王太子様の独白
「いかがでしたでしょうか、妹様。今回の話は」
「70点」
「な、ななじゅう!?
確かに年内に終わらせようとして最後は駆け足だったし」
「それにしちゃ、締め切り遅れたよね」
「……」
「だいたい悪役令嬢もののくせに乙女ゲームのヒロイン出て来ないし」
「それは話の展開上仕方ないと言うか」
「ザマーするにせよ、フェードアウトするにせよ、ヒロインが出てこなければ悪役令嬢ものとは言えないね。
だいたい異世界恋愛のジャンルのくせに恋愛要素が足りないし。そう言う意味では50点」
「……。(あ、赤点は回避?)
つ、続きは、どうしたら良いでしょうか。止めといた方が良いでしょうか」
「書きたければ書けば?」
……がんばる。
「あの子の足枷になるくらいなら、ここで死ぬ」
女の細い首には縄の鬱血の跡がついている。だと言うのに、紫に変わった唇が弧を描く。
「私はあの子を王にする!」
その笑みは息を飲むほど壮絶で。
鳥肌が立つほど美しかった。
‡ ‡ ‡
最近、風を満足に扱えない。
精霊たちが呼びかけに答えない、と言うのが正しいか。
そんなことを漏らしたら、宮廷魔術師たちが「どこが」と情けない顔を並べていたが。
幼いころから、目を凝らすと大気に浮遊する光の粒が見えた。
当たり前のように見えるので、皆も見ている光景だと思っていた。
そうでないと分かったのは四つの時。宮内が騒がしかったのを覚えている。
「隣国で反乱が起こっただけだ。心配せずとも良い」
いつも囲む食卓で、父は疲れた顔で幼い私を抱き上げた。
「ちちうえ、いま、うそをつきましたか」
父は驚いて頭を撫でる手を止める。
「何故そう思う?」
「ひかりがちちうえからにげました」
庶民が反旗を翻した隣国の革命は、我が国すら揺るがす一大事だった。
自国の王政の存続を父も危惧していただろう。
他の精霊は知らないが、風の精は嘘を嫌い、正しさを好む。
私は今まで、良くも悪くも自分の思う通り、正直に生きていた。
しかしあの女に糾弾されてから、自分の行いに疑問を持ち始めた。
だからこそ、風の精は私を避けているのだろう。
執務室を抜け出し、庭園を歩く。
腹が立つほど良い天気だ。上昇気流でも起こして雨でも降らせるか。
しかし弟の顔が思い浮かぶ。
幼い頃、雨雲を集め過ぎて王都を何日も雨にした上に周囲の領を日照りにしてしまった。
力を使い果たして寝込んでしまった私の代わりに周囲の領主に謝罪行脚させられた弟は、その時のことを未だにネチネチ言う。
上昇気流を断念して気の向くままに足を進めていたところ、栗色の長い髪が目に入った。
あの女だ。
思わず木陰に姿を隠した。
そんな自分に驚愕する。
栄えあるカナンの王太子が、小娘相手に敵前逃亡だと?
「ほらほら、何とかしてあげるから泣かないの」
何をしているかと思えば、身をかがめ、幼女の頭を撫でている。
どうやら、木の上に子猫がいるようで鬱陶しく鳴いている。
「ちょっと持っててね」
と言って日傘を持たせると、徐にハイヒールを脱ぎ、絹のストッキングまで脱ぎ始めた。
「待て待て待て」
思わず声を出してしまった。
素足を晒すのは淑女としてあり得ない行為だ。
「まあ、王太子様」
あんなことがあったのに、本人は存外けろっとしている。
「何をしている」
「樹に登ろうと」
王宮の財である樹が損なわれるのが心配なのですね、大丈夫です、私登るの慣れてますよ、と見当違いのことを言い出した。
木登りが得意な令嬢とはどういうことだ。
「貸せ」
幼女から女の日傘を奪い、開く。
跳躍すると同時に局所的な上昇気流を起こし、自分の体ごと傘を持ち上げる。
枝先で鳴いていた白く毛足の長い子猫の首をむんずと掴んで着地する。
そして、唖然とした顔で見ていた幼女に子猫を寄越した。
それを見ていたあの女が「リアル、メリー=ポピンズ。但しイケメン」と呟いていたが、何の呪文だろうか。
子猫をしっかりと抱きしめた幼女は何度もお礼を言って建物の方へと駆けていく。
「お優しいところもあるのですね」
「どう言う意味だ」
血も涙もない冷血漢だとでも?
「他人を思いやれない……失礼、自分のことしか考えられない方かと」
言い直してもひどい。
「そもそも何故ここにいる」
「義兄ギディオンに昼食を届けに来た帰りです」
どんな手を使ったのか、女はあの堅物チェンバレン家の養子となったらしい。
「牢に囚われることまで仕出かして、よくも王宮に顔を出せたものだな」
その言葉は凶器となったらしい。
さすがの女も顔を伏せ、苦痛を食らえるように唇を噛む。
「仰る通り、私はあの時死ぬべきでした。
私はあなたより殿下の方が王になるべきだと思ったし、今でもそう思っております」
目の前に本人がいるのに堂々と糾弾する。良い神経をしている。
「なのに、私のせいであの子が王になるすべを絶ってしまった」
「政より女を優先するのが王の器だと?」
事の顛末は父から聞いた。
父相手に取引を持ち掛け、女のために誓約の輪まで刻んで処刑を回避させたらしい。
父から話を聞いた時、愚かと断じた。
仮にも王族の男子が、取るに足らない女のために肉体を損なうとは。
「左様。そちの言う通りなのだがな」
父の周りの精たちが妙な動きをしている。嘘では無いが真実でもない。
「何か?」
「王と言う責務上、余は容易く我が身を犠牲にするわけにはいかん。
そちはそんなこと関係なく、決して他人のために血肉を捧げるようなことはせぬだろう。そちは自分より価値のある人間などいないと思っているからな」
反射的に反論しかけたが、そうではないと言い切ることができるだろうか。
私は私より優れた風使いに会ったことがなく、容姿も優れ、この国で一番高貴な血筋だ。
私の身辺を護るために命を捧げる人間がたくさんいる。
「あ奴は我々とは違う。他人のために平気で命を投げ捨てることのできる人間だ。
誤解するな。ロイの行いを賞賛する気は無い。
ただ、そちとロイは全く違う王になるだろう。
ロイは立場の弱いものを思いやれる人間だ」
私に帝王学を授けた父は肯定するのか?
色欲に溺れ、判断を誤るような弟を?
「そちは百年、いや、五十年前なら名君として歴史に名を刻んだやもしれぬ。しかし、王が玉座でふんぞり返っているだけの時代は終わった。
どちらが王に相応しいか、それともどちらも選ばれないか、それは、これからの時代が決めることだ」
父にそう言われてから混迷は一層深くなった。
余計なことを思い出させた女は、頬を薔薇色に染め、愛おし気に目元を細める。
「私は女ですから。王冠より大事だ、などと言われてしまっては負の感情を抱けません」
人形のように無機質だった女だと思っていたのに、万華鏡のように違う一面を見た気がした。
女は跪いて忠誠を示す。ただ、その目は射るように強い。
「王太子殿下、生き恥を晒す我が身を憐れむなら、どうか良き王におなりください。
あの時あの子のために死に損なったなどと、思わせないでください」
女とはこんなものだっただろうか。こんな風に自分の意思を持ち、主張する生き物だっただろうか。
良き王になれと、女は言う。弟を王にすると言って眼前で首までくくってみせた女が。
良き王とは、何だ。
これからの王が平民どもの顔色を窺わなくてはいけないことくらい、この私でもわかる。
父は、思いやる、と表現した。
それは、慈悲を与えてやるのとどう違うのか。
足の向かうまま歩いていたら、見知った部屋の前に辿り着いた。
開いた窓からはカーテンが舞う。
その向こうには、透き通るような肌も相まって今にも消えそうな風情の乙女。輝くような金糸の髪を耳にかけ、難しい顔で紙の束を捲っている。
私の気配に見開いた瞳は、祖先に妖精の血を引いているとかで光によって変わる世にも珍しい色をしている。
「ルイス様?」
婚約者のアレクサンドラ。
公爵家の血筋で、容姿も申し分ない。気性も穏やかで、男に従する大人しい娘だ。なのに、最近物足りなく思ってしまうのは何故だろう。
「何を読んでいる?」
「いえ、何でも」
問えば、慌てて読んでいた紙の束を纏めだした。
ひらりと足元に落ちた一枚を拾い上げる。タイトルのようだ。
「トルーマン著、平民の権利の獲得? どうしてこんなものを?」
アレクサンドラは恐縮した面持ちで俯く。
「ルイス様は賢しい女がお嫌いでしょう?」
「いや、そうは思わないが?」
即答した自分に疑問を覚える。
今までは政治や学問に口を出す女を鬱陶しく思っていたのではないか?
「先日、監獄に民衆が詰め掛けたこと、覚えておいでですか?」
「ああ」
私が生きてきた中で、あれ程の群衆が詰め掛けたのは初めてだっただろう。
あの女の釈放を求め、女子供までが列をなした。
「わたくし、それが恐ろしかった。貴族は魔術に優れているとは言え、数が少ない。
国の大半は平民です。彼らが武器を手に取ればこの国はどうなるでしょうか」
我が身を抱きしめ震える婚約者は酷く儚げだ。
「わたくしは思いました。知らないから余計恐ろしいのだと。
彼らを、その考えを、その思いを知ればこの恐れを和らげることができるのだろうか、と」
それでこんなものを読んでいたのか。
「読んで、どうだ?」
「わかりません。
わたくしは公爵家の娘として生まれ、セオフィラス陛下の御代を生きて参りました。
この王宮内の、貴族の世界しか存じません」
所在なさげにか細い首を振るアレクサンドラは、早くから親元を離され、王宮で私の母や最高峰の家庭教師などから教育を受けた。
その彼女でも答えが導き出せないと言う。
「隣国では貴族でない者が政権を担っていると聞きます。この国もそうなるのでしょうか。
その時、貴族の父母は、義弟はどうなるでしょうか? 良くしてくださった陛下は、娘のように扱ってくれたお妃様は、王となるルイス様は……」
心配ないと以前の私ならば言っただろう。
だが、今の私に安請け合いしてやることはできない。
私は良き王となれるだろうか。
この国を導くことができるだろうか。
‡ ‡ ‡
「また、こんなところにいたのですか」
城の屋根の上に寝転がっていたら、窓から顔を出した弟に見つかってしまった。
「昨晩お伝えしたように、本日は本国の魔法陣製品の開発者、商会の代表らが謁見に参ります。
将来この国の産業を担う者たちです。
次期王である兄上が激励の言葉をかけてくださることで彼らも安心するでしょう」
この弟に、兄上は凄いですね、と言われる度に違和感があった。偽りを口にする弟には風の精が寄ってこない。
「何故ここがわかった」
「幼い頃から何かあると、ここに来ていたではないですか。馬鹿と何とやらは高いところが好きと言いますしね」
だが今は、周囲を平気な顔で浮遊している。これが弟の本音かと思うと、苦い思いがするが。
なんと言うか吹っ切れた感じだ。今までのように人の顔色を窺わず、舌に遠慮がない。
「で、何かあったのですか?」
私のことが心配と言うより、最近上の空で甚だ迷惑なので一応聞いておいてやる、と顔に書いてある。
「良き王とは何だろう」
呟くと、父によく似た群青の瞳を瞬いた。
「兄上が僕の意見を求めておいでですか? 珍しいですね」
「そちは私を何だと思っているのだ」
元婚約者と言い、無礼すぎる。
弟は窓を出て屋根の上に並び立つ。幼い頃、私に手を引かれても、高いところが怖いと柱にしがみついていた弟が。
「かつて僕は、みんなが笑って暮らせる国を作りたいと願いました。
富める者も貧しい者も。平民も貴族も。魔力持ちも持たざる者も」
風を受けて王都の街並みを眺める弟の顔は大人び、いつの間にか背も高くなっていた。
「僕はもう王にはなれません。
でも夢は諦めません。自分ができることをするだけです」
その時初めて、こいつは私の背を追いかける子供でもなく、妬ましげに指をくわえるスペアでも、将来の臣下でもなく、一人の人間であると、思った。
「それにもう僕一人の夢ではありません。リズベスも素敵だと言ってくれましたし」
「元婚約者か」
「いずれ現婚約者に戻ります」
間髪入れず、挑むような眼差しを寄越す。
「お前の趣味はわからん。大人しい顔をしてとんだ女だぞ」
躊躇いもなく首をくくってみせた女の笑みが、今でも鮮烈に目蓋に焼き付いている。
そんな女に拘る弟が、心底わからん。
作り笑いばかりしていた弟が、微笑む。今まで見たことも無いような甘ったるさを含んだ表情で。
「自分の死にも眉一つ動かさない女が僕の口づけ一つで真っ赤になるんです。可愛いでしょ?」
それは……可愛いやもしれん。
「兄上」
僅かに表情を変えた私に、口だけに笑みを残し刃のような眼力で睨む。
「アレは僕のものですからね」
何事も諦めたように眺めていた弟が、これ程自分の所有を主張したことがあっただろうか。
「馬鹿を言うな。あんな女など頼まれても二度と相手にするものか」
少なくとも私の手に負えるような女ではない。
弟は、お得意の魔法陣の線の間違いを見極めるような目付きをした。
私の言葉に偽りは無い、はずだ。
だがもし、弟が私のように風の精が見えていたら、何を感じただろか。
弟は生まれた順も、王位継承権も、魔法の才も何もかも劣る。そのはずだ。はずだった。
それなのに、弟を羨ましいと思う感情が全く無かったと言えるだろうか。あんな風に思われて、王位を望まれて。
――お前には、いるのか? 命に代えてもお前を王にしたいと言う人間が
私は全てを持っている。しかし、今あるものが何もなかったとしたら。
仮に弟のような立場だったら、それでも私を王に望む者はいるだろうか。
栓無き話だ。弟は最早王になれぬ。私が王になるしかない。
王になって何をするのか、この国はどうなっていくのか、方向性は見えていない。
でもせめて、良き王になりたい。
皆に望まれるような。
そう心に決めれば、胸を覆う靄が少し晴れた気がした。
数日後、執務をしていた私に一つの報が飛び込んできた。
あの娘が倒れたとの知らせだった。




