妖火十文字
みよの小さな背について歩きつつ、宗介は戸惑っている。
名輪家門前でのやり取りののち、彼女から若干ながら信頼を寄せられたように感じた。
が、その感触は霧散してしまった。
今のみよは仕草の端々から、宗介との会話を拒む気配を滲ませている。口調は固く、表情が暗い。そわそわと目線は落ち着かず、声をかければ反応は鈍く、遅く、ぎこちない。
もしや、と宗介は思い至る。
あれだけの見る目があるのなら、耳もよい可能性は十分にある。客間での会話を漏れ聞かれたのではなかろうか。だとすれば、とんだしくじりだ。
「どう思う?」
愛刀の鍔を撫でつつ、みよには届かぬ小声で囁く。
しばしの間ののち推測が返り、宗介はそれに得心して頷いた。
――なるほど、隠し事か。
口には出さず、みよを眺める。
指摘を受けてとっくり見れば、少女の挙措には呆然自失の色こそが強い。
おそらく当主から、口を噤むよう命じられたのだ。何についてかと言えば、もちろん蛇に関してだ。
あの恨みの姿の正体について、名輪家当主は真実を知り、その上で秘匿している。
ならばみよの、まるで死体を負わされたかのような様子も納得というものだ。
おそらく彼女は脅しつけられた。小さな少女にとって大恩のある旦那から、村の権力者からの脅迫は、空恐ろしいものだったろう。
だがそのように緘口令を敷きながら、なおも彼女を宗介と関わらせるのは何ゆえか。
憶測だが五右衛門は、宗介がことを叶う限り内々に秘したいのだろう。
突然現れた得体の知れない浪人を頼るほどに追い詰められながら、自分が追い詰められているという事実を周囲に悟られたくはないのだ。
また、まだ稚い少女を折衝役とすることで、宗介の同情を得やすくする目論見もあるだろうか。
いずれにせよ、身内にすら弱みを曝せない性質、それこそが弱さであろうと宗介は思う。
心を許せる相手がないのは寂しいことだと、彼は無意識に自らの総髪へ触れた。
「旦那さま、巾木さまをご案内しました」
障子向こうへ、みよが恐る恐る呼びかける。
「入れ」
間髪入れずに返ったのは、横柄な応えだった。
宗介が連れられたのは母屋ではなく、中庭にある六畳ほどの平屋である。
名輪家当主、名輪五右衛門は昨年の暮れから、この離れに籠もるのだという。まるで屋上の蛇から、ただひとり逃れんとするように。
「はよう入れ」
急かす声に、みよは膝を突き、横合いから障子を開ける。
途端、室内からどろりと粘こい空気が流れ出た。
火鉢による暖気ではない。もっと異質な、形がないのに触れられそうな、それは半透明にぶよつく瘴気だった。
不快げに眉を寄せて宗介は半歩下がり、そのまま離れの内を覗き見る。
まず目に入ったのは、冬だというのにしっかと吊られた蚊帳だった。その裾には家財が重しとして乗せられている。如何なるものも入り込めないよう、隙間を潰す意図らしかった。家内にもうひとつ砦を築き守りを固めていた。そのような印象がある。
網目を透かし、次いで見えたのは、でっぷりと肥えた男だ。
酒光りした肌の、五十がらみの男だった。
むっと酒気が香っている。寝具の上に胡坐をかいて、日のあるうちから手酌を決め込んでいたものらしい。
「何をしている! 入って障子を閉めろ!」
「閉めなくていい」
怒声にびくりとするみよを、宗介が制止した。
「でも……」
怯え顔で少女は、主と宗介、どちらに従うべきか逡巡する。
その迷いすら許せなかったのだろう。五右衛門が猪口を投じた。酒器は蚊帳に阻まれてみよへは届かず、からからと床に転げる。そのさまが一層に、五右衛門の癇癪を駆り立てた。
「わしの言うことが」
「やかましいな。少し黙れ」
荒げようとした声を遮り、じろりと宗介が睨める。
人の好さげな相貌の、目だけが鋭く五右衛門を射た。その圧は、傲慢な舌を縫い留めるのに十二分だった。
「俺がいる。そう怯えなくても、蛇は入って来きやしない。それと――」
言いながら、障子へと手を伸ばす。
そこには紙製の札が、幾枚となく貼りたくられていた。見れば、いずれも蛇除けの守り札である。
うち一枚を、無造作に宗介はつまんで剥がした。
「こんなものじゃあ、もう防げない」
肩越しに振り返って、名輪家屋上の蛇を仰ぐ。
妖魅の視線がこの離れにじっと注ぐと宗介は知っている。当然、それが獲物を狙う目であることも。
「おま、おまえッ!」
が、現状のわからぬ五右衛門にとって宗介の行動は、ただひたすらに傍若無人の振る舞いだ。青筋を立てて立ち上がり、蚊帳を蹴散らし躍り出る。主の癇癖を知るみよが、ひっ、と短い悲鳴を上げた。頭を抱えて蹲る。
蚊帳を払い、愚昧な猪の如く掴みかからんとする五右衛門へ、宗介は目を戻した。その赤ら顔へ向け、ふわりと指間の札を投じる。
続けて、わずかに膝を沈めた。いつとも知れぬうちに左手が鞘を、右手が柄を握っている。それは恐ろしく滑らかな、精妙のあまり緩慢とすら見える抜刀の仕草だった。
――斬られる。
酔った頭にすら、そう直感させる美しさである。
慌てて下がろうとした五右衛門が、蹈鞴を踏んで後ろへ転げた。もちろん宗介には、端から彼を斬るつもりなどない。
「悪い。少し、頼む」
詫びを呟きながら、宗介はすいと踏み込む。
抜く手も見せぬ横薙ぎが、紫電の如く閃いた。疾走した刀は遅滞なく頭上へと翻り、弓手が柄に合流する。両手に握り直した愛刀を、宗介はそのまま鋭く畳の寸前まで斬り下ろした。
まだ宙を舞っていた札が、それで四つに斬られた。中空で薄紙を断ち切るほどの剣速だった。
更に、直後。
斬撃の軌跡が、青白く炎を上げた。余波を受けた札が一瞬に燃え尽き、燃えがらとなって周りに舞い散る。
妖火が十文字を描くと同時に、ごう、と咆哮めいた轟きを大気が発した。
離れの内で、風が猛烈に渦を巻く。
凄まじい風圧に五右衛門は悲鳴を上げて転げ回り、みよは身を低くして障子に縋る。家屋そのものを内から噛み砕かんとするかのように、颶風はますます勢いを増して荒れ狂う。
が、その風巻の只中で、ちん、と澄んだ鍔鳴りがした。
瞬間、渦風は逃げ散るように天へと地へと吹き抜けて、それきりぴたりと静かになった。
みよと五右衛門が恐る恐る顔を上げれば、刀を納めた宗介がちらりと笑う。
「な、何をした……?」
「縁を斬った」
柄頭に手を乗せて、何でもないことのように青年は応じる。
言葉の意味は不明だが、彼の太刀行きが何かを引き起こしたのは明らかだった。
ぺたぺたと太い指で、己の目鼻を撫でまわし、五右衛門は唸る。
近頃の自分に常にまとわりついていた、鈍く澱んだ気配。不快な汚泥のようにまとわりついて呼吸を妨げる大気の感触が、綺麗さっぱり消え失せている。
救いを目の当たりにしたかのように、五右衛門は四つん這いのまま宗介を見上げた。
「わしは、助かるのか」
「一時凌ぎだ。長くは続かない」
そんな五右衛門の真向かいへ、宗介はすっと片膝を突く。
「俺は易者じゃない。今見えるものしか見えない。だから助かりたいんなら、このことの心当たりを、あんたの昔を、洗いざらい話してもらう」
正面から瞳を覗き、どこか冷たく念押しをした。
「隠しごとはなしだ。すればそのぶん、始末が難しくなるぞ」




