第40話 夢の中で呼ばれた名前
部屋に戻った私は、天井をぼんやりと見つめながら、ベッドの上で静かに息をついていた。
あの背中が、頭から離れない。
上裸のまま、汗に濡れた髪をかき上げ、すれ違っていった紫苑さん。
会話なんて、無いに等しかったのに……声も姿も脳裏に焼きついて離れない。
(……変だな。別に何か言われたわけじゃないのに……)
水輝さん達の姿には、恥ずかしいって思いしかなかったのに……。
高校生だった頃、恋の一つや二つは経験した。でも、今感じているのは……あの時とはまるで違う⸺。
まるで、心そのものが紫苑さんを求めてるかのような気持ちが胸の奥で渦巻いてる。
(……まさか、私……)
そこまで考えて、慌てて首を振る。
駄目だ。こんな事を考えてる場合じゃない。
私はここに遊びに来たわけじゃない。
家族を、あの未来を――変えるために。
それに……。
(もしかすると、紫苑さんも一鉄さんと同じかもしれない。私を、誰かと重ねてるだけ……)
“お前を見ると、亡くなった娘を思い出すんだ”
あの言葉が胸に刺さる。
もしかして、紫苑さんも私に……誰かを重ねているのだとしたら?
(もし、それが紫苑さんの……好きな人なら……私は……)
そんな考えを、振り払うようにベッドへ潜り込み、無理矢理目を閉じる⸺。
夢を見た⸺。
ただ、漠然とこれが夢だと分かった。
――風が、吹いていた。
冷たい。けれど、不思議と懐かしい。
荒野のような、灰色に染まる大地。
どこまでも続く空は裂け、雷鳴が世界を砕いていた。
その中で、誰かが――いや、自分が、倒れている。
「……し……おん……さん……?」
声は出なかった。唇だけが動く。
けれど確かに、目の前にいる。
――銀色の髪。鋭くも哀しげな目。
膝をつき、血に濡れた自分の顔を両手で支えるその人は、紫苑さん“ではない”と、なぜか分かる気がした。
(……紫苑さん……違うのかな?……)
視線がかすむ。瞼が重い。
でも、紫苑さんは……夢の中の紫苑さんは、泣いていた。
あの人が、あの紫苑さんが、涙を……?
「なぜ……どうして、俺を庇った……天禰……」
天禰。
自分のことを、紫苑はそう呼んだ。
(……あまね……?)
同じ名前なのに、まるで私の名前じゃないような不思議な響き――けれど確かに“自分”と呼ばれたその名が、胸の奥に焼きつく。
「お前さえ生きていれば……俺は……俺は……」
紫苑さんが顔を歪める。
かつて見たことのない、酷く、脆い表情だった。
(そんな顔……しないで……)
声が届かない。もう何も言えないのに、
それでも――心が叫んでいた。
血に染まった手が、微かに動く。
紫苑さんの頬に触れたその指先に、涙の温もりが落ちた。
「……泣かないで……」
「私が……あなたを、守れたのなら……それで、いいの……」
かすれた声が、風の中へと消えていく。
――そう。私は、この人を、
守りたかったんだ。
「――っ!」
私は跳ね起きた。
荒く呼吸しながら、額に手を当てる。
夢。……だった。
けれど、あまりにも鮮明で、現実のようで。
「……あまね……? あれは、私の名前。でも……まるで、違う名前のような……」
小さく呟いたその名は、確かに夢の中で呼ばれていたもの。
でも、同じ名前なのに、でも知らない名前……。
夢の中で呼ばれた名前は、凄く懐かしく、ストンっと私の中に落ちてきた⸺。
ベッドの隣にはある時計を見ると、時刻はまだ朝には程遠い、夜中だった。
(あれは……私? でも……なんで紫苑さんが……でも……似ていて似てない…似ていて)
胸の奥が、妙に熱い。
あの夢の中で、泣いていた紫苑さんの姿が、頭から離れない。
(……まさか……そんなわけ無いよね……)
不安が胸をかすめた。
心に芽生えかけていた想いを、冷たい風がさらっていく。
――そのときだった。
「ウゥウウウウゥ――――ッ!!」
突然、けたたましい警報が鳴り響いた。
部屋中の灯が点滅し、部屋中に紫苑さんの声が響く⸺。
『全員、至急会議室に集合だ……急げ』
(何かあったの?……今は、考えてる場合じゃない)
夢の余韻を、無理やり振り払うように。
私は、戦闘服に着替え、刀を取り走り出した。




