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04 なつの月11日、泉の女神

 主人として認めた人間だからなのか、シルキーはイーヴィンにとても懐いているようだ。

 朝、彼女が目覚めた時から、親鴨を追いかける子鴨のようにその背後から離れない。


 朝食の時間はまるで親鳥のように甲斐甲斐しく「あーん」とスプーンを差し出してくるものだから、イーヴィンはまだ午前中だというのに疲れを感じていた。


「大丈夫だよ。もう、痛くないから!」


 心配そうに後をついて回るシルキーに苦笑いを浮かべながら、イーヴィンは牧場を囲む柵の向こう側へ出た。

 敷地内から出ることが出来ないシルキーは、柵の前でポツンと立ちながら「本当に?」と言いたげに首を傾げている。


「本当に、大丈夫だから。ね?だからシルキーは、家のお掃除とか、お昼ご飯を用意して欲しいな」


 心配性な妖精を納得させるため、イーヴィンは分かりやすくその場でぶんぶんと腕を振り回し、ぴょんぴょんと跳ねてみせた。

 それでようやく納得したのか、シルキーはほのかに顔を綻ばせてコクリと頷く。


 そんな彼に笑顔で手を振りながら、イーヴィンは歩き出した。

 行き先はもちろん、昨日決めた通り、女神の宿る泉だ。何をしに行くかなんて、もちろん決まっている。


(女神様に事情を聞きに行く!)


 湖で出会った女神と、この世界の泉の女神に繋がりがあるかは分からない。

 でも、同じ神ならば何かしらは知っているのではないかとイーヴィンは思っていた。


(知り合いである確率は、限りなく低いだろうけど)


 日本の神と他国の神が知り合いかといえば違うだろうと思うし、似ているところもなくはない。他国の神が日本では別の神として奉られていた、なんて話も聞いたことがあるから、知り合いではないと断言出来ないはずだ。


 同じ世界ならまだしも、ここは日本という国がある世界ではない。だというのに、妙に前向きな彼女は、なんとかなるだろうと女神に会うことにしたのである。


(ま、どのみち一回は会わないといけないし)


 とりあえず島民全員に挨拶をするのは、このゲームの序盤におけるセオリーである。それは、泉の女神も然り。


 泉の女神に会うのは、そう難しいことではない。

 妖精の森の入り口にある女神の泉へ、女神の好きなものを投げ入れる。それだけで、女神は泉に出現するのだ。なんとも気安い神である。


 妖精の森に繋がる道を歩きながら、イーヴィンは周囲を見渡した。

 ゲーム画面から見えていた世界よりずっと鮮やかな景色に、昨日からモヤモヤしていた気分が晴れていくようだ。


 異世界への転生と同様、前世の記憶が蘇るなんて事象もあり得ない話である。

 とはいえ、ほのかはイーヴィンに転生し、前世の記憶も蘇ってしまった。

 記憶さえ蘇らなければ、モヤモヤすることもなかっただろう。始めたばかりの牧場生活に心躍らせながら、満喫していたはずだ。


 まぁいっかと諦めはしたものの、思い出した以上、どうしてこうなったのかくらいは知りたかった。

 出来ることならば、転生先を間違えてしまったことを謝罪してもらいたいと思うが、相手は神様である。素直に謝るとは思えない。

 それはそれでモヤモヤしそうだが、何も知らないままよりずっと良い。


(知らないって言われたらそれまでだけど……追求して逆ギレされて、雷とか落とされたらたまったもんじゃないよね)


 神様は、些細な事で怒り、理不尽な罰を与えてくるものである。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだが、イーヴィンはどうしても聞かずにはいられなかった。

 その代わり、イーヴィンは深く追及するようなことはしまいと決めたのだった。


 間違った転生を訂正してもらおうという気持ちは、不思議なことに湧き起こらない。

 シルキーとの生活はことのほか快適で、憧れの悪役令嬢の人生と天秤をかければ、確実にこの穏やかな生活に傾く自信があるほどである。


(それにしても……転生かぁ。希望しておいてなんだけど、本当にあるもんなんだなぁ)


 ほのかの記憶にある『ハーモニーハーベスト』は、四作ほど世に出ている、わりと人気があるシリーズだ。


 ここ、プティメルバ島が舞台の最新作は、牧場主に憧れる主人公が、船に乗ってやって来るところから始まる。

 親戚から譲り受けた寂れた牧場を自分好みに発展させつつ、村の人と交流し、伴侶候補と交際し、結婚し、子供を生んでーーと、心温まるほっこり牧場生活ゲームなのである。


 最新作であるこの世界は、恋愛要素がより増えて、条件を揃えると嫁候補と婿候補同士で結婚することもあるようだ。その為、気になる伴侶候補がいる場合は取られないように気をつけないといけない。

 うっかりフラグを立てまくり、気付いたら結婚相手がいなかったーーなんて悲劇も報告されている。


 しかし、フラグを立てたくなる気持ちも分からなくはないのだ。

 どのキャラクターとのイベントも、以前に比べたら格段に出来が良くなった。伴侶候補との恋愛イベントはもちろん、婿候補と嫁候補の恋愛イベントも乙女ゲーム並みにロマンチックになったとかなっていないとか。


 惜しむらくは、キャラクターたちに声が吹き込まれていないことである。

 画面に表示されるキュンとするセリフも、声無しでは乙女ゲームに慣れきったプレイヤーからすると、少々物足りない。


 そもそもハーモニーハーベストは牧場生活を楽しむゲームである。

 もとは結婚するイベントさえなかったゲームなので、時代の変化に伴ってだいぶ進化したと言えるだろう。


 因みに、乙女ゲームのように明確なエンディングはない。結婚した時点でエンディングロールが流れるが、その後も牧場生活は続く。


 ほのかの記憶が蘇ったことで、イーヴィンに嬉しいことが二つある。


 一つは、聞くことが出来なかったこの世界の住人の声を聞くことが出来るということ。

 電子音ではない彼らの声はどんなものだろうと、イーヴィンは楽しみでならない。


 もう一つは、迷子になる心配がなくなった、ということだ。

 イーヴィンは、地図を読むことが苦手だ。

 地図をグルグル回しながら見ているうちに、自分がどこに居るのか分からなくなってしまう。


 彼女が譲り受けた牧場は、島の北に位置する。対をなす主人公、リアンの牧場があるのが南。一昨日到着した港があるのが東で、西には妖精の森と女神の泉がある。島民のほとんどは、東南寄りの中央にちんまりとある村に住んでいる。


 この情報があるだけで、イーヴィンの行動は格段に楽になった。

 おかげで今も、考え事をしながらだというのに妖精の森の入り口へ着くことが出来ている。


 清廉な空気を纏う一帯を眺めて、イーヴィンは深呼吸をしてみた。

 夏の真昼間だというのに、この辺りは日暮れ時のように涼しい。

 夜になれば森に棲む妖精たちがポウポウと蛍のように光を放つから、さぞ幻想的な風景になるだろう。


 女神が宿る泉は、妖精の棲む森の入り口にあった。

 イーヴィンはポケットからシルキーお手製のビスケットを取り出す。

 丁寧にラッピングされたそれは、女神への貢物である。彼女はそれを、躊躇いもなくぽちゃんと泉に投げ入れた。


「……」


 透明度の高い水を有する泉は、森の木々を写して青々としている。エメラルドグリーンの水面みなもを見つめることしばし。


 不意に、泉の水面に波紋が広がる。どこからともなく光の粒が現れたかと思えば、次の瞬間には水面に女神が現れていた。


「……」

「……」


 イーヴィンは沈黙した。

 女神も沈黙していた。

 静かな泉の上を、小鳥たちがさえずりながら飛んでいく。


 信じ難いことに、イーヴィンの目の前にいる女神は、ほのかとして死んだ直後に湖で会った女神と同じに見えた。


 互いに互いを見て、目を見開く。

 沈黙に耐えかねてイーヴィンが声を掛けようと口を開くと同時に、女神はスライディングするように彼女の目の前でズシャアと勢いよく土下座した。


「……は?」


 意味が分からず、イーヴィンは開いた口をそのままに、女神を見つめた。ポカンと開いた口から、吐息のような問いのような声が漏れる。


 女神の髪につけられた鈴のような装飾品が、シャランシャランと鳴り響いた。

 見れば女神は震えているようで、イーヴィンはますますどうしてこうなっているのか分からず、立ち尽くす。


「申し訳ございません。わたくしの、私の力が及ばないばかりに、このようなことになってしまい……謝ろうとは思っていたのですが、どう謝ろうかと悩んでいるうちに貴女あなたがやって来てしまって……いえ、あの、責めているわけではこざいません。全て、私が悪いのです。私が妹神でなければ、姉神や兄神に悪戯をされることなどありませんでした。貴女は何も悪くないのに……姉神と兄神の悪戯に巻き込むことになって、本当に申し訳ございません」


 酸素不足にならないのだろうかと心配になるような長々とした謝罪を口にした女神は、言い終わるとチラリとイーヴィンを見て、それから丁寧に手を揃えて再び頭を下げた。

 イーヴィンはそれを、相変わらずポカンと口を開けたまま見ていた。


「……あの」


 黙ったまま身動きもしないイーヴィンを、女神は戸惑いながらそっと見上げた。


「え?あ、ごめんなさい。びっくりしちゃって。あの、土下座なんてしちゃって大丈夫なんですか?あなたは、女神様なのに」


 女神の声にようやく我に返ったイーヴィンは、見上げてくる彼女に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 女神は泉の水面のようなエメラルドグリーンの目からはらはらと涙を零し、「なんて優しい人っ」とイーヴィンの手をギュッと握ってきた。


「いえ、良いのです。私が弱い神なばかりに貴女には大変なご迷惑を……乙女ゲームの悪役令嬢をご所望でしたのに、全く違う世界の……主役とはいえ、牧場生活と華やかな貴族生活では戸惑ったでしょう?」

「いや、快適に過ごしてるので……大丈夫ですよ?」


 シルキーとの生活は、大変快適である。今となっては悪役令嬢の生活じゃなくて良かったと思っているくらいだ。


 そんなイーヴィンに、女神は眩しいものでも見るように目をすがめた。


「あぁぁ……なんと、聖女のような方なのでしょう。やはり貴女は希望の世界へ転生させてあげねばなりません。少々長い道のりではございますが、この世界の生を全うした暁には、必ずや乙女ゲームの悪役令嬢へ転生させてみせますわ」


 イーヴィンの手からそっと手を離した女神は、すっくと立ち上がると涙を拭った。

 どこかスッキリとした表情を浮かべ、女神はそれはそれは麗しい笑みでこう言った。


「では、失礼致します。私は神々に対抗する力をつけて参りますゆえ。御用の際は、この鈴でお呼び下さいませ。それでは」


 ポゥッと宙に現れた手のひらサイズの大きな鈴をイーヴィンが手に取っている間に、女神は泉へと姿を消した。


「えぇぇ……」


 あっという間の出来事に、思うことは一つ。

 やはり神は、気まぐれだ。

 言いたいことを言うだけ言って、さっさと消えてしまった。


「なんというか……全部予想外すぎて、ついてけない。さすが、神様」


 どうやらイーヴィンは神々の悪戯によって転生先が変わってしまったらしい。

 悪役令嬢の逆転人生を楽しめないのは残念である。

 しかし、まったり牧場生活も悪くはない。


「せっかくの第二の人生、楽しまないと損だよね」


 なってしまったものは、仕方がない。

 またしても「まぁいっか」で済ませたイーヴィンは、鈴をポケットに詰め込んで、踵を返した。

 自分の人生だというのに、まぁいっかとは、大雑把過ぎる。とはいえ、切り替えの早さは彼女の利点でもあった。


「今日のお昼はなぁにかなぁー」


 フンフンと楽しげに帰り道を辿るイーヴィンの背後で、怪しい影が彼女を見つめていたのだが、お昼ご飯の予想を立てる彼女がそれに気づくことはなかった。

読んで頂き、ありがとうございます。

次話は明日、6月7日更新予定です。

次回のキーワードは『雑貨屋』。

よろしくお願い致します。

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