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おから村正  作者: 鵜狩三善
ひもじヶ原雪追分(ひもじがはらゆきのおいわけ)
1/18

土中の歌

 どさり、どさりと音がする。

 それは穴に土を放り込む音。私を埋葬する音だ。


 どさり、どさり、どさり。

 音が繰り返されるたび、私の体は(うず)もれていく。

 けれど降りかかる土の衝撃も、降り積もる土の重みも、もう少しも感じなかった。


 感覚の消失は、土に対するものだけではない。

 痛みと、それに伴う苦しみも同じくだ。

 つい先ほどまで私の体は、痛苦に彩られていた。

 それは施された暴行の痕跡だった。蹴られ、殴られ、折られ、締められ、思うさま凌辱された。全身余すところなく暴力に浸され、私は身も世もなく泣きじゃくり、悲鳴を上げた。


 痛みはまず、火のような温度としてやってくる。

 最初の衝撃が過ぎて体が傷を理解すると、それはじわりと鈍いものへと変わる。そうして肉へ、骨へ病のように取り憑いて、長々しく体を苛むのだ。

 損傷と治癒の過程は、子供の頃から幾度となくこの身に受けてきた体験である。最早、厄介な隣人のようなものだ。

 だから理解していた。

 それらは苦しい一時を過ぎてしまえば忘れられるものだと。後には何も残らない。残さないと。

 けれど、それは誤りだった。

 私の理解は相手の手加減を、体面や良心の呵責(かしゃく)といったものを前提にしたものだったのだ。


 今回の折檻はこれまでとは違った。その激しさは、私を生かすつもりを含まないようだった。

 無傷の箇所より痛みの棲み処が多くなり、そうして今や私のあらゆる感覚は、鈍く虚ろに遠ざかりっていた。

 五感が生の証しであるというなら、私はまさしく死に瀕している。不可逆の道を歩まされている。

 まだぼんやりと生き残る耳だけが、ただ、音と声とを聞き取るばかりだ。


「若旦那は来ねぇよ」


 どさり。

 土をかけながら、誰かが言った。


「初めての女の肌身に血道を上げちまっただけだ。五右衛門様に叱られて、今頃は昇った血も冷え切ったろう」

「いい体だったからな。(たぶら)かされるのもわからなかねぇ」


 どさり。

 別の誰かが口を開く。


「ま、悪く思うなよ。全てはおたき様のご指図だ」


 どさり。

 その声には聞き覚えがあった。どうせ始末するのだからと、私を嬲ることを提案した男の声だ。

 名分が立てば、あの女の許しがあれば、何をしても構わないと信じるらしい。その信仰が、私をこの穴へ落とし込んだ。


「お前は若旦那を待たずにひとりで逃げた。ここでおれたちは誰も見つけられなかった。そういうことになる」


 乾いた木の折れる音。次いで、土とは違うものが投げ込まれた。

 見えないが、壊されたのは私の三味線だろうと思った。

 共に葬るのは、せめての手向(たむ)けのつもりだろうか。

 わずかでも慈悲心があるつもりなら、私を放っておいてくれればよかった。そうすれば、その言葉通りになっていたのに。私はひとりで、この村から消えたのに。


 やっぱり、と、薄れゆく意識の中で私は思う。

 人なんて信じるのじゃなかった。

 うかうかと心を許した、己の愚かさが憎らしい。

 私の悲嘆を簡単に笑う、この男たちが(おぞ)ましい。

 そして誰より何よりも、ただあの人が恨めしい。


 ――あの人さえいなければ。あの人さえいなければ。


 繰り返し、そう思う。

 あの人さえいなければ、私の心は死んだままでいられた。これ以上の痛みなど覚えなかった。ちゃんと諦めたままでいられた。

 だのに。

 夢を見せて、希望を与えて。裏切って、取り上げて。

 一度蘇らせたそれを、どうしてまた殺すのだ。

 あなたにとっては、やはりただの遊びなのか。

 

 ただ煩悶(はんもん)するうち、土の音、話し声すらもが消え失せる。

 すっかり私は埋葬された。

 何も見えず、何ひとつ聞こえず、もう何の感覚もなく。

 ただ昏黒に閉じたはず私の知覚が、ふと不可思議な響きを捉える。


 ――なぁむあみだぶつ。


 音ではなく、しかし確かに聞こえるそれは、奇妙に間延びした念仏だった。

 だが果たして、土中(つちなか)に経を()す僧などあろうか。


 ――なぁむあみだぶつ。


 繰り返し続く、声ならぬ声。

 耳を傾けるうち、周囲に更なる気配が湧いた。

 うねうねと身をくねらせながら、それらは緩慢に私へとにじり寄る。やがて、まだ温度の残る私の体に到達すると、身の内へずるりと潜り込んだ。

 物理的な侵入ではない。

 けれど明確に何かが、私の内側を侵食した。そう認識すると同時に、飢え乾いた怒りが身を焦がす。


 ――憎い。

 ――ひもじい。

 ――恨めしい。


 死にゆく身に、凄まじい想念が焼く。

 見ないふりで眠らせていたどす黒いものが、心の内で鎌首をもたげる。毒のような瞋恚(しんい)が、ぞろぞろと蜷局(とぐろ)を巻く。

 這い寄る気配は、ひとつきりで終わらなかった。

 それらは次々に爬行(はこう)して、私の中へと入り込む。そのたびに怨嗟(えんさ)の火は強まって、骨髄をちろちろと炙る。

 取り込み、取り込まれ、やがてひとつの渦に成り果てる。


 ――ああ、憎らしい。恨めしい。


 許せるものか。あの家を、決して許してなどやるものか。

 それが自分だけの感情ではないとはわかっていた。大波に流されるように、ただ押し流されている自覚はあった。

 けれどもう、どうでもよかった。

 心が疲れ果てていた。抗うことに意味などないと、私が私であることに価値などないと、そう思った。


 ――ひもじい、ひもじい、ひもじいよぅ。


 私の中で彼らが歌う。

 土の中で私も(うた)う。


 ――なぁむあみだぶつ。


 我々の骸を(しとね)に、幸福な夢なぞ見させるものか。

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