
吉平が持っていた段ボール箱の中身は怪盗Xの衣装などではなく、本当にカメラ撮影に使用される機材だったと―あのあと屋上に戻ってきた小林雅之先生からその報告を受けたが、五巳はその件を一旦頭の隅に置いて、新聞部から怪盗Xの過去記事を借りて盗難に遭った被害者のリストを作成してほしいと彼に依頼していたのだ。
「ありがと先生。では早速検証してみましょうか」
五巳はまず、過去の新聞が重ねてまとめられた桃色のファイルを手にとって開く。
「ふ~む……最低でも月に一度は盗みをしていたようね」
一枚ずつ新聞の用紙をめくって確認していく。全ての記事を簡潔に確認し終えた五巳は、何故か目を丸くして隣にいた小林雅之先生と顔を合わせた。
「ねえねえ先生。怪盗Xの過去記事は本当にこれで全部?」
「ああ、もちろんだ。新聞部員全員にかき集めてもらったからな」
五巳が人差指を咥えて険しい表情をしているのを見兼ねて、小林雅之先生は首を傾げる。
「菊知、どうしたよ?」
「一番古い記事の日付が五月なの。私の記憶では、怪盗Xは四月から話題になっていたような気がするんだけど…」
「ああそういえば部長の赤松がな、四月分の記事はつい三日ほど前にまとめて処分したとか言ってたぞ」
五巳は肩の荷が下りたように溜息を吐くと、片膝をついて俯いた。
「……それを早く言ってよ先生。どうして[エックス]って呼ばれるようなったのかとか知りたかったのに…」
「んなもん、誰かが適当に考えてそう呼ぶようになったんだろ。泥棒にXなんてベタな名前つけるぐらい、この学園のガキ共ならやりそうなこった」
小林雅之先生は両方の手のひらを肩まで上げてみせると、嘲笑うようにそう言い切った。
「でもXには何か意味がありそうな気がするのよね…」
五巳は桃色のファイルを一旦教卓に置くと、今度はノートを手にとって開く。そこにはこれまでに怪盗Xから私物を盗まれた被害者の生徒の氏名とクラスが縦一列に記されていた。男女混合で学年と組がまばら。これといった共通点が見当たらない。
五巳は気分転換をしようと教室から出て、無意味に一階へと降りることにした。
1年生の教室が並ぶ廊下をひとりで悠々と散歩する五巳。
ふと、D組の教室が目に留まった。1年D組の教室内には一人も生徒がおらず、夕日が照らされて外からはグラウンドで部活動に励む野球部とホッケー部の掛け声のみが聞こえる。
「あの、うちの教室に御用でも?」
背後から声をかけられた五巳は、思わず「ふぎっ!」と奇声を発して振り返った。
不思議そうな顔をしている小柄な女子生徒の問いかけに対し、五巳は「にひひひ~、別に…」とだけ言って不適に微笑んだ。
怪しい人―と内心思って警戒する女子生徒。
すると教室の出入り口前で、茶封筒を抱えた大西教員と鉢合わせる。
「おー西尾。ちょうどよかった。これ、赤松に頼まれてた補充の用紙な」
「あ、はい…」
大西教員が西尾という女子生徒に手渡したのは、B4寸法のコピー用紙がたっぷり重なって入っている茶封筒だった。大西教員は「じゃ、よろしく」とやる気のない態度で手を振ると、悠々と廊下を歩いてその場を去っていった。
「も~自分で持ってけばいいのにな…」
困った表情で文句を垂れる西尾が教室から出ようと脚を一歩踏み出すと、背後から五巳が彼女の右肩を掴んで引き止めた。
「ねえキミ、新聞部員さんなの?」
悪寒を感じ取って首だけ振り返った西尾は、五巳の目の下のクマがまるで生ける屍のように見えたため、心の中で悲鳴をあげるのだった。
「は…はい…そうですが…」
小動物のように怯えている西尾の手を五巳は躊躇なく両手で握った。
「にひひひ~、イベント発生~」
「へ…?」
西尾は迫ってくる五巳にあっけらかんとするだけだった。
大西教員の担当科目は数学。及び新聞部の顧問でもあるのだ。五巳はそのことを把握していたため、さきほどの西尾と大西先生のやりとりで、彼女が新聞部員であるという事実が発覚したことに歓喜した。何故なら、怪盗Xの疑いがある遠藤吉平と部活動で大いに関係しているからだ。
五巳は西尾から話を聞くことにした。二人は互いに近い席に適当に座って会話を交わす。
「私、キミの先輩の遠藤くんと同級生なのだけど、最近教室での彼の様子が変に見えてね…部活で何か変わったこととか無かった?」
五巳はそれらしい嘘などを交えて西尾にそう尋ねた。
「う~ん、変わったことですか…」
西尾はしばらく考え込むと、「毛利くんのことを…」とだけ呟いた。五巳は人差し指を咥えて彼女に迫る。
「毛利くん?」
すると西尾は教卓前の机を指差して答える。
「あ…毛利くんはあそこの席の同級生で…彼は毎日学校から帰宅するとき、机やロッカーに置いている私物を全部持ち帰らないと気がすまない性分で、D組の中で一際異彩を放っている感じの男子なんです…実は以前に、遠藤先輩から新聞の記事に載せられる特ダネがないかと訊かれたので、冗談半分でこの話をしてみたんですけど…先輩は毛利くんの拘りが気に入ったみたいで、最近よく彼について尋ねてきてました」
そこまで淡々と語る西尾蘭子。聞き手の五巳は人差指を咥えて微笑する。
「ふ~む、毛利くんは結構慎重で個性派なのね…にひひひ~私と気が合いそうよ」
「あの菊知…さん。こんなことを聞いてどうするんですか?」
「なるほど…なら…こ…でき…かも…」
五巳は困惑する西尾の質問を横流しにして自分の世界に入るように人差指を咥えてぶつぶつと独り言をはきながら考え込んでいた。
やっぱり変な人だな―と内心思って笑顔を引きつらせる西尾。彼女はとりあえず五巳の目線がこちらに向くまで寡黙を通すことにする。
すると五巳は突然、西尾の顔に至近距離で切迫してきた。彼女は五巳の目元のクマにぎょっと驚いて再び身を引く。
「ねえ西尾さん、生徒の私物を盗む例の人が、どうして怪盗Xという名前で呼ばれるようになったのか知っている?」
「え…と…あの…盗品の持ち主の机の上に、いつも決まって×印を書いた紙を残していくので、その×印を洒落て[X]…[怪盗エックス]と、うちの部の部長さんが命名されたと以前に聞きましたが…」
西尾がおぼつかない口調で恐る恐る答えると、五巳はいつものように「にひひひ~」と不適に微笑むと、席から立ち上がって呆気にとられている西尾に軽く手を振ると、颯爽と1年D組の教室から去っていくのであった―。
◆
昨日の昼休憩。職員室にいた大西教員に機材が入った段ボール箱を返却したその後の時間にさかのぼる。
吉平とユメは新聞部部室の椅子に座って各自くつろいでいた。
「ほんと危ないとこだった…もしあのとき五巳に見られてたら…」
ユメは近くのテーブルに頭だけ乗せて疲労困憊気味である。
「悪運も実力の内だ。まさか大西先生から借りていた機材がここで役立つとはな」
吉平は床に置いてある、黒の帽子とコートが入っているみかん箱寸法の段ボール箱の蓋を開きながらそう呟いた。
説明すると、体育の授業終了直後に吉平は怪盗Xに扮して2年A組の教室―須藤真由紀の机前で待機していた。そして帰ってきた皆がこちらに気づいてから屋上まで逃走する。ユメの誘導で皆が下の階に置かれた人形に注目している隙に、吉平は開ききったドアの影に隠れて帽子とコートを脱ぎ、あらかじめ用意しておいた段ボール箱に入れると、何事も無かったように皆と合流した。そして昼休憩の時間を使い、屋上に置かれたままの怪盗Xの衣装が入った段ボール箱を回収する手はずだった。しかし屋上から降りるとき、五巳並びに小林雅之先生とすれ違った。彼女はこちらの計画を悟り、屋上の段ボール箱が消えていることに気づけば、今手元にある段ボール箱の中身を確認しようとするかもしれない―そう考えた吉平は、会話の流れで「カメラの機材」という単語を持ち出した。そして速やかに新聞部部室へと入り、怪盗Xの衣装が入った箱と、部室に置かれた大西教員から本当に借りていた機材が入った箱をすり替え、職員室へと向かった。小林雅之先生が異変に気づいて駆けつけてきた頃には時すでに遅し―という訳だ。
「さて、今のうちに次の手を打っておきたいものだな…」
吉平は眼鏡の鼻受けに人差し指をあてて考え込む―。
翌日の午後2時20分現在―昨日は澄み渡った青空が一面に広がっていたというのに、女心と秋の空―ということわざが実証されたようで、本日は薄く陰った曇り空が上空を支配していた。外が薄暗いので、歩学園校舎の窓から見える電光は一際輝いている。
2年A組の六時限目は学級活動。来月に迫った学園祭の出し物を提案する時間となるようだ。始業前の休憩時間に、教卓前で小林雅之先生と一人の女子生徒が話しており、吉平は偶然傍にいたので彼らの会話の内容が耳に入ってきた。
「え~今からですか~?」
「いいから頼むよ。1年D組の教卓前に毛利一真っていう生徒の席がある。病欠で席が空いてたから、そこにプリントの山と赤ペン置いたままなんだよ」
「めんどくさ~」
「この時間使って採点しとかないとなんだよ。ほい早く取ってくる!ほらほら!」
小林雅之先生の催促に対して、女子生徒は気だるそうに髪の毛をいじりながらぶつぶつ文句を言い続けている様子。
これだ!―と吉平は心の中で奮起した。
「俺が持ってきますよ。女子にはきついだろうし」
話し合いの結果―やる気のない女子生徒に代わって吉平がプリントの山と赤ペンを持ち運ぶこととなった。
しばらくしてから、吉平はプリントの山を両手に抱えて2年A組の教室に帰ってきた。小林雅之先生の姿はなく、生徒たちは自分の席から離れて雑談している模様。吉平はとりあえず教室の黒板側の窓際に置かれた教職員用の机上にプリントの山を徐に置くと、携帯を取り出して一通のメールを送信した。
「ほ~い、遠藤ご苦労。席につけ~」
吉平の背後から小林雅之先生が登場したので、A組の皆は悠々と自分の席へと戻っていく。吉平も遅れて自分の席に座った。
学級委員による号令が済んで皆が一斉に着席すると、小林雅之先生は教卓に両手をついて話し出す。
「この時間は学校祭の出し物について話し合ってもらうぞ~。じゃあ実行委員、前に出て進行してくれや」
小林雅之先生と入れ替わりで、このクラスの文化祭実行委員である二人が教卓に行き、一人が司会進行。もう一人はクラスメイトが出した提案や意見を黒板に書いていく。
すると、教職員用の机に座っていた小林雅之先生が、何故か椅子から立ち上がって執拗に机の周囲を探索している様子だった。
「先生、どうしたの?」
机に頬ずいていた五巳が平然とした様子で声をかけると、小林雅之先生は片眉をひそめて吉平の顔を凝視した。
「遠藤…赤ペンはどうした?」
「え…?」
名前を呼ばれた吉平は、口を開いたまま硬直した。
ざわつく教室。しばしの均衡状態の中、教室に一人の教師が焦燥した様子で駆けつけてきた。
「小林先生。1年D組の毛利一真の席にこんな紙がありまして…」
その教師が取り出して見せた物は、怪盗Xによる犯行声明。×印が書かれた紙切れであった。この状況で、教室内はさらにざわめきだす。
「おい、俺は今からD組の教室に行って確認してくるから、大人しく待機してろよ」
皆にそう留意すると、小林雅之先生は教室から抜け出して行った。
しばしの沈黙の中、皆は一斉に吉平を凝視する。そして彼の席へと詰め寄って皆でとり囲んだ。
「おい遠藤。お前が盗んだの?」
「じゃあ怪盗Xの正体ってあんたか!」
「…そんな訳がないだろう。俺じゃない」
吉平の話には取り付く島もなく、皆は彼に迫り続ける。
「なんだそっか~!あたしの代わりにプリント取りに行ってくれたのかと思ったら」
「でもさ、赤ペンなんか盗んでどうなるよ?」
「そもそも夜に盗むんじゃなかったっけ?」
「いやいや、今日の昼休前に現れたじゃん」
「赤ペンさ、後で返すんだろ。いつ返すの?」
「ねえねえ遠藤くん!どうして泥棒なんてやってんの?」
「ウケ狙いか!だろ?」
「おいおい早く出せよ~先生困ってんじゃん」
気味悪がる者、面白がる者、喜ぶ者などが密集して飽和しそうな状況である。五巳も後からつられて吉平の顔色を伺おうと、背伸びして狭間を覗き込んでいる。
全員一致の結論で、皆は本人への了解なしに吉平の机、ロッカー、学生鞄―などの中身を確認し始めた。しかし、いくら模索しても彼の私物から小林雅之先生の赤ペンという物的証拠は出てこない。たかだか文房具ひとつ紛失したから騒いでいる訳ではない。皆は怪盗Xが盗んだ―という点に着目して興奮しているに過ぎない。つまり同級生が悪行をしていた可能性に食らいついて面白がっているのだ。
自分の領域が荒らされているにもかかわらず、吉平は余裕のあらわれか両手をズボンのポケットに入れたまま、毅然とした態度で佇んでいた。
「あーっ!ここに落ちてんじゃん!」
そう叫んだのはユメだった。皆は一斉に彼女が指差す床に注目する。見ると確かに全身赤色のサインペンが一本だけ無造作に床に転がっていた。
「なんだよ、落っことしちゃっただけかよ」
「つまんねぇオチだなあ…」
皆は一気に熱が冷めたようで、それぞれ遠藤の机から離れて雑談を再開した。
「ふ~む」
五巳は人差指を咥えながら、片方の手でその赤ペンを拾い上げてプリントが置かれている机の脇に置いた。
1年D組の教室に行った小林雅之先生は、結局何の手がかりも掴めなかったようで、教室に帰ってきた。吉平の疑惑が晴れて、ようやくほとぼりも冷めた。その後は恙無く学園祭の出し物の提案による学級活動の時間が再開された。皆が意見を出し合っていく中で、五巳はひとり、机の上に二枚の紙切れを見比べながら人差し指を咥えて考え込んでいた―
六時限目が終了して放課後になり、皆が支度して教室から出て行く中で、五巳は未だに考え込んだまま席から離れない。
「ふ~む……ここでまた×印の犯行声明に戻る…では手鏡が盗まれたときに残されていたこの句点みたいな印の犯行声明は本当に書く時間が無かっただけ…?」
ぶつぶつと小言を呟きながら人差指を咥えている五巳。その様子を教室の出入り口から見ていた吉平とユメは、少し嘲笑ったような笑みをこぼして新聞部部室に向かって廊下を歩き出した。
「ふふ!考えてる考えてる」
ユメはにこにこ笑いながら嬉しそうにしている。
「あの様子だと到底俺たちにはたどり着けないな。怪盗Xを捕まえる…なんてホラを吹かれたときは焦ったけど、とんだ見た手違いだ」
吉平は脱力感にも似た態度でそう言うと、眼鏡の鼻受けに人差指をあてた。
「さてと!ひとまず五巳とのニラメッコはお預けってことで、今日の記事を明朝までに間に合わせるよう、気合入れて部活やるよ」
ユメは気持ちを切り替えて両手を強く叩き合わせる。その情熱がこもったやる気に便乗してか、吉平は再び眼鏡の鼻受けに人差指をあてながら語りだす。
「ジャーナリストの基本は、他者からの圧力に屈せず真実を追求する。その理念を重んじる唯一の部活が新聞部と言えるだろう」
「また始まったか…」
語りだす吉平を見たユメは、頭を抱えて溜息を吐いた。
「この社会を生きていく上で最上級の愚者は、新聞を読まぬ怠惰な人間だ。新聞は決して道楽や趣味で読む物ではない。もし明日いきなり消費税率が十パーセントにまで跳ね上がってしまえばどうだ?普段通りの消費税だと打算して所持金ぎりぎりの買い物をしてレジ行けばびっくり仰天!新聞を読まなかったために…etc」
ついに目撃!怪盗X
一昨日の昼休憩前のこと。2年A組の生徒たちが体育の授業を終えて教室に戻る際、須藤真由紀の机前で彼女の私物である手鏡を怪盗Xが盗む姿をA組の生徒らが目撃した。それに気づいた怪盗Xは廊下へ逃走し、A組の生徒らは屋上まで彼を追走。しかし怪盗Xは屋上から三階の会議室ベランダへと飛び降りた。しかしA組の生徒らが駆けつけた時には怪盗の姿はなく、ベランダには黒い帽子とコートを身につけた人形が置かれているだけだった…。須藤真由紀の机上には句点の印のみが書かれた紙が置かれていた。おそらく怪盗Xの犯行声明であると考えられるが、A組の生徒らに目撃されたという想定外の結果から、書く時間を惜しんだと思われる。
昨日の六時限目始業直前の休憩時間に再び事件が発生。盗まれたのは、2年A組担任である小林先生の採点用の赤ペン。疑いの目は、1年D組からプリントの山と赤ペンを一組に持ち運んだ遠藤吉平に向けられた。プリントの山と赤ペンが置かれていた1年D組の毛利一真の机上に×印の犯行声明の紙が置かれていたことから、怪盗Xによる盗難の可能性は否定できない。しかし赤ペンは2年A組の教室床に落ちていたことから、彼の疑いは晴れた。怪盗Xの暗躍が残す謎は更に深まるばかりで、彼の捕獲を目論む菊知五巳(通称・落としもの係り)は頭を悩ますばかりで進展がない様子。事件は闇の中になるのだろうか―?
私立歩学園 新聞部より
翌日早朝―昨日の盗難事件が新聞記事になって職員室前の掲示板に貼り出されていた。それを取り囲んでいつものように若干数の生徒たちがざわめいている。
その様子を確認した吉平とユメの二人は、離れた位置に佇んでいた五巳を一瞥してその場を通り抜けて教室へと向かっていった。
新聞記事を眺めながら人差指を咥えて不適に笑う**。
「頭を悩ますばかりで進展がない、ね…にひひひ~」
彼女はふと、昨日の出来事を脳裏から引き出す―。
これは昨日の放課後の出来事―五巳が一年D組の教室を去っていった時間にさかのぼる。
「おー、菊知。なんか分かったのか?にやにやしやがって」
二年A組の教室に戻ると、小林雅之先生が窓際の教職員用机にどっかりと座って五巳を待ち構えていた。
「にひひひ~、まあね」
五巳は自分の席に座ると、桃色のファイルを開いて中身の記事の内容を確認しながら盗難の被害者が書かれたノートを開き、名前横に何か書き出した。小林雅之先生は彼女に近づきながら尋ねる。
「なに書いてんだよ?」
「ふ~む…この人は、欠席…でこの人は…書かれてなくて…」
五巳は夢中になって記事の内容と見比べてノートに[欠席]―などを書き込んでいるのみ。その様子を後ろから覗き込んだ小林雅之先生は、納得したように腕を組む。
「ああ、盗難に遭ったガキ共の共通点は盗まれた日に欠席していたこと。でも、んなこと今更分かりきっていることじゃねぇか」
「ふ~む…」
人差し指を咥えて考え込む五巳を他所に、小林雅之先生は何かを思い出したように声をあげる。
「あ、そういえば…昨日1年D組で授業したとき、毛利の他にももう一人欠席したガキがいたんだよなあ。ま、そいつは連絡なしの欠席だったから多分バックレだろうけど」
彼のぼやきを聞いて五巳は新聞の記事をめくりながら答える。
「5月20日の記事と8月9日の記事に似たことが書いてあるんだけど、被害者の他にも欠席した生徒がいたって……それなのに標的はいつもほぼ一人に絞られているわ。そこが引っかかるのよね~」
そこで四時半を告げるチャイムが校内に鳴り響いたので、小林雅之先生は窓の外の景色を眺める。大分日が暮れてき始めたので、本日の日直が提出した学級日誌と教卓に置かれたままの黒い出席簿を脇に抱えて教室から出ようとする。
「ふ、遅刻の常習犯が他人の出席確認とは恐れ入るわ。おい聞こえてっかボッチ寸前女。暗くなる前に帰れよ~」
その直後に五巳は座っていた席から突然立ち上がると、教室から出ていこうとする小林雅之先生を追いかけて出口前を阻んだ。
「先生、今なに言った?」
「なんだよいきなり。怒ったか?」
顔を強ばらせている五巳に対して、小林雅之先生はそう言って嘲笑した。
「ちょっそれ貸して!」
「お、おい!こら」
五巳は小林雅之先生が左脇に抱えている黒い出席簿を強引に奪い取ると、教卓の上に開いて置いてクラスメイトの一覧を指でなぞる。珍しく必死な様子で―
「お前なあ…どこまでもマイペースな」
その姿を見た小林雅之先生は呆れ顔のまま頭を抱える。
すると五巳は[須藤真由紀]と書かれた列で指を止めて、昨日の日付の欄で確認する。
「にひひひ~、そういうことね」
人差指を咥えながら一人で喜んでいる五巳の背後にいた小林雅之先生は、片眉をひそめて「ああ?」とだけ発して首を傾げる。
それから五巳は教室内の左前方に置かれた教職員用の机まで歩くと、その場に四つん這いになって首を捻り、机の裏側を覗き込む。影で薄暗いが、机の裏に貼り付けられているセロハンテープの小さな切れ端を視界に捕らえた。
「うん。よしよし…」
何かの確認をしたのか、彼女は一人で納得したのち小林雅之先生に振り返る。
「先生、ちょっと頼みがあるわ」
◆
「上野…遠藤…岡崎…」
2年A組の皆は昨日の赤ペン紛失事件のことなど忘れた様子で、小林雅之先生の出席確認による点呼を受けている。名前を呼ばれた生徒たちは安易に返事をする。吉平も自分の苗字を呼ばれたので、いつものように「はい」と返事。
「木岡…菊知……菊知…菊知…」
名前を呼ばれても返事がない。教室の皆は揃って「また遅刻か」―などと呟いている。
「菊知は風邪をこじらせたので当分休む…と本人から連絡をもらっている。最近肌寒くなってきたから、お前らも気をつけるように」
小林雅之先生はそれだけ言うと、出席確認を再開させるのであった。彼の報告により、皆は隣同士の者と顔を向き合わせてざわついている。吉平はその話題には気にも止めず、ただ窓際の席に座っている須藤真由紀をじっと観察していた―
五巳の席だけ空白のまま、2年A組は昼休憩を迎えた。吉平は一階の食堂に設けられた売店でパックのコーヒ牛乳と二種類ほどの惣菜パンを購入し、教室で周囲の席にいた友達と机をつき合わせて賑やかな昼食を楽しんだあと、教室を出て人の気配がない閑散とした廊下をひとりで歩いていた。
「須藤は遠征を終えて登校再開した昨日から二日…机の上に置いていた手鏡が盗まれたというのに、特に動揺しているようすがない。奇妙だな…」
吉平はしばらく歩みを止めて、眼鏡の鼻受けに人差し指をあてた。
「まあいい。今日はあの菊知が風邪で欠席……この辺でアイツの鼻を明かすのも一興かもしれないな」
吉平は不敵に微笑むのだった。
現在午後10時。私立歩学園校舎の生徒と教師はもちろん、巡回役の教師も一時間前に帰っていった。闇夜に包まれた校内は閑散としており、人が出歩いている様子などない。しかし、保健室のベッド下からひっそりとほふく前進する黒い影がいた。
「いい隠れ家だけど、やっぱり飲まず食わずで六時間潜伏するにはきついな」
黒い影の正体は学ラン制服の吉平。彼は内側から保健室の鍵を開いて廊下に出ると、階段を登って二階の2年A組の教室へと向かった。
「さて…」
もちろん、教室の前後に存在する二つのドアには鍵がかけられている。しかし、この教室には開錠されたままでも人に気づかれにくい入口が存在する。廊下側の足元にある小さな戸だ。吉平はそこを開くと、所持していた新聞紙を床に開いて置いて、制服が汚れぬよう、背中をくっつけて仰向けになり、少しずつ慎重に体をくぐらせて教室内に侵入した。
「誰もいないと、個人の席を見つけにくいな」
吉平はそんな小言を漏らしながら菊知五巳―というネームプレートが椅子の後ろに貼り付けられた席を見つけ出し、机の中にそっと手を入れてみた。
「ノートが一冊だけか…」
吉平は五巳の机の中に入っていた一冊のノートを徐に引き抜いて片腕に抱えた。そして×印が書かれた紙切れを彼女の机中央に置く。
「ついでに須藤のこれも返しておくか」
吉平は、須藤真由紀の机上から盗んだ黄緑色の手鏡を学ランのサイドポケットから取り出して、彼女の机がある窓際へと歩く。
「ん?須藤…盗まれたから新しい鏡を買ったのか…」
須藤真由紀の机上には、ショッキンピンクの手鏡が置かれている。
「にひひひ~、ゲームオーバーね」
突然、教卓の方向から聞き慣れた笑い声が聞こえて、吉平は肩をひくつかせて驚き、振り向いた瞬間だった―
「く!眩し…!」
教室の電気が一斉に閃光弾の如く光ったので、吉平は力強くまぶたを閉じ、ノートを手に持っていた片腕で眩んだ両目を覆い隠した。
「遠藤、本当にお前だったのか」
「てめえ…凄い所から入ってきたな…」
吉平は眩い光にまだ慣れていないためまぶたを閉じたままだが、声色で新聞部顧問の大西教員と担任の小林雅之先生が喋ったと判断できた。それから一分弱が経過して、吉平はようやく重いまぶたを開いて教室内を見渡す。
「どういうことだ…?」
教室前後のドアは、それぞれ大西教員と小林雅之先生によって阻まれてた。そして前方の教卓には五巳が両手で頬ずいて不適に微笑んでいる。
「菊知?お前…風邪で…欠席…」
目を丸くしている吉平に、五巳はいつものように「にひひひ~」と嘲笑する。
「真っ赤な嘘よ~。先生にはひと芝居打ってもらってね」
吉平は緊張からくる手汗を強く握りしめて、教卓にいる五巳と出口を阻んで立っている小林雅之先生を睨みつけた。
「遠藤くん、文化部の割には体鍛えているみたいだけど、さすがに大人が二人もいたら逃げられないでしょ?」
五巳の忠告で、吉平は四日前にホッケースティックの在り処を突き止められたときの彼女の言動を思い出していた。吉平の鍛えた体を舐めまわすように触れていた理由が―
「なるほど、道理で教師を二人も引き連れてきた訳だ」
吉平は額に汗を流しながら冷静に分析した。対する五巳は両手を軽く上げてみせる。
「だってキミみたいな男子、私一人じゃあ逃がしてしまうもの」
彼女は「コホン!」とわざとらしい咳払いをして吉平に問いかける。
「で、もう質問する必要性もないけど、キミが怪盗Xね、遠藤吉平くん?」
犯行現場を目撃された以上、吉平に言い逃れの余地はない。しかし彼はしばらくしてから首を横に振る。
「確かに俺は須藤の手鏡を持って夜の教室に忍び入った。でもそれだけで怪盗Xだと判断するにはいささか傲慢だ。なんの根拠があるんだ?菊池」
彼はこの状況にもかかわらず、あくまで否認を強調した。
その態度に反応しない五巳は、人差指を咥えて教卓から離れると、席の間を通り抜けて悠々と歩きながら語り始める。
「キミは怪盗X。正確に言えば、新聞部部長の赤松ユメさんも怪盗X…というより共犯ね。昨日と一昨日発生した二つの盗難事件…一見すると異なる事件にも思えるけど、ある意味同じ手口を使った犯行と言えるわ」
彼女は須藤真由紀の机を指差す。
「須藤さんの机の上に置かれていた手鏡…キミは体育の授業終了直後、いち早く抜け出して、どこかに用意していた黒の帽子を被り、黒のコートを羽織ってこの2年A組の教室で待機し、帰ってくる皆にわざと盗む瞬間を見せて逃走した。ここから共犯の赤松さんの出番。彼女の働きで上手く皆を屋上まで誘導、あらかじめ準備しておいた怪盗Xのフェイク人形が置かれている三階の会議室ベランダに皆の視線を注目させる。その隙に、ドアの影に隠れていたキミは怪盗Xの姿から学ラン制服姿に着替えて、目立たないようにあらかじめ準備していた段ボール箱にコートと帽子を入れ、自然に皆と合流した」
そこまで五巳の説明を聞いていた吉平は、眼鏡の鼻受けに人差指をあてて間髪入れる。
「俺があの騒動のあとに屋上から下ろした段ボール箱の中身は、大西先生から借りていたカメラ撮影に使う機材。そうでしたよね、小林先生?」
吉平が目線を向けると、小林雅之先生は困惑気味に首を傾げる。
「まあ確かに…」
しかし五巳はそれを軽く受け流す。
「にひひひ~、遠藤くん嘘は通用しないわよ?私たちとすれ違ったあと、キミは新聞部の部室にでも隠しておいたカメラ機材が入った段ボール箱と、抱えていた怪盗Xの衣装が入った段ボール箱を束の間ですり替えた。異変に気づいた小林先生が駆けつけた頃には時すでに遅し…箱の中身を確認されても疑われる余地すらない状況が生まれる訳」
「ただの仮説だ。俺がそんなことをした証拠でもあるのか?」
吉平は意固地に五巳の話を否定。しかし彼女は淡々と話を続ける。
「ないわ。確かにこれは私の妄想かも……で、六時限目直前に起きた事件だけど、キミは代行で小林先生の頼みごとを買って出た。何故ならキミにとって都合のいい条件が発生するからよ。この教室へ運ぶ予定のプリントの山と赤ペンが置かれていたのは、1年D組の生徒である毛利一真の席。彼はその日病欠で席を空けていた。私物を学校に置かない主義なため、彼の机に物が置かれている状況、並びにそれを2年A組の教室に持ち運ぶという状況は、まさに遠藤くんの計画にとって好機。まず、プリントの山と赤ペンを持っていく際に、周囲の生徒たちに悟られないよう×印を書いた犯行声明の紙切れを毛利一真の机に置いておく。そして教室に置かれた小林先生の教職員用の机にプリントの山を置き、忍ばせていた赤ペンを密かに机の裏にセロハンテープを使って貼り付けた。プリントの山が隠れ蓑替わりになるから、誰にもその様子を目撃されなかった。そこでまた赤松さんの出番よ。キミはおそらく、携帯メールで赤松さんに赤ペンの在り処を送信した。そのあと、小林先生が赤ペンの紛失に気づき、一年D組で×印の犯行声明の発見が報じられる。疑いの目は、当然キミ…プリントの山と赤ペンを1年D組から持ち運んだ遠藤くんに向けられる。クラスの皆の視線が遠藤くんに向いている隙を見計らい、赤松さんはキミから送られてきた、赤ペンの在り処が書かれたメールに従い、机の裏に貼り付けてある赤ペンを探り、セロハンテープを剥がして床に落とした。落とした赤ペンを指差して赤松さんは皆の視線をこちらに向けさせるように叫ぶ…『ここに落ちていた』とね。ただ無意識に落としてしまっただけ…ということで一見落着。疑いは恙無く晴れて真相は闇の中…これがキミの筋書きね?遠藤くん」
吉平は無表情のまま冷静に抵抗する。
「さあな。それもお前の妄想話だろ、菊知」
「にひひひ~、ここまでなら…ね」
「どういう意味だ?」
人差指を咥えてほくそ笑む五巳を、吉平は表情を強ばらせて睨んだ。
すると五巳は口に咥えていた人差し指を、吉平が片方の手に持っている黄緑色の手鏡に下ろして向ける。
「その黄緑色の手鏡…持ち主は須藤さんではなく、実は私なのよ」
「なっ…!」
言い放った彼女に対し、吉平は思わず言葉を失ってしまった。
「須藤さんはあの日部活の遠征のため席を空ける予定だった。そしてこれみよがしに机に置かれた彼女の私物。もしかすると怪盗Xの標的になるかもしれない。だから私は、保険がわりに先手を打つことにしたの」
「保険替わりに先手?」
五巳の話の一部を復唱して、吉平は片眉をひそめた。
「遠藤くんは気づいていないと思うけど、須藤さんが遠征に行く前日の放課後、机に置いて帰ったのは手鏡ではなく、一本のマーカーペンだったの。私は前日の放課後、彼女と皆が教室から出て帰っていくタイミングを見計らって、須藤さんの机に置いてあったマーカーペンを死角になるように椅子の上に置いて、机の上には私の所有物である黄緑色の手鏡を代わりに置いた訳。次の日の昼休憩前、怪盗Xは須藤さんの机に置かれた私の手鏡にまんまと食いついたわ」
須藤真由紀が遠征終了で教室復帰してからも平然としていた理由がわかった。
吉平は手に持っていた黄緑色の手鏡を握り締め、口を開こうとした瞬間、五巳に阻まれる。
「私の話を疑うなら本人から直接確認してみればいい…そして、怪盗Xはまた私の術中にはまってくれた。先生に頼んでおいたの。1年D組の病欠中の毛利一真の机に置かれているプリントの山と赤ペンを、遠藤くんにこの教室まで運ばせるように。手はずとしては、なるべく自然な流れで遠藤くんに振るようにって…毛利くんの私物ではないので盗みをしてくれるかはバクチだったけれど、キミは面白いくらいに食いついて見事に犯行を成し遂げてくれたわ」
調子に乗って語り続ける五巳に対して、吉平は高揚気味に反論する。
「妄想も大概にしろ。俺の疑いはあのとき晴れたはずだろ」
「そうなると分かっていてこの計画を考えたんでしょ?キミから物的証拠なんて出るはずがないものね」
吉平は五巳の瞳を鋭い眼光で睨んだ。
五巳は笑顔を完全に消し、無表情に語る。
「キミと赤松さんのやり方はいつも肩書き通り…どちらかが周囲の注目を集めて、その隙を利用してどちらかが行動する。だから私、キミたちの策略に惑わされないよう、あのときは目線を常に赤松さんだけに集中していた。皆の視線が遠藤くんに集中している隙に、彼女は携帯の画面を確認したのち、教職員用の机の裏に手を入れて床に落とすまでの間、私は彼女に悟られないように横目で監視していたの。悪いけど同じ策略に引っかかるほど、私は呑気ではないわ」
表情を強張らせている吉平に対して、五巳は不適に微笑む。
「でも、須藤さんの机に残されていた、この句点のような印が書かれた犯行声明は、私の思考を大いに狂わせてくれた…」
五巳は懐から一枚の紙切れを取り出すと、吉平に掲げて見せた。そして彼がもう片方の手に持っている一冊のノートを指差す。
「私の机から出したそのノートを広げて見て」
吉平は言われるがままにノートを広げてみた。すると、縦向きにずらりと並んだ氏名が最初のページに書かれており、一名一名の氏名の右横には×印が一つずつ記されていた。
「過去の新聞記事から確認された、怪盗Xの盗難被害に遭った生徒の一覧よ。横に書かれている記号の中で、須藤真由紀の列だけ句点みたいな記号になっているでしょ?」
吉平は[須藤真由紀]の右横に書かれている句点のような印を確認した。
「これは怪盗Xが残していった犯行声明の記号を書いているのか?須藤のときはA組の皆に犯行を目撃されて逃げたから、書く時間が無くて適当になった訳だろ」
吉平の考えを聞いた五巳は徐に首を横に振って語りだす。
「皆、普通そう考えるわよね。深い意味なんてない…でも怪盗Xが、盗んだ場所に必ず置いていく犯行声明の×印…これは[エックス]の文字にちなんだ×印というだけではなく、出席簿の記入例…事故欠席のときに使われる記号だったのよ」
それを聞いた直後、吉平は片まゆをひそめて反応した。五巳の見解は続く。
「生徒が部活の遠征に行って欠席する場合、この学園の処遇では出席扱いになるの。すなわち、須藤さんの机に置かれていたこの句点のような記号の犯行声明は、出席簿の記入例で言うと出席の意味…このときだけ拘りが無くなったから難解になったの…しかし怪盗Xが狙う標的の特徴は、その日事故欠席となっている生徒のみであると確定。だから私、先生に頼んで今朝事故欠席した生徒がいなかったか調べてもらい…一人もいなかったというので、朝礼ではひと芝居うってもらい、私は病欠ということで事故欠席に。怪盗Xは狙いを私に定めるはず…そして盗みを実行する瞬間を待ち伏せていたという訳よ」
そこで五巳の推理は終わった。そして最後に残った謎を吉平に問いかける。
「さて、怪盗Xの遠藤吉平くん。もう言い逃れは出来ないはずよ。どうして書類上では出席扱いの須藤真由紀さんの私物を狙おうとしたの?」
五巳の最後の追求に対して、吉平は眼鏡の鼻受けに人差指をあてたまま口を閉ざしていた。両者の間で沈黙が続く―。
それから5分ほど経過した。
五巳はもちろん、教室前後のドア前に立ったままの小林雅之先生と大西教員からの注目を浴びている状況に耐え兼ねたのか、吉平は肩の力を抜いて白状する。
「はぁ…わかった俺の負けだ。お前の言うとおり、俺たちの犯行手口はいつも肩書き通りなのさ。馬鹿のひとつ覚えと思ってくれて構わない。それでも、本気で俺たちを捕まえようとする人間なんていなかったから、この方針が今まで通用してきた。でも、お前が敵として現れたおかげで、俺たちは工を焦ってあのタイミングで一度やり方を捻じ曲げたんだ。途中で法則性を狂わせれば、そこに固執して混乱する可能性があると示唆した。本当にたったそれだけの理由だったのさ。実に格好の悪い話だが…」
吉平は潔く負けを認めると、持っていたノートと黄緑色の手鏡を黙って五巳の机の上にそっと置くのであった。
「さて、怪盗Xは捕まえられた訳だし、後の処置は先生方に任せるわ」
五巳は吉平から返却されたノートと黄緑色の手鏡を片腕に抱えると、教室から出ていく。
彼女の代行で小林雅之先生と大西教員は事態の収集を図るため吉平に切迫して事情聴取を執り行う。
吉平の話によると、怪盗Xとしての犯行動機は部員不足で廃部寸前だった新聞部の危機的状況の回避。部長の赤松ユメと共闘して自作自演の事件を起こす。そうすることによって事件の追走に興味を持つ生徒が現れ、新聞部に入部してくるかもしれないと期待。結果1年生の中から三人も入部希望者が現れ、部員不足による廃部の心配は解消され、彼らの企ては見事に成功した。しかし、それ以降も犯行を重ねた理由は、自分たちが卒業したのちに在校の部員が三人のままでは、再び部員不足による廃部の危険が伴ってしまう。吉平とユメは、自分たちが引き入れた後輩たちのために、部員が最低一人以上増えるまで怪盗としての犯行を続けるつもりだったらしい。
そこまで聞いた大西教員と小林雅之先生は、互いに顔を見合わせて相談し始める。
「う~ん…新聞部の認知度を上げたかった気持ちは分からなくもないけど、これはなかなか深刻ですね、小林先生。四月から半年以上やっていた訳だし…」
「学園の理事長をはじめとした上層部に報告すれば、担任と顧問の責任が問われることになる…だ。ったく!大人しそうなガキが二人揃って大それた事態引き起こしやがって」
吉平は俯いたまま二人の会話を聞くのみだった。
「夜、校舎に忍び込んだのも今日が初めてというわけでもなさそうだし…」
小林雅之先生はしばらく腕を組んで考え込むと、両手を力強く叩いて「よし!」と声を発したので、何か解決策が浮かんだようだ。
「遠藤、本来お前らがしでかしたことは、停学はもちろん新聞部の活動停止を覚悟していいぐらいの一大事だ。もっと言えば学園始まって以来の異例の事態なんだ。俺の言っている意味、分かるな?」
小林雅之先生に両肩を掴まれて、緊迫感を悟った吉平は静かに「はい」とだけ返事する。
「そこでだ。担任のよしみで今回の件は水に流そう。ただし条件がある―」
翌朝、職員室前の掲示板の周りに、普段より一層多く人だかりができていた。彼らの目当ては掲示板に貼り出された一部の新聞記事。
無念の怪盗 お手柄『落としもの係り』!
校内で紛失してしまった私物を論理的思考で探し当ててしまう特務係りが我が歩学園に存在していることをご存知だろうか。その名も『落としもの係り』。2年A組所属の女子生徒―菊知五巳の二つ名である。彼女はついに一躍話題となっていた泥棒―怪盗Xの鼻を明かした。盗んだ物を後日こっそり持ち主に返すことで知られている怪盗Xであったが、実は持ち主に盗品を届けていたのは落としもの係りの菊知五巳であったことが最近になって判明した。彼女のめざましい躍進は本学園の誇りであり、『落としもの係り』の栄光は本校の未来に語り継がれるであろう。
私立歩学園 新聞部より
小林雅之先生が吉平とユメの二人に与えた罰は、怪盗Xの存在を否定した記事の掲載及び落としもの係りとしての**の活躍を新聞の記事に載せることだった。当然怪盗Xとしての犯行は完全に厳禁―なので代わりに五巳の活躍を記事に載せることによって、怪盗Xの暗躍を皆の記憶から忘れさせることができれば、例の一件は本当の意味で闇の中へ消えていくのだ。
後日、吉平から話を聞いてこの記事を彼と手伝って書き上げたユメは、納得のいかない様子で掲示板前の群衆後方で佇んでいた。そんな彼女を隣にいた吉平が宥める。
「俺たちの完敗だな。部員集めに関してはまた別のやり方を考えよう」
ユメは彼の提案に渋々頷いた。
そして吉平は、雑念が吹っ切れたように砕けた表情のまま心の中で自分にこう言い聞かせる―この世には様々な愚者がはびこっている。この狭い学園内でも俺たちのように私利私欲に溺れて悪巧みを実行する者がこれから先も出現するかもしれない。しかし、また新たな問題を起こす生徒が学園内で出現したとき、その愚者はこの笑い声によって震え上がることになるはずだ。
「にひひひ~、ゲームイベントクリア~」