地獄鍋
小説現代9月号のショートショート・コンテストでこの作品が選ばれました。
「まるで、桃源郷やないか」
竹中さんが村を眺めながらため息をついています。急坂を登り切り、峠に立った私たちの眼下には、そうとしか言いようのない光景が確かに展開していました。
色鮮やかな広葉樹が生い茂る山々に囲まれた村は、盆地というよりは小さな窪地の中にあって、借り入れ直前の稲穂が平地の隅々にまで敷きつめられています。その黄金の絨毯の中に一本の川が蛇行していて、小さな集落が水辺に広がり、あぜ道が網の目状に延びていました。
「地獄鍋は、本当にあの村にあるんですかね」
峠を慎重に下りながら私は尋ねました。道は細く、かなりの勾配で、木の根が浮き出ていて危険なんです。
「あの村の長老が言ってたんや。間違いないやろ」
大学を中退してユーラシア横断の旅に出た私が竹中さんと知り合ったのは、中国雲南省の昆明にある安宿で、一ヶ月前のことでした。夜遅くまで話し込んでいた時、彼は地獄鍋という料理を捜していると言ったのです。
『神戸で中華料理のコックをしてたんやけど、中国人の客から地獄鍋というのを聞かされたんや。鍋の大きさは六畳ほどあってな、途方もなく多彩な食材が使われていて、二百年以上も煮込まれ続けているそうなんや。食べてみたいと思えへんか?』
旨い店なら一時間の行列もいとわない私はもちろんうなずきました。ところが竹中さんでも肝心の場所が分かりません。手掛かりは南の国境近くの僻地ということだけでした。交通の便が極めて悪く、宿さえなく、警察に怪しまれたりしましたが何とか切り抜け、地獄鍋があるらしいという村を発見したのです。
「あ、人がいますね」
外国人を見るのは初めてなのでしょうか。ふもとに達すると、農作業をしていた村人全員が手を止めて私たちを凝視しています。水牛までもが見つめてきます。近くで遊んでいた土まみれの子供たちは逃げてしまいました。
集落の入口にさしかかった時、どじょう髭の老人が現れました。竹中さんが声をかけ、会話が始まります。数分後、彼は満面の笑みで私に言いました。
「やっぱりこの村だ。地獄鍋を食わせてくれるぞ」
「やりましたね。苦労した甲斐がありました」
私たちは肩を叩き合いながら老人の後をついていきました。集落に入ると、藁葺き屋根の家が建ち並んでいます。こぢんまりとした平屋で、板壁も柱も黒ずんでいますが、細かい部分まできちんと作り込まれてゴミも落ちていません。
「清貧、という感じですね」
私の言葉に竹中さんがうなずきます。
「派手な飾り付けは一切無いけど、仕事はきちんとする。質実剛健な人たちなんやろな」
集落の真ん中辺りに、今までで一番大きな家があります。老人はそこへ向かっています。地獄鍋がある場所かと思うと、痛いくらいに心臓が脈打ち始めました。薄暗い玄関で靴を脱ぎ、板の扉が開けられると、そこは集会場のようなだだっ広い部屋でした。中央には、床に敷きつめられた板とはまた別の、黒ずんだ板が十枚ほど並んでいて、そのすき間から湯気が立っています。どうやらあの下に地獄鍋があるのでしょう。
「匂うな」
竹中さんは犬のように鼻を突き出しています。
「匂いますね」
私も鼻をヒクヒクさせました。
「何かこう、懐かしい匂いやな。素朴というか、自然というか、どことなく臭みがある感じもするし」
「香辛料や薬草も、ふんだんに入っているようですね」
老人の手招きで部屋に入り、黒ずんだ板のそばであぐらをかくと、湯気が顔にかかります。たちまち少し酸味がかった、香ばしい匂いが私の鼻孔を刺激し、腹を鳴らせます。
老人が手前の板を一枚めくりました。鍋全体からすれば十分の一ほどの幅ですが、地獄鍋が姿を現したのです。
「おお、まさに地獄絵にある光景やないか」
竹中さんが感嘆したのも無理はありません。鍋の表面は黒みがかった深みのある赤で、ぐつぐつと煮立ち、大きな気泡が幾つも浮き上がっては破裂していたのです。赤鬼が人間を釜ゆでにする池と同様、壮絶で毒々しく、いかにも熱そうな光景でした。
老人が茶碗を持って来ました。木のひしゃくで鍋の汁をすくい、茶碗の中へ器用に流し込みます。汁はあんかけのようにドロッとしていました。しばらくそれを眺め、竹中さんと目でうなずき合うと包み込むように茶碗を手にし、恐る恐る口をつけました。
やたらと熱いな、というのが最初の印象です。しかし、舌が熱さに慣れてくると、突然、口の中いっぱいに旨味が染みこむ感覚に襲われました。
「あ」
思わず声を上げ、茶碗を持つ手が止まります。旨味が食道を伝い、胃に染みていく間、感動で涙がにじんできました。肉は主に豚でしょうか。魚は川魚でしょう。野菜はもちろん、果物も入っているようです。そんなあらゆる食材の旨味を余すことなく引き出し、何か一つの食材が突出するのではなく、すべてがバランスよく配合されることで醸し出される極めてまろやかな味。その調和された味は、まるで交響曲の一糸乱れぬ演奏を聞いているような、奇跡ともいえるものでした。
私たちは放心状態で汁を食べ続けました。顔が火照り、汗だくになりながら、これが二百年の味かと感激しました。羞恥心などお構いなく、茶碗にこびりついた汁まで舐めました。食べ終えても無言です。舌に残った食感や旨味と、胃の中で穏やかに収まっている汁の重みを、じっくりと味わいたかったからです。
値段は日本円にするとたった三十円です。永久にこの場にとどまりたい気分でしたが、今回限り一杯だけという約束だったので、私たちは村を離れました。来た道を戻り、峠にさしかかっても、私たちは会話をしませんでした。食材について老人はどうしても教えてくれませんでしたが、村人は二百年もの間、様々な試行錯誤を繰り返しながら煮込み続けていたのでしょう。そんな地獄鍋の味を、ひたすら反芻していたのです。ただ、峠に立って、村を振り返った時、竹中さんがぼそりと言いました。
「あれは天国の味やな。名前は地獄鍋やけど」
私は黙ってうなずきました。その日以来、五年たった今に至るまで、おそらく死ぬ日まで、何を食べてもまずいとしか思えない地獄の日々を送ることも知らずに。