四人の魔法使い
くすんだ黒い身体。軽く丸まった状態だが、とぐろを巻くとまではいかない。まっすぐに伸びれば、馬を縦に三十頭並べてもそれをさらに軽く越えそうだ。
前脚と表現するべきだろうか、その手の先には鋭い爪が見える。フォーリアの正面に見える竜の横顔に牙はのぞいていないが、口が開かれればずらりと並んでいるのだろうか。
その目は閉じられ、フォーリアがこうしてこの場に現れても、まぶたが持ち上げられる様子はない。
死んでいるのではないようだし、作り物でもない。やはり眠っている……のだろうか。
「やっぱりいたんだわ……」
その姿を見て、フォーリアは思わずそうつぶやいていた。
世間ではパドラバに竜がいるだのいないだの、みんながみんな知ったような口ぶりであれこれ言い合っていたが、現実は「いる派」の勝利だ。
フォーリアはいると信じて疑わなかったので、竜がいたことに驚くより、本当に会えて嬉しい、という気持ちの方が勝っている。
しばらくは初めて見る竜の姿に見とれ、その場に立ち尽くしていた。しかし、竜はいつまで経っても目を覚ます気配がない。
やはり何かあって具合が悪くなり、寝込んでいるのだろうか。それでおかしな天気がずっと続くようになり……。
少し近付いてみようとフォーリアが踏み出そうとした時、自分のものではない足音が耳に入った。
え? と思ったものの、どこを見ていいのかわからない。音は数カ所から同時に聞えたのだ。
とにかく、視界の両端に人影のようなものが映った。パドラバを調査している魔法使いだろうか。
「誰?」
フォーリアが聞くより先に、誰かが尋ねた。竜の身体の向こうにいるらしく、姿は見えないが女の子の声だ。たぶん、フォーリアと同世代だろう。
「そっちこそ誰だよ」
これまたフォーリアが答えるより先に、誰かが言い返す。
「ぼくはグリーネのセルロレック」
三つ目に聞えた声が、最初に名乗った。声はフォーリアの右側から現れた背の高い少年のものだ。
薄い金色の短い髪に緑の瞳の、優しそうな面立ちをしている。フォーリアより二つか三つくらい上だろうか。
グリーネは北にある国だ。人に会えたと思ったら、まさか別の国の人だとは思わなかった。
「俺はキュバスのレラートだ」
今度はフォーリアの左側から現れた少年が名乗る。
彼も背が高い。黒の短い髪に黒い瞳。肌も浅黒く、精悍な顔つきだ。彼もフォーリアより年上だろう。キュバスは南にある。
「私はディージュのサーニャ」
最初に誰何した声が名乗る。竜の身体の向こう側で見えなかった人物は、セルロレックと名乗った少年の方へ少し移動したらしい。やっとフォーリアにもその姿が見えた。思った通り、フォーリアと変わらないくらいの女の子だ。
胸まである青みがかった銀色の髪は緩やかに波打ち、彼女の整った顔を縁取っている。瞳はきれいな紫。ディージュは西の国だ。
三人の視線がこちらへ向けられ、フォーリアは自分がまだ名乗ってないことに気付く。
「あ……えっと、あたしはゼンドリンのフォーリア」
言いながら、フォーリアは現れた三人の顔をもう一度見回した。
二人の少年は、他に誰もいないか周囲を確認している。サーニャは目の前の三人に少し警戒しているようだが、恐れているといった様子ではない。
「ここに来ているのは、俺達だけか? 他にはいないのか?」
四人は自然に一ヶ所へ、フォーリアのいる近くへ集まった。もう少し竜の顔を確かめたい、という気持ちがあるせいだろう。
セルロレックの方からだと竜の顔の真正面で表情がよくわからないし、レラートとサーニャの位置ではほぼ身体しか見えない。フォーリアがいる角度が竜の顔を一番見やすいのだ。
四人の視線が注がれても、やはり竜は目を覚まさない。
「どうやらぼく達だけのようだね。奇しくも四つの国から一人ずつか」
「一応確認のために聞くけれど、みんな魔法使いよね? こんな所へ来ようとするくらいだから」
サーニャの言葉に、三人が頷く。
普通の人間にとって、草原を越えてここまで来るのはかなりの労力だ。もちろん、来られなくはないが、途中に何がいるか、何があるかわからない場所へ来ようとする人はほとんどいない。
故に、ここへ来るのは魔獣に乗った魔法使い、となる。
「みんなの国でも何か起きてるのか?」
レラートに聞かれ、また三人が頷いた。
「天候が妙なんだ。暦は夏なのに、初冬のような気温が続いてる。グリーネは北だから元々他の国よりは涼しいだろうけれど、涼しいを通り越して寒いんだ。陽の光もひどく弱いし、作物の生長に影響が出始めてる」
「俺の所と逆だな。キュバスは夏真っ盛りって感じだぜ。と言うより、日照りだな。もう半月以上雨が降ってないし、細い川や小さな池は干上がり始めてる。真夏より強い陽射しと気温で、具合が悪くなる奴もいるんだ」
「そう言われれば、二人の服が対照的ね」
フォーリアがそう言って、少年二人はお互いの服装の違いに気付く。
北から来たセルロレックは薄手のコートを着ているし、南から来たレラートは薄手ではなく薄着だ。
「ゼンドリンはずっと雨が降ってるわ。小雨だけど、山や地盤が緩い場所では土砂崩れが起きるかも知れないから通行止めになったりしてるの。地域によっては、畑が水たまりみたいになったりして。湿気が多くて、パンにすぐカビが生えちゃう」
フォーリアが説明するとあまり深刻さが感じられないが、食物にカビが生えて食べられなくなるということは、将来的に死活問題へとつながる。軽く見過ごせる問題ではない。
「私の所はどちらでもないわ。寒くもないし、暑くもない。ちゃんと太陽が照らない代わりに雨も降らないわ。ずっと薄曇りで、夜が明けてもすぐに夜になりそうな暗さよ。黄昏時と言えば聞こえはいいけれど、毎日辛気くさいったらないわ」
フォーリアとは対称的に、サーニャの話し方はとてもはきはきしている。滑舌がいいから、舞台に立てばさぞセリフの通りがいいだろう。魔法使いと言うより、彼女の場合女優が似合いそうだ。
「四つの国で、状況は違えど異常事態が起きてるってことか。じゃあ、考えることは同じはずだよな。パドラバの竜に何かあったんじゃないかって」
レラートの言葉に、それぞれがそうだと答えた。
この大陸に住む以上、パドラバの島は無視できない。一年を通して穏やかな気候のパロア大陸で異常気象となれば、パドラバに視線が向けられるのだ。
「でも、それぞれ王室付きの魔法使いがいるだろう? 国で一、二を争う腕の魔法使いが調べていると思うけれど」
「一応、やってるってことは聞いてるわ。だけど、詳しい話は何もわからないまま。そう言うセルの国の魔法使いはどうなの?」
サーニャは初対面であるセルロレックの名前をあっさり省略して聞き返す。
「進展なし、らしいよ。ぼく達ペーペーの魔法使いには、詳しい情報が下りて来ないからね。何かしらわかれば、それなりの話が流れてきそうなものだけど……何もない」
「キュバスでもそうだぜ。こういうマイナス面で共通点が多いってのは問題だよな。ちゃんと情報を下ろさないから、混乱が起きるんだ」
東のゼンドリンでも同じだから、フォーリアがいきなり思い立ってここまで来たのだ。
「お偉方はどういう調べ方をしてんだろうな。俺、ダメ元で霧の中を突っ込んで行ったら、ここまで来たぜ」
「あたしも。どうかなーって思いながら歩いてたら、森の中になってて……」
セルロレックやサーニャもそうだった。
霧の中へ入っても元の場所へ戻される、という話は聞いていたが、他に入る方法など知らないしわからない。戻されれば改めて考えようと、まずはそのまま入ってみた。
すると、霧が晴れてきたと思ったら森にいて竜の身体を見付け、ここで他の三人と出会った……という流れだ。
「もしかして、霧の中には入れないという先入観で、単にパドラバの島周辺をうろうろしていただけなんじゃないかな。竜に何かあれば、霧が晴れて中へ入れると考えているとか」
「みんな、当たって砕けろの気持ちで入って、砕けずに来られたってことね。よかったぁ。あたし、霧の中へ入ってここまで来たのはいいんだけど、その後はどうしようかなって思ってたの」
何も考えず、ただ来てみて何かおかしなことがあれば調べてみよう、という行き当たりばったり計画だったので、フォーリアとしては三人の登場はとてもありがたい。
「フォーリアってば、何も考えずにここへ来たの? もう、子どもはこれだから」
「あたし、十六なんだけど」
フォーリアの言葉に、三人が「ええっ?」と声を上げた。フォーリアにすれば、よくある反応なので気にしない。身長が低いので幼く、よく言えば若く見られるのだ。焦げ茶の髪をおさげにしているせいも、多分にある。
もっとも、フォーリアの場合は身長や見た目だけでなく、言動もどこか頼りないように思われ、幼く見られるのだ。
「うそ……私より一つ年上?」
「サーニャは十五なの? あたし、勝手にお姉さんだと思ってたわ」
フォーリアより拳二つ分は背が高いサーニャ。口調もはきはきしているし、フォーリアとは逆に年上に見られることも多い。
ちなみに、セルロレックはじき十九、レラートは十八になったところだ。年齢の分、この中ではセルロレックが魔法使いとして一番先輩となる。
「えっと、今は歳のことは横に置いておこう。とにかく、みんなは国の魔法使いが今回の異常気象の原因を究明できずにいるからここへ来た、ということだね。で、実際に竜がいる訳だけど……」
パドラバの島へ入り込めたなら、そこにいる竜を、もしいなければ自然の力を司る竜に準ずる存在を探し、今回の原因を探る。
大まかながら、誰もがそう考えていた。そして、現実に竜はここにいたのだが……眠っている。いまだに起きる様子はない。
「起こしても平気かな」
レラートが竜を見ながら言う。ここで四人が竜の寝顔を眺めていても、事は進展しない。
「怒らないかしら。怒ったら、パロア大陸全体が今度は嵐になっちゃわない?」
「フォーリア、のほほんとした口調で怖いことを言うなよ」
「弱っている土地や人間に、とどめを刺すことになるわね」
悪のりするように、サーニャが追い打ちをかける。
「あのなぁ……」
「だけど、話を聞かせてもらわないとね。竜がこうしてここにいるからには、パロア大陸を守ってくれていたのはこの竜だと考えられる。だとすれば、今回の件と無関係ではないだろうし、わずかでも情報は持っているはずだよ。ただ……どうやって起こすかだね」
誰もが竜を見るのは初めてだ。当然、竜の生態なんてものは知らない。文献などで時々竜が出てきたりもするが、人間にこんな力を与えてどうのといった内容ばかり。それもかなりあいまいな表現ばかりで、今すぐに役立ってくれそうな情報などなかった。
フォーリアの行動ではないが、とりあえず行き当たりばったりで動くしかなさそうだ。
「顔や手を揺すったくらいで起きるとも思えないよなぁ」
「だいたい、私達くらいの力で身体が揺れるかどうかも怪しいわ。この巨体だもの」
いきなり直接竜の身体に触れていいものだろうか。目の前にいる竜が大陸全体の気候を左右する力を持っているとして、そんな強大な力を持つ生物に直接触ったりすれば……火花が出たり、相手の持つ力に跳ね飛ばされたり、逆に力を吸い取られたり。
とにかく、何かの影響を受けそうな気がする。早い話、ちょっと怖い。これだけの巨体を前にしたら怖いと思うのは、本能的なものだ。みんながためらうのも仕方がない。
「じゃあ、呼び掛けてみましょ」
三人が「え?」と思っている間に、フォーリアは竜の顔のそばまで歩いて行く。
「パドラバの竜、起きて。あなたに聞きたいことがあるの」
竜の顔の前でしゃがむと、フォーリアはそう声をかけた。
「何て言うか……斬新な奴だな」
「ぼくの周りにはいなかったタイプだ」
「ディージュにだっていないわよ」
フォーリアの言動に、三人は呆然としていた。だが、すぐに驚愕へと変わる。
「……リリュース」
「え?」
低い声が聞こえ、フォーリアが思わず聞き返す。
「我が名はリリュースだ、小さな魔法使い」
竜のまぶたがゆっくり持ち上がる。黒く濡れた瞳が現れた。