第5話 外を見る必要はない
紫苑さんの後を追い、無機質な廊下を歩く。
足元はまだふらついているけれど、支えられるよりも自分で歩きたかった。
昨日、メンバー達に紹介されてから一晩……。
結局その夜は、紫苑さんに案内された部屋で過ごしたけど、布団に入っても全然眠れなかった。
紹介が終わった後、紫苑さんは無言で私を連れて歩き続け、廊下の奥にある一枚の扉の前で立ち止まった。
「ここが、お前の部屋だ」
低い声でそう告げると、紫苑さんは扉を押し開ける。
中に入ると、黒と灰色を基調とした落ち着いた部屋だった。
小さなベッドと机、本棚が置かれ、無駄のないシンプルな空間。
けれど私は僅かな違和感を覚える。
「……窓、無いんですね……」
思わず呟いた私に、紫苑さんは振り返らず答える。
「ここは地下だ。外を見る必要はない」
短く冷たい言葉が、胸に突き刺さる。
(外を見る必要はない……
それはつまり、私にはもう“外”で生きる場所が無いってことなの……?)
紫苑さんは少しだけこちらを見て、淡々と告げた。
「最低限の設備は揃えてある。足りないものがあれば後で言え」
そして、それだけを言うと静かに部屋を出て行った。
閉まる扉の音が、やけに重く響く。
その夜、誰も私を訪ねてくることはなかった……。
ベッドに横になり、ぼんやりと天井を見つめる。
時間の感覚も分からない。部屋には小さな壁掛け時計があるだけで、私の呼吸音と時計の音だけがこだまする。
その音を頼りに、何度目を閉じようとしても頭の中を不安が駆け巡り、眠気すら訪れなかった。
(……ここが……私の、居場所……?
覚悟……私に、できるのかな……)
ようやく少しだけうとうとした頃だった。
「……起きているか?」
コンコン、と控えめなノック音と共に、低く静かな声が聞こえてくる。
「……紫苑さん……?」
時計を見てみると、すでに6時をまわっていた。
慌てて体を起こすと、扉の向こうから再び声がした。
「……入るぞ」
ゆっくりと扉が開き、昨日と変わらない無表情の紫苑さんが立っていた。
黒髪に冷たい瞳……なのに、少しだけその視線が優しく見えるのは気のせいだろうか。
「……よく眠れたか?」
「え……あ、はい……」
思わず嘘をついてしまう。紫苑さんの顔を見ていると、平気だと言わなくちゃいけない気がして……。
「ふっ……嘘をつくな」
ほんの一瞬、紫苑さんの口元がわずかに緩んだ。
静かに歩み寄ると、私の顔を覗き込み、指先でそっと目元をなぞる。
「……隈が出来てる」
「え……あ、すみません……」
謝ることしか出来ない自分が情けない。
紫苑さんはそんな私を無言で見つめると、すぐに視線を逸らした。
「……今日は訓練だ。支度をしろ」
「訓練……ですか?」
「お前が八咫烏としてやっていくために必要なことだ。
……俺たちは、政府直属の特殊部隊でもある。
一般人には認識されない影の存在だが、現世を守るのが役割だ」
紫苑さんの声は淡々としていたけれど、そこに宿る静かな決意だけが妙に胸に響いた。
(……八咫烏として……私が……
現世を守る……?)
逃げたい気持ちと、取り戻したい気持ちが胸の中でぐちゃぐちゃに混ざる。
それでも、私は小さく息を吐き、急いで紫苑さんの後を追った。