12 ふゆの月30日、星まつり
「ふわぁぁ……」
星まつりは、夜遅くに開催される。
普段ならば、ふかふかのお布団に包まってムニャムニャと夢の世界に旅立った後の時間。早寝早起きが習慣のイーヴィンは、眠くて仕方がないらしい。
欠伸がひっきりなしに出るし、睡魔はすぐそばで待機しているのか、その足取りは酔っ払いみたいに覚束ない。
庭に出した椅子に座らせても、シルキーの心配は尽きなかった。
悪戯好きの妖精が、何度も彼女に鱗粉を落として浮かせて遊んでいるのを見て、シルキーは慌てて粉を振り払う。
「眠ぅ……ねぇ、シルキー。夜明けまで起きていられる気がしにゃい……ふあぁぁ」
眠すぎて呂律も回らないイーヴィンに、シルキーは困ったように眉を下げながらも、どこか嬉しそうだった。
眠気覚ましの熱いたんぽぽ茶を淹れながら、口元には「仕方がないなぁ」と言いたげな、兄が妹を見るような慈愛に満ちた笑みが浮かんでいる。
今日のイーヴィンは、シルキーとお揃いの絹のワンピースを着ている。裾や袖にはレースが飾られ、ワンピースというよりドレスに近い。
お揃いというよりかなりアレンジがされているのだが、遠目からは姉妹のように見えるから不思議だ。目くらましの魔法を付与した、シルキー渾身の作品である。
目くらましの魔法を付与したのは、妖精たちが彼女を森へ連れて行ってしまう恐れがあるからだ。
異世界からの転生者である彼女は、妖精からすると愛さずにはいられない、ちょっかいを出さずにはいられない存在である。
シルキーが初対面の彼女を易々と招き入れたのだって、それが一因だった。
彼女が自覚しているかは分からないが、妖精たちは彼女が異世界からの転生者だと知っている。
この世界の妖精は、他の世界から転生してきた者を愛さずにはいられない。
珍しいものが好きだということもあるが、なによりもその魂が好ましい。この世界に染まりきっていない曖昧さが、面白くて仕方がないのだ。
更に彼女は、泉の女神からもやたらと加護を受けていて、妖精たちの注目の的だった。
飲みかけのたんぽぽ茶を持ったまま、とうとう寝入ってしまったイーヴィンの周囲を、小さな妖精が入れ替わり立ち替わりフワフワと飛んでいる。
零さないようにカップを避難させながら、飛び交う小さな妖精に「イーヴィンを起こさないように」と注意する。キィキィ言いながらも騒ぎ立てるのをやめた妖精たちを眺めながら、シルキーは彼女の寝顔を見守った。
妖精たちは女神の加護に負けてたまるかと、彼女の前に出現しては祝福のキスを贈る。
今夜は妖精に感謝する夜だというのに、まるで妖精が彼女を祝福する夜のようだ。
もしかしたら、森に棲む妖精全員が来ているのではないだろうか。それくらい、妖精が多い。
追い払っても追い払ってもキリがない。
いっそ一列に並んで順番に祝福してくれないかと言っても、羽虫のような小さな妖精たちに理解出来るはずもなく、理解出来たところで彼女を祝福したいという欲に負けるのでどうしようもない。
苦笑いを浮かべながらせっせと彼女に降りかかる鱗粉を払いながら、シルキーはどうしたものかと困惑する。
そのうち、シルキーは無邪気にキスをする妖精たちが羨ましくなってきた。
そういえばまだ彼女に祝福のキスをしたことがなかったなと今更ながらに思い出して、ムニャムニャと唇を動かすイーヴィンを見つめる。
してみようか。
妖精のシルキーが、そんなことを思うのはおかしなことだ。
妖精なら、考える前に祝福している。キスをしようか迷うこともない。
現に彼女と初対面であるにも関わらず、訪れた妖精たちは躊躇いもせずにキスを落としてキャッキャと嬉しそうに帰っていく。
彼が迷うのは、しようとしているキスが、ただのキスだからだ。妖精が贈る祝福のキスではなく、男女がするような、愛を捧ぐキス。
シルキー自身にその自覚はないが、彼はイーヴィンを異性として意識している。
男して認識されないことに腹を立てたりしているので気付きそうなものだが、妖精が人間に恋をするのは滅多にないことで、思い至らないようだ。
今は、イーヴィンを庇護すべき妹のように大切に思っていて、彼女の穏やかな生活を守りたいと願っているーーと彼は認識している。
庇護したいとか思っているが、本当は、彼女をただ取られたくないだけだ。
それらしい理由を取ってつけているのは、彼が妖精だからだろう。
どうせ人間は、妖精のように長生きしてくれない。
恋をしても、いずれは置いていかれる。
だから、いつでも手放せて、それでいて近くに居られる兄であろうとしているのだろう。
彼はそれを全て、無意識に行なっている。
イーヴィンの隣で悶々としていたら、いつの間にか日を跨いでいたらしい。気付くと村の方から、祝いの歌が微かに聞こえてくる。
その音色に合わせるように、どこからともなく妖精の女王が護衛のスプリガンを伴ってやって来た。ゆったりとした足取りで、女王はイーヴィンのそばへ身を寄せる。
「おやまぁ。今度の転生者はなんと可愛らしいこと」
女王は眠るイーヴィンをしげしげと見つめた後、限りなく唇に近い頰に祝福のキスを落とした。
それを見たシルキーの胸に、モヤモヤとした澱みのようなものが湧く。嫌悪感に思わず顔をしかめると、女王はシルキーを見て再び「おやまぁ」と言った。
「男のくせに情けない。シャキッとしろ。この子が好きなのだろう?妖精が人間に恋をしてはいけないなんて理はない。妖精の言葉が通じなくても、愛を告げる方法はあろうに」
「女王……僕は、彼女を兄のように見守っているだけです」
「ほぅ?妾にはそのように見えないが……まぁ、良い。それならそれでな。人間に恋をするのも、たまには良いぞ?人間は可愛い。特にその娘は、女神からも我ら妖精からも愛される子。長く共にあれば、好きにならずにはいられまいよ」
ニヤニヤと訳知り顔で見つめてくる女王に、シルキーはムッとした。
「彼女は男が苦手なのです。僕は彼女に穏やかな生活をしてもらいたい。ただ、それだけです。だから僕は、男ではなく、兄として彼女のそばにいるべきなのです」
どうだ、と話し終えたシルキーが女王を睨む。
女王は、彼の言う言葉がよく分からないらしい。不思議そうな顔をして、シルキーを見ていた。
「よう分からんが……まぁ、良い。可愛いこの子が毎日を楽しく過ごせるなら、妾は満足じゃ。この子のサポートを、しっかり頼むぞ」
「言われなくても、そうします」
「可愛げがないの」
「僕は白の貴婦人ですが、男なので。可愛くなくて結構です」
「ほんに、可愛くない」
子供のようにぷうと頰を膨らませる女王から、シルキーはぷいっと顔を背けた。
彼に可愛いは禁句である。
二人のやりとりを黙って見ていたスプリガンだったが、村から聞こえる音色が終わりに近づいていることに気づいて、女王へ声をかけた。
「女王様。そろそろ帰りませんと、王が拗ねまする」
「王など放っておけば良い。あやつめ、村のリサとかいう娘が綺麗じゃと言うて……妾は傷ついたぞ」
「しかし……」
助けを求めるように見つめてくるスプリガンに、シルキーは仕方ないと肩を竦めた。
たしかに、いつまでも女王がここに居るのは困る。
王の戯れに嫉妬するのは勝手だが、愚痴を聞かされる身にもなってほしい。
「間も無く夜が明けます。森へ帰れなくなったら、困るのは女王では?」
シルキーの言葉に、女王はあからさまに残念そうな顔をした。それを素知らぬ顔で無視を決め込み、シルキーは森の方へ手を差し出して「お帰りください」と言外に伝える。
「昔は可愛かったのにのぅ。今じゃすっかり男になりおって、面白くない。さて、そろそろ帰るぞ、スプリガン」
「畏まりました」
ステンドグラスのような繊細な羽を広げ、女王は空へと舞い上がる。
女王に連なるように、小さな妖精たちも一斉に飛び立った。
飛ぶことが出来ないスプリガンは、ずんぐりとした体を転がすように走り去っていく。
それを見送り、シルキーは濃紺から薄紫に変わり始めた空を眺めてため息を吐いた。
「僕は兄であるべきなんだ。そうだよね?イーヴィン……」
その声は兄というにはあまりにも、切ない響きを持っていた。
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次話は明日、6月19日更新予定です。
次回のキーワードは『大工』。
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