03 なつの月10日、牧場主初日
「じゃあ、行ってきます!」
シルキーに見送られ、イーヴィンは家の前に広がる空き地へやって来た。
しばらく使われることのなかったそこは、もとは畑だったはずだ。なのにそこは、面影もないほどに、荒れていた。
雑草が生えるだけなら、まだ分かる。イーヴィンが抱えられるくらいの石が転がっているのも、まだ分かる。
けれど、切り倒さねばいけないような大きな木が生えていたり、運べないほど大きな巨石が転がっているのはどうしてなのか。
「一体、どれくらい放置していたの……?」
はるの月、なつの月、あきの月、ふゆの月。それぞれ三十日あるから、一年は百二十日ある。
果樹から実が取れるようになるのが最低でも二ヶ月だから、見上げるほど大きな木になるには一年ほどかかるだろうか。
しかし、巨石が飛んでくるような大型の嵐があるのはなつの月である。なつの月になってから十日、まだ嵐はきていない。となれば、少なくとも一年以上は放置されていたと推測できた。
「おじ様め……」
金儲けは上手でも牧場運営はからっきしの叔父を恨めしく思いながら、イーヴィンはシルキーから貰った魔法の農具を道具箱から取り出した。
兎にも角にも、まずは更地にしなくてはいけない。
大きな木はオノで切り、木材に。大きな石はハンマーで割って、石材に。あとは保管するか売るかすればいい。
畑仕事が軌道に乗ったら牧畜を育ててみたいから、とりあえずは保管だろうか。
「あとでシルキーに相談しよう」
初心者であるイーヴィンが使える魔法の道具は、初心者らしく時間も手間もかかるものである。
プロの牧場主ともなれば力もあるので、より便利な道具が使える。金のオノは一振りで木をなぎ倒すこともできるが、銅の道具しか扱えない彼女はそうもいかない。
慣れない道具を握りしめ、イーヴィンは「さぁやるぞ」と勇ましく、畑の真ん中に居座る巨石に突撃して行った。
ーーガーンガーン!
ーーゴッゴッゴッ!
およそ農作業とは思えない音が、寂れた牧場に響き渡る。
音に気づいた村の人は、「とうとうシルキーが認める牧場主がやってきたか」とお茶を啜りながら微笑んだ。
そんな日の、昼過ぎのこと。
「うぁぁぁ……」
晴れ晴れとした雲一つない空の下。
イーヴィンは持っていた力を使い果たし、ドサリと荒地の真ん中で崩れ落ちた。
そして、運悪く、力及ばず叩き割ることが出来なかった巨石に頭を強かに打ち付けたのである。
その瞬間、彼女の脳裏に流れ込んだのは、一人の少女ーー入江ほのかという女の子の二十二年間に及ぶ記憶だった。
日本という国に生まれ、両親の元で四人姉妹の長女として育った彼女は、大学を卒業し、警察官になるために警察大学校へ入学する数日前に亡くなった。
春休みに訪れていた湖で、ボートから落ちた子供を助けに入水。無事に助けたところで力尽き、そこで意識は途切れている。
人の為にと警察官を志した、彼女らしい最期だったかもしれない。
同時に、ここが死ぬ前にプレイしていたゲーム『ハーモニーハーベスト』という牧場生活シミュレーションゲームの世界だと思い出した。
イーヴィンーー今の彼女は男主人公、リアンと対をなす女主人公である。
当たり障りのない、どこにでもいそうな平凡な顔。でも、主人公の一人なのでそれなりには可愛い。
牧場生活に憧れる少女らしく、キャラメル色の長い髪を三つ編みにして、動きやすそうな『夏空コーデ』という衣装を着ている。
夏空コーデはその名の通り、夏の空のような真っ青なワンピースに、雲のように白いエプロンドレスがついている。
なんというか、少女趣味っぽい服だ。
「って!話が違うんですけど!」
意識を取り戻すと同時に、入江ほのかことイーヴィンは、叫びながら上半身をガバリと起こした。
ベッドサイドで様子を見ていたシルキーが、イーヴィンの突然の行動に驚いて思わず背を反らしていたが、混乱する彼女はそれすら目に入らない。
アワアワと唇を震わせ、明らかに動揺していた。
ブクブクと唇から溢れる水泡を見つめ、「あぁここまでか」と意識を手放した後。
彼女は、美しい女性に声を掛けられた。
ローマ時代の女性のような格好をした、髪の長い女性は、ほのかにこう言った。
「貴女の勇気ある行動は、とても素晴らしいものです。本当はこのまま蘇らせてあげたいのだけれど、私にはそこまでの力がない。その代わり、貴女の望む世界に転生させてあげましょう」
その時、ほのかは言ったのだ。ゲームの世界に転生したい、と願ったのである。
だけどまさか、乙女ゲームを希望していたのに、同時期にプレイしていた牧場生活シミュレーションゲームに転生するとは思わなかった。
(乙女ゲームに転生って、テンプレじゃないの……?)
ほのかの中で、ゲームに転生と言えば乙女ゲームの悪役令嬢が当然だった。
かなり偏った考えではあるが、彼女はオタクなのである。真面目な優等生かと思いきや、その実態は隠れオタクだった。
王子に見捨てられ、実は腹黒なヒロインにざまぁし、隣国の王子あたりに見初められてハッピーエンド。そんなのを夢見ていた。
しかし、現実にそんなことはなかった。
転生先はのんびりとした牧場生活を楽しむシミュレーションゲームだったのである。
(まぁ、それはそれで悪くないけど)
『ハーモニーハーベスト』は、シリーズの初代からずっとプレイしているガチ勢である。
憧れの世界に転生して、嬉しくないわけがない。
現実では資金的に到底無理な、牧場主になれるかもしれなのだ。
悪役令嬢になれなかったのは残念ではあるが、これはこれで良かったかもしれない。
まだ出会っていないが、もしも彼女が知るゲームならば、村には婿候補と言われるキャラクターたちがいるのだろう。
そんな彼らと出会い、話しかけ、貢ぎ、親密度を上げてイベントを起こす。それは、乙女ゲームと似ているといえば似ているかもしれない。
(ちょっと違うけど、どことなく乙女ゲーム的な要素もあるにはあるか)
早々に切り替えたイーヴィンは、「まぁ、いっか」と呟いてベッドに倒れこんだ。
転生してしまった以上、どうしようもない。
ならば、楽しむまでである。
決めてしまえばなんてことはない。
とりあえず、転生先を間違えたことに関しては泉の女神に聞いてみることにする。
(もしかしたら関係ないかもしれないけど、女神繋がりで何か知ってるかもしれないし)
明日は泉の女神に会いに行こう。
そう決めたところで、イーヴィンはようやく、ベッドサイドでシルキーがオロオロしながら見下ろしていることに気が付いた。
倒れたのは畑だったから、もしかしたら彼がベッドまで運んでくれたのかもしれない。
「シルキーがここまで運んでくれたの?ごめんね、重かったでしょ?ありがとう」
イーヴィンの言葉に、シルキーは首を振ったり頷いたりと忙しない。
喋れない代わりに一生懸命伝えようとしているのが、なんとも健気だ。
「シルキー、大丈夫だから」
安心して欲しくて笑いかければ、シルキーは必死な様子で頷いた。
かわいなぁなんて思いながらシルキーの灰紫の目を見ていたら、イーヴィンはふとあることに気が付いた。
(ゲームにシルキーなんていなかったけどなぁ?)
こんなに綺麗でいじらしい婿候補がいたら、イーヴィンは間違いなくロックオンしたはずである。
だというのに、ほのかの記憶にあるゲームには、シルキーの存在がかけらもなかった。
どうしてだろうと考えて、イーヴィンは「あっ」と小さな声を上げる。
ゲームの中に、部屋の掃除や風呂の用意をするような場面はなかった。いつだって部屋は綺麗に片付いていて、入りたいときにお風呂に入れた。
牧場生活を楽しむゲームなのだから、当たり前といえば当たり前ではある。
見えていなかっただけで、シルキーはプレイ中もせっせと働いてくれていたのかもしれない。
「シルキー、ありがとう」
そう思うと感謝の気持ちでいっぱいになり、イーヴィンはシルキーの手を取って感謝の言葉を告げていた。
シルキーは手を取られたことに目を見開いて驚いたが、イーヴィンの柔らかな微笑みを見つめて困ったように笑い返した。
どうもイーヴィンは、異性であるシルキーに対して距離が近い。
それは彼が女性的な見た目だったからでもあるし、彼女自身が男に囲まれて育ったせいでもあった。
シルキーは、いつも一人で自由に家事をするだけの存在だった。
逆に言えば、誰にも感謝されず、誰にも構われなかったのである。
同じ家付き妖精のブラウニーは見返りが必要だが、シルキーはそれさえいらない。その代わり、気に入らなければ家から追い出す。
それが当たり前のシルキーに、何度も「ありがとう」と言うイーヴィンが、不思議で仕方がなかった。
けれど、感謝される度に胸に降り積もる暖かな気持ちは、悪くないと思った。
読んで頂き、ありがとうございます。
次話は明日、6月6日更新予定です。
次回のキーワードは『女神様』。
よろしくお願い致します。




