第7話
「糸〜お待たせ。先輩達に練習休むことを、あらためて伝えてきたら少し話し込んじゃった」
放課後、学校最寄りのバス停でマカナと落ち合うことを約束。先に私がバス停で待っていると、十分ほど遅れてマカナも到着した。
「そこまで待っていなし、別に大丈夫。まだまだ待てたよ」
「えぇ、せっかく糸と一緒じゃん? 一秒だってもったいないよ」
そう言ってくれるのは嬉しい。たとえ、リップサービスだとしても。
「昨日の準決勝からの今日でしょ。良かったことも、反省すべきことも、バレーと関係ないことだとしても、回り道をしても。きっと、大事になるよ」
この言葉は誰かの受け売りではない。大嫌いな母と真逆の精神論。あの人は、目先のことしか考えていなかった。
「やっぱり、糸は優しいね。小言一つもない。アウなら文句を三回ぐらい言うよ」
「そんなの、お父様による教育の賜物でしょう。あっ……でも、内心で文句を喚き散らすときもあった……ような」
該当する人は案外いない気がする。あの人以外で、嫌いなのは……あの人と一緒に蒸発したお父様の部下。それと、マカナを汚そうとする私自身。
「糸は真面目だからね。糸はもっと、アウに甘えてもいいんだよ」
「これでも、だいぶ甘えているつもりなんだけど……」
私からしてみれば、マカナのご厚意に甘えてしまっている。
「甘えてないでしょ。どっちかと言えば、アウのことを甘えさせようとしている〜。ハッ! もしかして……甘えさせることを甘えることだと思っちゃっているぅ?」
「……うん。考えたことはなかったけど、根本的なところではその考えが近いのかも?」
振り返ると、私が一方的に有利な条件で、人に甘えたり、お願いしたりした記憶があんまりない。
マカナの弁当を作るために和泉家にお願いしたときや、料理同好会を設立したときも、相手側のメリットも提示して頼み込んだ。
遠い昔、母がいたときはどうだったか覚えていない。お父様に聞けば喜んで教えてくれそうだが、恥ずかしいので遠慮する。
「甘えるのも大事だよ。今日の糸が作ってくれたお弁当。本当に全部が美味しくて、感謝しても感謝しきれないの」
料理を褒められるごとに心が痛む。そして……
「いいマカナ、よく聞いて。料理だって、私は食べてくれる人がいるからモチベーションになっているの。マカナが食べてくれるから、料理にやりがいを感じるのよ」
カッコつけて、それっぽいことを言う私が気持ち悪い。
「……糸」
「おっと、バスが見えてきたね。乗り遅れないようにしないと」
バスに乗るのは久々。通学では利用しないし、料理同好会で、学校から他校や公民館へ移動するときは先生の車で移動していた。
はたして、今持っているICカードは使えるのだろうか。スマホで残高を確認できたから、問題ないとは思うのだけど……
杞憂はしっかり、杞憂で終わってくれた。バス車内は席が空いており、一人だけで広々と座ることもできる。
「アウの隣り、空いていますよ」
先にバスの窓際の席へ座ったマカナが、座席をポンポンと二回、隣りの空いているスペースを控えめに叩く。
「それではお隣失礼します」
マカナの体に当たらないように、通路側に体を寄せて座る。それを、マカナは許してくれなくて、身を擦り寄せてきた。
「温かいね」
「梅雨だからジメっとしているよ」
「それでもいいよ。糸と一緒なら」
何度も通った道だけど、マカナと一緒のおかげか見覚えのない道が続く。席が空いているとはいえ、他に乗客もいて、おしゃべりする気にはなれない。
私には、マカナと一緒に並んで座っているこの時間だけで充分。充分……だ。
「お待たせ。いや〜予約は良い文化だね。三十分もしない内に会計も全て終わるとは便利べんり」
「すぐ終わるとは聞いていたけどその通りだったね。本屋にいたら、もうメッセージがきてビックリだよ」
最初にレシピ本を見て、話題作、ちょっと変わった文房具を見ていると、お呼びがかかる。
プロのバスケやサッカー選手も利用しているスポーツクリニックなので、予想よりも早く終わってしまい、小走りで集合場所へ向かった。
料理をしていると指の付け根に痛みを覚えることが時々ある。腱鞘炎だと思って、病院に行ったことはないが、私も自分のメンテナンスをしたほうがいいのかも。
「さぁて、どこに行きましょうか? 中途半端になった本屋? 服でも見る? それとも……アウにする?」
「……マカナに任せるよ。せっかく駅前に来たから、最後にお惣菜は見たいかな」
見ているだけで学べることが多いし、実際に買ったお惣菜の味を再現できたら嬉しくもなる。
お父様も私が作った料理を、「これは駅前で買ってきたものか?」と間違えてくれたこともあり、それで、料理の腕が上がったと実感できる。
最近はお父様の舌が肥えてきたせいで、そう聞かれなくなった。一回、駅前の惣菜をあえて出すことで、惑わすことも大切なのかもしれない。
「糸の眼力すご〜い」
「そんなに?」
手も握りしめてしまっていたが、そこまで、眼にも力が入っていただろうか。
……手を握るぐらいだから、眼力もあったのかも。
「アウの場合は食べ物に興奮して目からヨダレ。糸は……こう、研究者の眼! 熱意を持ってレシピノートを作るだけあると思うの」
「研究者の眼ねぇ」
…………実は……実でもないが、料理は苦手に思ってきた。どう考えても、マカナへ作った弁当に髪の毛を入れ続けてしまったせいです。
嫌なら辞めればいいのは理解している。調理中、今も脳内で理性と本能が辞めさせようとする、か細い声もした。
でも、でもね。でもじゃないのは分かっているのだけど、母が遺したレシピノートは、理性と本能を巻き込んで崩壊させる。
「まずは、当てもなくぶらつこうか。歩いていたら、目的ができるかもしれないし」
「いいね、私もマカナの後をつい、ッ!」
突然、右腕を組まれてしまい声が漏れる。マカナの左腕でガッチリ固定されてしまった。マカナの一歩後ろを歩こうとしたのを見透かしたような一手。投了です。
二人くっついたまま、時間の許す限り駅前をめぐりめぐる。他愛もなく一緒の景色を見られることが、懐かしくもあり嬉しい。
お惣菜売り場へ向かおうとし、フードコートの前を通る。粉もんの香ばしい香りが鼻を誘ってきた。
「お惣菜を見る前に、ちょっとお腹空いたから、フードコートで何か買ってきてもいい?」
「私もついていくよ」
「アウだけで大丈夫。糸はフードコートの席取りをお願い!」
……席取りといっても、普通に空いている席しかない。全席空いているわけではないが、フードコートの半分は席が空いていた。
フードコート内のウォーターサーバーで、二人分の水を汲み、適当な場所に座る。さっきまでいたマカナがいなくなって、寂しさのあまり肩がキュッと縮む。
「ぉ待たせ! たこ焼き一舟!」
「あぁ美味しそうな匂い。かつお節も踊っていて……見た目もいいね」
……今、かつお節に髪の毛を混ぜても口当たりを誤魔化せていいな、と思ってしまった。重傷どころか、重体。自覚症状があるから、なおのことたちが悪い。
「糸、あ〜んして」
「私はいいよ。先どうぞ」
「あ〜ん、ほらっ、あ〜〜ん」
「……あ、あ〜ん」
マカナに口を開けるのが恥ずかしくて、目を逸らしてしまうが、なんとか羞恥心に打ち勝ち口を開け、たこ焼きを迎え入れる。
「ア、アツッ! はぅ、はう……」
「い、糸! ゴメン。そ、そりゃ、熱いに決まっているよね。水は、水はどこ? あったわ。落ち着いて、どうぞ」
ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らして、命の水が私に恵みをくれた。比喩表現抜きで、ゴクリっと本当に喉が鳴るんだね。
「ぷはぁ……助かったよ」
「ごめんなさい、拷問だったよね。とりあえず、糸の分の水を汲んでくるよ」
ウォーターサーバーへ走っていくマカナをぼんやりと見つめる。たこ焼きが熱かっただけで、こんなにも心配してくれて申し訳がつかない。
マカナには悪いけど、心配されて嬉しい自分もいて、客観視すると腹ただしく感じる。
……そっと、マカナがウォーターサーバーだけを見ているタイミングで、たこ焼きに刺さった爪楊枝を入れ替える。
「こちら、お冷になります」
「マカナおかえり。さぁ、たこ焼きが冷めない内に食べましょう」
しょうもないことに、マカナを巻き込む自分が嫌。




