第36話 紫苑さんの瞳に映るのは誰?
八咫烏の皆が病室を出ていった後、静寂が戻った。
紫苑さんは窓際に立ったまま、外を眺めている。
私は、胸の奥に渦巻く重い塊をどうしても吐き出したくて、声を絞り出した。
「……紫苑さん……」
紫苑さんがこちらを振り返る。
「……あの……前に……言いましたよね……」
喉が震える。
「……『あの力は使うな』って……」
紫苑さんの瞳が、僅かに揺れた気がした。
私は必死で言葉を繋ぐ。
「……初任務の時……あの力を使ったとき……怖かった……」
息が乱れる。
「……自分が……自分じゃなくなるみたいで……頭の奥に私の知らない誰かが居るような気がして……」
あのときの感覚が、喉の奥を冷たく撫でる。
「……でも……この力で……家族を取り戻せるなら……皆を守れるなら……この力で皆を守りたい……教えてください……この力について」
涙が滲む⸺。
「……正直……怖いんです……。私……私じゃなくなっちゃいそうで……この力が使いこなせるようのなった時……私自身が消えてしまいそうで……」
震える声が、病室の静けさに吸い込まれる。
紫苑さんは、ゆっくりと歩み寄ってきた。
そして、私の髪をそっと撫でる。
ひんやりとした指先が、優しい。
「……恐怖からそう感じるだけだ、悪い夢を見たから不安定になってるだけだ……安心しろ……」
低く落ち着いた声が頭上から降ってくる。
「……本当に……?」
私は顔を上げて、紫苑さんの瞳を覗き込む。
夜のように深い瞳。その奥に、一瞬だけ痛みが滲んだ気がした。
「……ああ。」
紫苑さんの指先が、私の頬を優しく撫でる。
その手の温もりに、胸がじんわりと熱くなる。
──でも。
(……紫苑さん……紫苑さんは……誰を見てますか?……)
そう感じた瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
私を見つめる紫苑さんの瞳には、私じゃない“誰か”が映っている気がした。
でも、それを問いただす勇気はなくて。
私はただ、紫苑さんの手の温もりに縋るように、瞳を閉じた。
(……私……どうなっちゃうんだろう……)
そんな不安が、胸の奥で静かに蠢いていた。




