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播州佐用軍記  作者: 川嶋正友(訳:おこぜの尻尾) 
播州佐用軍記・上
13/20

十二、朧月四日、城から討ち出でし事(将何某が倒れた前代未聞。この本の要語か)


かくして昨日は、寄手が堀の上の道で大勢討たれ、残ったわずかな兵らも夕方には退却していった。


今日になり、城の麓の堀のあたりに取り付けられた仕寄や竹把が押し倒されているばかりで、堀の上の道にも寄せ手の死骸ばかりがそのままになっていた。


ただ攻め口の寄せ場の者だけが、今もじっと堪え忍びながら、鉄砲を撃つ事を怠らずにいた。


しかし、馬出門の出塀の近くには竹の束がゆったりと積み重ねられ、特に堀を隔てていたために、竹把を越えてくる矢はあっても、城内に落ちて人を傷つける矢は見られなかった。


城から撃ち出される鉄砲によって、寄手の兵に負傷者や死者が多く出ていたために、今日は皆が攻め口から退却して河原に陣を敷いていた。


ちょうどその時、降り始めた雨が激しくなり、山から吹き降ろす嵐がさらに激しく吹いたので、寄手の総勢が肌が裂けるような冷気に襲われ、手足がすくんで動けなくなった。刀の柄を握ることもできず、弓の弦を引くことも難しいため、もしも今、敵が城から討ち出てきたら無駄死にするだけだと嘆いていた。


雨は三日三晩降り続き、楢や柏の薪を焚いても、絞れるほどに濡れてしまい、食糧を炊くこともできず、おまけに焚き火の篝火も消えてしまったので、どうしようもなく、鎧の袖は肌まで凍りつくばかりになっていた。


こんな日々が続いた三日目の子の刻のことである。


城中から夜襲の軍勢が討ち出し、大手口の一番手は川嶋三郎次郎と弟の杢太輔、高嶋七郎兵衛尉、楢原、高野、桑波、片嶋、瀬川の手勢が入り混じった足軽五十人を先頭に、次に弓の士が十余人。その次に槍や長刀を持った兵が、大将に先行して大手ノ橋を出てまっすぐ二町ほど進むと、足軽の兵士をその場所に伏せさせた。


二番手には宇喜多の一族である本間、小馬、下河原、三村、馬淵の手勢が入り交じり、足軽三十人。弓や槍、長刀の武士が段々に立ち並び、橋から左の柵に沿って二町ほど止まって兵士を伏せていた。


三番手には太田民部少輔とその兄弟、小林兄弟、別所左門の手勢が入り交じり、足軽五十人。弓や槍、長刀が戦のしきたりに従って立ち、橋から右に三町ほど出てから全軍を伏せさせた。


それから、搦手から出撃する軍勢と足並みを揃えて襲い掛かろうと思い、太田の手で合図の大太鼓が打たれると、大手の矢倉の者がこの音を聞いて続けて大太鼓を打ち、城中と城外の大手、搦手が同時に鬨の声を上げた。


なにぶん深夜のことであり、山や川、野原に非常に大きく響き渡った。寄手の小屋では思いもよらず、就寝中の者や番兵らが驚き、あるいは恐怖に騒ぎ、自分の太刀、刀を取るか取らないか揉み合っている所に、夜襲の足軽が寄手の小屋の連なりの前へ走り寄り、竹束を押し破って飛び込むと、件の寄手の中へ鉄砲を打ちかけた。


これに当たった者がどれくらい居たかは言うまでもない。撃たれた者たちは、ちょうど将棋倒しのように次々と倒れていった。


川端の近くに陣取っていた者たちは、皆川に逃げ入り、夥しい数の者が水に溺れた。夜襲を仕掛けた足軽は、かねての命令の通り、半分が敵に追われるふりをして川端へ走り出た。東の河原に陣を敷いていた敵が、にわかに立ち上がって混乱して騒いでいるところに鉄砲を撃ちかけた。


こうした中、城の矢倉から鐘が何度も鳴り響いた。夜襲の人々はこれを合図とし、足軽を徐々に引き上げさせて城に引き籠り、橋の中央の板を刎ね返して立て籠もった。


搦手から討って出た真嶋、浦上、頓宮親子、鵜野、衣笠、國府寺、廣戶、丸山、山端、岡田、大谷らが敵を追討し、下上月まで追いかけたところで、城から合図の鐘が鳴った。これを聞いて、疲れた足軽兵を集め、岡田と大谷の両人が手勢を分けて、殿軍として搦手へ引き退いた。


坂の上の木戸を閉めて引きこもると、東の空が白み始め、夜がようやく明けた。


こうして、城の陣屋に残っているものといえば、繋がれたまま捨てられた馬や、地面に倒れて踏み破られた旗や幕などが、台風のような風に吹き上げられたかのような有様であった。その様子が人の顔のように見えたため、敵かと怪しみ恐れる者もいて、滅多にない珍しい光景だと言えた。


このような状況のところに、城中の若い武士たちが集まってきて、寄手の小屋跡を渡って来させ、人々が集うと、敵が捨て置いた幡幕をまとめ上げ、追手や搦手の出塀に張り置き、『これは楠正成くすのきまさしげ金剛山こんごうさんで名護屋の陣を夜討ちし、敵勢の幕を取って城の大手に張り付けたのと同じ戦果である。』と騒ぎ、早く討って出ようとひしめいていた。


高嶋はこの騒ぎを聞きつけ、矢倉から走り下りて、


『なぜ今討って出ようとするのか。まず、それぞれ三つの戦の理に背くことがある。その一つには、真昼間に大勢で押し寄せたところで、敵が付き募り(原文:付慕ニ)引き入れることは難しい。また、小勢で討って出たのであれば、皆が討たれてしまうだろう。二つ目には、夜討ちで出た時、敵を破り、速やかに(陣幕や幟を)持ち帰ったのなら手柄となる。だが、これはただ敵が捨てたものを張り付けただけで、今(敵勢は)新しい陣幕や幟を取り出している。これでは戦の法には適っていない。三つ目は、正成の時代と、今の時代の戦では、合戦の仕方自体が大きく様変わりしてしまっている。今の時代は鉄砲があるので、軽々しく出陣することはできない。ただ鉄砲には二つの種類がある。これには得失がある。』


と人々を制止したので、皆は(高嶋の言葉に)信服して出陣を止めたということだ。



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