第53話 揺れる心の扉
夜の静けさが、かえって耳に痛いほどだった。
私はベッドに座ったまま、何度も、さっきの光景を思い返していた。
――「少し出かけるか」
あの時の紫苑さんの言葉は、きっと私を気遣ってのものだった。
本部に戻らず、わざわざ夜の街を歩いたのは、私に空気を変えさせてやろうとしてくれたんだと思う。
それが分かるから、余計に苦しかった。
紫苑さんの優しさが、私の胸を締めつける。
そして、その優しさの奥に……別の誰かの面影が重なって見えた気がして。
天禰――私の前世。
紫苑さんが私に向ける視線。その奥底には、まだその名前が宿っているように思えてならなかった。
違うと信じたくても、あの眼差しはあまりに真っ直ぐで、そして優しかった。
まるで、もう二度と会えない誰かを前にしているかのように。
「……そんな顔で、見ないでよ……」
声に出した瞬間、涙が頬を伝った。
嫉妬。
こんな感情、自分にあるなんて思ってなかった。
誰かに向けられた想いを、奪いたいなんて。
誰かの代わりになんて、なりたくないのに。
でも――私は紫苑さんが好きなんだ。
あの人の笑顔が嬉しくて、声を聞くたびに心が温かくなる。
隣にいるだけで、どんなに辛い時でも頑張れる気がした。
なのに、私の中には別の願いもある。
家族の死を変えたい。
そのために力が欲しい。
神の力だって使うと決めたのに……。
強くなって、仲間を守れるようになりたい。
紫苑さんだけじゃない、八咫烏の皆も、大切な人たちも――もう誰も失いたくない。
想いと願いが、私の中で交差して、擦れ合って、傷つけ合って。
私は何を選ぶべきなのか、分からなくなる。
けれど、一つだけ分かることがある。
私は、知りたい。
紫苑さんが見ているのが、私なのか、それとも……天禰なのか。
どこかで切り離されたままの「過去」が、今も私たちの間に横たわっているのだとしたら――
私は、それに向き合わなければならない。
「……会いたい、天禰に」
そうつぶやいた瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
自分が、前世の自分に会いたいだなんて、奇妙な話だ。
でも、今の私は、あの人と向き合わなければ、前にも進めない。
紫苑さんの隣に立ちたいと願うのなら、過去に目を背けるわけにはいかない。
(知りたい……天禰と紫苑さんの間に何があったのか……どうして紫苑さんは、あんなに切ない瞳をするのか……)
それが、どんな真実だったとしても。
私は、知りたい。
――紫苑さんが、本当に見ている“私”を。
揺れる心に、そっと蓋をするように。
私はベッドに身を沈め、無理矢理に目を閉じた。




