3話
そして数日後の日曜日、潤はクルルから聞いた具体的な『熱情』集めを開始した。
あの魔法少女然とした格好は何としても遠慮したかったが、クルルに「協力してくれるって約束しましたですよね? なんでもするって言いましたですよね? ね?」と結局強引に押し切られてしまった。
人気のない近所の神社の境内で変身し、飛行スペルグラムで空から町を見回る。
そして河原で帽子を風に飛ばされた少女を発見、スペルグラム“偉大なる風の担い手”で風を操り、帽子を回収して少女に手渡した。
そして居合わせた人たちが騒ぎ出す前に、空を飛んでその場を後にしたのだ。
「ねえ、クルル。本当にこれでいいの?」
「はい、ばっちりです。まだ微々たるものですけど、確かに『熱情』が集まってます」
潤は欅の木に背を預けたまま、頭上の枝に止まったクルルと会話をする。
こうやって魔法使いとして人々の前に姿を現わし、スペルグラムで人助けをする。するとやがて魔法使いの評判が高まり、それにつれて『熱情』も高まっていくのだと言う。
「まあ、誰かのためになるんだからいいけど……ボクの正体がばれない限り」
「そこは絶対に大丈夫です。自分が太鼓判を押すです」
「何とも疑わしいけど……」
その後、潤とクルルは十数分程休息を取ると、これからのことを相談する。
「どうしようか? もう少し『熱情』集めを続ける?」
「そうですねぇ……お昼までまだちょっと時間がありますし……もう少し空から町を見て回りましょう」
「ん、了解」
そして潤が再び飛行スペルグラムを発動させようとした時。
「できたら、それは私の用件が済んでからにして貰えないだろうか?」
不意に低い男性の声がした。
驚いた二人が声の方へと振り向けば、そこには一人の男性──いや、たぶん男性。
なぜたぶんなのかと言えば、その人物が異様な格好をしていたから。
服装はどこにでもある濃紺のジャージ姿。だが異様なのはその人物の顔が、ひょっとこのお面で覆われているからだ。
突然現われた不審者に、クルルが枝から舞い降りて潤の肩に止まる。
「だ……誰だろう? クルルの知り合いの人?」
「いいえ、全然知りません。ですが、一つだけ確定していることがあるです」
クルルはびしりとひょっとこ仮面を翼で指し示す。
「あなたは変態ですねっ!?」
「いや、私は変態ではない」
変態呼ばわりされても大人な態度でするりと受け流し、淡々と言葉を続けるひょっとこ仮面。
しかも流暢に言葉を話すオカメインコを前にして、動揺する様子もない。
「……しかし、魔法少女が実在するとは夢にも思わなかった。しかも我が勢能市に」
「いえあの、ボク、魔法少女じゃないんですけど……」
潤の声にほう、と答えると、ひょっとこ仮面は無遠慮に潤に視線を注ぐ。
「では、君は一体何者なのかね? 突如現われ、魔法としか思えない現象を引き起こし、そしていかにも魔法少女といった格好。更にマスコットの人語を喋るオカメインコもいる。これが魔法少女でなくて何だと言うのかね?」
問われ言葉に窮する潤。ひょっとこ仮面に言われたことは、潤自身も充分に理解していたからだ。
「まあ正直、君たちが魔法少女であろうとなかろうと関係ない。重要なのは君たちが私に協力してくれるか否かだ」
「協力?」
潤の問いに、ひょっとこ仮面は力強く頷くと、顔を覆うひょっとこのお面に手をかけるとそのままお面を取り外した。
「あ……あの人……どこかで見たような……えっと、どこだっけ?」
お面の下から現われた素顔は、潤が確かにどこかで見たことあるものだった。
「私はこの勢能市の市長、室町正義という。君たちの力を何とぞ我が勢能市のために貸して欲しい」
と、ひょっとこ仮面、いや、勢能市市長の室町正義は、その場で跪くと深々と潤たちに向かって土下座した。
「……あの、市長さん。幾つか質問があるんですけど……」
「何かね? 私に答えられるものなら、何でも答えよう」
室町が何とも爽やかな笑顔で答える。
窓の外を景色がゆっくりと流れて行く。潤とクルルは今、室町と並んで黒塗りの高級車の後部座席に腰を下ろしていた。その高級車のハンドルを握るのは、室町の秘書だという女性だ。
人気のない神社の境内とはいえ、魔法少女の格好をした人物と、その足元で土下座する成人男性。しかも男性はジャージ姿で傍らにはひょっとこのお面。
余りにも怪し過ぎるシチュエーション。そんな場所で詳しい話をする訳にもいかず、室町は場所を変えることを提案して車を呼び寄せた。
潤とクルルは相談の結果、取り敢えず話だけでも聞いてみようということになり、乗車に同意した。
いざとなったら、スペルグラムを使えば逃げ出すのは簡単である。その考えもあり、現在彼らは移動の途中なのである。
「……じゃあ、先ず1つ目。ボクたちがいた場所、どうして判ったんですか?」
「その場に人気がなくとも、移動中も人の眼というものは注意したほうがいい。実に簡単に目撃情報が集まったよ」
空飛ぶ魔法少女。その姿を目撃した者はかなりの数いたらしい。その目撃情報を室町が自費で雇っているスタッフが聞き込み、目撃情報が途切れた周囲で人目に着かなさそうな場所を捜したところ、案の定そこに潤たちがいたのだと言う。
「自費で雇っているスタッフ?」
「うむ。実に優秀な者たちでね」
確かに潤が待機していたクルルと落ち合い、僅かな休息時間を取ってから室町が現われるまで、ほんの30分程だった筈だ。それだけの短時間で目撃情報を集めたとなると、確かに優秀なのだろう。
「こう見えても私には、それなりに資産があってね。普段から市政運営のため、様々な情報収集のために彼らを使っているのだ。ああ、誤解がないように言っておくが、市長になって資産を蓄えたのでないよ。市長になる前から資産はあったんだ」
事実、室町の生家は昔からこの勢能に存在する資産家の一つで、室町個人の所有する土地や不動産は両手の指では収まらない。
「他に質問はあるかね?」
「えっと……し、市長さんはどうしてそんな格好を……?」
「ああ、これかね? これは私の趣味の一つだよ」
「ひょっとこのお面を被るのが……ですか?」
「いや、ボランティアに参加するのが、だ」
室町は、普段から暇な時間を見付けては様々なボランティアに参加していた。
もちろん、全ては勢能市をより住みやすくしたいという思いに駆られてだ。
「私がボランティアに参加すると、票集め目的の偽善行為などと言い出す無粋な輩もいてね。そんなことを言われるのは心外だから、こうして仮面で正体を隠すことにしたのだよ」
そして今日も、いつものようにお面で正体を隠してボランティアに参加し、その途中で潤と出会ったという訳である。
「もう質問は終わりかな?」
「にゅ……これからどこに行くんですか?」
潤の肩に止まったクルルが尋ねると、室町は一つ頷くとその問いに答えた。
「もちろん、市役所だ」
日曜日の市役所というところは、実に静まり返っている。
尤も、潤も市役所には数えるほどしか来たことはないが、それでも市役所といえば人が集まりがやがやとしている場所、というイメージがあった。
だが日曜の市役所は、守衛などの最低限の人間しかおらず、電気も落とされ静かで暗い。
そんな市役所の中を、室町とその秘書に先導されて市長室に辿り着く。そしてその市長室のソファに腰を沈めると、潤とクルルは彼らの目的を室町に説明した。
「……なるほど……まさか、世界の危機などという大きな話が飛び出すとはね……」
「あ、あの……市長さんは今の話を信じてくれるですか?」
「もちろんだとも。現に今、私の目の前には本物の魔法少女がいる訳だしね」
室町は潤たちの対面のソファに座り、腕組みしながら潤たちの話を聞いている。
「君たちの目的は理解した。そしてそれを踏まえた上で、私は公私に渡りできる限り君たちに協力しようと思う」
これには潤とクルルの方が驚いた。一つの市の市長という立場の人物が、こちらの話を信用するだけでなく協力まで申し出るとは。驚くなという方が無理な話だ。
思わず絶句する二人に対し、室町は僅かに微笑む。
「もちろん、私にもメリットがあるからこそ、このような申し出をしているのだよ。では改めて、私の目的を聞いて貰えるかな?」
そして室町は潤たちに説明する。現在の、そしてこれからの勢能市の窮状を。
室町から説明を聞き、潤たちは今この町が置かれている状況を理解した。
だが、それと自分たちとどんな関係があると言うのだろうか。潤たちには彼の目的が判らない。
そんな疑問が顔に出ていたのであろう、室町は更に突っ込んだ説明をする。
「つまり、だ。君たちの活躍を、私は大々的に宣伝する。例えば市が発行しているニュースペーパーや、私が出資している地方テレビ局などのマスコミを動かしてね。そうすれば、君たちのことを知る者はどんどん増え、君たちのいう『熱情』も集まりやすくなるだろう」
今度は潤たちにも理解できた。確かに彼の言う通り、自分たちの活躍が大々的に報道されれば、『魔法少女』に対する感心は高まり『熱情』もより多く集まるだろう。
「でも、それで市長さんにどんなメリットがあるです?」
オカメインコ形態のクルルが、くりっと首を傾げながら尋ねる。その仕草は本物のオカメインコみたいだ、とこっそり潤は思った。
「君たちのことが広まれば広まる程、実物の魔法少女を見たいと考える者が現われるだろう。そのような者たちを市が呼び込み、宿泊施設の斡旋や土産物……例えばキャラクターグッズなどを、市内の各種工場で生産して販売する。つまり──」
室町は一度言葉を切ると、ゆっくりと潤とクルルに視線を巡らせる。
「──魔法少女で町興しという訳だ」
「……魔法少女で」
「……町興し?」
室町の言葉を思わず反芻する潤とクルル。
「ただ、前例がないので、どの位の経済効果が見込めるか判らないのがネックだが……」
当たり前である。過去、魔法少女を町興しの材料にした例などある筈がない。
「だが私は確信している。この案は必ず上手くいくと。それに仮に失敗したとしても、その責任は私が取る。君たちには何のデメリットはないと思うが?」
どうだろうと問う室町に、二人は困惑顔のまま互いに顔を見合わせる。
「にゅ……ちょっと二人で相談してもいいですか?」
「ああ、構わないとも」
室町の了承を得た二人は、そのままひそひそと相談を始める。
「この市長さん……信用できる人ですか?」
「うん……少なくとも、悪い噂は聞かないよ」
赤崎道場に出入りする有権者の数は多い。成人の門下生を始めとして、小学生や中学生の門下生の親が道場を訪れることも少なくないからだ。
特に未成年の門下生の母親が集まれば、そのまま道場が井戸端会議の議場となることもあり、その会話内容を聞くとはなしに聞いてしまうことも多々ある。
そしてそのような会話の中で、潤は勢能市の現市長を悪く言う話を聞いた記憶がない。
「少なくとも、ボクは信用してもいいと思うよ。町のために何かするのはいいことだよ」
それに人の厚意は信じたいじゃない? と潤は続けた。
それにはクルルも頷ける部分がある。潤の性格からすれば、室町を疑うよりは信じようとするだろう。その部分を差し引いたとしても、室町の提案には旨味が多い。
先ず第一に、何といっても『熱情』が集めやすくなるということ。今の世の中、マスコミを利用した情報伝達ほど、宣伝速度の速いものはない。
そして室町の言葉通り、こちらにはデメリットが少ない。仮に室町の町興しの計画が軌道に乗らなくても、こちらは何の痛手にもならない。
もちろん長い目で見れば、この町の住民としては問題であるが、それにしても10年先、20年先のこと。それまでに別の町興しの方法が見つかる可能性もある。
更に別の問題が起こったとしても、こちらはさっさと逃げてしまえばいい。こちらの正体さえ明かさなければ、それも難しい問題ではないだろう。
以上のことを相談した結果、潤たちは室町に提案を受け入れると告げた。
「おお、そうか。協力に感謝する」
「ですが、これには条件があります」
「ほう? こちらで妥協できる点なら、どんな条件でも飲もうじゃないか」
嬉しそうに言う室町に、潤はその条件を説明する。
「条件というのは、こちらの正体を詮索しないことです」
潤にしてみても、魔法少女の正体が実は男の子だということは絶対に知られたくない。
特に男の子の大切な何かのために。
例えば矜持とか、世間体とか。
「正体……? ということは、今のその姿は変身後の姿ということか。なるほど、やはり魔法少女とは変身するものなのだな。いいだろう、その条件を飲もう。ところで、君たちに連絡をつけたい時はどうすればいい?」
「今から言うナンバーに電話してください。一般の電話回線からでも繋がるです」
後でクルルに聞いたところによると、このナンバーはクルルが持つ通信端末──この端末に彼女のスペルグラムは記録されている──へと繋がるナンバーだそうだ。
クルルが述べた電話番号を室町が控え、室町個人の携帯番号も教えてもらい、それを潤が控えた。
「条件はそれだけかね? ならば全て了承……おっと、そうだった」
室町は、思い出したとばかりにぽんとひとつ手を打つ。
「重要なことを確認するのは忘れていたよ」
「重要なこと?」
潤とクルルは再び顔を見合わせる。何か忘れていることがあっただろうか?
「そう。とても重要なことだよ。それはね──」
室町は、ぐいと身を乗り出すと真剣な表情で続けた。
「君の名前だよ、魔法少女くん。君のことは何と呼べばいいのかな?」
魔法少女と市長の邂逅。
次回、魔法少女の命名披露会が開催されます。
ごめんなさい。嘘です。