第13話
「そうだね、まずは……アウがバレーボールをはじめた理由から、話そうかな」
ベンチに並んで座っているが、私も、マカナも、正面に広がる海を見る。顔を合わせて話すと、言いたいことも言いづらくなってしまいそうだ。
今は、これでいいのだと思う。私の隣りにマカナがいるのだけは確かだから。
「別にバレーボールである必要はなかった。バスケでも、柔道でも、サーフィン、演劇。……糸と再開したときに、胸を張ることができたなら何でもよかったの」
「……うん」
頭の中を疑問が占める。
――どうして? 私相手にそこまで思い詰めるの……と。
ハワイに行ってしまう前のマカナも、私にとって大切な人。一緒にいるだけで、オールオッケー。私とマカナの関係に、かしこまる必要はなかったはず。
「糸の顔を見ていないのに、ハハ、今眉間にしわを寄せているでしょ。リラックス、リラックス〜」
実際に眉間が凝り固まっていたのは事実。不本意だが、「うん……」と頷いておく。
「ええっと、なんだっけ? ああ、アウがバレーボールを選んだ理由……たまたま、ボールを狙ったとおりのところへ落とすことができたからだよ」
「マカナにはバレーボールがあっていたのね」
ぶっきらぼうに投げた言葉を拾う。見逃して、落としたらダメな気がした。
「……アウにあっていたかもしれないけど、バレーをしていて楽しくなかったし、辛くて、悔しいこともなかったんだ」
「試合で活躍しても?」
「正直なところ……周りに合わせて感情を出していただけで、アウ個人としてはそこまで。バレーはチームスポーツだから、チームのムードを乱したくなかったの」
人間関係に戸惑い、周りと距離を置いていたマカナが、いつの間にか処世術を身につけていていた。
マカナが一人称で使っている『アウ』や、ハングルースとシャカのハンドサイン。学校での明るく元気な立ち振る舞いも、マカナなりの努力の成果だろう。
「頑張ってきたのね。偉いよマカナ」
「大げさだよ。糸の姿はまだまだ遠いからね」
「私のことを、買いかぶりすぎじゃない?」
私はマカナと会えなかった時間が積み重なって勝手に美化しているのかもしれないが、マカナも私のことを美化していそうだ。
「そういうこと言っちゃう!? 幼稚園でイジメられていたアウを助けてくれて、ギスっていたアウのお母さんとお父さんを繋ぎとめてくれたのは糸だよ」
「あの頃、マカナの周りは大変だったね。だけど……あっ…………」
――私がマカナに惹かれた瞬間を思い出す。
母に捨てられたショックで小学二年生までの記憶があやふやになっているから、マカナに惚れた記憶までも歪つになっているのかねぇ。
「糸、大丈夫? 変なこと言ってゴメンね」
「今さぁ、昔を思い出していたんだ。小学一年生とき、マカナがご両親の夫婦喧嘩に食って掛かる瞬間。カッコよかったなって」
ハワイに引っ越す前のマカナ宅は私の家とも近くて、小学校の登下校も一緒だった。その日の帰り道は運悪く、言い争っているマカナのご両親と鉢合わせ。
何が原因で言い争っていたのかすら分からないのに、幼かった私は和泉家の問題に口を出してしまった。
今思えば、マカナのお父さんが仕事の都合上でハワイへ引っ越すことで言い争っていたのかも。
「あれも糸が! 先にアウの心を代弁してくれたの!! だから、アウもお母さんとお父さんに、ちゃんと話し合おうと決めることができたの」
「例え、キッカケが私だとしても、その後に行動したのはマカナの頑張りだよ」
そもそも私なんて、お父様と踏み入った話しはほとんどしないし。この間、あの人の墓に行ったときは、お互いに探り探りで話したけど。
「糸」
改まった、少し震えた声でマカナが私の名を呼ぶ。声が私の耳へ届くのと同時に、マカナの左手が私の右手に重ねた。
「どうしたの?」
「話したくなかったら、無理して話さなくてもいいけど……一つ、聞きたいことがあるのだけど……いい?」
いいと、と即答してもよかった。だけど、髪の毛をマカナに食べさせている件を聞かれたら、誠実に答えられる自信がない。
代わりに、私の右手をマカナの左手に絡める。形だけだとしても、マカナに向き合いたいから。
「最近、糸に何かあったよね?」
「…………」
アバウトな質問なのに、どこか確信めいた自信を感じてしまう。胸の鼓動が早くなり、絡めた手を通して、マカナにも動揺が伝わってしまった。
「もしかして……」
マカナは被害者で、私は加害者。髪の毛の件が早くマカナにバレてほしいと願っていたのに、いざ、その瞬間がくると思ってしまうと、こんなにも胸が痛いなんて。
「糸の……お母さんのこと?」
流石、マカナだ。中らずと雖も遠からず。私の問題を辿っていけば、八割以上はあの人に行く着く。
「……うん。最近になって、あの人がノコしたモノを家で見つけてしまってね。心の落ち着かない日が続いてしまったのかも」
全部嘘ではないが、本当のことではない。嘘よりのことが口からすらすら出てくる。
何でもかんでもあの人のせいにしてやりたいが、マカナに髪の毛を食べさせているのは、間違いなく自分の意思だから。
「やっぱり。……どこかでばったり会ってしまって、変なこととか言われていない?」
「まず、あの人の行方が分かっていないからね。どこに消えたのやら。せめて、慰謝料が欲しいなー」
これは嘘。あの人は最近亡くなった。交通事故で。
一緒に蒸発したお父様の元部下と歩道を歩いてたところ、飲酒運転した車に轢かれて、二人とも亡くなってしまったと聞いている。
先月末に亡くなった知らせを聞くまで、どこに居るのか知りたくもなかったけど、文句は言いたかった。知ったときには、すでに墓へ入っていたが。
私がそのことを知った理由は、あの人が亡くなって遺品整理した結果。レシピノートだけは母方の祖父母から私へと、お父様が託されたのを発見したから。
お父様は私に渡していいものかと悩んでいたらしいが、託されて家へ持ち帰ったその日に、私がレシピノートを見つけてしまった。
そのレシピノートの表紙には『愛しの糸へ』と、私が赤ん坊のころの写真を貼られていて――
「アウね。糸と離れていたことで、本当に、心の底から後悔していたことがあるの」
「それは?」
「糸へ送った手紙の最後に、毎回さ、そちらも家族仲良く……と結びの言葉を多様していたでしょう。あの言葉が糸のことを思うと……」
あの人に捨てられたショックと、マカナには嬉しいことだけを伝えたかったので、高校で再会するまでは母が蒸発したことを秘密にしていた。
秘密を打ち明けたのも、すぐにバレると思ったから、先に言ったまでのこと。
「あの人のことは言っていなかったからね。そりゃ、マカナは分からないでしょ」
「だとしても! 糸はアウにとって、憧れで! 目標だったの!! ……糸の足を引っ張るようなことなんて……たとえ無意識でも、したくなかったんだよ」
謝罪の気持ちが絡んだ手にも痛いほど伝わってくる。私とお父様を捨てて蒸発したあの人が悪いのに。
「……そこまで、私のことを想ってくれていたんだね。マカナの目標になれて……嬉しいよ」
「そうだよ、私がバレーボールを続けてこれたのも、糸の応援があったから。……糸を目指し、目の前に広がる海を超えて、日本にだって戻ってこれた」
「ありがとうマカナ。あらためて、おかえりなさい」
マカナの真っ直ぐな気持ちが、こんがらがってしまった私の感情を貫いてくれる。
――このまま、私も髪の毛の件を謝罪して、勢いで告白しようかなと思ってしまった。
「もう、糸はオハナだね」
「オハナ……え、えっと……家族という意味だっけ?」
「そう。この絆は、絶対だよ」
………………あぁ。
嬉しいはずなのに、私を絡む黒い糸が、身を引きちぎるぐらいに食い込む。
マカナはお父様しかいない私に、血の繋がりはないが、家族になって寄り添おうとしてくれている。
だけどね、私が求めているのは……家族ではなくて。
恋人としてのマカナ。
私だけを愛してくれるマカナ。
絶対に私のことを見捨てないマカナ。
レシピノートが三十品まで到達できたから、マカナに告白したい。今日で一二品目。
潮風のおかげで、やけに頭が冴えてくる。
どうしたら、マカナは私のものになってくれるのだろうか?
マカナと絡めた手の温もりにすら、疎くなった私は、それだけを考えてしまっていた。




