大空の下で
「準備できたみたいっすね」
身支度を済ませた私たちを、先に庭に出ていたミルカが出迎えた。
「ルナちゃんそのローブ可愛いっすね。似合ってるっすよ」
「……ん、ありがと。ミルカちゃん」
ルナは、こうして褒められるのに慣れていないのか、頬をほんのり朱に染めてうつむいた。その様子を微笑ましく思っていると、胸の奥に突然小さな白波が立った。なぜだか分からないけれど、気づけば私はミルカに対抗するように口を開いていた。
「……ルナ、そのローブ、いつも本当によく似合ってるよ」
「…………そうですか」
ルナは短くそう言うと、むーっと口を結んで、ふいと私から顔を背けた。
「アルテっちは乙女心が分かってないみたいっすね……」
ミルカが呆れたようにそう呟いた。
きっとまた私は何かを間違えたのだろう。そう思った瞬間、晩秋の風が吹き抜け、私の頬をぴしゃりと叩いた。そのタイミングと冷たさが、なんだか妙におかしくて思わずふっと笑いそうになった。
「それじゃあ行くっすよ。乗ってください」
ミルカがそう言ったかと思うと、目の前にいた青髪の少女はたちまち青い竜へと姿を変えた。
蛇を思わせるような長い身体を、髪と同じ色の鱗が鮮やかに覆っている。
胴からは、翼ともヒレともつかない器官がいくつも伸び、淡い光を反射して揺れていた。
鋭く大きな爪をたたえた手までも、透きとおるような青。
それは畏れよりも先に――ただ、美しいと思った。
不機嫌そうにしているルナを抱え上げ、そのままミルカの背へと飛び乗った。
「ちょ、ちょっと……いきなり何するんですか!」
ミルカの背の上で、ルナが不満そうな声を上げる。
その背後から、彼女の体をえいと抱きしめた。
「えっ……ちょ、本当になんなんですか、こんなとこで……!」
「これから上空を高速で移動するんだ。こうして密着してたほうが、空気抵抗が少なくなるし落ちる心配も減るだろう」
私の言葉に、ルナはうつむいたまま固まっているようだった。
伝わってくる体温が、さっきより少しだけ高くなった気がした。
「…………バカ」
ルナの小さな呟きが、腕の中で――水の中の気泡のように、ぽこっと浮かび上がった。
「振り落とされないように気をつけるっすよ」
その言葉を合図に、身体がぐんと引き上げられた。
風を切り裂く音を響かせながら、私たちは空へと昇っていく。
ミルカの長い身体がしなやかにうねり、空気の流れを掴むたびに、青い鱗が陽光を反射して瞬いた。
天が近づくたび、地面がどんどん遠ざかっていく。
鋭く冷たい風が頬を刺したが、不思議と痛みはなかった。
それよりも、胸の奥を駆け抜ける爽快感のほうがずっと強かった。
下を覗くと、わたしたちの国が小さなミニチュアのように見えた。
こうして上から見ると、案外近くに海があるのだと気づく。
見上げれば、どこまでも広がる青空があった。
その果てに境界はなく、気をつけないとそのまま吸い込まれてしまいそうになる。
「……すごい」
あたりを見渡しながらルナが感嘆の声をあげた。
「こんなにも、世界は広がっているんですね……綺麗」
「ああ。本当に、綺麗だ」
この位置からでは、彼女の瞳が見えないのが残念だ。
きっとこの青空のように、澄んだ色をしているのだろう。
いくつもの国を通り過ぎ、広大な砂漠を横断し、森の上をしばらく進むうちに、陽は傾き、空はゆるやかに藍へと移り変わっていった。
「着いたっすよ」
ミルカはゆっくりと高度を下げ、森の奥で静かに佇む大きな岩の上へと降り立った。
「ミルカちゃん。乗せてくれてありがと。大変じゃなかった?」
「こんなのなんてことないっすよー」
人の姿に戻ったミルカは、頭のてっぺんのアホ毛をぴょこぴょこと揺らしながら、むふーっとどこか得意げに自分の髪をなでている。
「私からも礼を言う。ありがとう、ミルカ」
「いいんすよ別に。仕事ですし。それに二人と一緒で私も楽しいっすからねー」
夜が迫る中で森に入るのは得策ではないと判断し、私たちは岩の上で夜を明かすことにした。
焚き火の準備が整うと、ようやく腰を下ろし、今夜の食事をとることにした。
「このスープめっちゃ美味しいっすね! アルテっち料理上手なんすね!」
ポトフを口にしたミルカが、目を輝かせて言った。
「なんかいいっすね。こういうの」
その無邪気な笑顔に、思わず口元がほころんだ。
ミルカを見つめていると、とん、とルナが肩を寄せてくる。
顔を向けると、彼女はふいと可愛らしく視線をそらすのだった。
ポトフをひと口すすり、ふーっと息を吐く。
目を閉じると、ぱちぱちと弾ける火の音が、森の静けさに溶けていくのがわかった。
その夜――確かにそこにある温もりを、私は感じていた。




