干しいもの夜
「ここは危険だ。死肉を目当てに獣たちがじきに集まってくるだろう。先を急ごう」
返事はない。ルナの目は、絶望に濁っていた。その奥に何があるのか、私には掴めなかった。
視線を外して荷車の方へと目を向ける。惨劇の跡を振り返る。
横たわる行商人。食い散らかされた馬。私は小さく祈りの言葉を呟き、再び前を向いた。
森には夜の気配が濃くなりつつあった。茜色だった空は、しだいに深い青に染められていく。
少女は、私の数歩後ろを黙ってついてきていた。落ち葉を踏む微かな音と、少し荒い息づかいが耳に届く。
「近くの村までは、あと三時間ほどだ。少々きついかもしれないが、そこまで行けば、安全な寝床が確保できる」
そう言って、私はちらとルナに目をやった。彼女は何も言わなかった。ただ、ほんのわずかに首を縦に動かしたように見えた。
陽がすっかり落ちた黒い森の中をしばらく歩き続けていると、やがて進む先にほのかな灯りが見えてきた。
「……ようやく着いたな。あの村にはたしか宿屋があったはずだ。今夜はそこで泊まるとしよう」
そう言って振り返ると、ルナの顔にも安堵の色が見て取れた。無表情だったその顔が、ほんの少し緩んでいる。
宿屋の扉を開くと、見知った顔が出迎えた。
「おや、アルテシアか。今回の仕事はどうだった?」
宿屋の主人が私の顔を見るなり、そう声をかけてきた。
「なんてことなかったよ。仕事自体は五分で片がついた。移動のほうがよっぽど骨だよ」
そう答えた私の背後へ、主人の視線が移る。
「──そっちのお嬢さんは?」
「ついさっき、そこで知り合ってね」
主人は一瞬、怪訝そうな顔をしたが、私は気にせず続けた。
「夕飯と寝床を二人分。頼めるかな?」
背後で、息を呑むような音が聞こえた気がした。振り返ると、ルナが驚いたような顔をして私を見上げ、すぐに視線を落とした。
「出世払いだからな。大人になったら、きっちり利子をつけて返してくれ」
ルナは困惑したような表情を浮かべたあと、ほんの少し間を置いて、静かにうなずいた。
……冗談のつもりだったんだけどな。
宿屋の共用部にあるテーブルには、私たち以外の客の姿はなかった。
私はゆっくりと椅子に腰を下ろし、隣の椅子の座面にぽんと手をおき、ルナに声をかける。
「ここに座るといい」
ルナは黙って私の隣に座り、どこか窮屈そうにして下を向いていた。
ほどなくして、主人がシチューを二つ、運んできた。湯気が立ち上る皿からは、食欲をそそる香りが漂っていた。
私が三口ほど食べたところで、ふと隣に目をやると──ルナの皿は、ほとんど空になっていた。皿のすみに残ったシチューを、熱心にスプーンでかき集めている。よほどお腹が空いていたのだろう。
私はザックから小包を一つ取り出しテーブルに置く。そのまま、そっとルナの前へと滑らせた。
「携帯食だ。まだ足りなければ、これを食べるといい。甘くて美味しいぞ」
ルナは私を一瞬見上げ、包を見つめる。訝しげな目つきのまま、包をほどいた。
中にあった、黄色く平らなそれを見た瞬間──彼女の警戒心はむしろ強まったように見えた。
匂いを嗅ぎ、もう一度私を見あげる。
「それは芋を干したものだよ」
私はザックからもう一つ小包を取り出し、包みを開いた。中身を手でちぎり、口に運んでみせた。
その様子を確認してから、ルナもおそるおそる、小さくかじる。
……次の瞬間、ぱちりと目を見開き、今度は口を開けて勢い良く頬張る。頬はやや上気し、心なしかその瞳に生気が宿ったように見えた。よほど好みの味だったのだろう。
「気に入ってみたいで良かった。その干しいも、実は私作なんだ」
少し誇らしげにそう言うと、ルナは目を瞬かせ、小さく言った。
「……おいしかったです」
私は少し照れくさくなって、「そうか」と言って、シチューをひと口頬張った。
シチューを食べ終え、ふと隣を見ると、ルナが眠そうに体を前後に揺らしていた。よほど疲れていたのだろう。今後のことを話しておきたかったが、どうやらそれは明日のほうがよさそうだ。
「今日はもう休もう。今後のことは、明日話そう」
そう声をかけると、ルナはぴしりと背筋を伸ばして私を見上げ、それから小さく頷いた。
私たち二階へ上り、用意された部屋へ向かった。中は簡素な造りで、ベッドが二つ並べられているだけだった。
私は荷物を床におろし、ベッドに体を沈めながら声をかけた。
「おやすみ」
返事はなかったが、それを待つこともなく、私は静かに目を閉じた。




