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『意訳』播州佐用軍記  作者: 川嶋正友(訳:おこぜの尻尾) 
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九、寄手総勢、城の麓に攻め寄せるの事。


こうして十一月二十一日には、敗走していく寄手は、面目なくそれぞれの陣営へ帰っていった。


手持ちの太刀や槍、長刀、弓、鉄砲を捨ててしまったので、踏み潰されて焼け落ちた跡を遠くに見やり、ただ呆然としていた。ただ、あちこちの小屋の前では、弓一本、槍一本を巡って、二人、三人が取り付いて、我先に取ろうと奪い合う様は、大変珍しいことだった。


こうして陣中が騒がしくなり、諸大将は騒ぎを鎮めるために奔走していた。


その後、秀吉卿から軍使が来て、


『直ちに敗残兵を集めよ。それから陣を張り、番匠を呼び集めて勢楼(見張り台)を組み立て、攻め口の堀の近くに押し立てよ。これに登って城中へ鉄砲を撃ち入れ、昼夜怠ることなく攻め立てる。城に援軍がいるならば、血気盛んに城外へ打って出たところを、偽り誘い出して背後から攻めて漏らすことなく討ち取れ。そして、あわよくば城まで乗り込め。もし敵が出てこなければ包囲して毎日攻め立てよ。城中を疲弊させていけば、最後には降参するか餓死するか、二択のいずれしかなくなるのだ。』


と、いう命令が詳細に下された。


大将たちは申し合わせ、急いで攻め口に仕寄や竹束を頑丈に取り付け、鉄砲を持った足軽を配置して、昼夜を問わず交代で守るように。この方には見張り台をこしらえるように、と、同十一月二十二日の早朝から攻め手は雲霞のように集まってきた。


攻城施設や竹束を隙間なく並べて持って平福川を渡り、両方の攻め口へ竹束を押し立て、鉄砲を構えながら敵勢に射撃をやろうと身構えていた。西川原の方面には材木を多く寄せ集め、番匠を集めて勢楼を組み立てる作業が盛んに行われた。


城にいる者はこれを見て、どうしたものかと各自の持ち場へ出て、弓や鉄砲を構え、物音を立てずに静かにしていた。


大手橋の外と搦手の坂の下では、(秀吉卿の軍勢が)の形に竹束を並べ、その陰に鉄砲を伏せて守っていたので、城側から安易に撃ち出すこともできず、寄手も矢の届く距離が遠かったので鉄砲を一発も撃たなかった。


そうこうするうちに、四、五日が過ぎ、例の勢楼が組み立てられたので、すぐに攻め口の攻城施設や竹束の側まで(敵勢が)隙間なくやって来て、大手門や搦手門の矢倉、隅矢倉の近くを除き、二か所ずつ攻め寄せてきた。これに垣楯を取り付け、矢の通る隙間を切って、蓋を据え付け、交代で見張った。そして、これより城中へ鉄砲を撃ち込もうと企んでいた。


さらに、その寄手は勢楼の左右に陣屋を兼ね備え、川原方面から二つの渡堀を境にして打ち並べ、『やあやあ今日より後は、(城の外へ)打って出ることができまい。夜討ちも昼討ちもできなくなり、お前らは降参するか餓死するかの二択が間近に迫っておるぞ。』と、上月城の城兵らを勇ましく罵り、大急ぎで普請していた。


しかしながら、城は高い山の上にあるので、(寄手からは)ちぎれ雲を見上げるようなもので、詰々とした切岸けしき出摒だしひ、矢倉の前には竹束が立てられ、たとえ敵が勢楼から鉄砲を打ちかけたところで、一町あまり離れているため、あの竹束を越えて城中の人を討ち破ることはできないように見えた。


このため、城ではこれらを気にかけなかった。


結局、城から見下ろして狙い撃ちする(城兵らの)鉄砲や遠矢に、寄手は大勢が当たって死傷者が出たために、寄せ手の陣中が大騒ぎして、『盾を寄越せ。裏板を寄越せ。』と奪い合うようになり、寄手は思うように動けなくなった。


明くる霜月二十八日、城中の諸大将が集まり、『現在、敵の包囲が始まっている。このままでは籠の中の鳥が雲を求め、泥の中の魚が雨を求めるようになり、最終的には疲弊して落城を待つばかりとなる。それはこちらの意図するところではない。好機だ。今日、疾風のように火矢を射かけ、寄せ手の陣屋を動揺させよう。』と申し出ると、高嶋頼村と小林満季の二人がにこやかに笑いながら進み出た。


『この申し出は、最も適切である。この席に参加せず、先に我々も気づいていたため、二人でこっそりと示し合わせ、今日夕暮れに一斉に火矢を射かけ、皆の眠りを覚ましてやろうと無関心を装って待っていた。こうなった以上、皆でを合わせよう。哀れな寄手が勢楼を作る持ち場を焼き払えば、項羽が秦宮の室を焼いた功績に等しかろう。』と申し出た。


すると高嶋が言うには、『殿(赤松政範)達の智略は今に始まったことではないが、軍略によく通じていらっしゃるものだ。』と申していた。そうして、ああすれば良いこうすれば良い、と、示し合わせ、各自持ち場へと帰っていった。


そのうちに、大手の矢倉は高嶋の持ち場だったので、川嶋と小林が協力して火矢を三本、同所(大手の矢倉)から猪谷までの渡り塀、門の矢倉、真箟ヶ嶽の渡り塀までには、高嶋の猶子と兄弟、小林の二子にならび、川嶋大夫、猶原、高野、奈波、片嶋、瀬川らが互いに守り固め、この方面からも火矢を三本放った。


南方の二の丸の谷口の矢倉は横山の持ち場であり、鵜野の兄弟、三川、野村が協力し、南北の渡り塀まで敵の寄手の家来どもと向かい合わせに配置され、この人々の持ち場からも火矢を三本放った。


南の出丸を搦手として、東の隅櫓には早瀬親子が持ち場についていた。真嶋、浦上、端山、頓宮の親子が協力して固く守り、この持ち場からも火矢を三本放った。


同じ場所にある西の隅櫓は、政直(佐用二郎、政範の実弟)の持ち場で、太田の親子三人、佐用三郎權正と協力して固く守っていた。この持ち場は大沼といい、寄手の小屋までは距離が遠いため、火矢は届かなかった。


この矢倉から東西の渡り堀までは、國府寺左近こうでらさこんその息子の勝兵衛尉かつべえのじょう廣戸五郎左衛門尉ひろとごろうざえもんのじょう丸山八助まるやまはちすけ、その兄弟の息子たちが各所に兵を配置して固く守っていた。ここから敵まで距離が遠いため、火矢を放つために兵三人を坂へ下ろし、合図を待った。


城の背後にある大嶽は、敵が登ることが難しいのだが、要所要所に大きな石や大木を積んで綱を掛けていた。二重の堀があり、そこに幾重にも竹束を立てていた。そこを守備していた人々には、衣笠虎松きぬがさとらまつとその弟の小治郎こじろう岡田半左衛門尉おかだはんざえもんのじょう山田やまだ大谷おおたに中村なかむらが持ち場を並べて陣取っていた。


北側の楯谷の矢倉は、柏原土佐守かしはらとさのかみとその息子である主馬之助うまのすけ小寺庄之助おでらしょうのすけとその息子である右衛門佐うえもんざが交替で守備していた。ここでは敵までの距離が遠いために火矢が届かないと判断されていた。


宇喜多の手勢は、他の城兵らとは別行動を取り、百人から二百人ずつ一組になって、時期が来ればどの持ち場にでも加勢しようと、昼夜の番を手配して警戒を怠らぬよう城内を巡回していた。


さて、この日の夕暮れになった。


寄手はといえば、各所に建てられた勢楼から城内へと間断なく鉄砲を撃ち続けていたが、もともと城のある山は標高が高くあまり成果は上がらず、皆が手持ち無沙汰になり、その場に待機していた。


折りからの寒気は厳しく、寄手が寒さを凌ごうとしていたところ、思いがけずこの黄昏時に、城中から一斉に火矢が放たれた。


この火矢は眩く輝くもののようで、寄手の勢楼に届くや否や燃え出し、近くに連なっていた小屋群も火に包まれ、各所の勢楼の上から火に巻かれて兵士らが転げ落ちると、それぞれの持ち場に居た兵士たちも煙にまかれ、逃げ惑い、そこかしこに折り重なって倒れ、いやが応にも伏せ転んでしまい、無益に死んでいく者が幾らでも出たという。


この時の惨状は、たとえ焔火地獄(火炎地獄)の罪人が(普段目にしている光景が)相手でも、争って勝ってしまうほどの惨たらしさだった。


城中から、法螺貝や鐘、太鼓を打ち鳴らして鬨の声を上げると、城の正面の川原に陣を置いていた寄手は、件の火に驚き惑い、これから城兵らが追撃を仕掛けてくると思い、我先にと川を渡って逃げようとして、水に溺れる者も多かった。


城中からは、『敗走中の寄手を追討しよう。皆を平福川へ追い込めば一人も逃すことはないだろう。』と、兵を配置して待機していたのだが、にわかに高嶋が何を考えたのかしきりに鐘を鳴らし始め、矢倉から軍使を出してこれを制止した。


こうして兵士たちはこの火に騒ぎ立って退却を始めたが、山脇の本陣までは後退しなかったので、秀吉卿からは谷大膳、山中、桑名、中条らの軍勢に多くの足軽を増援として送り込み、次々と川を越えて再度攻め寄せようとした。


だが、(現地の)寄手は右往左往と敗走を続け、攻め口の持ち場も勢楼が燃えている最中であった。


城から打って出る様子が見えなかったので、青野原の前に各々が馬を休ませ、城を遥かに見上げながら面白くなさそうに待機していた者たちは、馬を一箇所に寄せ集めながら、


『そもそも今回の城攻めは、なんらかのあやかしでも憑いているのか、どうにかすると、やり直しがきかない程になってしまったのではないか。』


と、呆れ果てていた。


それから敗走中の諸将を尋ね逢ったが、あまりにも酷い焼き討ち(誤たる焼亡乱兵火)の被害を聞くや否や、『これから城兵らがどんな手段を用いてくるのか。』と、松に吹く風の音(非常に細やかな物音)にすらも怯えるばかりになっていた。


それから搦手にも軍使を立て、『為体ていたらく、減少した兵数などを聞いて参れ。』と伝え、谷、山中をはじめ、それぞれの将が山脇の本陣へと帰っていった。


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