第17話
私の肩よりも小さい少女が踏み台に登り、ボウルに入っているバナナを押しつぶす。ひたむきなその姿は、一般論として愛くるしさを覚えるのだろう。
……私には、恐ろしく見えるが。
「お、おくしはらさん……バナナはこのぐらいでいいですか?」
「アイバさん。名字の御櫛原だと、呼びづらいでしょう? 名前の糸で呼んでくれていいよ。バナナのほうは……うん、いい感じ」
生卵を一個、アイバさんに手渡す。卵を通して、胸の内に押し込んだ負の感情が漏れ出てしまいそう。
「ありがとうございます……いとさん。あ、あたしがたまごをわって、いいの?」
「ええ、もちろん。アイバさんは今まで卵を割ったことがあるかしら?」
「ないです……」
「割った卵はすぐ混ぜちゃうから、今日は気にせず失敗できるよ〜。わたしなんて、何年も卵を割っているのに、十個割ると一個は卵の殻が入っちゃうし」
それを言ったら……私は髪の毛を混入させてしまっている。麦島さんのはリップサービスで、私は無駄に事実。
「麦島さんが言うとおり、料理に失敗はつきものだから……大丈夫だよアイバさん」
「はい。……えいっ!」
コンコンと四回、ボウルの縁に打ちつけた卵がぱかりと割れる。黄身もちょっと割れてしまったが、初めてにしては筋がいい。
「アイバさんお見事」
「おお、キヌちゃん。わたしよりもお上手〜」
今、麦島さんが言ってくれたように、この子の名前はアイバ キヌ……と名乗ってくれた。
ただでさえ嫌いな彼女だが、名前を知ったら、もっと嫌悪感が増してしまう。
「あ、ありがとうございます。えっと、たまごをわったあとは、ど、どうすればいいのですか?」
「牛乳とホットケーキミックスを加えて混ぜるわ!」
「えーっと、麦島さん……ホットケーキミックスは、後に入れたほうが混ぜやすいのではないかしら?」
卵と牛乳の他に、先ほどつぶしてペースト状になっているバナナも、一緒に混ぜないといけない。
作り慣れている、私や麦島さんなら手順を省略して、ホットケーキミックスを入れて混ぜてもなんとかなりそうだけど、アイバさんは今日初めて料理に挑戦する。
基本に則った、レシピがいいのだろう。
「糸さん、ごもっともなご指摘ありがとうございます。いいキヌちゃん、わたしみたいに適当で料理をしちゃったらダメだよ」
「あっ、はい」
この三人の中で料理を冒涜しているのは私だけだろう。よくもまぁ、澄ました顔で麦島さんに意見を言えるものだ。
バナナ、卵、牛乳をかき混ぜ合わせたものに、ホットケーキを加えて混ぜ続ける。アイバさんと、麦島さんがかわりばんこで混ぜている横で私はフライパンの準備。
そのままフライパンに、ホットケーキの生地を入れて焼くと焼きムラが発生してしまう。防止するためには、熱したフライパンを濡れ布巾の上に置いて冷ます。
フライパンを弱火にかけ直したところで、ちょうどホットケーキの生地が出来上がったようだ。
「フライパンの準備ご苦労さま」
「麦島さんも生地の準備をありがとうね」
どうしても、アイバさんと話しをしているとボロが出てしまいそうになる。本当に、今回の料理交流に麦島さんがいてくれて良かった。
「アイバさんは、カリッと、フワッと。どちらのホットケーキが好き?」
「……フワッのほうがすき、です」
「わかったわ。それじゃ油ではなくて、今日はバターで焼きましょう」
バターでホットケーキを焼くと焦げやすくなってしまう。それでも、焦げて失敗したものは私と麦島さんが食べれば問題ない。
今回はレシピどおりなら、ホットケーキを四枚焼く予定。アイバさん、麦島さん、私、栗林さんの四人分。流石に、四枚全てが失敗することはないはずだ。
その栗林さんは、調理室の隅っこで私達を見守ってくれている。ときおり、私と麦島さんをここまで連れてきれた警察官と話を交えながら。
「あぁ、バターの香ばしい匂いがす〜る〜〜」
「すごい、いいにおい」
フライパンの上で、ホットケーキの生地の表面にふつふつと泡が見える。私のふつふつと湧き上がっている罪悪感と、勝手ながらも重ねてしまう。
「キヌちゃん、いよいよホットケーキを裏返すよ。わたしも手伝うから、一緒に裏へひっくり返そう!」
「はい!」
アイバさんと麦島さんが記念すべき一枚目のホットケーキをひっくり返すのを、私は一歩引いて見守る。
「そぉーれ! あっ……」
「……ふたつにわかれちゃった」
残念ながら、一枚目のホットケーキはひっくり返したときに真っ二つ。真っ二つになっても味は変わらないし、残りはまだ三回も焼くのに挑戦できる。
「それは、私のホットケーキかな。そのホットケーキがしっかり焼けたら、残りの三回も頑張ろう!」
「次こそは成功させようね! わたしも頑張るから」
「……うん」
頑張りも虚しく、再度、アイバ麦島ペアで挑んだ二枚目のホットケーキも真っ二つ。
三枚目のホットケーキはアイバさん一人で挑戦し、四分の一欠け。成長を見せているが、丸型のホットケーキには焼き上がらない。
「これは……糸先生のお力が必要なのでは?」
「いとさん、たすけてください」
「……ふふっ、任せて」
助けを求められたのなら仕方がない。ガス台の前に立つアイバさんの後ろへつく。アイバさんの髪から、記憶にこびりついた匂いがする。
「アイバさん肩の力を抜いて。ひっくり返すのを失敗しても大丈夫だからね」
「はい」
――ひっくり返す直前、二人とも息が止まる。
アイバさんのことを嫌いな理由に、思い当たる節が芽生えた。
「おお! ついに、丸いホットケーキ! 四度目の正直、キヌちゃんおめでとう」
「あ、ありがとう……ございます。でも、すみません。三かいもしっぱいしちゃいました」
「味は変わらないから大丈夫。むしろ、アイバさんが最後の四回目に成功してすごいよ」
胸騒ぎが収まってくれそうにない。
「お腹が空くような、いい匂いがしてくるよ〜」
「栗林さん美味しいところを持っていこうとしていますね。キヌちゃんが頑張って作ってくれたからですよ」
「そうだね、せっかくアイバちゃんが作ってくれたのだから、出来たてのうちに食べましょうか」
フライパンは使い終わり、ガス台の火は止めたのに、体がひどく熱い。
「みんなの準備はできたね。それじゃ、アイバちゃん。いただきますのあいさつをお願いできる?」
「はい! 手を合わせて、いただきます」
「「「いただきます」」」
ホットケーキの味も薄く感じられる。この味は……
「ひぃく……」
「キヌちゃん大丈夫?」
ホットケーキを一口食べたアイバさんが、唐突に泣いてしまった。慌てて麦島さんが声をかける。
「ご……ごめんなさい。かなしくて、ないてないの」
「アイバちゃん無理して言わなくてもいいからね」
栗林さんのフォローに、アイバさんは「ううん」と首を横に振る。
「うれしいの。このホットケーキ……おかあさんがつくってくれたのとそっくりだったから」
「そっかぁ……」
吐き気がこみ上げてくるのを抑え、なんとか相づちを打つ。
今回のレシピを提案したのは私。バナナ入りのホットケーキは、私が幼いころ、あの人が蒸発する前によく作ってくれた。
これは偶然なのだろうか。
何かの間違いなのではないか。
もし、仮に、予想があっていたとするのなら、心の底から反吐が出そうだ。
その日の夜。
お父様の空いたグラスにお酒を注ぐ。普段はお酒を控えているが、今日はお父様のためにツマミを用意したので、顔が真っ赤になるほど飲んでいる。
「糸、今は楽しいか?」
「どうしたのお父様。話す会話に困った、父親みたいなことを急に聞いて?」
普段は、こういったことをお父様は聞いてこない。あの人が亡くなったのは、少なからず、お父様にもくるものがあったのだろうか。
「いや……なんかな。具体的なアレは分からないが、なんかな……糸の顔つきが、険しくなっている気がしてな。悩みがあるなら聞くぞ」
それでは、遠慮なく聞こうとしますか。
「お父様……私に隠しごとがあるよ、ね?」




