第9話
一礼してコートに入ってくるマカナ達を観客席から見つめる。マカナは拳を握った状態で親指と小指を立て、手の甲をチームメイトに向けていた。
このハンドサインの名称はシャカ。
ハングルースと同様にハワイ式のハンドサイン。ハングルースとの手の動かし方の違いは、相手側に手のひらを向けるとハングルース。手の甲を向けるとシャカ。
どちらも、アロハポーズと言えばピンとくる人もいるのだろう。私はマカナのおかげで、アロハポーズは二種類あることを知ることができた。
試合前にシャカのハンドサインを掲げることがマカナのルーティーン。シャカには、『がんばろう』や『気楽にやろう』との意味があるらしい。
昨年はチーム内でマカナしかハンドサインをしていなかったが、今年はチーム全員でこのハンドサインをお互いに交わしていた。
同じくスターティングメンバーの米沢さんを最後に、チームメイト全員にハンドサインを向けたマカナは、観客席を不自然に見渡す。
そして、私を見つけると左腕を突き上げた。親指と小指は立ていたが、手のひらを私に向けていたのでハングルース。
たぶん……『ありがとう』の意味。マカナのお昼の弁当を作ったことへの感謝だろうか。
今日はとんかつ弁当。勝ってほしい……と願いを込めて。でも、一番はマカナが悔いを残さないこと。結果は二の次。
私は健闘を祈ってシャカのハンドサインで返す。すると、観客席からコートまで、そこそこの距離があるのにマカナの満面の笑みが見える。
サインもハングルースから、シャカへと変わった。シャカには『大丈夫』の意味もあったはずだけど、マナカの右肩は大丈夫そうには見えない。
朝、会場で昼食の弁当を渡したときも、昨日より湿布の匂いが強くなってた。ユニフォームの下には、右肩全体を覆うようにテーピングを巻いてもいる。
試合前のウォーミングアップでも右肩を使わないように、庇いながらアップしていた。これでも、痛み止めを服用しているのだろう。
バレーボールのために肩の痛みを我慢してまで、頑張る必要があるのか私には分からない。
感じたことのある痛みのレベルが、調理のためにフライパンを振るって腱鞘炎の疑い程度。なので、到底、足元にも及ばない。
主審のホイッスルが「ピィィィィィッ」と鳴り響き、試合が始まる。
試合の流れとして、相手の学校に傾く。やはり、県予選を九連覇した強豪チーム。素人の私が見ても選手一人一人の動きが洗練されていた。
いくら、比較的に手薄な空いたスペースへアタックしてボールを落としても、相手選手にボールを拾われる。粘られている内に、次々と失点を許してしまう。
前にマカナの言っていた、「空きのない」が徹底されている。例え、プレイ中にミスがあってもチーム全員でカバーし合っていて、綻びが見えない。
マカナ達も頑張って食らいついてはいる。マナカも先週までよりは全力を出しきれないかもしれないが、痛めている右腕でスパイクを打って点を稼ぐ。
だけど、じりじりと離れていく点差に、私は声を出して応援するしかない。
……十二対二十五。第一セット目は落としてしまった。点差を倍以上つけられて、実力の差を感じてしまう。
第二セット目が始まるまでのインターバルは三分間。この三分間で秘策はあるのだろうか。チームの雰囲気が重苦しい。
私にはマカナを祈ることが全て。両手で祈っていたら、インターバルの休憩時間で水分補給をしてたマカナと目があう。
マカナは意を決したか如く一回頷いた。何に対して頷いたのだろうか……私の意識がそれていると――
――バリバリバリバリッ
会場内にテープを外すような音が反響する。
マカナが右肩のテーピングを自分で取ったのだ。そして、残骸となったテーピングを試合に出ていないチームメイトへ手渡す。
左手でシャカのハンドサインをチームメイトに向けているが、マカナを心配する雰囲気がこっちまで伝わってくる。
なのに、それを受けたキャプテンがチームメイトに何を伝え、米沢さんの声も何か話している様子。
最後はチーム全員でシャカのポーズを取ったところで、インターバルの三分が経ち、試合が再開してしまう。
……技術的なことは話し合っていなかったはずなのに、さっきまでと違った。相手チームに呑まれていた第一セットと違い、別チームのように動きが変わった。
第一セットが攻撃に集中していたと表現するのなら、受けることに集中した作戦へ切り替えている。
そうして、チーム全員でマカナへボールを繋ぎ、マカナのスパイクが炸裂して点を稼ぐ。
第一セットとは違う点は二つ。
一点目は、第一セットはマカナへの負担を減らそうとして、他のチームメイトもアタックを仕掛けていたが、第二セットはほとんどマカナがスパイクを打っている。
二点目は、マカナのスパイクの威力が強くなっていた。音からして第一セットと違った、砲撃みたいな爆音が会場内に響く。利き腕の右肩が痛いはずなのに。
不気味なくらいにチームの雰囲気が生き返ったおかげで、逆に今度は相手チームが呑まれてしまい、第二セットは二十五対二十。
なんとか、第二セット目は取ることができて、五分五分に持ち直すことができた。代償としてマカナは痛みを我慢することで。
観客席からでもマカナの呼吸の乱れと汗の量が多いことは分かり、応援しかできない自分が歯がゆい。
…………結局のところ、マカナ頼みの作戦は破綻することに。インターバルの間にチーム全員で円陣を組み直し、第三セット目に突入して、すぐのことだった。
相手チームからスパイクを受けた米沢さんが、ボールの勢いを抑えることができず、記録員側に弾いてしまった。
その弾いてしまったボールを拾おうとして、マカナが記録員の席へ突っ込み転倒。
なんとか、一人で立ち上がることはできたが、転倒した際に右肩を強打したみたく、右肩は使い物にならなかった。それで、控えのメンバーと選手交代。
その後は、決定力に欠けてしまい、第三セットは十対二十五。三セット制なので、一対二で敗れてしまった。
昨年は準決勝で敗退した我が母校は、今年は決勝戦まで進出できたのだ。マカナや私達は、まだ二年生。来年も挑戦できる。
心配すべきは、マカナの体のこと。痛めた右肩を、あんなにも酷使するなんて。試合中の掛け声も、痛みを誤魔化そうとした、悲鳴にしか聞こえなかった……
「マカナ、今日はお疲れ様」
「…………うん」
表彰式を観客席の端っこで座り、二人一緒に見守る。
右肩を痛めたマカナは、会場の医療スタッフによると骨折や緊急性のあるものではなくて、病院へ直行しなくても良かったそうだ。
でも、明後日の月曜日は駅前のスポーツクリニックで診てもらう予定だと聞いている。もう、月曜の放課後にマカナの両親が予約を入れてくれたらしい。
表彰式は監督やチームメイトが気遣ってくれて、参加しなくてもいいことになったが、如何せん、他に居場所が観客席しかない。
応援に来た保護者の方々は、負傷兵のマカナを拍手で温かく迎えてくれたが、本人は居心地が悪いそうで、私が適当な場所まで連れてきたのがここまでの流れ。
「肩の痛みは大丈夫?」
「……大丈夫」
負けたせいなのか、途中で交代してしまったせいなのか、マカナの感情が伝わってこない。悔しさや、残念さといった負の感情どころか……無に近いものを感じる。
「今度は病院までついていこうか?」
「……糸が、思っているよりは痛くないよ」
事実だけを伝えようとしているのだろうか。こんな、無と化してしまったマカナを今まで知らなかったが、なおのこと、寄り添ってあげたい。
「いやいや私もね、最近さ、指の付け根がね、痛いときがあるのよ。腱鞘炎かな〜と思うと病院へ行くのも億劫で」
「すぐに病院へ行ったほうがいいと思うよ! 料理が原因なら、アウの分のお弁当も作らなくていいし……」
段々と言葉の語尾が下がっていき、一応は私の料理が気に入ってくれたのだと、勝手に解釈してしまう。
……髪の毛を一本ずつ食べさせてしまっているのにね。
「マカナの弁当は私が作りたいから作るの。私の分だけなら、安価さと利便性のみを追求するよ。まぁ、どちらにせよ、お父様の分も作るから手間ではないね」
お父様をダシに使いたいわけではないが、事実だからね。私はスーパーの同じご飯を毎日食べ続けても、飽きがこないタイプなのだろう。
小学校低学年のときは、お父様がいないと危ないから調理することを制限されていたこともあり、平日はほとんどスーパーで買ってきたご飯だった。
あれはあれで私にとって大切な記憶だけど、今の舌が肥えてしまったお父様には、私の作った料理でないと味気がないだろうね。
「糸は料理するとき、何を――」
「おーい、マカナ! 記念撮影を撮るからこっちまで来いよぉ!」
いつの間にか表彰式が終わっており、米沢さんがマカナを呼びに、会場の一階から観客席の近くまで来て、大きな声をあげている。
米沢さんの大声にかき消されてしまい、マカナが何を言おうとしたのか分からない。
「ごめん。呼ばれてしまったから、またあとで」
「全然いいよ。気を付けてね」
マカナを見送り、私も元いた席へ戻る。今日も帰りは和泉家の車のお世話になる予定。ご迷惑をかけないように、いつでも帰れる準備をしないと。
「糸ちゃんちょっといいかしら?」
「どうしましたか?」
座っていた席に忘れ物がないか確認していたら、マカナのお母さんに声をかけられる。帰り道について何かあったのだろうかな。
「もし、糸ちゃんが明日よかったらのだけど……」
……ふむふむ。
……ふむふむ。
えっ! いいんですか!?
「私は構わないのですが……本当にいいのですか? そもそも、マカナの意見をまだ聞いていないですし」
「どうせ、あの子のことだから二つ返事でしょう。今日の試合を頑張った軍資金も出すので、返事は即答よ、そく、とう」
急に転がり込んできた、私にとって都合の良過ぎる話し。頑張ったのはマカナなのに、いいのだろうか?
「あっ……流石に泊まりは駄目ね。それ以外は……あの子と一緒に車の中で相談すればいい。プランを立てるのも楽しみの一つだよ」
マカナのお母さんは、最後に惚気で「私とダーリンみたいにね!」と言うが、私のリアクションは上手く返すことができない。
微笑みが曖昧になってしまうが、私にはもったいないほどのご厚意だ。
「どうしたの糸? お母さんも変な顔をして」
記念撮影を終えたマカナが戻ってきた。隣りにはマカナのお父さんもいて、娘の勇姿にご満悦そう。
「マカナには車の中でちゃんと話すよ」
帰りの車内で、明日の話しを聞いたら、私と同じように喜んでくれるといいな。
勝手な希望を押し付けている自覚はあるが、マカナの笑顔が見たいのは事実だと思いたいのだから。




