追撃
鳴海城からほど近くを流れる米野木川を挟んで、武田軍2万5000と織田軍5万が衝突した。
矢弾と共に、川向こうから織田の槍兵が迫ってくる。
「怯むな! かかれぇ!」
迫りくる織田軍を相手に、神保長職が指揮をとる。
尾張の兵は弱兵と聞いたが、想像以上の粘りを見せてくる。
応戦していた神保軍であったが、次第に劣勢に追い込まれていた。
神保兵が一人、また一人と倒れていく。
やがて、武田軍の右翼と左翼が撤退を始めると、中央の神保軍だけが取り残される形となった。
「待て待て待て……。儂を置いて勝手に退くなっ……!」
武田軍の右翼と左翼を見て、神保長職は慌てて退却を始めた。
しかし、背後からは織田軍が果敢に攻め寄せてくる。
こうなっては、自分の命が最優先だ。
「退くぞ! 武田軍の元へ、死ぬ気で逃げるのじゃ!」
兵たちに命令しながら、神保長職は一目散に逃走するのだった。
敗走する神保軍を、最前線にて蹴散らす武将がいた。
「武田軍、恐るるに足らず!」
自らも槍を振るい、柴田勝家が戦場を駆け抜ける。
「かかれ柴田の面目躍如よ! 武田軍、一人残らず討ちとってくれよう!」
敗走する神保軍の背中を追って、柴田勝家率いる織田軍が追撃を始めた。
この報告は、すぐさま本陣の織田信長の元に届けられた。
武田軍潰走の報告に、織田家臣たちが沸き立つ。
「やりましたな!」
「さすがは柴田殿……!」
「殿、我らも追撃を!」
「いや、待て……」
沸き立つ家臣たちを信長が制した。
どうにもおかしい。
中央の軍が消耗しているとはいえ、こうもあっさりと退却を始めるものなのだろうか?
武田義信とて、今回の戦が乾坤一擲のものであることは百も承知のはず。
だというのに、武田軍は無策で織田軍の攻撃を迎え撃ち、勝家の攻めで陣形を崩して敗走してしまった。
これではまるで、追撃してくれと言わんばかりではないか。
そこまで考えて、不意に悪寒が走った。
まさか、武田義信の狙いは──
「勝家に知らせろ。深追いはするな、と。連中、伏兵を潜ませているやもしれぬ」
その時だった。
川を渡り武田軍に追撃せんとする織田軍の眼前を、赤い塊が駆け抜けていった。
「あれは……」
「赤備え……」
飯富虎昌率いる赤備えが織田軍を真一文字に駆け抜けると、追撃を始めていた織田軍が真っ二つに切り裂かれた。
(これは……まずい……)
またたく間に先行した織田軍の退路を絶たれ、信長の背中に冷や汗が伝うのだった。