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わがままな子猫

 サラが嵐のように過ぎ去った後の夕食はいつもより不思議と静かに感じる。目の前ではルナがちぎったパンをスープに浸している。

 私はスプーンをそっとテーブルに置き、できるだけ平静を装って声をかけた。


「あのだな。ルナが家の手伝いをしてくれるのは本当に助かってる。だけどな、もっとルナがしたいことをしてもいいんだぞ。子どもは遊ぶのも、立派な仕事のうちだからな」


 ルナはきょとんとした目で私を見つめてきた。


「急にどうしたんですか? お手伝いの何がいけないんですか?」

「いや、いけないわけじゃないんだ。本当にありがたいんだ。ただ……私は、ルナには時にはわがままも言ってほしいんだよ」


 気持ちを言葉にするのはいつも難しい。思っていることを正しく伝えられているか不安になる。


「わがままって……アルテシアさんは、私に“悪い子”になってほしいってことですか?」


 その言葉に、私は少し考え込んだ。

 確かに自分のやりたいことを優先するのは、時に“悪い子”として映るかもしれない――。


「……まあ、そうかもな。たまには、“悪い子”でもいいんじゃないかって、思ってさ」


 ルナは少し真面目な顔をしてうなずいた。


「分かりました。……善処してみます」






 数日が過ぎた。そろそろ仕事の依頼を受けに行かなければならない。そう思いながら、私は汲んできた井戸水を樽に注いでいるルナに切り出した。


「なあ、ルナ。私、数日ほど家を空けることになりそうだ」


 ルナは驚いたように顔を上げ、すぐさま問い返してきた。


「……どういうことですか? なんでですか? 数日って、何日ですか?」

「仕事だよ。……うちで作っている芋だけじゃ、生活が成り立たないからな。ちょっと依頼を受けに行こうと思ってる。……一週間、長くても二週間くらいで戻れるはずだ」


 ルナは唇をぎゅっと結び、不満げな目を向けてきた。


「アルテシアさん……私をひとり置いていくつもりですか?」

「私がいない間は、サラに預かってもらうよう頼んである。年の近いスージーもいることだし、退屈しないと思うぞ」

「……嫌です。私、あの人苦手です」

「困ったなあ……」

「“わがままも言っていい”って、言ったのはアルテシアさんじゃないですか。どうしても仕事に行くと言うならわたしも連れて行ってください!」


 鋭い切り返しに、私は返す言葉を探した。


「……それでも、連れて行くわけにはいかない。ルナの身に危険が及ぶかもしれないからな。自分の身を守れないものを同伴させるわけにはいかない」

「じゃあ、危なくなければいいんですね? 私が自分の身を守れればいいんですね?」


 ルナは一歩詰め寄ると、まっすぐな瞳で私を見上げる。


「だったら……私に身を守るすべを教えてください!」






 翌日の昼、私たちは庭で向かい合っていた。

 ルナの瞳は、静かに、それでも決意を秘めて私を見つめている。


「身を守るためには、防御魔術の習得が必須だ。

 ……瞬時に魔力で防壁を張れるようにならなければいけない」


 ルナはごくりと息を呑んだ。

 その音が、張りつめた空気の中でやけに大きく響いた。


「まずは魔力の操作から始める。

 魔力は、人の体内を流れるエネルギーのようなものだ。……皮膚や筋肉の奥、内側を流れている。

 まるで、殻の中に閉じ込められているようなものだな。

 それを外へ放出できるようになること。……それが、第一歩だ」


「どうすれば、できるんですか?」


 ルナの声は真剣だった。

 私はうなずき、静かに続ける。


「――イメージするんだ。自分の体内を巡るエネルギーを。

 これは人によって異なるが……水の流れのように感じる者が多い。

 ルナは、どう感じる?」


 ルナはそっと目を閉じた。

 風にそよぐ黒髪が、彼女の横顔をやさしく撫でていく。

 しばらくの沈黙ののち、彼女は静かに言葉を紡いだ。


「……吹き抜ける、そよ風のような……そんな感じが、します」


 その声には、どこか手探りするような戸惑いと、でも確かに何かを掴みかけたような手応えが混じっていた。


 ――次の瞬間、青白い魔力がルナの体を中心に渦を巻きながら解き放たれた。立ち昇る光の柱は、まるで雲をも貫かんばかりに天高く伸びている。その魔力量は、常識を逸していた。 わずか九つにして、私に匹敵する――いや、すでに凌駕しているかもしれない。


「……驚いたな。とんでもない素質だ」


 思わず、呟きが漏れる。

 やがてルナがゆっくりと目を開ける。瞳に満ちるのは無邪気な光――彼女は、まるで遊びを終えた子どものように微笑んだ。


「できました!」






 ルナはテーブルの上に広げられた分厚い魔術書を、不満げに睨んでいた。


「どうして本なんか広げてるんですか? 早く、防御魔術のやり方を教えてください」

「だからこうして魔術書を開いているんだよ」


 私は苦笑してページをめくる。だがルナの顔は浮かないままだ。


「魔術は非常に複雑なんだ。習得するには、煩雑な術式――つまり魔力をどう動かすかの手順――を頭と体に叩き込まないといけない。魔力がエネルギーなら、術式はその操作手順書だ。単なる呪文じゃない、感覚的な操作の集合体なんだ」


 ルナはむすっとした顔で腕を組みながら、こちらを見上げる。


「……つまり、勉強しなきゃいけないってことですか?」

「そういうことになるな。嫌ならやめるか?」

「嫌じゃないです。教えてください」


 素直で、けれどちょっぴり悔しそうなその言い方に、思わず口元が緩む。


「防御魔術の術式は――このページだな。まずはこれを覚えて、一つひとつの手順を真似してみろ」

「私、文字読めません。読んでください」

「……仕方ないなあ」


 呆れたようにため息をつきながらも、その声はどこか優しげだった。






 夜。灯りを落とした部屋で、私は静かにベッドに横になっていた。

 すると、そっと扉を開き、魔術書を抱えたルナが現れた。


「アルテシアさん……これ、読み方を教えてください」

「分かった。こっちにおいで」


 そう言うと、ルナはとてとてと小走りで駆け寄り、そのまま私の布団に潜り込んできた。


「ここなんですけど……」

「どれどれ……」


 私は体を少し起こし、彼女の肩越しに魔術書を覗き込んだ。

 ルナは熱心に質問を投げかけ、私はそれに応じて術式の仕組みを丁寧に解説していく。

 やがて、ルナはまぶたを重たげに瞬きを繰り返し、ふと静かになったかと思うと――隣から寝息が聞こえてきた。

 目をやると、ルナが布団の中で小さく丸くなってぐっすりと眠っている。


「……まったく、困った子だな」


 私はそっと掛け布団を整えてやり、寝顔を見つめながら小さく笑った。

 口元には自然と柔らかな微笑みが浮かぶ。


 そのまま優しく背中を撫でると――


「ん、ふにゃあ……」


 まるで猫のような寝言が返ってくる。


「本当に……悪い子猫ちゃんだな」


 私は声を潜めてそっと囁き、そのまま目を閉じた。

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