王太子様の決意
「どう言うおつもりですか、兄上」
どう言うつもりかだと? そんなの知らぬ、体が勝手に動いたのだ。
ただ、この女を失いたくない、その一心だけだ。
「アレクサンドラはこの女を危険視している。
つまりこの女が国の害にならなければ殺す理由は無い、と言うことだな?」
知恵を絞るのは苦手だが致し方ない。
考えろ、私の婚約者が死ななくて済む道を。
「急に惜しくなりましたか。兄上はリズベスに多少の情を持っているようですが、婚約者に興味はなかったはずです」
そうだな、私もびっくりだ。
「思い違いをしているようだな、弟よ。
キサマは王族だが王位継承権を放棄した未成年にすぎん。キサマの意思決定などなんの価値もない。そして」
ふっと息を吐くとたちまち鎌鼬が起こり、弟が持つ腕輪がぱっくり二つに割れた。閉じ込められていた呪いが空中に霧散する。
「最高権力者の前では真理も正義も意味の無いことだ」
破壊された証拠を弟は苦々しげに一瞥した。
「ご自分が白を黒に変える権力をお持ちだとでも?」
「いいや。この国の王は私でもキサマでも無く、父だ」
父は女のことを認めているが、それ以上にアレクサンドラのことを買っている。
フォーサイス公爵家と親交も深い。公平な君主であるが、父だって人間だ。友人の娘を守りたいはず。
「王族の婚約者と伯爵の養女、寵臣の娘と大罪人の娘、体制を護るものと壊す者。
どちらに天秤をかたむけるか。
考えるまでもないことだ」
金属の擦れる音がした。黒ずくめの男がナイフを構えている。
「身分の高い奴はごちゃごちゃ理屈をこねていけねぇや。
ほっとけばその女はこいつを殺す。だからその女を殺す。単純な理屈だ」
なるほど、理論の上でシンプルと言うのはわかりやすく、強い。
しかしこのまま論破されて引き下がるわけにはいかぬ。
「その通りだ。しかしキサマの理屈なら、アレクサンドラがその女を傷つけぬのなら、キサマもアレクサンドラに手をかける道理が無い。
前に言ったように、この女がこの国の害にならぬと判断できれば、アレクサンドラは傷つけぬ。
信用できぬと言うのなら、監視をつけるなり誓約の輪をつけるなり好きにすれば良い。
しかし命を奪うことだけは認めん。どうしても私の婚約者を排すと言うのなら」
力が満ち、肌を風が舐めていく。室内だと言うのに前髪が浮かび上がる。
「やれるものならやってみろ」
歯をむき出して嗤う。
不遜? 傲慢?
何が悪い。私はカナン王国の王太子、ルイス。この国最強の風使いだ。
気まぐれな風が戻ってきたのを感じる。今なら誰にも負ける気はせぬ。
加勢でもするつもりか、動こうとした弟はしかし、足を止める。
服の裾を、あの女が掴んでいた。
「殿下」
「ダメだ」
「でも……」
何を言いたいのか察したのだろう。言葉を封じさせるように弟は女を抱き締める。
「君を失えないんだ。わかって……」
「殿下、殿下が大切に思ってくれるように、私だって殿下が大事なの。私にも殿下を守らせて」
女は弟の腕からするりと抜け、こちらに向き直る。
「王太子様、今回私に毒を盛ったのは辺境伯令嬢です。彼女は罰を受けました。それで話は終わりです」
その瞳は私を、その背後のアレクサンドラを見据えている。
「言い訳になるかもしれませんが、私は自分の知識が異質だと知りながら、自分が与える影響を知らずにいた。
この国を脅かすつもりなんて無かったんです。
殿下は王族です。この国の政治体制が危うくなれば真っ先に命を奪われる。教えてくださらなかったら、私は殿下を断頭台へ送るところだった」
「はっ。良い子ぶるんじゃないわよ。国の害になると判断したら、あたしはあなたを殺すわよ。
今度は刺し違えても」
黙っていれば良いのに、アレクサンドラは吐き捨てるように殺害予告をする。
軽度ならば視線でも呪える公爵令嬢から女を隠すよう、男二人は身構えたが。
「構いません」
女は真正面から受け止め、笑ってみせた。
「私は言ったはずです。あなたはこの国に無くてはならない人だと。
見た目に反して強かで狡猾なあなたにすっかり騙されてしまいました。この国の将来を守るにはあなたの力が必要です。
それともここで罰を受け、私を野放しにしておきたいのですか?
危険人物である私の監視を続けた方が良いのではないですか?」
「そんなことしなくても、あなたが居なければそれで済む話だと思わない?」
場に再び緊張が走り、固唾を飲んで成り行きを見守る。何しろ、かつて弟のために容易く死を選んでみせた女だ。
「嫌です」
されど、我々の懸念とは裏腹に、本人はけろりと否定した。
「私は決めたんです。絶対に生き抜くって。殿下を一人にしないって」
「リズベス……」
母親にすがり付く幼子のような弟へ、安心させるように慈悲深い笑みを送る。
「それに、私を消したところで、隣国で革命が起こってしまった今、民主化の流れを止めることができない。
政治体制を脅かす存在が現れたら、その度に消すのですか?
力で抑えたって、反発を生むだけ。何の解決にもなりません。それがわからないあなたではないはずです。
私を利用してください。私は今までにない政治体制を知っています。
平民と貴族の妥協点がきっとあるはずです」
どこにそんな自信があるのか、胸を張って宣う様はまるで預言者だ。
「馬鹿馬鹿しい。そんなものあるわけない」
「その時は私を呪ってください。
私は文字を操るのみで大した防御もできません。あなたの呪いで簡単に命を奪えるでしょう。
ですがやりもしないのに諦めないでください。
あなたの大切な人たちを守ることはできます。この国に最適な政治体制はきっと見つかります」
私は背後の婚約者を顧み、細い指を握る。
知らなかった。この華奢な身体で戦ってきたのだろう。ずっと一人で。
この女を喪う訳には行かない。
「アレクサンドラ、頼む……」
堪えてくれ? 折れてくれ? 違う。
「私と共に歩んでくれ」
アレクサンドラは諦念とも安堵ともとれる吐息を溢す。
「ルイス様がそう仰るのなら」
精霊は逃げない。これは彼女の本心からの言葉だ。
最後に、あの女は私にこう告げた。
「王太子殿下、以前言ったこと、謝罪します。
命に代えてもあなたを王にしたいと言う人間が、ちゃんといるのですね」
‡ ‡ ‡
「父上」
侍従らを引き連れ、王宮の通路を行く父の後ろ姿を呼び止める。
「どうしたルイス?」
「これから来期の国策を論じる会議をなされるのでしょう?」
「うむ」
「私も同席して良いですか?」
いつもは泰然としている父が、驚いた顔を隠そうともしない。
「急にどうしたのだ。座っているだけでつまらぬと申しておったではないか」
「確かにじっとしているのは苦手ですし、話が難しくて眠くなります。
でもいつまでも苦手なことを避けているわけにはいきませんから」
すると父は、その顔を綻ばせた。
「成長したな。
どうなることかと思ったが、婚約者の一件がそなたに良い影響を与えてくれたのだろう」
良き王になりたいと思った。王に成れない弟のために。
王の評価など後の時代の人間が決めることだが、せめてこの国の民を幸せにする努力はしたいと思う。
妖精のような容姿のくせに存外肝が据わった婚約者が傍にいてくれれば、何でもできるような気がする。
風の精が戯れ、服の裾を靡かせている。
私は先を行く父の跡を追いかけた。
そしてヒロインは出てこないっていう。




