序章
序章 とある上司と部下の遣り取り
「実に由々しき事態だ」
と、彼は少女を前にしてそう切り出した。彼と少女の関係は上司と部下。上司である彼の呼出を受けた少女は、彼の執務室とでもいうべきここを訪れた。
そして開口一番、上司の口から零れ出したのが、先程の言葉だった。
少女は上司の言葉の意味を計りかねたが、それでも彼女なりに状況の把握に務める。
だが、その努力が結実するよりも早く、上司の更なる言葉が少女の耳に届いた。
「この不況のあおりを受けて、このままでは我が支部は遠からず潰れるだろう。今暫くはこれまでの蓄えを切り崩すことで持ち堪えるだろうが、それもいつまで続くか……」
そう言うと彼は、机に肘を着き、両手の指を組んでそこに広々とした額をのせ、肩を落としながらふぅと溜め息を吐いた。
その際、ここ最近随分と寂しくなり、すっかりバーコード状になってしまった彼の頭髪が力なく揺れた。
彼女とて以前から、自分が所属する支部の未来が明るくないのは薄々気付いてはいた。だが、所詮は下っ端でしかない彼女にできることなどそう多くはない。
しかし、こうして上司に呼ばれて話を聞かされている。これはひょっとすると、噂に聞く経費削減のための雇用縮小──所謂リストラ──の対象に自分が選ばれたのだろうか?
「……あのー……我が支部の状況が芳しくないことと、自分にどのような関係が……?」
それでも一応、少女は上司に尋ねてみる。もし本当にリストラの対象となってしまったのなら、何とかしてそれを撤回してもらわねば。
「君には我が支部の立て直しに尽力してもらいたいのだよ、クルル・ミルル・パルル君」
「あのですね? 自分、下っ端もいいとこですよ? その自分に一体何を……」
どうやらいきなり解雇される訳ではないようだ。そう思い少女はこっそりと安堵の溜め息を吐く。
だがしかし、この簾頭の支部長が、人の名前をフルネームで呼ぶ時はろくなことがない。そのことをクルルと呼ばれた少女は、数少ない支部の同僚から聞き及んでいた。
そしてそれは事実となる。やっぱり、かなり良くない方向で。
「君には現地に直接出向いて貰いたい」
「う、うにゅっ!? じ、自分が現地に直接行くですかっ!?」
「現地にて我が支部を運営する上で、必要不可欠なものの調達。それが君の業務内容だ」
端的に業務内容だけを告げる上司に、クルルはその詳細な内容を問い質す。
「あ、あの……具体的に自分はどうすれば……?」
クルルのこの問いに支部長は、黙って執務机の引き出しから何かを取り出した。
「これは一体……何ですか?」
支部長が取り出したもの。
それは煙草の箱ほどの大きさで色は黒。
上面にある扇形の窓には目盛が刻まれていて、その目盛を指す赤くて細長い針が視認できる。
その目盛盤の下には、スイッチと思われる大きなノブ式のダイヤル。そして本体側面にある小さな突起は、おそらく引き出してアンテナとなるのだろう。
それが支部長が取り出したものの外観だった。
「乙女テスター……君も聞いたことぐらいあるだろう?」
「にゅっ!? こ、これがあの乙女テスターですかっ!?」
乙女テスター。それにまつわる噂は数多い。
それは、選ばれし勇者を見極める選定の剣。
それは、瓦礫の中に紛れた黄金を見つけ出す試金石。
それは、幾千の扉の中からたった一つの扉を見付け出す真実の合鍵。
そしてそれを持つ者は、勇者にはなれぬものの、その勇者を導く賢者となる……等など。
それらの噂をクルルも耳にしていたが、こうして実物を目の当たりにするのはもちろん初めてである。
「この乙女テスターに反応する者を見つけ出す……それが君の業務の第一歩となるだろう」
手にした乙女テスターを呆然と見詰める彼女に、支部長は更に続ける。
「今、現地でこの乙女テスターに反応する者は極めて少ないだろう。だが、君は何があっても乙女テスターに反応する者を見つけ出さねばならない。そして、その人物に我が支部の窮状を懇切丁寧に説明し、支部の未来のために協力してもらうのだ」
「……つまりその人に『象徴』になってもらう──ですか?」
呆然と聞き返すクルルに、支部長はそうだと重々しく頷く。
「『象徴』の存在なくして、君の業務は遂行され得ない!」
くわっと目を見開き、簾頭を揺らして支部長が力説する。
その得体の知れない迫力に、クルルは思わず涙を浮かべてびくりと身を縮める。
「そして更に、由由しき情報もある」
重々しく告げる上司を言葉に、クルルは涙を堪えながら耳を傾ける。
「現地において、奴らの反応が見受けられるそうだ」
「奴ら……? そ、それってまさか……」
「そう。君が今思い描いた通りの奴らだよ」
どうしてこう都合の悪いことばかり重なるのだ、と思い悩む上司の姿を、クルルは可哀想にと他人事のように眺める。
そんな彼女の思いなど知る訳もなく、支部長は再びくわっと目を見開いてクルルに命令を下す。
「行くのだクルル君! 早速現地へと赴き、支部の運営に必要なものを集めるのだっ!!」
「は、は、はいですっ!!」
迫力に押されたクルルは、思わずびしっと敬礼する。
そう。今この瞬間から、クルル・ミルル・パルルの長い長い業務が始まったのだった。