騎士が英雄になるまでの数奇な冒険譚
ありきたりな冒険譚。
マルス・レクターは平民の生まれながら剣術の才に恵まれ、若冠18歳にして王国近衛騎士団の入団試験に合格した逸材だった。
王国近衛騎士団といえば国王を守る盾、所謂キングス・ガードであり、将来を約束された職業である。
マルスの生まれた村は貧しく、彼の両親は10年前の大飢饉で亡くなっていた。一人ぼっちのマルスを助け、育てたのは当時の村長だった。
村長もまた息子夫婦と生まれたばかりの孫を飢饉で失っていた。互いに独りだった二人は支え合い、そして飢饉を乗り越えた。
2年前に村長が亡くなると、マルスは村を出て王都で職を探した。一人で畑仕事をして生活をしていくのに、限界を感じての事だった。
村を旅立つ日、すっかり住み慣れた村長宅を出るマルスの足は重かった。
新天地でやっていけるだろうか、一人で生きていけるのだろうか、悩めば悩むほど思考が重く沈んでいった。
「マルス!」
そんなマルス少年の迷いを払ったのは、隣に住む少女シルヴィアだった。新しく村長になったヌミトル・ロングの一人娘で、マルス少年の1歳下である。
マルス少年を気にかけ、村長の家に来てからというもの、ほとんど毎日のように訪ねて来ては言葉を交わした仲だ。
「マルス!本当に行くの?」
シルヴィアの長い髪が風にそよぎ、彼女の顔を隠しているせいで、マルス少年には彼女がどんな表情でそこに立っているか分からない。
けれど、抑揚を抑えて語りかけるシルヴィアを見て、マルス少年は無性に彼女を愛しく感じた。
「マルス!……!!」
風向きが変わり、髪で隠れていたシルヴィアの目元が露わになる。
目尻に涙を溜めたシルヴィアが、顔を見られまいと目元を擦る。
そんなシルヴィアの仕草に、マルスは自分を抑える事ができなかった。気付いた時には彼女を抱き締めていた。
「……!!!」
「ご、ごめん…シルヴィア。だけど、俺はシルヴィアのことが」
「……私も、マルスのことが」
「好きだ」「好きだよ」
そうして二人は将来を誓いあった。
マルスは身を立て、必ず迎えに来ると誓った。
シルヴィアは彼を待ち続ける事を誓った。
村を離れるマルスの足取りは、さっきまでとは比べ物にならないくらい軽くなっていた。
こうしてマルスは旅立ち、そして王都で剣術を学び、近衛騎士団に入ったのだった。
マルスが近衛騎士団に入団して2週間が経った頃、国中に激震が走った。
伝承に描かれている『魔王』が復活したというのだ。
王国は即座に魔王討伐部隊を結成し、その第一陣を送り出すも、部隊は全滅し誰一人として帰ってこなかった。
国中の学者が過去の伝承を読み解き、『魔王』復活に呼応して現れる『勇者』の存在に辿り着いた。
これまた国中の魔導師、占星術士が集まって『勇者』の所在を占い、遂に見つけ出した。
『勇者』は意外にも、マルスの故郷の村にいる事が分かった。
それを聞いたマルスは自ら、『勇者』を迎えに行く部隊に志願したのだった。
2年ぶりの帰郷に、マルスは自分の心が浮わついている事を自覚していた。
『魔王』が復活し、世界に災厄がもたらされようとしているにも関わらず、シルヴィアとの再会に胸を踊らせていたのだった。
部隊は村長であるシルヴィアの父を訪ね、村に『勇者』がいる事を告げた。
次に村中の者を集め、同行してきた魔導師と占星術士による識別を始めた。
その間マルスは、ヌミトル・ロング村長に村を出てからこれまでの事を話した。
村長は、我が子の事のようにマルスの出世を喜んでくれた。
しかし、話がシルヴィアの事に至ると、村長はばつが悪そうに視線を泳がせた。
「シルヴィアは今は隣の村まで遣いに行ってるんだ。日が沈むまでには戻るだろう」
そう言って村長は、他の騎士と話し始めてしまった。
空が暁に染まる頃、馬車が帰ってきた。シルヴィアが遣いから戻ったのである。
「おかえりシルヴィア」
出迎えたのはマルスだった。2年ぶりに会う最愛の人を、マルスはすぐにでも抱き締めたい衝動に駆られていた。
「マルス!嘘!?ほんとにマルスなの!!おかえりなさい!!」
シルヴィアもまた、喜びを表情に出していた。
2年という月日が経っても尚、愛情に変わりはないと、マルスはそう思った。
「ただいま帰りました~って誰?」
シルヴィアの後から入ってきたのは、マルスの知らない人物だった。
「アムルスだ。よろしくマルス君」
「マルスです」
マルスはアムルスと名乗る青年と握手を交わした。
聞けばこの青年は、半年ほど前に森で倒れているのを見つけて以来、ヌミトル村長が面倒を見ているのだそうだ。
「なんせ、何も覚えてなくて。唯一身に付けていたペンダントにアムルスと書かれていたので、とりあえずそう名乗っているんです」
確かに、記憶喪失のアムルスを放逐するわけにもいかない。だが、ヌミトル村長の家には年頃のシルヴィアもいる。その辺り、もう少し配慮があった方が…と、マルスは内心思ったが口には出さなかった。それよりも、
「シルヴィア、今日の君も美しかったよ」
「やめてよアムルス。パパやマルスの前で」
マルスは、シルヴィアとアムルスの異様な仲睦まじさに違和感を覚えていた。
次の日、探していた『勇者』があっさりと見つかった。
アムルスが『勇者』だったのだ。
おまけに、シルヴィアからはかつて『勇者』と共に『魔王』を倒した、『賢者』の資格があることが分かった。
二人はすぐに王都に招かれ、国王と謁見する事となった。
そして、今代の『勇者』と『賢者』となった二人は、魔王討伐の為に旅立つ事になった。
未熟な二人を支える為、そして旅の中で実力を磨かせる為、彼らとパーティーを組む者が選出された。
『暗殺者』、『冒険家』、『獣使い』、そして『騎士』がそれぞれ選ばれた。
マルスもまた、シルヴィアを近くで守れるようにと『騎士』に志願し、その席を勝ち獲った。
勇者パーティー旅立ち直後、パーティーの中で最も強いのはマルスであった。
勇者パーティーから逃げるように、魔王は大陸を北へ北へと移動していた。
勇者パーティーの旅立ちから1年経ち、それぞれのメンバーはすっかり実力をつけていた。
特に『勇者』と『賢者』の成長ぶりは凄まじく、マルスは実力的にはすっかり二人に置いていかれてしまっていた。
この頃になると、アムルスとシルヴィアはマルスの目も憚らずに身体を密着させ、親密な様を見せつけるかのようになっていた。
シルヴィアだけではない、『獣使い』の姐さんや最近加わった『剣姫』の少女も、アムルスにベッタリだ。
マルスと『冒険家』のおやっさん、普段から表に顔を出さない神出鬼没の『暗殺者』の少女は、事態の異様さに気付き始めていた。
そんな時、事件は起こった。
『冒険家』のおやっさんが戦死したのだ。
相手は魔王軍総大将ベルゼブブ。人の姿をしているが、漆黒の翼と頭から生えた2本の角、鋭く尖った爪を持つ、魔王の眷属たる魔人である。
おやっさんの死によって、勇者パーティー内の雰囲気は一転した。
これまで以上に『勇者』にベッタリするようになった三人の仲間。
いつの間にか、マルスは孤立していた。
おやっさんが死んで1ヶ月が過ぎた頃、マルスは意を決してシルヴィアに尋ねた。
「君はアムルスの事が好きなのか」
「………」
「旅の前から、どこかそういう雰囲気を感じていた。そして、この旅の中で確信に変わった。だけど、ずっと聞けなかった。頼む、今の君が俺をどう思っているのか教えてくれ」
「………私は、」
「シルヴィアと僕は愛し合ってるんですよ」
マルスとシルヴィアの間に割って入るように、アムルスがやって来た。
「アムルス…俺はシルヴィアに聞いているんだ。すまないが、少し二人で話させてくれないか」
「できない相談だね。今日の君は少しいつもと目の色が違う」
「何を言ってるんだ?俺はこの通り落ち着いているし、例えシルヴィアがなんと言おうと受け入れるつもりだ」
「そういう人に限って、逆上したりするんですよね」
「なんだと…」
マルスが腰の剣に手を伸ばすより早く、アムルスが後ろに回り込みマルスの首もとを叩いた。
「ぐ、ふ…」
「朝まで休んでいて下さい。せっかくのお楽しみを、邪魔されてはつまらないですから」
「ま、て…シルヴィ…」
薄れゆく意識の中でマルスが最後に見たのは、アムルスに肩を抱かれたシルヴィアの後ろ姿であった。
その夜、シルヴィアの純潔はアムルスに捧げられた。
勇者パーティー内でのマルスの立場は、いつの間にか一番低いものとなっていた。
毎晩のようにアムルスは女性たちと枕を共にし、マルスはその嬌声を聞くはめになった。
愛するシルヴィアの喜びに濡れた声も、何度となく聞かされた。
日に日に心が磨り減るのを感じたマルスは、魔王軍の魔人との戦いにも集中できないことが増えていった。
反対に、マルスを除く4人のコンビネーションは抜群だった。『賢者』の魔法で敵を牽制し、『獣使い』の操る獣が雑魚を蹴散らす。『剣姫』が手練れを斬り倒し、最後に『勇者』が敵の指揮官を討ち取る。
もはやパーティーでの存在意義を無くしたマルスは、次の作戦を終えたら王都に帰ろうと決心していた。
そして作戦の日。
対象は、かつて『冒険家』を殺した魔王軍大将ベルゼブブ。
せめて、おやっさんの仇だけでもと、マルスは己を鼓舞した。
その日のマルスは鬼神の如き剣さばきで、次々とベルゼブブの繰り出す魔法を斬り返していた。
そして、マルスの剣がベルゼブブの胸を貫いた。
「見事だ人間よ。これほどの使い手は他にはいまい」
「敵に、褒められてもな…」
苦笑したマルスは、ベルゼブブが既に息絶えている事に気が付いた。
そして、上空から何かが落ちてくるのに気付いた。
「これは…シルヴィアの魔法?」
それは何度も見たシルヴィアの広範囲殲滅魔法『プロミネンス』の光球だった。
マルスは離れた場所にいる勇者パーティーの仲間達を見た。
アムルスが腹を抱えて笑っていた。
「そうか、俺はここで死ぬのか」
マルスは自分でも驚く程あっさりと、命を諦めた。
パチッと目が開いた。
それと同時に全身から汗が吹き出し、心臓が激しく脈打つのが分かった。
「俺は…生きているのか?」
「残念ながらね」
「!?誰だ…!!」
「苦楽を共にした仲間に向かって誰だとは…随分な物言いね」
「お前は…『暗殺者』の…」
「イリア・イリオスよ」
『暗殺者』の少女イリアは、シルヴィアの放った広域殲滅魔法『プロミネンス』の火球が直撃する瞬間に、マルスを助け出した。
『暗殺者』であるイリアは勇者パーティーを影から支え、メンバーの前にもほとんど姿を現さなかった。
だからなのか、彼女は『勇者』アムルスの歯牙にかかる事なくここまできた。
そして、勇者パーティーから距離を置いていた事で、客観的に事態の異常さを見る事ができていたのだ。
「それで君は、アムルスのハーレムから逃れる為に、パーティーを離れたのか」
「そういうこと。魔王討伐なら残ったメンバーだけでも十分だろうし、正直あのハーレムには加わるのはちょっとね…」
「…それで、これからどうするつもりだ?パーティーを離れて、もし見つかりでもすれば、どんな酷い目にあうか」
「この国を離れてもいいけど、一人で行動するには少し心許ないのも事実ね。まあ、だから、私は貴方を助けたのだけど?」
「つまり…俺に同行しろということか」
やれやれとばかりにマルスは肩をすくめ、自分が久しぶりに自然な笑みを浮かべているのに気が付いた。
聞きたくもなかったシルヴィアとアムルスの初夜の音を聞き、アムルスの築いたハーレムで居心地悪く過ごしていた時には、こんな風に笑うこともなかったなと、マルスは改めて思い返すのだった。
マルスが回復してから、二人は旅を始めた。旅の目的は、勇者パーティーの討ち漏らした魔人を倒すこと。。
実は、勇者パーティーはいち早く『魔王』に辿り着く為に、魔人に襲われている幾つかの村や街を見捨てて来たのだ。
特に『勇者』アムルスのハーレムが完成してからは、その傾向が顕著になり、幾つかの村や街は魔人にされるがまま放置されていた。
マルスとイリアは、これまで自分達が見捨ててきた土地を救う、いわば贖罪とも言える旅に出たのだった。
「とはいえ、現在進行形で魔人に占拠された土地が増えている状況で、私達だけでは大した事はできそうにないな」
「まあそう言うな。俺たちが少しでも目立って魔人の目を引く事ができれば、被害に遭う土地が少しは減るかもしれないだろう。」
「さっすが、堅物の『騎士』様は言う事が違うね」
「冷やかすな。ほら、そろそろ街が見えてきたぞ」
砂漠を越えて二人が辿り着いたのは、オアシスにできた街だった。この街には恐ろしく強い魔人が住み着いており、近隣諸国から何度か討伐隊が派遣されたが、いずれも惨敗していた。
勇者パーティーにも救援の要請がきていたが、『勇者』アムルスの判断で、魔王討伐を優先する為に立ち寄ることなく見捨てられていた。
「かなり強力な魔人がいるそうだが」
「『騎士』と『暗殺者』だけでどこまでやれるのかしら」
「俺が敵の正面に立つから、君には敵から身を隠しながらの援護を頼みたい」
「定石ね。わかった。それでいきましょう」
結果だけ言うと、オアシスの街を占領していた魔人は、あっさりと倒された。
『騎士』が正面から敵を引き付け、『暗殺者』が離れた所から攻撃を仕掛け、魔人が隙を見せた瞬間に『騎士』が一刀両断した。
噂ほどの手応えが無かったことに疑問を感じながらも、マルスとイリアは勝鬨を上げ、建物に身を隠していた住民達がゾロゾロと姿を現した。
解放された街の住民達は、彼らに大いに感謝し、精一杯の労いにと三日三晩宴会を開いた。
また彼らが街を去る時には、砂漠を越える為の荷物とラクダを贈り、二人の姿が見えなくなるまで、手を振って見送っていた。
砂漠を越えた二人は、今度は山林に点在する村々を訪問し、そこを占領している魔人達を討伐して回った。
魔人退治の旅の中で二人は、魔人に占領されたまま放置されている町や村の多さに驚いていた。
「勇者パーティーにいた頃よりも魔人と戦っているかもしれない」
ポツリと漏らしたマルスの言葉に、イリアも静かに頷いた。
「こうして勇者パーティーを離れてみると、ちっぽけな事にいつまでも執着するのが馬鹿馬鹿しく思えてくるよ」
「あら、もしかしてまだ『賢者』のことを?」
「恥ずかしながら、な」
「悪いことではないわよ。仕方ないとも思うし。愛していたのでしょう?」
「愛していた。ああ、確かに愛していたな」
そう言いきったマルスの顔はどこか晴れ晴れとしていた。
二人組の旅人が、魔人に占領された村や町を解放している。
この噂は二人が山林の村々を解放した直後から、瞬く間に王国全土に拡がった。
やがて『解放者』と呼ばれるようになった二人の活躍は、勇者パーティーの耳にも届くところとなった。
「『解放者』だと?『勇者』であるこの僕を差し置いて…?」
トントンと机を指で叩きながら、『勇者』アムルスが苛立った口調で呟いている。
勇者ハーレムのメンバー達も、王国から送られてきた『解放者』に関する報告書に目を通しながら、同様に苛立ちを隠せないでいた。
「この『解放者』って奴ら、ひょっとして」
「あり得ない!だって『騎士』は!」
「私の『プロミネンス』で死んだはず…」
『賢者』の消え入りそうな声が響いた。
『解放者』マルスの歓喜の声が、空高々に響き渡った。
今日もまた、魔人に占領された街がひとつ解き放たれた。
隠れていた民衆がマルスに駆け寄り、一緒に勝鬨を上げた。
もうひとりの『解放者』であるイリアは、建物の屋根の上からその光景を眺めていた。その目はどこまでも優しく、まるで愛しい者を見守るようだった。
ザワリと、イリアは胸の疼きを感じた。
「マルス!何か来る!!」
すぐさま自身が感じ取った異常をマルスに伝え、イリアは屋根から飛び降りて民衆を離れた場所に避難させた。
マルスは剣を抜いて周囲を警戒する。
魔人の残党か、もしかしたらベルゼブブ並の上級魔人か。いずれにしても、戦いになれば街に被害が及ぶ。
そんなことを考えながらも、マルスは隙なく警戒を怠らなかった。
だからこそ、真上から飛来するその攻撃に反応することができた。
キィィィンッッ―――
剣が弾いたのは、人の頭ほどの大きさの石だった。
紛れもなく、『賢者』による魔法『メテオール』だ。
「来るぞイリア!」
マルスの声でイリアは思い切り跳ね跳んだ。
どこからともなく現れた無数の獣達が、先程までイリアの立っていた場所に牙を立てていた。
「チッ!せっかくシルヴィアに透明化してもらったのに、使えない獣だねぇ!」
忌々しげに現れたのは『獣使い』の姐御だった。
「くっ、なんで!?」
わざわざ俺たちを攻撃するんだ!と言おうとして、マルスは吹き飛ばされた。
『賢者』の風魔法で加速された『剣姫』の一撃を、瞬時に防いだためだ。勢いまでは御せず、身体ごと建物に突っ込んでしまった。
「マルス!くっ!?」
一瞬気をとられたイリアを、『勇者』アムルスの斬撃が襲った。
間一髪、直撃から免れたイリアだったが、攻撃の余波を受けて傷を負っていた。
崩れた瓦礫から出てきたマルスが、剣を構えて声を荒げた。
「勇者パーティーがなぜ俺たちを襲う!?」
風魔法で浮かんでいた『賢者』シルヴィアが、フワリと舞い降りた。
『勇者』アムルスがその隣に立ち、シルヴィアの肩を抱く。うっとりした表情を浮かべるシルヴィアを見て、マルスは顔をしかめる。
『獣使い』と『剣姫』も合流し、勇者ハーレムがマルスとイリアの前に立ちふさがった。
「『解放者』だとかなんとか呼ばれて、調子に乗ってる奴がいるって聞いてね。もしかしたら魔人の作戦かも知れないと思って、様子を見に来たんだ」
「そうしたら、私の『プロミネンス』でベルゼブブ共々死んだはずの貴方がいたので、『魔王』が作ったアンデッドだと判断して攻撃したんです」
「おまけに、『勇者』の命令を聞かない裏切り者も一緒ときた」
「『魔王』の配下と考えても差し支えないかと」
好き勝手なことを口にしながら、勇者ハーレムの面々は蔑むような、苛立つような顔をして、各々の技を構えた。
「じゃあ、そろそろ目障りなんで死んでもらおうか」
『勇者』アムルスの一声で、『賢者』の魔法が、『獣使い』の獣が、『剣姫』の斬撃がマルスを襲った。
街全体を大きな衝撃が駆け抜け、屋根より高く舞った砂埃が辺りを覆った。
「これで目障りな奴もいなくなって、僕のハーレムも安泰だな。後は『魔王』をサクッて、この転生ライフを謳歌するだけだ」
「『勇者』様?」
アムルスの呟きに、シルヴィアがきょとんとする。
「あー、気にしなくていい。なんでもないんだ独り言だ」
「はぁ」と気の抜けた返事をするシルヴィアは、チクリと胸に違和感を抱いた。
「二人だけでなに盛り上がってるんだ?」
「私たちも混ぜてくださいまし」
マルスの死を確信した勇者ハーレムは、緩みきっていた。
そのせいで気付けなかった。『暗殺者』の隠密スキルによる接近を。
「ぐっ、があああああぃっってぇーーー!」
『暗殺者』イリアの刃が、『獣使い』の首を引き裂いた。
『剣姫』が反応して斬りかかるが、既にイリアは離脱して、次の一手に取りかかっていた。
「シルヴィア!早く回復を!!っっ!?」
『剣姫』の胸に、イリアが投げたナイフが刺さる。
「おのれチョコマカとー!」
激昂した『勇者』が地面に剣を突き立てる。
そのまま力を込めると、剣を中心にして地面が隆起して、一気に弾け跳んだ。
足場を壊されたイリアはその場でバランスを崩し、『勇者』の剣がその身を貫かんと迫ってきた。
が、その突きはイリアに届かず、『騎士』の大剣によって防がれた。
「マルス!?貴様いい加減しぶとい…!」
「ぬおおおおお!!!!!」
勇者の言葉を待たずに、マルスは剣をフルスイングしてアムルスの顔面に思い切り叩き込んだ。
不意を突かれた『勇者』は避けることもあたわず、直撃を受け、そのまま気絶してしまった。
「アムルス!!」
倒れた仲間に治癒魔法をかけていた『賢者』が、『勇者』に駆け寄ろうと立ち上がる。
だが、『賢者』の身体に突然大きな衝撃が走り、気を失ってしまう。
マルスはよろけたシルヴィアを支え、ゆっくりと地面に横にした。
「シルヴィアは一体どうしたんだ?」
「さあ?魔法が解けたんじゃないかしら?」
「?」
訳がわからないまま、マルスは倒れた勇者ハーレムを眺めていた。
街の住民達が、倒れた勇者ハーレムの面々を集会所まで運んで介抱してくれた。
イリアから致命傷を負わされた『獣使い』と『剣姫』は、『賢者』シルヴィアの回復魔法で一命を取り留めていた。
『勇者』アムルスは完全に気を失っており、しばらく目覚めそうに無かったので、両腕、両足、胴体をベッドに縛り付けた。
最初に意識を取り戻したのは『賢者』シルヴィアだったが、どうにも様子がおかしかった。
「なんで?どうして?私は…なんで??」
目覚めるや否や、混乱したように頭を掻きむしり、狂ったように同じことを言い続けていた。
住民達が運んできた水や食事にも口を付けず、取り乱すばかりのシルヴィアには、かつての『賢者』の凛々しさは無かった。
一晩明けて、『獣使い』と『剣姫』も目を覚ましたが、シルヴィア同様に混乱した様子だった。
特に『剣姫』の取り乱し方は異常で、「どうして!?なんで私は!?そんなの嘘!嘘よ!嘘よ!」と叫びながら、枕を引きちぎっていた。
最初に冷静になった『獣使い』が、マルスとイリアに話があると呼び出した。
神妙な面持ちの『獣使い』は、マルスとイリアを前にすると、ベッドから地面に座り直し、地面に頭を付けた。土下座である。
「すまなかった……!」
プライドの高い『獣使い』の、意外な行動を目の当たりにして、マルスとイリアは動揺した。
だが、そんな二人をお構いなしに、『獣使い』は言葉を続けた。
「こんな事で許されるとも思ってない。あんた達を襲った事を。だけど、聞いてくれ、頼む」
『獣使い』が語った内容はこうだった。
『勇者』アムルスと初めて顔を合わせたその瞬間、どうしようもなくアムルスを愛せずにはいられなくなった。
そして、それまで大切に思っていたもの、自分の家族や、使役する獣達の事がどうでもよくなっていったのだそうだ。
それはおそらく、他の二人『賢者』と『剣姫』も同じだろうと言っていた。
特に『賢者』シルヴィアは、アムルスと過ごした時間が一番長かった。
その為、最も色濃くその影響を受けたのだろうと。
マルスには、にわかには信じられない話だったが、色々と府に落ちる点があるのも事実だった。
イリアは、この『獣使い』の告白を記した書簡を王国へ送った。
3日後には王国からの査察団が街にやって来て、『獣使い』『剣姫』そして『賢者』の三人の聴取が行われた。
派遣された魔法使いによって、三人には強力な催眠魔法が掛けられていた痕跡が見つかった。
未だに気絶したままの『勇者』アムルスからは、催眠魔法の永続発動魔道具が見つかり、『勇者』の比類なき魔力によって起動させ続けていた事も分かった。
マルスの一撃で気絶した際に魔力供給が絶たれ、催眠魔法が解除されたのだ。
事態を重く見た王国査察団は、直ちに街の住民達に箝口令を敷き、『勇者』アムルスの身柄を拘束して王都へと輸送した。
被害にあった三人も、『勇者』が輸送され次の日に王都へと護送された。
査察団の治癒師やシスター達と話すことで、『賢者』も『剣姫』も、なんとか落ち着きを取り戻していた。
馬車が立つ前、マルスとシルヴィアは少しだけ言葉を交わした。
昔のように、まだ村で暮らしていた頃のように、話すことができた。
それは何年かぶりの、二人で過ごす穏やかな時間だった。
走り去る馬車が見えなくなるまで、マルスは見送っていた。
そんなマルスの背中を、イリアが優しい眼差しで見守っていた。
勇者パーティーの一件からしばらくして、王国から『解放者』の二人に、正式に『魔王』討伐の依頼が来た。
『勇者』との戦いで壊してしまった家を直す為、マルスとイリアはまだ同じ街に滞在し続けていた。
いっそこの街を拠点にしようか等と考えていた矢先に、王国から正式に『解放者』と名指しされ、『魔王』討伐を依頼する書簡を受け取ったものだから、さすがの二人も慌てふためいた。
王国から正式な書簡で依頼されるのは、これまでの二人の旅の功績を考えれば当然なのだが、元々自己評価の低いマルスにしてみれば意外な事だったのだ。
さっそく旅支度を済ませた二人は、街の住民に惜しまれながら旅立った。
それからおおよそ1年ほど、『解放者』による魔人討伐は続いた。
王国内で魔人に占領されていた最後の村を解放して、二人の魔人討伐は完了した。
そこは小さな漁村だった。
水面で満月が揺れ、海風がマルスの頬を撫でた。
魔人討伐は完了したものの、未だに『魔王』の足取りは掴めないでいた。
王国から全面的な援助を受けながら『解放者』の二人は度を続け、なんとかここまでやってこられたが、『魔王』に関することだけは何も分からずじまいだった。
王国でも伝承の解読を進めたり、占星術士が占ったりしているが、何も掴めてはいない。
『魔王』が存命している限り、またいつ魔人が襲ってくるかも分からず、民は眠れない夜を過ごすことになる。
静かに海を眺めていたマルスの前に、月明かりに照らされたイリアが姿を現した。
「こんな夜更けに呼び出すなんて、一体どうしたの?」
「………」
「なに?言いたいことがあるなら言いなよ?」
「ずっと、考えていた事がある」
「なに?」
「『魔王』の事だ」
月が雲に隠れ、イリアの姿がよるの闇に溶けた。
ぼんやりとした輪郭を感じながら、マルスはたどたどしく言葉を繋げた。
「これだけ探しても見つからないということは、『魔王』は既にこの大陸自体からいなくなっているか、もしくは既に倒されているかしているんじゃないかと思うんだ」
「………」
「それから、これまで魔人と戦ってきて思った事がある」
「………なに?」
「ベルゼブブより強い魔人と戦ったことがない」
「………」
「あいつより強い魔人は、この旅の中で出逢わなかったんだ」
「………だから?」
「だから………ベルゼブブが、『魔王』だったんじゃないかって」
「………」
「そして、ベルゼブブを倒した俺が………今は『魔王』になっているんじゃないか?」
ザザザっと、強い風が波を立てた。
月を覆っていた雲が動きだし、再びイリアを照らし始めた。
「フフフ、なるほど。すごいわね。いや、さすがです『魔王』様。よもや、ご自分でお気付きになられるとは」
月が照らしたイリアの姿は、人間の物ではなかった。
額から二本の角が生え、天を突き刺さんとばかりに伸びていた。
目は赤く染まり、口元からは牙が見えた。
「改めて名乗ります。魔王軍将軍イリア・イリオス。『魔王』様がお目覚めになるまで、御身をお守りさせていただいておりました」
「イリア………」
マルスが悲痛な顔を浮かべた。
「確かにベルゼブブ様は『魔王』でした。しかし、貴方が勝った事で『魔王』の証は貴方に移られたのです」
「証だと………?」
「はい。『魔王』とは魔人族の思念の集合体。形を持たず、意思も持たない、ただの力の塊なのです」
「それを身に宿すことで『魔王』になるのか」
「はい。貴方がベルゼブブ様を倒したことで、証はより強い貴方へと移った」
「そして俺は、まんまと『勇者』を倒した」
「はい。ですが、多くの魔人も倒されました」
「………」
「けれど、貴方が真に『魔王』の力を受け入れれば、魔人はいくらでも生まれます。ですからどうか」
「黙れ!」
「!?」
「イリア、俺は『魔王』にはならない」
「今さら何を!?自覚したのなら、覚醒は近いのです!貴方にその気がなくとも、証はいずれ貴方の思考を呑みこみ、無理矢理にでも『魔王』にします!」
「俺の意識を残すには、俺自身が『魔王』を受け入れるしかない……」
「そうです!だから!」
「それでも!」
「!?」
「それでも俺は、『魔王』を受け入れるわけにはいかない」
「けれど、それでは!」
「分かってる!」
「………」
「分かってる。だから、俺ごと『魔王』を葬る」
「そんなことできるはずがない」と言いかけて、イリアは気が付いた。
いつも見ていたマルスの姿を、顔を、瞳をみて、気が付いた。
マルスがすでに何かを決意しているということに。
「貴方が死んでも、証は残るかもしれませんよ」
「そうならないように、善処する」
「無駄死にするかもしれないのよ」
「分かっている」
「あなたは……馬鹿よ」
「………ははっ、いつものイリアに戻ったな」
「なっ…!?」
はははと笑いながら、マルスは海へ向かって歩き始めた。
「マルス!」
「イリア、国王に伝えてくれ!『騎士』マルスは『魔王』と相討ちになって死んだと。亡骸は、海に落ちて流れていったと」
「マルス!!」
「じゃあな!イリア!君との旅は楽しかった!」
「マルス……、私も、楽しかったよ」
最後のイリアの言葉はマルスの耳には届いていなかった。
ザザザと波が揺れて、突風が舞った。
風は森を越え、砂漠を越え、王都を越え、マルスの故郷の村まで届いた。
村外れの草原に、シルヴィアが腰を下ろしていた。
風はシルヴィアの髪を優しく揺らし、またどこかへと吹いていった。
後の歴史に『魔王』が現れることはなかった。
最後の『魔王』となった『姿なき魔王』を打ち倒した『解放者』『騎士』マルスは英雄として祭り上げられた。
『解放者』イリア・イリオスは、彼の旅路を人々へと伝える語り部として、再び国中を行脚した。彼女がこの世界に残った最後の魔人であることを、今はもう誰も知らない。
『勇者』アムルスは魔法使い達によってその正体が判明した。彼は異なる世界から魂のみ渡り来た転生者だった。ハーレムを作り出した催眠魔法は、彼の元々の資質だった。なぜ彼のような者が『勇者』に選ばれたのかは、未だに分かっていない。
『獣使い』はしばらく王都にいたが、牧場を営む幼馴染みが迎えに来て故郷の村へと帰っていった。今では四児の母親になっている。
『剣姫』は海を渡り、他の大陸に行ってしまった。元々貴族であった彼女は、『勇者』との一件を親に責められ、武者修行の旅に出たらしい。
『賢者』シルヴィアは故郷の村で、両親の畑仕事を手伝いながら暮らしていた。
彼女の日課は、今はもう主のいなくなったマルスの家を掃除することだった。
いつか、帰ってくるかもしれないからと彼女は言った。
操られていたとはいえ、マルスには酷い仕打ちをした自責の念が、未だに払拭できないでいた。
そんな彼女を両親は、静かに見守るのだった。
さて、海流に乗って辿り着いたのは緑の生い茂るジャングルだった。
身体からは、今まで感じていた重く冷たい力は感じない。
『魔王』の証というのは、確かに強力な思いの塊らしいが、その結合はとても弱いものだったようだ。
同じ魔人とはいえ、元々は赤の他人同士の思念の集合体。きっかけさえあれば、簡単に離れてしまうものだったのだろう。
「でもだからって、海を漂ううちに流れていくとはなぁ」
広大な海にとっては、『魔王』の証など小さな点に過ぎなかったのだろう。
「こんなことなら、『勇者』も『解放者』も必要ないじゃないか」
はははと笑いながら、マルスはジャングルへと足を踏み入れた。
そういえば、いつの間にか笑うようになったなと思う。
いつからだろうか。
そんなことを考えながら、マルスはまた新しい旅へと向かっていった。
ゲスな勇者に幼馴染みを奪われ命まで奪われそうになった俺が復讐する話のつもりがこうなった。