北の国グリーネ
リリュースは、その魔法使い達は封印の鍵となる物を持っている、と話していた。北の方から一番強い邪心を感じた、とも。
素直に考えれば、北にいた魔法使いが一番強く力を欲していたと考えられる。だとすれば、リーダー格の魔法使いかも知れない。封印の鍵についても、一番重要な物を持っているのではないか。
四人の魔法使い達はそう考え、まずは北の国グリーネへ向かうことにした。
フォーリアのようにそれぞれが魔獣の力を借りてパドラバの島へ来ていたので、こうして移動する時もまた魔獣の力を借りることになる。
レラートは燃え盛る赤い炎の狼、サーニャも狼だが目が痛くなりそうな程に白い毛並みを持つ。そして、セルロレックは黒い毛並みが艶やかな馬だ。どれも人間を乗せて空を飛ぶことができる。
どういった地形の場所へ赴くことになるかわからない時は、こうして飛行できる魔獣の力がとてもありがたい。
「まずはぼくの家へ向かおう。みんな、その格好だと……特にレラートの服だと今のグリーネを歩くのは辛いと思うよ」
冷夏を通り越して初冬のような気温のグリーネでは、レラートのような薄手の服だと風邪をひいてしまう。フォーリアやサーニャもレラート程ではないが、生地そのものは薄い。
「あたし、寒いの苦手」
「フォーリアは暖炉の前で丸まっていそうだよな」
「ねこと一緒になって丸まってるんじゃないかしらね」
「え、どうして知ってるの」
サーニャとレラートは軽くからかったつもりだが、あっさり肯定されてしまった。
「フォーリアって、期待を裏切る時と期待通りの時のギャップが大きいよね」
聞いていたセルロレックが笑いながら言い、フォーリアは不思議そうに「そう?」と首を傾げるのだった。
グリーネの国へ近付くにつれ、肌に当たる風が冷たくなってくる。この大陸は国によって多少の温度差はあるが、現在の季節は夏に入った頃のはず。
それなのに、頬を通り過ぎる風の冷たさは秋が終わる頃のものだ。
「本当に寒いな……」
四人の中で一番薄着のレラートがつぶやく。南の国出身ということもあり、寒いのはどちらかと言えば苦手だ。フォーリアのことをからかっている場合じゃない。
セルロレックの家は国の南側に位置していたが、着く頃にはむき出しの腕がすっかり冷たくなっていたのであまり慰めにはならなかった。
セルロレックの家には彼の母親がいて、突然訪れた初対面の三人を見ると驚いた様子だったが、お互い軽く挨拶をしただけ。何か聞きたそうな顔をしていたが、セルロレックが「仕事の仲間なんだ」と言うと、開きかけた口を閉じた。
魔法使いの息子が「仕事の」と言うからには、この三人も魔法使いだということはわかる。魔法使いの仕事には極秘任務もあるので、彼が仕事だと言えば母親も聞くのを控えるのだ。話してもいい頃が来て、話しても問題ない部分を息子が伝えてくれるまでは。
セルロレックは三人を客間へ通し、自分の部屋から長袖シャツと薄いマントを持って来てレラートに貸した。
「これで寒さはしのげるよ。サイズはそんなに違わないだろ?」
「ああ。……袖がちと長いけどな」
セルロレックの目の辺りにレラートの頭のてっぺんがくる。その分、わずかながらシャツの所々が微妙に余る。レラートも決して低い方ではないが、そういう小さな点でちょっと悔しい。
「二人は長袖を着ているから、マントだけで何とかなるかな。妹達のを借りたんだけど」
茶系のマントをフォーリアとサーニャへ渡す。セルロレックには十三歳と十四歳の妹がいて、それぞれから借りて来たのだ。後で二人から絶対に礼を請求されるとわかっているが、この際仕方がない。
「あったかーい。適度に乾いていて暖かいって、やっぱりいいよねぇ」
ここしばらく湿った服ばかりだったフォーリアには、ちゃんと乾いた衣装というだけで何だか嬉しい。ちなみに、彼女が借りたマントは十三歳の妹の物。
「私達の服についてはこれでクリアね。助かったわ、セル。ありがとう。で、リリュースが話していた魔法使いに心当たりはある?」
「国で上位の魔法使いと言えば、頭に浮かぶ人はだいたい決まってくるよ」
セルロレックは、思い浮かぶ魔法使いの名前を数人挙げた。
「怪しそうなのはどいつだ?」
「それは……何とも。竜に何かしそうな人、なんてぼくには思えないよ。みんな、それぞれに立派な人だから」
しかし、そういった魔法使いの中によからぬことを考え、あまつさえ実行に移した者がいるのだ。
それはわかっているが、セルロレックとしては誰がそうとは言い切れない。断言できるような決め手がないのだ。
そもそも、魔法使いになってからまだおよそ三年。こうして名前を出したものの、その人物の誰ともこれまで直接会ったことがないのだ。どういう性格か、どんなことを考えていそうか、なんてわかるはずもない。
さらに言えば、彼が出した名前の中に、竜を封印した魔法使いがいると決まった訳ではないのだ。
「実力者だったら、だいたい国王とも多少のつながりがあったりするよな。へたに疑いをかけたら、名誉毀損だとか何とか言われて俺達全員が牢へ放り込まれるぜ」
国王から「依頼という名の命令」で仕事をすることもあると聞く。つまり、国王がその魔法使いを信用して魔物退治をさせたりするのだ。
そんな魔法使いを、何の証拠もないのに疑ったとわかれば。その魔法使いに仕事を依頼している国王さえも侮辱した、などと色々罪状が並べられ、捕まったりする可能性は大いにある。おかしな動き方はできない。
「他の魔法使いにも、迂闊に相談するのは危険かもね。話を信用してもらえるかすらも怪しいし。そこから話が流れて、捕まるまでには至らなくても、犯人の魔法使いの耳に入って動きが制限されるってことだってありそうだもの。ここは私達だけで動く方がいいわ」
「あたし達はみんな、リリュースに信用してもらったもん。安心よね」
フォーリアの言葉で、三人が顔を見合わせる。
それまで意識していなかったが、初対面であっても確かにこのメンバーだけは絶対に信用できるのだ。仮に何かしらのやましい気持ちを持ってパドラバの島へ行っていたのだとしても、竜の前ではそれを隠し通すことはできないだろう。
しかし、リリュースは何も言わなかった。封印の鍵を捜すことを、この四人に託した。竜は彼らを信じてくれているのだ。
それなら、疑う余地はない。
「そうか。今確実に信用できるのは、このメンツだけなんだな」
「人数は少ないけど、自分一人よりはずっといいよ」
「裏切ったら容赦しないからね」
サーニャが軽い口調で言う。その裏には、裏切ってほしくない、という強い思いがあった。頼れるのは、今ここにいる三人だけだから。
「大丈夫よ、サーニャ。誰も裏切ったりしないわ」
フォーリアがにっこり笑って言う。お互い初対面にもかかわらず、彼女は三人をまったく疑っていないのだ。
フォーリアに言われ、三人は心のどこかで安堵感を覚えた。
「信じてもらえて嬉しいし、今こんなことを言うのも何だけどさ……フォーリア、疑うことも少しは覚えろよ。お前、簡単に騙されそうで、俺の方が不安になってきた」
レラートはフォーリアの友人のことなどもちろん知らないが、いつも友人達が感じている不安を今まさに彼も感じていた。
当人は周りのそんな不安など知らず、にっこり笑っている。
「じゃあ、話を戻そう。誰が封印の鍵を持っているかをどう特定するかだけど」
「セル、普段からもっと強い力を欲しいって公言してるような人、いないの?」
「んー、さすがにそういう人は……」
「思ってたって、さすがに公言はしないんじゃないか? だったらもっと修行しろって、周りから突っ込まれそうだしな。まして上の立場にいる奴なら、下にいる奴らにそう言って諭す立場だろうし」
何しろ手掛かりが少なすぎる。どう絞ればいいかわからない。
「誰がそうなのかわからないなら、順番に調べましょ」
三人がフォーリアの顔を見る。
「時間がかかるかも知れないけど、地道にやるしかないんじゃない? ここから一番近い家の人から調べて行けば、そのうち目星もつくと思うよ」
「……まぁ、確実と言えば確実だよな」
「急ぐ時ほど遠回りを、ということだね」
一気に決めようと考えるから、詰まってしまう。絶対的なものがないなら、一つずつつぶしてゆくしかない。
「フォーリアって考えてるように見えないのに、あっさり言ってくれるわね」
「あは、よく言われるの」
だろうな、とは三人ともが思った。
「じゃあ……ここから一番近い所にいる魔法使いとなると」
セルロレックが自分の家から近い順に、数人の魔法使いの名を挙げた。近いと言っても、それなりに距離はある。
セルロレックの家は中流家庭だが、上位の魔法使いともなると富裕層がいるエリアやその近くに居を構えている場合が多い。
「ねぇ、調べると言ってもどうやって? 封印の鍵ってどんな形をしているかわからないし、わからないものを見付けるのって難しいわよ。犯人じゃない人の所で捜したって永遠に見付からないし、調査の切り上げ時をどうするかも問題じゃない?」
「当日の所在場所を調べてみればどうかしら」
フォーリアが提案する。
「それを調べてどうするんだよ」
「竜に封印をかけた時間ははっきりしてるでしょ。太陽が隠されたその日その時間、居場所がはっきりしない人が怪しいと思う。魔法をかけられたのは霧の外からってリリュースは話していたけど、まさか自分の家や職場ではそんな魔法をしないでしょ。だからって、今から竜を封印しに行くので留守にしますって言う人もいないもん。こっそり行ってるはずよ」
「そうか。上の立場の魔法使い程、居場所が把握されてるものだからね」
セルロレックが揚げた名前の中には、弟子がいる魔法使いも多い。大抵、付き人よろしく何人かが一緒にいたりするものだ。たとえ一緒でなかったとしても、ある程度の動きならわかるはず。
「よし。それじゃ、明日から行動開始といくか」
☆☆☆
セルロレック以外の三人は宿に入り、次の日に合流して調査を開始する。
いきなり「太陽が隠れた時間、どこにいたか」なんて聞いても、不審がられるばかりで答えてはもらえない。
なので、セルロレックは魔法道具の古い鈴を持ち出して来た。例の時間帯に城の廊下にこれが落ちていたが違いますか、と尋ねることにしたのだ。
魔法使いの中には、古い魔法道具をお守り代わりに持っている人がいたりする。これなら怪しまれることはないだろう。
違うと答えられても、その時間帯はどこにいたのかと少しばかりしつこく尋ねれば、相手もその時にいた場所を答えてくれるだろう、という読みだ。
普通なら半月以上前のことなど覚えてない人がほとんどだろうが、太陽が隠れるという特殊な時間帯だ。確かあの時は……と、思い出してもらえるはず。
本人に直接ではなく、弟子や館の使用人などに尋ねれば、余程やましいことがない限りはダンマリを決め込む人もいないだろう。
計画はうまくいき、三人目までは違うとはっきりわかった。
「疑いが晴れた訳だから、順調って言っていいんでしょうけれど……逆に言えば空振り続きってことよね」
「んー、そういうことになるか」
「数人でも、誰かを疑うってきついものがあるね」
「リリュースのためだもん、がんばろ」
まだ始めたばかりだ。弱音を吐いてはいられない。
セルロレックがリストアップした四人目は、タッフードという魔法使いだ。
みんなで彼の館へ向かう。だが、人気が感じられず、妙に静まりかえっていた。玄関で呼びかけても、返事がない。
裏口へ回ると、ここの使用人らしいおばさんが現れた。セルロレックが彼女に声をかける。
「あの、すみません。こちらで働いてらっしゃる方ですか?」
「さっきまでね」
でっぷりしたおばさんは、面倒くさそうに裏口の扉を閉めた。
「さっきまでって、どういうことですか?」
「考えりゃわかるでしょ。暇を出されたのよ。どうすんのかしらねぇ。あたしがいなくなったら、家のことをする人間はもう誰もいなくなるってのに」
セルロレックの後ろで、三人が顔を見合わせた。
「使用人の方全員が暇を出されたってことですか?」
「そう、あたしが最後まで残ってたんだけどね。あんな線の細い人がちゃんとご飯も食べなくなったら、本当にくたばっちまうよ。一ヶ月程前に奥様が実家へ戻られてから、だーんだんおかしくなっちまったのかしらねぇ」
「ケンカでもされたんでしょうか」
「さぁね。あたし達は何も聞かされてないよ。お二人とも、感情をあまり表に出さない方達だから、ケンカしたって暗ーい、陰湿なものじゃないかってしゃべってたのよ」
「はぁ……」
「それで? あんた、何かここに用があったの?」
いきなり本題に戻った。
「あ……は、はい。この落とし物が」
これまでも繰り返してきた作り話を、セルロレックはそのおばさんにもした。
「さぁ、こんなの持っていらっしゃったかしらねぇ」
「弟子の方はご存じないでしょうか」
「うちのご主人、弟子をとってないのよ。腕はいいんだけど、人に教えるのはどうもってタイプなもんでさ」
中にはこういう人もいる。言われてセルロレックも「そうだった……」と思い出した。
「何だったら、ご本人に直接尋ねたらどうだい? 今は自室にいらっしゃるから」
「入っても構わないんですか?」
「さぁ。いいんじゃない? 門に鍵をかけて出て行け、なんて言われてないからね。お偉い魔法使いを訪ねて、誰かが来るかも知れないってわかりそうなもんだろ? それとも、誰が来ても知らん顔を決め込むつもりなのか、そこまではわからないけどさ」
後のことはもう知らない、とばかりにおばさんは「次の働き口を見付けないと」などと言いながら行ってしまった。この状況下で再就職は大変だろう。
「どうしようか。本人に直接尋ねても、素直に答えるとは思えないけど」
「それ以前に、まともに対応してくれるかも怪しいんじゃないか? 変人っぽいしさ」
「違う意味で怪しいわよね。とにかく、聞くだけ聞いてみましょうよ。ここで立ち話してたら身体が冷えちゃうわ。私、指先が冷たくなってきちゃった」
ここまで来たのだ、確認せずに次へは行けない。
「一ヶ月前に奥さんがいなくなったって、大変そうだよね」
「夫婦にもよるだろうけど、そういうのってよくあることじゃないのか? 俺の知り合いのおっさんもよく奥さんとケンカして、しばらくしたら家を飛び出した奥さんを連れ戻しに行ってるぜ」
四人は裏口から再び表へ回り、玄関へと向かう。この気温が原因なのか、庭の草木もかなり弱って見えた。本来ならもっと太陽の光を浴びているはずなのに、触れる空気が冷たくて植物も驚いていることだろう。
念のため、もう一度声をかけ、扉を叩いたが返事はない。ノブを回してみると、鍵はかかっていなかった。
本人はいる、とおばさんに聞いたので、主の名前を呼びながら中へ入る。それでも、住人が現れる気配はなかった。
やはり実力者と言われる魔法使いともなると、館も広い。つまり、部屋も多い。主人に会おうにも、どの部屋にいるのかわからないのだ。おばさんは自室にいる、と言っていたが、その自室とやらがどこかを聞いておくべきだった。
「魔獣に頼った方が早いな」
レラートがこの国へ来るまで乗っていた火の狼を呼び出した。狼と言っても普通の獣ではないのでその背は高く、頭がフォーリアの肩あたりまである。
「俺達以外でこの館のどこに人間がいる?」
レラートに尋ねられ、燃え盛る炎の毛を持つ狼は耳を動かす。同時に鼻も動かし、天井を見上げた。
「上にいる。東の方の部屋だ」
「この子とかくれんぼはできないよね」
狼の判断に、フォーリアが笑う。
「確実に臭いと音を消さないと無理だね。ああ、結界を張れば何とかなるかな」
「でも、魔法の気配でバレないかなぁ」
「それもそうだね」
「フォーリアもセルも、何言ってるのよ」
サーニャがあきれたように肩をすくめる。
レラートも苦笑しながら狼を解放し、みんなで階段を上がった。東と一言で言っても、部屋の扉はいくつかある。もう少し細かく聞いておけばよかったかな、と思っているとわずかに開いている扉を見付けた。
前を歩いていたサーニャがそっと中を覗く。部屋の奥の方に立っている人影が見えた。きっとあれがこの館の主人タッフードだろう。こちらに背を向け、窓の外を眺めている。
ノックしようとした時、小さなつぶやきが耳に入った。
「あと三日……といったところか」
彼の手に何か白く光る物があり、それが窓ガラスに映る。
三日って、何が三日なのかしら。あの白い物って……。
「サーニャ、どうかしたの?」
首を傾げているサーニャに気付き、フォーリアが声をかける。部屋の中に集中していたサーニャはビクッとなった。
その声に驚いたのはサーニャだけではない。部屋の主にも聞えたようだ。はっとしたように振り返る。
「誰だっ」
主は部屋の扉から離れていたが、その声と同時に扉が大きな音を立てて開いた。