第3話 八咫烏という名の影
「……歩けるか?」
紫苑の低い声に促され、私は頷いて立ち上がる。
さっきまで屋上にいたのに、今は違う……黒と金の重厚な廊下。
不思議な文様が刻まれた扉がいくつも並び、異様な静けさが漂っていた。
「ここは……?」
「八咫烏の拠点だ」
「やたがらす……?」
一度だけ聞いたことはあるけれど、耳慣れない言葉に首を傾げる。
紫苑は無表情のまま、廊下を歩き出した。
「……そう言えばまだ、名前を聞いてなかったな……」
「え?あ、私は神楽天音……です……」
「そうか……」
それだけ言うと紫苑さんはまた、口を閉ざした。
「あの……八咫烏って……何なんですか?」
私の問いに、紫苑は立ち止まる。
振り返った彼の瞳には、月光のように淡い光が宿っていた。
「俺たちは……政府直属の極秘特殊部隊だ。
ただ、その存在自体が国家レベルの極秘で、一般人には認識されない。」
「……認識されない……?」
意味がわからず問い返すと、紫苑は小さく頷いた。
「結界によって感知を遮断している。
例外は……お前のように神に選ばれた者だけだ」
「神に……選ばれた……?」
胸の奥がざわめく。
神に選ばれた……私が……?
「……でも……どうして私が……」
声が震える⸺。
紫苑はゆっくりと歩み寄り、私の手の甲に触れた。
黒い鳥のような紋章が微かに光る。
「お前には……力がある。
これから、その力を覚醒させ、使いこなす。
そうすれば……失ったものを取り戻せるかもしれない。」
「……取り戻す……」
父も、母も、兄も、妹も……。
涙が滲む。
「……でも……私……誰からも認識されないなんて……それは……」
紫苑の瞳に、わずかな哀しみが揺れた。
「八咫烏になるとは、そういうことだ。
だが……それでも、選ぶのはお前自身だ」
震える膝に力を込める。
(……取り戻したい……この世界で、生きる理由が欲しい……)
「……分かりました……私……やります……」
その瞬間、紫苑の瞳がわずかに和らいだ気がした。
「……泣くな……お前には、まだやるべきことがある」
淡い光が手の甲を包み、黒い鳥の紋章が揺らめくように輝いた。
(……ここから……私の世界が変わる……)
震える心を抱えながら、私は紫苑の背中を追った……。