2話
よ、ようやく魔法少女が……
今日は日曜日。時間は午前10時ちょっと過ぎ。
勢能市の中央を流れる勢能川の河川敷に、十数人の人間が集まっていた。
彼らは一様に動きやすそうな服装に軍手を装備し、手にはビニール袋と金ばさみ。
年齢も性別も様々。老人もいれば、小学生と思しき子供の姿も見える。
彼らはこれから行われる、河川敷の清掃活動のために集まったボランティアの人たちである。
だが、その中で唯一人、異彩を放つ人物がいた。
背格好から成人男性と判る。服装も皆と同じく動きやすそうな濃紺のジャージの上下。手にした軍手とビニール袋、金ばさみも他の人たちと一緒。
だが唯一つ、彼には違う点がある。それはその男性がひょっとこのお面を装着していることだった。
「あ、あの……あのお面の人は一体……」
訝しげにひょっとこ仮面をちらちらと見ながら、一人の若い女性が近くにいた中年の女性に話しかける。
「あら、あなた今回がボランティア初参加ね?」
「は、はい、そうですが。それが何か……?」
「いえね、ボランティアに初めて参加する人は、大抵あなたと同じ質問をするからよぉ」
と、中年女性はけたけたと楽しそうに笑う。
「あのお面の人なら大丈夫。確かに見た目はああだけど、あれでなかなか真面目な人よぉ?市内のボランティア活動によく参加する人なんだけどね、仕事はきちんとする人だから」
と、中年女性は更に笑う。
確かに中年女性の言う通りボランティア活動なのだから、与えられた仕事さえこなせば、例えどんな格好をしていても文句を言う筋合いではないだろう。
「で、でも、どうしてあの人はあんなお面を?」
「それがねぇ、私も噂に聞いただけなんだけどね? なんでも顔にひどい火傷の痕があって、それを隠すためにあんなお面を被ってるそうよ」
本当かしらねぇ、と三度笑う中年女性と、どこか納得しかねる表情の若い女性。そんな彼女たちをよそに、ボランティアによる清掃活動は開始された。
そして清掃活動が開始されると、確かに中年女性の言葉通り、ひょっとこ仮面はもくもくと掃除をしていく。
手慣れた様子で河川敷に落ちている雑誌や空き缶、ペットボトルなどを拾い集め、個々に分別して手にしたビニール袋へと納める。
それにひょっとこ仮面は、誰にでも気さくに話しかけ、逆に話しかけられれば極めて紳士的に対応する。別に人付き合いが苦手というタイプでもなさそうだ。
一部当惑を隠しきれない人たちもいるものの、清掃活動は淡々と進んでいく。
そしてそんな中、小さな事件が起きた。
「あっ!」
幼い女の子の小さな叫び声。一陣の突風が、参加していた小学生と思しき少女が被っていた白い帽子を舞い上げたのだ。
そして風は白い帽子を勢能川の流れへと運び去る。
あの帽子は先日、お母さんに買ってもらったばかりのお気に入りの帽子。
今日、初めて被ったばかりの新しい、真っ白な帽子。
その帽子が川に落ちてしまう。
その事実が少女の瞳に涙を呼ぶ。
その場の誰もが、空を舞う帽子を見上げた時。再び一陣の風が吹いた。
その風は先程の突風のような暴力的な風ではなく。
僅かに虹色に輝く、優しさを孕んだ温かい風で。
その虹色の風は川に落ちる寸前の白い帽子を、まるで優しく拾い上げるように再び舞い上げ、帽子はそのままひらひらと空を漂い、ふわりとある人物の手に収まった。
それを見詰めていたボランティアたちの間から、驚きの声が幾つも上がる。
なぜならその人物は、あろうことか川の中央、水面より十数センチほど上の何もない空中に立っていたのだ。
パステルイエローを基調とした、袖のないベストのようなトップス。トップスと同じ色のふわりと柔らかく広がった腰回りを覆う花弁状のボトムスは、一見ではスカートのように見えるが、よく見ればキュロットのようになっている。
そしてしなやかな両足を包む淡いオレンジの、ブーツと一体となったオーバーニー。
手先は肘上までの手袋に覆われ、左上腕に巻き留められた小さなポシェットがアクセント。
頭には、南瓜を半分にしたような小さな桜色の帽子がちょこんと乗っている。
透き通るような輝く銀の髪。それが真っ直ぐに背中の中ほどまで伸ばされ、何よりも特徴的なエメラルドの大きな双眸は、可憐でありながらも強い意志が見え隠れしている。
驚きと戸惑いにざわめくボランティアたちが見守る中、その何とも不思議なその人物は、すぅと空中を滑って涙を浮かべたままの少女の元へと移動した。
「はい。今度は風に飛ばされないように注意してね?」
「あ……うん……あ、ありがとう……」
呆然と呟く少女に、その人物は花のような笑顔で応えると、周囲の人々を見回してにっこりと微笑む。
右手は指先を揃えて左胸の上に。左手は腰の後ろに回されて。右足を軽く引いてゆっくりと、それでいて優雅に頭を下げると、その人物は澄んだ声で口上を述べる。
「ボクは通りすがりの魔法使い。本日のところはこれにてフィナーレ。カーテンコールはご容赦願いますね」
頭を上げ再び一同に微笑むと、自称「通りすがりの魔法使い」は空へと舞い上がり、そのまま燕のように華麗に空を舞って姿を消した。
後に残されたのは、驚きのあまり声も出さないボランティアたち。
そんなボランティアたちの中で、ひょっとこ仮面もまた周囲の人たちと同じように呆然としていたが、不意に我に返ると急にその場から駆け出した。
(これだっ!! これこそが私が探し求めていたものだっ!!)
内心で喝采を挙げながら、ひょっとこ仮面は町中を駆け抜ける。
そのあまりに異様な光景に、町の人々が思わず道を開ける中を無言で駆け抜けたひょっとこ仮面は、人気のない路地へと駆け込みぜいぜいと肩で息をする。
やがて息が整ったのか、ひょっとこ仮面は携帯電話を取り出すとどこかに通話を繋げた。
辺りに人の気配がないのを素早く確かめると、通りすがりの魔法使いと名乗った人物は誰も居ない神社の境内に降り立った。
「────ふぅ。あー、緊張したよぉ」
通りすがりの魔法使いが大きな欅の木にもたれると、その頭上より声が降りかかった。
「お疲れさまです。でも、なかなかどうして、様になってましたですよ?」
「もぉー、冗談は止めてよ。それより……」
見上げた視線の先。そこには欅の枝に止まる一羽の鳥。
大きさは三十センチくらいだろうか。
黄色い羽毛に下に向かって伸びた嘴。頭の上には冠羽があり、頬に赤丸の斑点。
その鳥は、どこからどう見てもオカメインコだった。唯一尻尾が孔雀みたいに輪を繋いだような形をしている点が、普通のオカメインコとの違いだろう。
通りすがりの魔法使いは、オカメインコから改めて自分の格好に視線を移すと、陰鬱な表情になる。
「ねえクルル。この服、本当にどうにもならないの?」
「そんなこと言われても……前にも言いましたがそのコスチュームは、潤さんの乙女力から解析された、潤さんに一番適合したデザインなんですよ?」
通りすがりの魔法使いとオカメインコは──いや、潤とクルルはあの夜を思い出す。
あの夜。クルルから世界の危機を知らされ、潤がクルルに協力すると約束したあの夜を。
潤が使えるスペルグラムの一覧を確認した後、クルルは潤にまずは変身してみましょうと提案した。
「へ、変身っ!? このままで魔法……じゃない、スペルグラムを使っちゃだめなの? あ、ひょっとして変身しないとスペルグラムが使えないとか?」
「別に変身しなくてもスペルグラムは使えますけど……もちろん、変身するには立派な理由があるですよ」
『象徴』は『熱情』を集めるため、自分自身が『熱情』の対象となる。そのため『象徴』の正体がミステリアスであった方が、『熱情』が集まりやすい。
『熱情』とはある種の、儀式によって生じる魔法的なエネルギーと言ってもいい。
ある特定の存在に注がれる熱意や熱狂というものは、ある種の儀式魔法にも似た性質を持ち、それが大量に集まると強大なエネルギーとなる。
この強大なエネルギーが『熱情』であり、『象徴』を対象とした『熱情』は『象徴』自身をゲートとして管理界へと送られ、被管理界の運用に用いられる。
だが熱意や情熱といったものは、時にどす黒いものを含むことがままある。熱意や熱狂には、正の感情だけではなく負の感情から生まれるものもあるからだ。
『象徴』に集められる『熱情』は、『象徴』が持つ乙女力がフィルターの役割をして『熱情』の中からマイナス要素を取り除き、より純度の高いエネルギーへと精製する。
そして、スペルグラムを発動させるためのエネルギー源も、乙女力なのである。
もちろん、単純なスペルグラムほど消費乙女力は少なく、難易度の高い、または広域に効果を及ぼすようなスペルグラムほど消費乙女力は増加する。
具体的例を挙げるならば、変身するのに約100OTM、飛行スペルグラムを発動するのに約150OTMを消費する。
すなわち、『象徴』は『熱情』収集のためのスペルグラムの発動と、『熱情』の精製という二種類に乙女力を消費しなくてはならない。
これが『象徴』となるために高い乙女力が求められる理由である。
使用された乙女力は、一定の休息を得ることで回復するが、それでもやはり『象徴』が有する乙女力は多ければ多い方が望ましい。
スペルグラムの発動と『熱情』の精製。特に『熱情』の精製は常時行われるため、この二つを満足に行うためには最低でも1,500OTMが必要であり、そのため乙女テスターも1,500OTM以上の乙女力に反応するように設定されていたとクルルは言う。
余談であるが、管理官であるクルルも一応スペルグラムを使用できる。だが、所詮は下っ端管理官でしかないクルルの乙女力は、せいぜい500OTMがいいところで、彼女が使用できるスペルグラムも黄色いオカメインコ──正確には神鳥の幼生──に変身するものだけであった。
と、以上のようなことをクルルから説明され、潤は実際に変身してみることにした。
右手に携帯を構え、変身スペルグラムを登録した短縮コードを音声操作で立ち上げる。
「『呼出』01(ゼロイチ)」
潤が設定した発動キーワードである『呼出』を言葉にすると、潤の肉声とキーワードの二つが反応し、携帯が稼動して登録された短縮番号のスペルグラムが発動する。
短縮番号01は、変身スペルグラム。
携帯のディスプレイに『01“幻装まといし風霊の王”』の表示が浮かび、次いで虹色の光が潤の全身を覆う。
そして虹色の光が薄れると、部屋の中に一人の魔法少女が顕現していた。
「え?」
「にゅ?」
二人が何とも間抜けな声を出す。
潤は自分の格好を見下ろすと、次いで机の上にあった鏡を覗き込む。
「待って待って待って! ………………何これ?」
優に一分は鏡の中の自分を見つめていた潤。もちろん自分に見蕩れていた訳ではなく、驚きのあまり固まっていたのだ。
そしてクルルは、いきなり出現した可憐な魔法少女に間違いなく見蕩れていた。
パステルイエローのベストとまるで花びらのようなキュロット。そしてオレンジのオーバーニーとブーツ。頭にちょこんと乗った小さな桜色の帽子が何ともラブリー。
手にしていた携帯電話は、いつの間にか左上腕の小さなポシェットの中に。
髪の長さや色、瞳の色も変わっていたが、それが潤の可憐さを損なうことはなく。
「ね、ねえクルル? これ一体どういうこと? どうしてボク、女の子みたいな格好してるの?」
「え……っと、それはですね、変身の際は、その人の乙女力から解析された、その人が乙女力を運用するのに最も効率的なコスチュームが自動的にデザインされるです。ですからそのコスチュームは、潤さんにとって最も効率のいいデザインなんです。なんですけど……」
「これがぁ……? これじゃあまるで、本当に魔法少女みたいだよ……」
「確かに……どこからどう見ても、立派な魔法少女ですよねぇ」
何というか、似合っていた。似合い過ぎだ。凶悪なぐらい。
「これはやっぱり、『象徴』と魔法少女は切っても切れない関係だということですかね? 大丈夫ですよ、潤さん。そのコスチューム、ものすっっっごく似合ってるですっ!」
「……それって全然慰めになってないって気付いてる?」
「あははは……」
どんよりとする潤と、もはや笑って誤魔化すしかないクルル。
「や、やり直しを要求するっ!」
「にゅぅ……このデザインは完全自動で登録されるですから……もう登録されちゃった以上、やり直しは無理かと……」
「そ、そんなぁ……こんな格好じゃボク、外に出れないよぉ……」
改めて鏡を覗き込む潤。髪の色や長さ、眼の色が変わっているが、知り合いが見れば一発で潤だと判ってしまうだろう。
「それなら大丈夫です。そのコスチュームには、認識迷彩の効果が付与されてるです」
「認識迷彩?」
「人は眼から入力された情報を、脳内に記録された情報と照らし合わせて判断するです。認識迷彩は、眼からの入力情報と、脳内の記録情報を結び付かなくさせます」
例えば林檎を見た場合、眼から入力された『林檎』の色、形などの情報と、脳内に既に記憶されている『林檎』の色、形といった情報を照らし合わせ、両者が一致して「これは林檎である」と判断を下す。
だが認識迷彩は眼から入る筈の『林檎』という情報を狂わせ、脳内の『林檎』の情報と一致しないようにするのだ。
「ですから、例えば鉄心さんや、初穂さん、冬華さんが今の潤さんを見たとしても、目の前にいる人物が潤さんだとは判りません」
「それが本当ならいいんだけど……」
潤にとって、女の子のような今の自分はコンプレックスであり、このような女装したような姿は、絶対に知人には見られたくない。
特に絶対、あの人には。
「そう言えば潤さん?」
潤が脳裏にある人物の姿を思い浮かべていると、クルルが思い出したように顔をこちらに向けていた。
「ん? どうしたの?」
「潤さんは男の子ですよね? でも、あの異様に高い乙女力は潤さんが恋をしているからで、先程の潤さんの態度もそれを肯定してました……」
何となくクルルが何を言いたいのか判った潤の顔が一瞬で朱に染まる。
「潤さんが男の子である以上、その相手は鉄心さんじゃないはずで……いや、その可能性はないとはいえないですが……まあ、ここはないと仮定して……」
「仮定しなくても、ボクにそっちの趣味はないよっ!! ボクが好きなのは──」
と、思わずその名を口走りそうになり、咄嗟に両手で自分の口を塞ぐ。
「やっぱり潤さんは、誰か好きな人がいるんですね!」
何故か楽しそうなクルルとは反対に、潤の表情には翳りが射す。
「あ……あれ? どうしたですか、潤さん?」
それに気付いたクルルが慌てて尋ねるが、潤の表情は冴えないまま。
「うん……確かにボク、好きな人がいるよ。でもそれは……」
決して実ることのない恋だから。
何故なら、あの人には好きな人がいて。
それはボクにとっても、とても大切な幼馴染であり親友で──
「潤……さん?」
「ボ、ボクの好きな人は今は関係ないよね? それよりも、具体的にどうやって『熱情』を集めるの? その方法はまだ聞いてないよ?」
翳りを駆逐し、にっこりと微笑む潤。だがその微笑みにいつもの花のような清々しさはなく、代わりに憂いが見え隠れしていた。