第6章 1話
第6章 とある少年と少女の想い
市役所を後にして。
自宅へと続く道を、潤とクルル──変身は解除している──は共に歩いていた。
「『破滅』……か。ねえ、クルル。『破滅』って、まだ他にも存在してるの?」
朱に染まった空を見上げて、ぽつりと呟くように尋ねる潤。確かに『破滅』という存在については、以前にクルルから聞いていた。だが、それを実際に目の当たりにして、潤はその恐怖を改めて感じていた。
「どれくらいの数の『破滅』が、この世界に入り込んでいるのかは、自分たち管理官も知りません。ですが、少なくない数が入り込んでいるのは間違いないと思いますです」
一昔前では決して起こらなかったような凶悪で残忍な事件。そんな事件の幾つかには『破滅』が必ず関わっていだろう。
そしてそんな事件が多発しているという現状が、『破滅』が相当数入り込んでいる証拠であると、クルルは語る。
そのまま無言で歩を進める2人。だが、その沈黙はすぐに破られることになる。
「あれ? 潤とクルルじゃねえか。2人揃って何やってんだ?」
不意に2人にそう声をかけて来たのは、もちろん鉄心である。
「何かあったのか? 2人とも表情が冴えないぜ?」
「ううん、何でもないよ。それより鉄心こそ今帰りなの?」
潤が再び朱の空を見上げながら言う。
高層ビルなどない勢能市だが、それでもマンションなどの背の高い建築物は存在する。そんな建築物の影に隠れて、太陽は既に見えない。
そして太陽が本当の意味で見えなくなるまで、それほどの時間は必要としないだろう。
「まあな。同志たちと一緒に、アルちゃんを探してたんだ」
「そうなんだ……って、待って待って待って! 同志って何っ!?」
「もちろん、アルちゃんの活躍を応援する同志たちだ。いわゆるところのファンクラブって奴?」
一瞬、何だか潤は頭痛のようなものを感じた。だが、そんな潤とは反対に、クルルは目を輝かせる。
「アルカンシェにファンクラブができたですかっ!?」
「つっても非公認もいいところの自称ファンクラブだけどな。噂によると、最近あちこちで自称ファンクラブができてるらしくてさ。うちの学校にも一つぐらいあってもいいだろうと、同志が集まって結成した訳だ。もちろん、俺もメンバーの1人な!」
と、実に爽やかな笑顔で、鉄心は右手の親指で自分自身をびしっと指した。
「凄いですっ! ファンクラブがたくさんできれば、更に多くの『熱情』が集まるですっ!」
「は? 『熱情』?」
「あ、い、いえ、こっちのことです。鉄心さんは気にしないでください」
「気にするなって言われると余計気になるだろが。それよりクルル、まさかアルちゃんに関して何か知ってんじゃねえだろうな? もし知ってんなら吐け。洗いざらい全部吐け!」
知ってるどころか当事者です、とは言えない。もしそんなことを言ってしまえば、潤はもう二度と協力してくれないだろう。
だからクルルはくるっと鉄心に背中を向けた。そしてとててててっと一目散に走り出す。
下手に誤魔化そうとして逆に何かを口走るより、ここは黙って撤退することを選択したのだ。
だがこの場その選択は全くの逆効果だった。
「あ、こら! 待ちやがれクルルっ!! 逃げるってことは何か知ってるなっ!? それもかなり重要な情報だと見たっ!!」
「ま、ま、ま、待ちませぇぇぇぇんっ!!」
途端始まる鉄心とクルルの追いかけっこ。
だが鉄心とクルルでは運動能力に差が有り過ぎる。運動能力に劣るクルルが、それに優れる鉄心に補足されるのは時間の問題だろう。
潤は呆れの混じった溜め息を一つ吐くと、どうやってクルルのフォローをしようかと考えながら、ゆっくりと遠ざかって行く2人の背中を追いかけた。
潤はすぐに2人に追いつくことができた。やはりクルルでは鉄心から逃げ切ることはできなかったらしく、数十メートル程で補足されたようだ。
捕まえたクルルにヘッドロックをかけながら、鉄心は拳をクルルの頭にぐりぐりと押しつけていた。
「もう鉄心ったら。クルルを苛めちゃだめだよ?」
もちろん、鉄心が本気でやっている訳ではないのは潤だって承知している。その証拠に、クルルはどこか嬉しそうにきゃいきゃいと声を上げていた。
とその時、不意にクルルのポシェットからぴりぴりぴりっという電子音が響き渡った。
「ん? 何だ? クルルの携帯か?」
音の発信源が彼女のポシェットだと気付いた鉄心は、慌ててクルルを拘束していた腕を緩める。
「ええ、まあ、似たようなものです」
解放されたクルルは、一言鉄心にそう答えてから、ポシェットから乙女テスターを引っ張り出した。
「ねえクルル、もしかしてそれ……」
『破滅』が近くに存在しているのでは? それが潤の脳裏に浮かんだ疑問だ。
先程市役所の市長室で、その存在について教えられたばかりである。とっさにそのことが頭に浮かぶのは当然と言えよう。
だが、クルルから返って来た返事は、その予想を裏切るものだった。
「いいえ、この反応は『破滅』ではありません。これは乙女力に反応してますです」
クルルは乙女テスターの目盛をじっと覗き込む。
「3,000OTM以上の乙女力……この反応は……」
クルルにはこの大きさの乙女力に心当たりがあった。
数日前、突然感知した乙女力。その時の乙女力が、今と同じ3,000OTM以上というかなり大きなものだった。
乙女力というものは、個人個人でその大きさにかなり隔たりがある。その点から考えるに、今乙女テスターが反応している3,000OTM以上の乙女力は、先日感知したものと同じと考えていいだろう。
クルルは顔を上げて周囲を見回す。何となく潤も、それに釣られて同じように見回した。
「なあ、お前ら、さっきから一体何やってんだ? 周囲をきょろきょろと見回して」
鉄心に背中向けて、こそこそと会話する潤とクルル。
二人にしてみれば乙女力云々といったことは、鉄心に聞かれたくないので自然そのような行為になる。
だが鉄心にとっては、自分だけが蚊帳の外に置かれたようでなんとなく淋しかった。
「あれ?」
そんなふて腐れ気味の鉄心が、今自分たちが歩いている通りの反対方向から、よく見知った顔がこちらへと向かって来るのに気付いた。
「あさひじゃねえか」
「え? あさひちゃん?」
鉄心の言葉に、それまでクルルとひそひそと小声で相談していた潤が、弾かれたように顔を上げた。そして、どうやらあさひの方も潤たちに気付いたようで、ぴたりとその歩みを停めた。
「あさ────」
だが、潤がその名を呼ぶより早く、あさひは不意に踵を返すとそのまま元来た方へと走り去って行った。
「えっと────?」
取り残された3人は、一体何故彼女が急に走り去ったのか全く理解できずに、ぽかんとするばかり。
「──なあ、今のあさひだったよな?」
「うん。間違いないと思うけど……」
「だったら、どうして俺たちを見てあさひが逃げ出すんだ?」
「ボクに聞かれても……」
そんな遣り取りをする潤と鉄心に、クルルが不思議そうな顔で尋ねる。
「あのー……あさひさんって誰ですか?」
「そう言えば、クルルはあさひちゃんのこと知らなかったっけ。あさひちゃんは鉄心の従兄妹で、ボクとも幼馴染なんだ」
そう説明した時の潤の表情は、何とも柔らかで優しげなもので。
そのことに潤自身はまるで気付いていなかったが、クルルはそれが何を意味するのかはっきりと理解した。
そのまま突っ立っていても仕方なく、再び3人は誰からともなく歩き出した。そのまま暫く歩いた時、クルルはつつっと潤に近寄ると、彼にだけ聞こえるようにそっと囁いた。
「潤さん。さっきのあさひさんという人ですが……おそらく、あの人が先程の乙女力の持ち主だと思います」
「あさひちゃんが?」
同じく小声で問い返す潤に、クルルは確信を込めて頷く。
「あの人が走り去った後、暫くして乙女テスターの反応も止まりました。まず間違いないです。ところで──」
一端話を区切ったクルルは、それまでの真剣な表情とは裏腹に、にんまりと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「あの人ですね? あの人が潤さんの想い人なんですね?」
そう尋ねられた潤は、一瞬で真っ赤に染まった。
「え、いや、その……あのね?」
潤はぱたぱたと両手を振りながら何とか否定しようとする
「にゅにゅ。誤魔化しても無駄ですよ? そんな可愛い反応されたら、それだけで肯定しているようなものです」
相変わらずにんまりと猫のように笑っているクルルを見て、誤魔化し切れないと悟ると頬を赤らめたままこくんと頷いた。
「………………うん」
しかし次に潤の表情を彩ったのは、明らかに悲しみのそれ。
「……だけど……あさひちゃんが好きなのは……きっと……きっと鉄心だから……」
そう小さく呟きながら、潤は悲しみと優しさとそして僅かな羨望の混ざり合った視線を、少し前を歩く親友の大きな背中へと向けた。