第4章 1話
第4章 とある魔法少女の活躍
今、勢能市では1つの話題で街中が賑わっていた。
誰かが困っていると、どこからともなく舞い降りて、救いの手を差し伸べる1人の少女。
その少女は誇張でも表現でもなく、本当に空から舞い降りて来て、問題が解決すると再び空へと帰っていく。
その少女は常に風を纏い、虹色の光に彩られて。
やがて人々は、救いの少女のことをこう呼ぶようになる。
いわく、虹風の魔法少女、と。
「お、今日も載ってるな」
朝食後に新聞を読んでいた冬華が、その新聞を読んでいた面を開いたまま、テーブルの上にぽんと乗せた。
居間にいた面々は、興味深そうにその新聞を覗き込む。
潤だけは内心で冷汗をかいていたが。
新聞の地方ニュースを扱うページ。そこには大きく写真入りで、1人の人物が取り上げられていた。
──虹風の魔法少女、また活躍する──
見出しに踊る文字。それが眼に入った時、潤は思わず目眩を感じた。
だが残る初穂、鉄心、クルルの3人は、面白そうに新聞の記事に眼を通している。
「えーっと?『昨日夕方、道路を横断中の学校帰りの児童の列に、乗用車が突っ込む事件が……』って、おいおい、大事件じゃねえか?」
「『直前で魔法少女が児童らを無事保護』とあります。どうやら、大事には至らなかったようですね」
「凄いですっ! さすが魔法少女ですっ! にゅっ!」
って、クルルも当事者でしょっ!? 昨日あの場所にいたよねっ!?
という潤の心の叫びも当人には届かず、クルルはまるで他人事のようにはしゃいでいた。
それは昨日のこと。放課後になってクルルと合流した潤は、ここ最近の日課ともいうべき空からの町のパトロールに出かけた。
もちろん、以前室町に指摘されたように、ステルス能力を持つスペルグラムを発動させて、地上からは目視できないようにしてから。
目的は『熱情』集め。そのためには、何らかの活躍をして注目される必要がある。
できれば、何らかの事件を未然に防げたらいいな。
そんなことを思いながら、潤とオカメインコ形態のクルルは空を舞う。
それからもう1つ、潤が毎日のように空から町中を見て回るのには理由があった。
それは単純に空を飛ぶのが気持ち良かったこと。
自分の周囲で踊り狂う風。くるくると回転するように流れる景色。そしてなにより心躍らせるのは、大地という楔から解放された浮遊感。
潤は空を飛ぶということにすっかり魅了されていた。だが、その高揚感は一瞬で掻き消える。
眼下の道路を走る一台の乗用車が、潤の緊張を呼び覚ましたのだ。
「あの車……明らかにスピード出し過ぎだよね?」
「そうですね……じゅ、潤さんっ!!」
クルルが不意に叫ぶ。もちろん、潤にはその理由が理解できた。
乗用車の進行方向の少し先では、下校途中と思われる小学生の一群が、横断歩道を横断している真っ最中だった。だが、乗用車はそれに気付いていないのか、減速する素振りも見せない。
「『呼出』05(ゼロゴー)!」
『呼出』05“颶風をまといし我が俊脚”は高速移動スペルグラム。潤は瞬時に自身の飛行速度を上昇させると、今にも横断中の児童たちに突っ込もうとする車の前に舞い降りた。
「『呼出』06(ゼロロク)!」
“颶風をまといし我が俊脚”とは逆の効果を持つスペルグラム“重枷はめよ鉛色の鈍風”。
これによって運動エネルギーを奪われた乗用車は、見る見る速度を落とし、潤の数メートル手前でぴたりと止まった。
途端、周囲に沸き立つ歓声。
本当なら渦巻く筈だった大惨事の阿鼻叫喚は、歓喜の大歓声と変化して潤を取り囲む。
特に、直接助けてもらった小学生たちは大喜びだ。
中には、突然現われたのが巷で評判の魔法少女だと知り、写真を撮る始める者も大勢いる。
そんな周囲を見回すと、潤はにっこりと花が咲くような笑顔で一礼する。
「本日のところはこれにてフィナーレ。カーテンコールはご容赦願います」
といつもの口上を述べて、再び空へと舞い上がる。
後に残されたのは、舞い起きた風と虹色に煌めく光粒子、そして沸き立つ人々の『熱情』。
後に乗用車の暴走の原因が、運転中の携帯電話の使用による前方不注意だったと潤は室町から聞かされた。
「ですが疑問ですね……」
新聞を読んでいた初穂が首を傾げる。
「何が疑問なんスか、師匠?」
「いえ、この新聞に掲載されている写真、タイミングが良過ぎる気がするのですが……」
「確かにな。母さんの言う通りだ。この写真、魔法少女が出現するのが判ってないと撮れないような写真だよな」
冬華が腕組みしながら見つめる掲載写真は、今まさに暴走車に向かってスペルグラムを発動させている瞬間のもの。
冬華の言葉通り、予めその場にいないと絶対に撮れないような写真である。
実をいうとこの写真、クルルが撮ったものなのだ。
潤が乗用車をスペルグラムで停止させている間に、クルルは人の姿に戻って室町から借りたデジタルカメラでその姿を撮影したのである。
クルルが室町から借り受けた撮影機材は、デジタルカメラだけではなくデジタルビデオカメラもあり、状況に合わせて撮影する手筈になっている。
更には市内各所に室町市長配下のスタッフが配置されていて、必要に応じて協力を求めることもできる。こうして撮影された写真や映像は、室町の手を経て新聞社やテレビ局に回され、ニュースとなって世間に公表される。
「き、きっとその場にいた人が、偶然写真に撮ったですよ」
「う、うん、そうそう。今の携帯のカメラって高性能だからね。きっとそうだよ」
慌てて潤とクルルが誤魔化す。特に潤にとっては、死活問題でもある。
(絶対に家族には知られたくないよぉ……噂の魔法少女の正体がボクだなんて……)
この点に関しては、クルルの言っていた認識迷彩とやらに感謝してもし足りない潤。
なんせこの認識迷彩とやらは、直接見た場合だけでなく、こうして写真や映像の状態でも潤の正体を隠してくれる。
どうして写真や映像からも認識迷彩が発揮されるのかは判らないが、そこは魔法の力である。自分たちの常識でははかり知れない効果があっても不思議ではない。魔法万歳。
「そういや、こいつ何て言ったっけ?」
「え? 何、お姉ちゃん。何か言った?」
「ほら、こいつだよ、こいつ。噂の魔法少女。こいつ、なんとかって名前だったろ?」
冬華は新聞の写真を指差す。
「……そう言えば、何かテレビのニュースで言ってましたね」
娘に言われ、初穂も思い出そうと記憶を探る。
「にゅっ! 皆さん、忘れちゃ駄目じゃないですかっ!」
クルルはやおら立ち上がると、拳を振り回して力説する。
「彼女こそ噂のヒロイン! 救いの美少女! その名も虹風の──」
「虹風のアルカンシェだろ? いやー、実は俺、最近すっかりアルちゃんのファンでさー」
鉄心に台詞を途中で掻っ攫らわれ、口ぱくぱくさせるしかないクルルだった。
先日市役所の市長室で対面した時、室町に尋ねられた魔法少女の名前。
当然そんなものを潤たちが用意している筈もなく。
「どうしたね? 名前がない訳でもあるまい……いや、名乗るべき名前を考えていなかった、とみるべきかな?」
室町は含みのある笑みを浮かべると、皆まで言うなとばかりに言葉を続ける。
「では、私が君の名前を考えてあげようじゃないか!」
いきなり何言い出すかな、この人はっ!?
呆気に取られる潤たちの前で、室町は腕を組んで真剣に魔法少女の名前を考え出した。
「我が市のヒロインとも言うべき存在になってもらう訳だしな。それに、君のその可憐な外見に見合ったものでなければ……」
しばらく思案にふけった後、室町はやおら顔を上げるとにやりと笑う。
「『ストロヴェリィ・アンアン』でどうだろう? 君の容姿に負けないナイスなネーミングだと思うが?」
いやもう、自分のどこがストロヴェリィで何がアンアンなんだか。
潤は何と言って抗議すべきか判らず、無言で視線を彷徨わせるしかない。
しかしさすがは現職の市長、人の感情を読むのは手慣れたものらしく、室町は潤の態度から『ストロヴェリィ・アンアン』が不評だったと目敏く悟る。
「おや、どうやら不評のようだね? では……『ミルキィ・レモン』ではどうかね? 君に実によく似合っている、その黄色い衣装から取ってみたのだが」
甘いのか酸っぱいのかどっちだ、それは?
潤は心の中で涙する。できれば部屋の隅っこで膝を抱えて泣きたいくらいだ。
その後も室町は幾つも魔法少女の名前の候補を挙げるが、どれもこれも全て前2つと同じような類のものばかり。
どうやらこの市長、少なくともネーミングセンスだけはないらしい。
こんなことなら前もって決めておけば良かったなぁ、と潤は後悔するがもう遅い。
だが、不意に救いの神は降臨した。いや、正確に言えば女神が。
「──『アルカンシェ』……では如何でしょう?」
突如そう口を挟んだのは、この市長室に入ってからずっと無言で室町の背後に控えていた彼の秘書の女性だった。
「彼女の周囲に時々、虹色の光が舞い散ることがあります。そこからフランス語の『虹』を意味する『アルカンシェル』の語尾を変化させてみたのですが……」
溜め息混じりに提案する秘書の女性。どうやら彼女も上司のセンスのなさに辟易した様子であった。
潤とクルルも『アルカンシェ』なら悪い印象を持たなかった。それにどうやら室町も気に入ったらしく、何度も口の中でその言葉を反芻させている。
「よし。では君の名前は今日から魔法少女、虹風のアルカンシェだ」
室町が力強く自らの膝を叩いて宣言した。これが勢能市に、新たなヒロインが誕生した瞬間だった。
魔法少女命名。
ところで「アルカンシェル」って仏語だよね?