西の国ディージュ
ディージュはどんよりと曇っていた。
雨が降りそうで降らず、雲が晴れて太陽が顔を出すこともない。気温は夏のように暑くはなく、冬のように寒くもない。かと言って、春や秋のように気持ちのいい空気ではないのだ。
北の国グリーネから離れると寒さがどんどんやわらいできたので、ほっとしていたフォーリアだが、これはこれですっきりしない。
雨がずっと降っている東のゼンドリンと違い、湿度は低い。それならもうちょっと気持ちよく感じそうだが、とてもそんな気分になれなかった。
まだ昼間にもかかわらず薄暗い、この空のせいだ。
「気温だけなら、文句はないんだけどなぁ。キュバスよりも身体はずっと楽だ」
気温の高い南の国から来たレラートも、低くたれこめた雲をながめてため息をついた。
「じき夕焼け空が見えてもいい時間なんだけどね。私の家から少し歩いた所に丘があって、そこから眺める夕焼けがすっごくきれいなのよ。小さい頃はよく友達と眺めてたわ」
魔法使いの修行に没頭するようになって、そんな光景も忘れていた。今回のことで見られなくなった、ということにふと気付いた時、大切なものを置き去りにしてきたせいだ、と思ってしまった。
でも違う、と思い直す。自分を中心に世界が回っている訳ではないのだ。サーニャが魔法使いの勉強をしていたら夕焼けが見られなくなった、なんてあるはずがない。何かがおかしいのだ。
おかしくなったなら、それには原因が必ずある。だったら、その原因を突き止めなければ。あの夕焼けを取り戻せたら、全てが元に戻るような気がする。
誰も何も教えてくれない。もう待っていられないから、自分で行動する。
サーニャがパドラバの島へ向かったのは、そんな気持ちからだ。竜がいると頭から信じている訳ではなかったが、何か答えにつながるものがここで見付かるのではないかと思った。
こうして夕焼けを取り戻すために一歩を踏み出せたのだから、その考えは間違っていなかったのだ。
「とにかく、今日はうちに泊まって。いきなり飛び込んでも、すぐに捕まっちゃったら意味がないものね。まずは情報を共有しておかないと」
言われて向かったサーニャの家は、かなり裕福と言われるであろう大きさ。館と言っても差し支えなさそうだ。
口にはできないが、お嬢様という雰囲気がサーニャに感じられなかったので、三人は少し……いや、かなり驚いた。
「魔法使いの修行、サーニャには厳しかったんじゃないか?」
「あら、修行は誰にとっても厳しいものなんじゃない?」
お嬢様にはつらかったのでは、と思って尋ねたレラートだったが、あっさり言い返された。
「以前、うちや近所によく魔物が出たの。小さいけど、そいつらのせいで飼っていた犬や猫が殺されたり、子どもが危ない目に遭ったりしたわ。魔法使いを呼んで、退治してもらって結界も張ってもらうんだけど、時間が経つと安心して気が緩むでしょ。それに結界の力も弱まってくるしね。その頃を見計らったみたいに、また現れるのよ。よく調べてみたら、近くに魔物を呼び寄せる石があったらしいのね。呼んだ魔法使いは三流だったみたいで、それに気付かないまま結界だけを張ってたの」
その頃のサーニャは事情などわからなかったが、魔法使いをいちいち呼んでこんなことをしてもらっていては、きっといたちごっこが続くだけ。助けが間に合わないことだって、そのうちあるかも知れない。
だったら、いっそ私が魔法使いになって家族や周りの人達を魔物から守る。
そう考えて、サーニャはこの道を選んだのだ。
「うちで飼ってた犬達の敵討ちっていうのも、動機の一つね」
話しながら家へ入るまでに、庭で遊んでいた三匹の長毛の大型犬が尻尾を振りながらサーニャへ駆け寄って来た。客人にも尻尾を振って、愛想がいい。
だが、ムウに気付くと、一匹が低く唸り声をあげた。それに気付いた他の犬も、同じように低く唸る。
「あらら、嫌われましたか」
ムウはちょっと困ったような表情になる。フォーリアの顔辺りをふわふわと浮いているので、不審に思ったのだろう。
「こら、この子は私達の大切な助っ人なのよ。唸らないの」
サーニャがたしなめ、犬達はおとなしくなった。しかし、その目はどこか警戒している。
「家の中には魔獣や妖精を呼んだりしないから、見慣れないのよ。ごめんなさい、ムウ」
「いえいえ、気にしないでください。人や動物から見れば、得体の知れない姿ですから」
「あら、あたしはムウの丸っこいところ、とてもかわいいと思うわ」
「そうですか? ありがとうございます」
フォーリアにほめられ、ムウはにっこり笑った。
サーニャに招き入れられ、彼女の家族に挨拶した後、彼らは客間へ入る。
早速、作戦会議だ。
「名前だけはぼくも聞いたことがある。ディージュのアズラと言えば、博識の魔法使いだって。魔物退治うんぬんより、どちらかと言えば新しい魔法の研究を熱心にしている人じゃなかった?」
「セルってば、よく知ってるわね」
他国の魔法使いを知っているセルロレックに、サーニャは素直に感心する。フォーリア達が知っているのは、せいぜい各国の魔法使い長くらいだ。それも名前だけで、どういう活動を中心にしているかなんて全然わからない。
タッフードから聞いた「仲間」の一人は、アズラという魔法使いだ。ディージュでは実力者として、その名を連ねる。この辺りはタッフードと同じだ。
魔法使いが関わる催し物には必ずと言っていい程呼ばれるので、魔法使いになりたてのサーニャでもその名前と顔を知っている。
サーニャのイメージでは、アズラは魔法使いと言うよりは学者と呼ばれる方が似合いそうな風貌だった。銀縁の眼鏡をかけていたから、余計にそう感じたのだろう。
書物を読む時ならともかく、常に眼鏡を愛用する魔法使いはあまりいない。魔物と対峙したりする時に魔法を使い、衝撃で割れたりしたら危険だからだ。
落として急に視界が悪くなり、そのために隙を突かれてしまうことだってある。そのため、現場に赴く魔法使いは視力がよくなくてもまず眼鏡をかけない。
視力が回復する魔法の研究はずいぶん前からされている。だが、まだ完全ではなく、一時しのぎ程度でしかない。
やはりアズラの場合、研究という屋内作業が主な活動だから、いつも眼鏡なのだろう。
「研究者か。竜の力が手に入れば、新しい魔法が研究できるからぜひほしい! なーんて思ったんじゃないか?」
「竜の力を研究しようと思ったら、何回生まれ変わっても追い付かないんじゃないかなぁ。きっと、調べても調べても、次々に新しいことが出て来ると思う。竜の力だけじゃなく、竜そのものだって十分に調べがいがあるよね」
「竜も研究対象だったでしょうけれど、実際は消そうとしている訳でしょ。竜がいるとゆっくり研究できないと思ったのかもね。どっちにしても、自分の好奇心を満足させるために世間を騒がすってどうなのっ」
「サーニャ、そう興奮しないで。きみはアズラの館がある場所は知ってるのかい?」
コーキという街の中心に城があり、アズラの館もその近くにある。有名どころの魔法使いは、だいたい似たような場所に居を構えているようだ。
もちろん、静かな郊外に暮らす魔法使いもいるが、色々と情報が手に入るということでアズラは街に住んでいる。
「ここからだと、遠くはないけど近くもないわね。だけど、十分歩いて行ける距離よ。問題はこの館のどこに鍵があるかよね」
「それはムウが探り出してくれるのよね?」
「はいはーい。私におまかせください」
ソファに座る彼らよりやや高い位置でふわふわしているムウは、単純な点と線の顔でにっこりと笑顔をつくる。
「タッフード様もおっしゃったように、封印の鍵は何か別の物に形を変えられているでしょう。それを私は空気……気配? とにかく、感覚で感じ取れます。感じ取れた場所をみな様にお知らせし、タッフード様からお預かりした鍵を本物と同じ形にしますので、それとすり替えてください」
本物の鍵を見付けること、タッフードから預かったにせの鍵を変形させることがムウの仕事であり、それをすり替えるのがフォーリア達の仕事だ。
「なぁ、ムウ。地下倉庫の鍵も、同じように形が変えられてるのか?」
「さぁ、それは何とも。ですが、こちらの見た目は普通の鍵と同じですから、案外知らん顔で鍵束の中に紛れているかも知れませんよ。青白く見えるのは、魔法使いだけですからね」
木の葉を隠すなら森の中、鍵を隠すなら鍵束の中。
封印の鍵は白く光る小さな珠だが、倉庫の鍵は魔法がかかっていても形だけなら普通の鍵。わざわざ変化させなくても隠す場所には困らない。まさか人を閉じ込めている倉庫の鍵だなんて、誰も思わないだろう。
「鍵をすり替えるって作戦を立てるまではいいんだけど……あたし達がどうやってすり替えるかよね。だいたい、魔法使いの館の中へ入り込めるかなぁ」
「うん、それが一つ目の問題だね。泥棒のマネゴトなんてしたことがないから」
まさかあるなんて言わないよね? とセルロレックが念のために確認した。答えは全員「なし」で、お互いほっとする。
「こんな時間から向かっても、魔法使いの家なら結界が張ってあったりしそうだ。かと言って、まさか昼間に堂々と入り込めないよなぁ……」
知らない家に忍び込んでも、暗い中ではどこかでつまづいてしまい、すぐに見付かってしまいそうだ。
きっと「大泥棒」と呼ばれる輩は、それまでにあれこれ調べるのだろう。いくらサーニャがディージュの出身で他の三人よりアズラのことを知っていても、家の間取りまでは無理。
「では、やはり昼間に向かう方がよさそうですね」
「ムウ、昼間に行っても忍び込むのは難しいわよ。と言うより、無理っぽいわ。あたしが見付かったら、子どものこそ泥って言われそう」
「忍び込もうとするから、難しいのです。さっきおっしゃってたように、堂々と入ればよろしいではないですか」
「堂々と入って、あっさり捕まるなんて冗談じゃないぞ。その時点で俺達の魔法使い人生は終わりだ」
「あたし、魔法使いになったところなのに」
「私だってそうよ。この中では一番経験が浅いんだから」
「泥棒として入ろうとするから、捕まるのです。別の形……たとえば使用人の顔で入ってはいかがですか?」
「使用人……」
四人が顔を見合わせる。
「アズラの館も、タッフードさんの所みたいな感じよ。人数は知らないけど、使用人はいると思うわ」
使用人の数が少なければ、すぐバレかねないのでちょっとやりにくい。だが、それなりの人数がいれば、もし見咎めらたとしても「新しく入った」とゴマかすこともできる……だろうか。
「女性陣はうまく紛れ込めそうだけど、ぼく達はどうかな。全く男手がないとは言わないだろうけど、そう頻繁に力仕事が家の中にあるとも思えない。まさか執事にはなれないしね」
「下手に料理人見習いです、なんて言ったりしたら、厨房に放り込まれて出られなくなりそうだよな」
「そうですねぇ。では、庭師見習いなんてどうです? 今日は頼んでない、なんて言われたら、まだいじらせてもらえないのでここの庭がどんなものか掃除しがてら見に来た、なんて言ってみるとか。早い話が掃除をしに来ただけのようなものですから、それならって入れてくれますよ、きっと」
怪しまれて入れてくれなければ、そこはちょっと魔法を使えばいい、とムウは言う。
「軽い催眠くらいなら、みな様もできますでしょう? お金や物を盗む訳ではないのです。鍵を取り戻すだけなんですから、罪悪感を覚えることはありませんよ。むしろ、覚えなければいけないのは、あちらの方でしょう?」
普通の人達に自分達の都合で魔法をかけるのは、とても申し訳なく思えてしまう。魔法はあくまでも魔物、もしくは魔法で攻撃をしかけてきた魔法使いに対して使うものだ。
余程へんくつな魔法使いに師事しない限り、そういうことを修行中に何度も言われる。
でも、ムウが言うように、悪いことをするために使う魔法じゃない。ここで失敗すれば、リリュースは助からないかも知れないし、タッフードの妻がどういう仕打ちを受けるかわからないのだ。
それに、リリュースについては、時間があまりない。のんびり構えていられる余裕はなかった。
「服装については、私が何とかできます。みな様がお休みになってる間に、鍵のある場所を確認しておきますよ」
「助かるわ、ムウ。よかったぁ、頼もしい助っ人よね。ムウがいなかったら、あたし達、ここでずっと頭を悩ませてたかも」
「いえいえ。私がお役に立てるのは、そこまで。あとはみな様にかかっていますからね」
ふわふわ浮いているムウに言われ、実際に行動するのはまだ先なのに、四人は急に緊張してきた。