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第81話 届かない願い

紫苑さんの自室で、数時間が経った。

外はすっかり夜に沈み、窓から差し込む月明かりが、静かな部屋をやわらかく照らしている。

二人きりの空間――本来なら安らげるはずなのに、胸の奥のざわめきは収まらず、逆にどんどん大きくなっていく。


仲間を傷つけた罪悪感。

謎の声に侵されかけた恐怖。

そして、パパの死を変えられなかった絶望。


けれど一番強く胸を締め付けているのは……紫苑さんを失ってしまうかもしれないという恐怖。

戦場で抱きしめられたときの温もりが、まだ消えずに残っている。

あの温もりだけが、私をこの場所につなぎ止めてくれた。


「……少しは落ち着いたか?」

椅子に腰掛ける紫苑さんの声は、静かで、でもどこか私を案じる優しさを含んでいた。


「はい……ありがとうございます」

そう答えたけれど、胸の奥はざわめいたまま。

本当は「大丈夫」なんて言えなかった。


――怖い。

――もう一度、あの闇に呑まれてしまったら……。

――そのとき紫苑さんさえ傍にいなければ、私は……完全に壊れてしまう。


気づけば、私は紫苑さんの傍に歩み寄っていた。

手が勝手に伸びてしまいそうで、唇が乾き、喉が焼ける。


「……紫苑さん」

声が震えます。勇気を振り絞り、やっと言葉にする。


「今夜だけ……そばにいてください……お願いします」


今は、紫苑さんを独占したい。

紫苑さんの全てで満たしてほしい。

でも、それは言えない。

だから遠回しに、必死に隠した言葉を選んでしまう。


紫苑さんは少しだけ目を細め、そしてゆっくり首を横に振った。

「……駄目だ」


その一言で、心臓を鷲掴みにされたように息が止まった。

胸の奥の恐怖も、喪失感も、すべてが一気に押し寄せてくる。


「……で、ですよね!あの……冗談です。少し弱気になってしまっただけですから」

必死に笑って誤魔化しました。

でも、笑顔なんて作れるはずがなく、声は震えて裏返っていた。


(……違うのに。本当は……本当は、冗談なんかじゃないのに……)


心の中で必死に叫んでいるのに、声にはならない。

拒まれた痛みが、体の芯まで突き刺さっていく。


紫苑さんは何も言わず、ただ私の肩に手を置いた。

その手の温もりが、優しいほどに残酷で――泣きそうになる。


「心配ありがとうございます!……もう大丈夫です……おやすみなさい」


深く頭を下げ、私は部屋を後にした。

扉を閉めた瞬間、押し殺していた呼吸が乱れ、胸の奥が空洞のように広がっていく。


(……どうして……どうして受け入れてくれないの?……やっぱり、天禰さんの事……)


自室へ戻ると、声を殺して泣いた。

紫苑さんに拒まれた痛みは、涙とともに溢れても消えず、胸に残り続けた。


――私は弱い。

――でも、強くならなくちゃ。


そう繰り返しながらも、紫苑さんに触れたかった気持ちは、どうしても拭えなかった。


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