不幸を呼ぶもの
冷たい朝の空気が、庭に張りつめていた。
私は両手にそれぞれ木の棒を握りしめ、正面に立つルナをじっと見据える。彼女は両手を胸の前に構え、いつでも魔力防壁を展開できるように身構えていた。
「――これから、この棒で攻撃を仕掛ける。すべてを防ぎきれたなら合格だ。同行を許そう。ただし、これがルナの体にかすりでもすれば、同行は認めない」
そう短く告げると、私は棒に魔力を流し込んだ。木の表面が淡く青白く光を帯び、刃物にも劣らぬ鋭さを纏ってゆく。
「――行くぞ」
そう告げて身を沈めた直後、そのまま踏み込み、間合いを一気に詰める。両手の棒を左下段に引き、脇腹めがけて鋭く右上へと切り上げた。
まずは一撃。
鞭のように高速で放たれた一撃を、ルナは慌てながらも防壁で受け止める。火花が散り、足元の土がわずかに抉れた。
受け止められた一撃を流すように引き戻し、今度は真横から水平に薙ぎ払う。
さらに反転して、今度は右上から左下へと斜めに叩きつける。
空気を裂く二連撃が容赦なく襲いかかる。
ルナは慌てて防壁を展開し、二枚の光の壁を瞬時に重ねる。火花が散り、衝撃で足元の土が砕け、彼女の身体が一歩後ろに押し戻された。
私は一度地を蹴り、十メートルほど後方へ跳び退いて間合いを作った。
ルナは肩で荒い息をつき、防壁を解いていた。強度の高い防壁は魔力の消耗が激しく、長く維持することはできない。
左手の棒を投げ放つ。
虚を突くように軌道を描いた木の棒が唸りを上げて飛ぶのと同時に、私は地を強く蹴って別角度から踏み込んだ。
棒の投擲は囮。狙いは真正面ではなく、横合いからの一太刀。
しかしルナの反応は速かった。
投げられた棒に視線を取られながらも、彼女は身をひねり飛翔する棒を躱し、同時に防壁を展開する。青白い光の壁が再び瞬時に姿を現し、私の一閃を弾き返した。
金属を打ち合わせたような鋭い衝撃音が響く。足元の土がえぐれ、砂埃が舞い上がった。
私は再び距離を取り、棒を構えてルナに向かって告げた。
「次が最後の一撃だ」
身を沈め、鋭くルナを見据える。
――次の瞬間。ルナの背後に防壁が展開され、後方から襲いかかった木の棒が弾かれた。
「……合格だ」
しぶしぶながら言葉を吐き出すと、ルナはぱっと顔を輝かせ、小さく跳ねるように喜んだ。
「やった! 一緒に行けるんですね!」
「仕事中は、今回以上に注意するんだぞ」
「分かってます! でも最後の一撃、ちょっとずるくないですか? 正面から攻撃すると見せかけて、後ろから狙うなんて」
私は少しばつの悪い声で答える。
「真剣勝負ではこのくらい当たり前だ。それにしても、よく気づいたな。あれは知覚するのが難しいほど細い魔力の糸を使っていたんだが」
そう。最初の投擲のとき、棒にはすでに魔力の糸を結びつけていた。最後の一撃では、その糸を引き寄せて後方から奇襲を仕掛けたのだ。
「糸は見えなかったですけど……なんとなく、後ろに気配を感じたんです」
「……そうか」
私は小さく息を吐いた。正直防がれるとは思っていなかった。 ルナは魔術の才だけでなく、戦闘の勘にも秀でているのかもしれない。
「気を抜いて、鍛錬を怠らないように。これからも定期的に訓練するからな」
ちょうど朝食を終えた頃だった。白い羽が視界をかすめ、一羽の鷹が窓枠へと舞い降りる。足には小さな筒が結わえつけられていた。
筒を外して開くと、整った筆跡の依頼状が現れる。要約するとこうだ。近隣の街で、霧の夜に化け猫が出没するようになった。先日ついに人が襲われる事件が発生した。この怪物を退治してほしい――とのこと。
気は進まないが、背に腹は代えられない。隣で興味津々といった様子で手紙を覗き込んでいるルナに言った。
「仕事の依頼だ」
「化け猫なんて本当にいるんですかね? もしいるなら見てみたいです!」
好奇心に瞳を輝かせるルナを見て、思わず苦笑する。
「遊びじゃないんだからな。気を抜いたら駄目だぞ」
ルナは「分かってますよー」と言いながらも、冒険への高揚感を隠しきれずにいた。
翌日、私たちは依頼のあった街にいた。石畳を踏みしめながら街を歩いていると、妙に猫の姿が目についた。屋根の上、軒先、路地の隅――どこにでも猫がいる。
「ずいぶん猫が多いですね」
ルナがきょろきょろと辺りを見回しながら言う。
確かにその通りだ。だが、それ以上に気になることがあった。
道行く人々の視線だ。白猫や三毛猫には親しげな眼差しを送るのに、黒猫にだけはやたら冷たい。まるで厄介なものを見るかのように目を逸らし、あえて視線を合わせまいとしていた。
「……黒猫だけ避けられている?」
「どうしてでしょうね……」
ルナも小さく首を傾げ、不思議そうに呟いた。
しばらく進むと、小さな雑貨屋の前で足が止まる。
店先に腰を下ろした中年の女性が、猫たちに皿を並べ、ミルクを注いでやっていた。三毛も白も、そして黒猫さえも分け隔てなく撫でている。
「かわいい子たちだねえ。いっぱい食べな」
女性の声は柔らかく、猫たちは安心しきった様子で集まっている。
私は一歩近づき、声をかけた。
「失礼。少しお尋ねしたい。最近、この街で猫に関わる事件があったと聞いたのですが――」
女性は皿を置き、こちらを振り返った。穏やかな笑みの奥に、かすかな影が差した。
「あなたたちは?」
「私たちはこの事件を解決するためにをこの街に来ました」
そう答えると、女性は少しうつむき、再び前を見据えながら、とつとつと語りはじめた。
「……ここ数ヶ月のことです。霧の深い夜になると、大きな猫の影が目撃されるようになりました。
そして先週には、墓地で人が何かに襲われたのです。命は助かりましたが重傷で……。その傷跡から、化け猫の仕業ではないかと噂されています」
女性は一度言葉を切り、少し声を落とした。
「そして……人々はそれを黒猫のせいだと囁いています」
私は眉をひそめ、問いかけた。
「なぜ黒猫が疑われているんです?」
女性は小さくため息をつき、遠くを見るようにして答える。
「……この街では昔から、黒猫は“不幸を呼ぶもの”として忌み嫌われてきたのです。きっと根拠などありません。ただ言い伝えが残っているだけ。それでも、人々は信じ込んでしまうのです」
女性は黒猫をそっと抱き寄せるように撫で、柔らかく微笑んだ。
「この子が不幸を呼ぶはずがないでしょう。私は、この子の愛らしさに毎日救われているんです。毎日ミルクを飲みに来てくれるんですよ」
撫でられた黒猫は目を細め、喉を小さく鳴らした。その小さな体からは確かな魔力の気配が滲み出していた。




