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05 あきの月1日、雑貨屋の店主

 なつの月の大敵は、なんといっても台風だ。

 台風の日は朝から家を出ることも出来ないので、家の中のことをするしかない。それだって万能なシルキーがいるから、イーヴィンにやることなんてなかった。

 翌日、前日の分も巻き返すべく「さぁやるぞ」と勇んで畑に出てみても、今までの努力を無にするように、飛来物が畑に散在しているものだから、心が折れそうになる。


「台風のばかやろー!」


 イーヴィンの悲痛な叫びを聞きながら家事をするのが、なつの月後半のシルキーの日常になった。


 そんなわけで、イーヴィンの畑が完成したのは、なつの月三十日のことだった。

 これでは、両親が用意してくれたなつの野菜の種は使えない。


 あきの月一日。イーヴィンは、 小瓶に入ったなつの野菜の種たちを自宅の棚に並べ、それを眺めながら深々とため息を吐いた。

 その後ろで、苦笑いを浮かべたシルキーが、気落ちする彼女へのエールか、カモミールティーとホットビスケットを用意している。


「やっと……やっと、畑が出来たのに」


 ションボリとテーブルに突っ伏したイーヴィンの頭を撫でたシルキーは、そのまま丁寧な仕草でティーポットからお茶を注いだ。

 昨日の暑さが嘘のように、あきの月になった今日は穏やかな気候である。


 今日のイーヴィンは、シルキーが用意してくれた『収穫祭コーデ』という衣装を着ていた。

 朝、実家から持ってきた秋服に着替えようとしていたら、シルキーがいそいそと持ってきたのである。「着て欲しい」と言わんばかりにグイグイと衣装を押し付けられて部屋の扉を閉められれば嫌とは言えず、イーヴィンはパジャマからそれに着替えたのだった。


 収穫祭コーデは、白いブラウスにワイン色のベスト、葡萄色のスカートを合わせたコーディネートだ。落ち着いた雰囲気のそれは、イーヴィンの幼い顔立ちを少しだけ大人っぽく見せている。


 カップを受け取ったイーヴィンは、鼻をくすぐる花の香りにほにゃりと顔を綻ばせた。

 への字になっていた唇が緩むのを見て、シルキーは嬉しそうに微笑む。それからいそいそとキッチンからクロテッドクリームとジャムを持って来ると、割ったホットビスケットにたっぷりと塗ってイーヴィンへ差し出した。


 過保護というかなんというか、シルキーはイーヴィンを幼子か何かと勘違いしてやしないだろうか。「あーん」なんて大きくなってからは親にもされたことがないのに、整った顔立ちの綺麗な男にされたらたまったものじゃない。


 しかし、慣れとは恐ろしいもので、最初はなんだかんだと逃げていたイーヴィンも、なつの月の間にすっかり慣らされ、差し出されたホットビスケットに素直に口を開けていた。


「……んまー!」


 芳醇なバターの香りとクリームとジャムの甘さに、イーヴィンは頰を押さえて微笑んだ。

 その姿は頬袋にナッツを詰め込むリスのようで、シルキーは満足したようにうんうんと頷いている。


 差し出されるままにホットビスケットを食べ、カモミールティーを飲み終える頃にはすっかりイーヴィンの機嫌は治っていた。


 あきの月で育てる野菜の種を買いに行くために買い物カゴを持ったイーヴィンの肩に、シルキーはベストと同色のケープを羽織らせてくれた。

 ケープの裾に手の込んだ刺繍が刺されているのを見たイーヴィンは、シルキーが夜な夜な手仕事に励む姿を想像して、胸がいっぱいになった。彼女は気持ちのままにシルキーに抱き着く。放り出された買い物カゴが、石畳の上に落ちた。


「ありがとう、シルキー!とっても可愛い!」


 シルキーは飛びつくように抱きついてきたイーヴィンに、倒れそうになるのをすんでのところで踏みとどまった。

 男性にしては線の細いシルキーとしては、頑張った方だろう。その顔には明らかに「倒れなくてよかった」と安堵が見てとれる。


 イーヴィンのこういう無邪気な態度がより一層幼く見せているのだが、彼女にその自覚はない。

 シルキーとしてはもう少々女性らしい節度を持ってもらいたいところではあるが、彼女に「あーん」をすることが何よりも楽しい今、それはまだ先で良いかと流したのだった。


 そんなシルキーの気持ちも知らず、イーヴィンは抱き着いたらすっかり満足したのか、足元に落ちたカゴを拾うと手を振って村へと向かう。


 ゲームでは毎日のように通っていた村だが、転生してからは初めて行く場所だ。

 今日行くのは、種や肥料を始めとした様々なものを取り扱う雑貨屋である。


「雑貨屋にいるのは、リアンの嫁候補になるリサさんだったかな」


 村の入り口のすぐそばに建つ赤い屋根の建物には、『雑貨屋』の看板がかかっていた。

 イーヴィンが扉を押し開くと、カランコロンとカウベルのようなドアベルの音が店内に響く。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた大人の女性といった感じの声につられるようにカウンターへ目を向ければ、金の髪に青い目の、綺麗に化粧をした女性が微笑みながらイーヴィンを見ていた。


(リサさん、だ)


 記憶にあるより、ずっと綺麗な女性だ。

 緩やかにウエーブがかかる髪を結い上げ、はらりと流れた長めの前髪を耳にかける仕草は色っぽい。


「あら、あなたは……?」

「はじめまして。北の牧場を引き継ぎました、イーヴィンです。今日は、あきの月に植える種を買いに来ました」

「あぁ、アーサーの姪御さんね?はじめまして。私はリサ。ここの雑貨屋の店主です。これから贔屓にして頂けると嬉しいわ。ご注文は、あきの月に植えられる種だったわね。そうねぇ……ニンジン、サツマイモにホウレンソウ、連作したいならナスとピーマンもあるわ」


 後ろの棚にズラリと並んだ、種を詰めた瓶をいくつか取り出したリサは、イーヴィンの前に並べていく。


 驚くことに、種は五種類出てきた。一年目のあきの月に買える種は三種類だったはずである。

 一、二、三、四、五。

 何度数えても間違いなく三年目のあきの月くらいからの品揃えである。


(もしや、チートというやつでは……?)


 ふと、力をつけてくると消えていった女神を思い出す。もしかしたら、彼女が気を利かせてくれたのかもしれない。

 けれど、それなら魔法のオノやハンマーも使いやすくして欲しかった。

 一瞬そう思ったイーヴィンだが、「女神に頼りすぎるのも良くないな」と思い直す。


 予期せぬ転生先ではあったが、毎日が楽しい。

 手間がかかればかかるほど、牧場生活を満喫している気がしてくるのだ。


 とはいえ、恵まれている部分に関しては有り難く頂戴することにして、イーヴィンはとりあえず、五種類全ての種を買うことにした。


 カゴの中に入った革袋から硬貨を出す。Mと書かれた銀貨は、プティメルバ島で使える硬貨である。M硬貨と呼ばれているそれは、十、百、千とあり、万からは金貨になる。

 因みに、発音は『えむ』。どことなく『えん』と聞こえてしまうのは、ほのかの記憶のせいだろう。


「ありがとうございました。またお越し下さいませ」


 にこやかな笑みを浮かべて手を振るリサにペコリとお辞儀をして、イーヴィンは雑貨屋を出た。


 初めて買った種を嬉しそうに見つめていたイーヴィンだったが、カゴの底にメモのようなものを見つけて首を傾げた。


「なんだろ、これ」


 そう言いながら、イーヴィンはカゴに入っていたメモを取り出した。メモには、字を覚えたての子供が書いたような、ミミズが這った後じゃないかと突っ込みたくなる読みづらい字でこう書いてあった。


『しるきー、おねがい。おかいもの。みるく、たまご』


 フランス語をサラサラと美しい字で書けそうな優美さがあるシルキーだが、どうやら字を書くのは苦手らしい。

 意外な一面もあるものだなと思いながら、イーヴィンはそっとメモをカゴにしまった。


 シルキーは、牧場の敷地内から出られない。更に、彼自身は食事の必要がないらしく、普段はお茶くらいしか飲まないのだ。

 それでも、イーヴィンがテーブルにつく時は向かいに座ってくれるので、寂しくはなかった。


 イーヴィンが来たことで必要になった食材は、毎夕やってくる出荷業を営む人と庭で採れるハーブなどを物々交換で手に入れているようだ。


 ようだ、というのは、イーヴィンはまだ出荷業を営む人を見たことがないからだ。

 農作業に没頭するあまり、うっかり体力が尽きかけてしまうこと多数。初日のようにシルキーにベッドまで運ばれることはあれきりだったけれど、心配した彼は午後三時になるとお茶の時間を設けるようになった。


 美味しい茶菓子と温かなお茶を飲むと疲れがどっと出てきて、イーヴィンはお茶の時間が終わるとリビングのソファでお昼寝をするのが日課になりつつある。

 どうやらその昼寝の時間に、出荷業担当の人は来ているようなのだ。

 確かその人も伴侶候補だったはずなので、そのうち会うことになるだろう。

  まずは体力を増やさねばと独りごちて、イーヴィンは歩き出した。


「さて、じゃあ動物屋に行きますか」


 メモに書かれた二品は、どちらも家畜から採れるもの。

 いつか、買い物しなくても新鮮なやつを手に入れてみせよう。

 そう意気込みながら、イーヴィンは動物屋である緑の屋根の建物へ足を進めた。

読んで頂き、ありがとうございます。

次話は土日を挟みまして、6月10日更新予定です。

次回のキーワードは『動物屋』。

よろしくお願い致します。

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