4話
「ご足労感謝するよ、アルカンシェくん」
市役所に到着したアルカンシェとクルルは、すぐさま市長室へと案内され、市長の室町と面会することになった。
「早速で恐縮だが、本日君を呼んだ本題に入らせてもらおう」
ソファに座ったアルカンシェの前に、室町はとある人物が写った数枚の写真を並べた。
「この人は……」
「君も承知の通り、先日通り魔事件を起こした犯人だ。正確には傷害未遂と銃刀法違反の現行犯だね」
室町の言葉通り、確かにそれは先日商店街で包丁を振り回していた青年だった。
「彼の名前は……まあ、話の大筋に関係ないから省略しよう。肝腎なのは彼の犯行動機だ」
室町の言葉に、アルカンシェはこくりと頷いた。ついでに、肩に止まっていたクルルも一緒に。
「どうやら彼は……君に会いたかったらしい」
「………………は?」
思わずぽかんとするアルカンシェ。
「君の気持ちは良く判るよ。しかし、これは事実だ。警察による取り調べで、この青年がはっきりそう自供したそうだよ」
室町はアルカンシェたちの対面に腰を降ろして腕を組む。
「だが、おかしな点もある」
「え?」
首を傾げるアルカンシェ。しかしその肩のクルルはさほど疑問に思わないのか、ただ黙って室町の話を聞いていた。
「市外に住んでいる彼は、ニュースで見た君のファンになり、一目会いたくて週末を利用して勢能市まで来たらしい。そして君を探して市内のあちこちを歩いて回ったが、一向に君とは出会えない。それでも辛抱強く市内を回っている内に、彼は1つの考えに辿り着いたらしい。それは──」
「──自ら事件を起こせば、魔法少女が現われるかもしれない──ですか?」
市長室に居合わせた3人、室町、彼の女性秘書、そしてアルカンシェの視線は、今の台詞の主へと一斉に集まった。
即ち、アルカンシェの肩に止まるオカメインコ──クルルへと。
「クルル……?」
「そう。クルルくんが今言った通り、不意にそんな考えが湧き上がったそうだよ。だが、冷静に考えればそんな短絡的なことは、例え思いついても実行に移したりはしないだろう」
そこが警察側も疑問だそうだ、と室町は言う。
「それはただ単に、その青年が単純な思考の持ち主……という可能性は?」
いつものように、室町の背後に控えていた彼の秘書がそう発言した。
「それは有り得ないらしい。警察が調べたところによると、彼はどちらかというと慎重な性格で、そんな短絡的に行動するような人間ではないそうだ。ただ単に魔が差した……とは、私には思えないのだよ」
そう告げた室町の視線は、アルカンシェではなくその肩のクルルへと向けられていた。
「先程の発言からして、クルル君は何かこの事件について知っているのではないかね?」
良かったら話してくれないか、という室町の言葉に、クルルは少し考えた後に首を縦に振った。
「判りました。元々、いつかは話そうと思っていたことです。アルカンシェ、あれを」
クルルの言葉に頷いたアルカンシェは、市役所に到着する前に彼女から預かったものを取り出した。
アルカンシェは白いハンカチに包まれたそれを、そっとテーブルの上に置く。
「開けても構わないね?」
自分の言葉にクルルが頷いたのを確認して、室町は静かにハンカチへと指を伸ばす。
室町が解いたハンカチの中、そこには真っ黒な物体が存在した。
「これは鉱石……いや、木の実か?」
室町はその真っ黒い物体に触れないよう用心しながら、じっくりと観察してそう結論を出す。大きさは長さ3センチ、直径1センチ程の、弾丸のような形。確かにそれは一見、石か何かのように見える。しかしよくよく観察すれば、それは丁度コナラのドングリのような、細長い木の実だと判るだろう。
そして一同がその漆黒の実に注目する中、クルルはその実の正体を告げる。
「これは『破滅』の種子です」
「『破滅』……? 確か以前に話していた、世界を滅ぼすとかいう……?」
アルカンシェの、いや、ここに居合わせたクルル以外の者の表情に驚きが浮かぶ。
「はい。世界を喰い尽くすもの。滅びを導き虚無へと還るもの。虚空より来たりて空虚へと至るもの……これこそが『破滅』です」
ごくり、と息を呑む音が市長室に響く。果してその音は誰の喉が鳴ったものか。
「クルルくんは、これをどこで手に入れたのかね?」
「この前の通り魔騒ぎの時、犯人の男の人が倒れた場所の近くです。あの男の人が、この『破滅』を所持していたのは間違いないです」
そして、あの青年がこの『破滅』の影響を受けて、あのような騒ぎを引き起こしたのだとクルルは言う。
「それでクルルはあの時、あの男の人の近くにいたんだね?」
「はい。あの時、『破滅』の気配を何となく感じたです。だから近づいて調べてみたです」
クルル曰く、『破滅』とは言わば乙女力とは正反対の力であり、乙女テスターにマイナスとして反応するらしい。
そして乙女テスターは乙女力ならそれなりの範囲を検知できるが、『破滅』を検知する能力は低く、かなり近づかないと反応しないとのこと。
「だがそうなると、あの青年はどうやってこの『破滅』の種子を手に入れたのだ?」
室町は腕を組みながらそう呟く。だが、その疑問はあっさりと氷解することになる。
「それなら判りますよ」
そう断言したのはもちろんクルルだ。
「『破滅』は、心に鬱積したもの……即ち、妬みや僻み、怒りや苛立ちといった負の感情に引き寄せられるそうです。『破滅』はそうした負の感情を抱えている者を感知し、彼らのところに現われると言われていますです」
どういう原理で『破滅』が負の感情を抱えた者のところへ現われるのか。そのところはクルルたち管理官もはっきりとは把握していない。
だが、『破滅』は現われる。心に負の感情を抱く者のところへと。
「そして『破滅』は、それを手にした者が心に抱える負の感情を増幅させ、狂気へと導きます」
「なるほど。それ故、あの青年はあのような通り魔的な犯行に及んだのだな」
室町の言葉に、クルルは首を縦に振った。
昨今、肉親や知り合い同士が殺し合う狂的で悲惨な事件や、確たる動機もない通り魔的犯行のうちの何割かは、『破滅』によって狂気へと導かれた可能性が高いとクルルは付け加えた。
「……では、これに直接触れては、危険なのですか?」
そう問い質したのは、興味と恐怖をない交ぜにしたような顔の女性秘書だった。
「いえ、短時間なら問題ありません。ですが、長い時間所持し続けると、『破滅』の影響を受け始めてしまいます」
「……どれ程の時間、所持していると『破滅』の影響を受け始める?」
「一概には言えません。その人が持つ負の感情の強さによって、影響を受け出す時間は違ってきます。もちろん、負の感情が強ければ強い程、影響を受け始める時間は短くなります」
クルルが言葉を途切らせると同時に、市長室は静寂に支配された。
そのまましばらく静寂に包まれた市長室に、決意の籠った室町の声が響いた。
「クルルくんの話は理解した。その上で私は、この『破滅』は破壊した方がいいと思う。いや、勢能市市長として、断固破壊しなければならん!」
その言葉に、彼の秘書は黙って頷いた。もちろん、アルカンシェとクルルも同様に。
室町はソファから立ち上がると、執務机へと歩み寄り、引き出しから金槌を取り出す。
どうしてそんな物が市長の執務机の引き出しに入っているのかなぁ、と場違いな感想を抱くアルカンシェをよそに、戻って来た室町は今だにテーブルの上に置かれていた『破滅』の種子へと、手にした金槌を力一杯振り下ろした。
「ぬっ──ぅっ!?」
だが室町の手に伝わったのは、『破滅』の種子を砕いた感触ではなく、まるでコンクリートの塊を殴りつけたような痺れだった。
驚愕を顔に貼り付けた室町が金槌をどけると、そこには傷一つついていない『破滅』の種子があった。
「馬鹿な……今のは、渾身の力で殴りつけたのだぞ……? それこそ、下のテーブルが砕けても構わない覚悟で……」
普段、市民の血税で購入したものは、ペン一本といえども最後まで使うよう職員に厳しく言い渡している室町が、その税金で購入したテーブルを壊す覚悟で力を込めたのだ。
まさに、今のは室町の渾身の一撃だったのだろう。
だがそれでも、『破滅』の種子には何の変化も見られない。
「まさか、『破滅』を破壊することはできないのか……っ!?」
驚きの表情を浮かべたまま、室町はクルルへと視線を向けた。
「いいえ、『破滅』を滅ぼすことはできます。アルカンシェ」
「え?」
「この『破滅』の種子に、乙女力を集中させてみてください」
「お、乙女力を集中? ど、どうやるの?」
言われて慌てたのはアルカンシェだ。今までクルルに膨大な乙女力があるとは言われ続けてきたが、それを意識してどうこうしたことは一度もない。
これまでは、携帯に登録されたスペルグラムを発動させていただけに過ぎないのだ。
「そう言えば、具体的な乙女力のコントロールの仕方を教えていませんでしたっけ?」
一方のクルルも、言われて初めてそのことに気付いたようだった。
「そうですね……大切な人のことを思い浮かべながら、『破滅』の種子を握り締めて下さい」
「え? え? 『破滅』に触っちゃっても大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。アルカンシェほどの高い乙女力があれば、ちょっとやそっとでは『破滅』の影響を受けたりはしません」
言われたアルカンシェは、恐る恐る『破滅』の種子を手に取ると、何も変わりないのを確認して、そのままぐっと『破滅』の種子を握り締める。
その際、心の中ではとある人物の姿を思い描く。アルカンシェが良く知る、昔から想いを寄せ、憧れ続けている少女の姿を。
「あっ」
「むぅ」
室町とその秘書が静かに見詰める中で、アルカンシェが握り締めた拳が淡く輝く。
「え──っ?」
そして次に言葉を発したのは、アルカンシェ自身だった。自分が握り締めている、『破滅』の種子に明らかに変化があったからだ。
アルカンシェがゆっくりと握り締めた拳を開いて行く。
その中にあった『破滅』の種子が、まるで風化したようにぼろぼろと崩れ去り、アルカンシェの掌から零れ落ちる。
そしてその『破滅』の成れの果ては、テーブルに落下しきる前に更に細かく崩れ去り、あっという間に目に見えなくなる。
「『破滅』は物理的な力では決して破壊できません。『破滅』を滅ぼす唯一の力。それが乙女力なのです」
再び静寂に包まれる市長室の中に、クルルの声だけが静かに響いた。
完結まであと10話ほど。
もう少しお付き合いいただければ幸いです。