父が最悪なことには変わりない
「第二王子と上手くやっているようだな」
久しぶりに共に食卓を囲む父が、子牛の丸焼きを切り分けながら、機嫌よく唇の端を上げる。普段は社交だか娯楽だかに夜な夜な繰り出していて、屋敷で共に食事をとることは滅多にない。
「理由をつけてよく屋敷を訪れていると聞いた。役立たずの女、早々に亡くしたのは幸運だった。同情を引けたのだからな」
「そのような意図は御座いません」
あの子は優しいだけだ。母親を亡くした小娘を、ただ無償で気遣ってくれる。この血も涙も無い男と違って。
父が空のワイングラスを掲げた。
無言の催促に年若い侍女が慌ててワインを注ごうとした。指先が緊張で震えており、案の定、ワインは零れ、テーブルクロスに滴る。
父は僅かに指先を上げた。椅子が音を立てて倒れる。私が勢い良く立ったせいだ。
「っ」
侍女を庇った私の背に、父の指先から生じた雷流が鞭のように振るわれた。肌が焼けるように痛い。
父は生粋の雷使い。感情により、多くは苛立ちにより、身体から雷が迸る。堪忍袋の緒が切れると比喩ではなく雷が落ちる。
「食事中に席を立つな」
「申し訳ありません」
お嬢様、とか細い声で呟く侍女の背を押し、辞去するよう促す。
服が擦れる度に背中がひりひりする。確実に跡になっているだろう。貴族の血を引き、魔法耐性が在り、護符も持っている私だからこの程度で済んでいるが、平民の彼女ではこうはいかない。
「ふん、興が削がれた」
例え侍女が死んだって、こいつは何の痛痒も抱かないだろう。
「使用人は家具と同じだ。一々気に掛けるなと言っておろう」
「はい」
「そう言って聞き入れた試しが無いな。王子も、こんな聞き分けの無い、辛気臭い女のどこが良いやら」
「仰る通りです」
「今日はやけに殊勝だな」
反論を言っても仕方がない。嫌味となって還元されるだけだ。
「いえ、お父様のお言葉通りだと思いまして」
だが、今日は有り難い。
「どうしても不思議なのです。王子殿下は過分にも私を気にかけてくださいます。婚約者と言えど一貴族の小娘に、ご機嫌伺いのような真似をされるでしょうか。例え肉親を亡くしたとしても、です」
「くだらぬ。子供の気まぐれであろう?」
「例え高貴なる御方の気まぐれでも、王族が特定の貴族を贔屓する行為ならば、お付きの方が止めるはずです」
本当はそうではない。第二王子である彼が周囲に気に掛けられてないだけだ。でも、そんなことは口に出さない。
「何故なのかずっと疑問でした。でもこう考えると、納得がいくのです」
私は息を吸う。ここからが正念場だ。
「お父様、領民を虐げていらっしゃいませんか?」
「何を言い出すのだ!」
「お怒りはごもっともです。ですが、どうかお聞きください。
隣国では共和政が始まって十年近く経ちました」
隣国サルバラードは我が国カナンとの戦争により税金が高騰し、革命が起き、それまでの王政を廃し、平民による政治が始まった。当初は処刑が横行し政治が混乱したが、皮肉にも共和制を認めない諸外国との干渉戦争により、国内はまとまり、今に至る。
「権力を握る王家に、富を占める貴族に、不満を持っている平民もいます。中には、この国でも共和制を、と望む者もいるでしょう」
隣国の革命の余波で、未だ古い体制のこの国は、傍目からそうは見えなくてもぐらついている。
「不満を逸らすには、別に敵を作るのが最も単純です」
ヒトラーがインフレで苦しむドイツ国民の不満をユダヤ人に向けさせたように、この方法は簡単だが残酷なほど効果がある。
「しかし我が国は吹けば飛ぶような小国ですので、国外に敵を作るのは賢いやり方ではありません。
作るとしたら国内、それも支配階級ならば、民たちの留飲も下がるでしょう」
身を切る改革。痛快な響きだ。日々の暮らしに精一杯の人たちは、汚職で捕まった政治家たちを見てザマーミロと思うだろう。正義が行われていると錯覚し、自ら行動を起こすのを思い留まるかもしれない。
「しかし誰を敵にしたら良いでしょう?
知名度の低い人物では、効果がありません。あまりに有名な人物でも政治に影響が出ては困ります。例えば王族を敵とした場合、民たちの信頼を失い今の支配体制が根元から揺らぎかねませんし、身内を生贄にはしたくないでしょう。
ですがここに、丁度よいスケープゴートがおります」
父の琥珀色の目を見据える。
「婚姻によって公爵になることが決まっている一貴族。民から見れば王族のくくりに入るでしょう。取り除いても国政に影響がなく、処刑して領地を召し上げれば済む。元々王族の地になるはずでしたし問題はありません」
口からの出まかせのはずだが、本当にそうかもしれないと思えてきた。
だいたいおかしいのだ。
身分制度が絶対のこの国で、リズベスの行いは正式な婚約者から奪おうとコナかけていた平民の女に個人的な制裁を加えていたに過ぎない。
その平民が王女であったことが明らかになって罪が明るみになるわけだが、本人たちの意思とは別の思惑が働いていたのかもしれない。
「今一度お尋ねします。お父様、不当に民を虐げてはいませんか? 王家につけ入る隙を与えてはいませんか?」
訝し気だった父もようやく私の言わんとしていることを察したらしい。苦虫を噛み潰したような顔をした。
「心配せずとも好い」
女が口を出すことに良い顔をしない父がそう言うことは想定済み。しかし、それでは困るので、反論を防ぐべく事前にリサーチ済みだ。
「今年の冬に、我が領で餓死者が出たと聞きました」
「それくらいどこでも出ているだろう。それがどうした」
餓死者がいると聞いてなんの対策もしない人物だから、この男は為政者として失格なのだ。
「それは我が領が重税を課しているからではありませんか? いいえ、例え他の領並みだったとしても、同じだからこそ、見せしめに処罰するかもしれません。
これからは民の顔色を伺う時代になります。これまでのやり方は通用しないでしょう」
正直、将来レナード侯爵家が犯し、父娘共に処刑されることになる罪は覚えていない。父は弱い者には酷く扱う代わりに、自分より立場の強い者にはへりくだる。暴力や脱税といった軽度の犯罪はあり得るにしても、大きな罪を犯す度胸の無い小心者だ。
だから、恐らく彼の罪は格下の領民を虐げることだろうとあたりをつけた。
「もう一つ、我が領には初夜権なるものがあると聞きました」
俄に父の顔色が変わった。
「誰に聞いた」
「誰からでも良いではありませんか。問題は私の耳に入るくらい噂になっているということです」
情報提供者の侍女の身を思い冷や汗が出たが、辛うじて誤魔化せた、はずだ。
「社交界にデビューしてもいない小娘の耳にも入っているのです。既に王都にも聞こえているのではありませんか?」
あまりにも純潔が神聖視されるこの世界で、かつての中世のように聖職者や権力者が花嫁が処女かどうかを検査していた。それが捻じ曲げられ、自領に新婚夫婦がいた場合、領主が新郎よりも先に新婦の処女を奪う権利を初夜権と言う。道理に合わない前時代的な、この国でも百年も前に廃止された黴の生えたような制度だが、強力な地方分権で領主に多くの権限があるこの国の領の一部ではまだ息づいている。
こんなのが父親かと思うと気分は最低だが、妻が病弱であることを言い訳に、見目の良い花嫁が居たら寝台に呼んでいたらしい。
父も、うら若い娘に知られてはバツが悪い程度の判断力があるらしい。
「心配せずとも好い。しかし、これより王子の訪問を断れ」
「急に訪問を拒否すれば、何かあると言っているようなものです」
「では、どうすると言うのだ。このわしに畜生共のご機嫌伺いをしろ、と?」
「いいえ、急に態度を改めても不自然でしょう」
正直、そこまでは期待していないし、この男の差別意識は演技をしても滲み出るので無理だ。
「私に領民を懐柔する許可をください。ある程度の権限と、先立つ資金をください。領民らの信頼を集め、将来の第二王子の配偶者として切り捨てるには惜しいと思わせねばなりません。
お父様は、暴力や性的な行為で領民を虐げるのをお止めください。脱税や重税など以ての外です。自分より地位の低い貴族に強くあたるのもお控えください。要らぬ恨みを買ってあること無いこと証言されてはたまりません。
私たちは監視されています。法を守り、隙をつくらないことです」
父は暫く黙っていたが。
「考えておこう」
そう言って、席を立った。
父の姿が見えなくなってからようやく息をつく。喉がカラカラだ。
どこまで釘が刺せたかわからない。父は器が小さいくせにプライドが高い。女の言うことに聞く耳を持ってもらえただけでも御の字だろう。
デザートの余韻を舌で楽しみながら思う。
本当に必要なのは、その後だ。
王子の力になるには、彼の望むままに婚約破棄するだけでは足りない。
罪を犯し、醜聞に塗れた家では、婚約を解消した彼の力になれない。実績と信頼、容易く失うものを、コツコツと積み上げねばならない。そのために、父は障害になる。切り捨ててしまえれば楽だが、私はまだ保護者を必要としている年齢だし、あんな人でも父親だ。
これで、余計な行動を控えてくれると良いのだが。
ようやく物語が動き出す……と言うところで、PCに変なメッセージが出ています。どうやらハードディスクに異常があるので、はよバックアップせいと言うことらしいです。
続きはかなり先になりそうです。(´・ω・`)