蛇足 新たな家族
初めてマッサージ受けると痛いよねって話。
(表面)
「私のような者を受け入れてくださり感謝申し上げます」
新しく義父になったチェンバレン伯爵に頭を下げた。
私が受けた人狼刑は前世で言うアハト刑みたいなものだ。
神聖ローマ帝国であった刑罰で、有名な人で言うと宗教改革を進めたルターが受けている。
受けた者は一切の権利が剥奪される。
殺されるわけでも牢に繋がれるわけでも無いから別に良いじゃん、とピンと来ないかもしれないが、これがなかなか厄介だ。
例えば私がアイスクリームを売ったとする。ところが客は代金を踏み倒した。すると普通なら客を警察につき出すことができるだろうが、私は泣き寝入りするしかない。
私に裁判を受ける権利が無いからだ。
人を害すとお巡りさんに捕まる。だから人を傷つけない。刑罰と言うのは犯罪を未然に防ぐ効果がある。
ではそれが無かったら?
金のガチョウにでもなった気分だ。物を盗まれても、暴力を振られても、殺されても文句は言えない。
しかしこれには抜け道があって、権利の代わりに自分を守ってくれる存在、例えば権力者の庇護下にあれば良いのだ。
ルターも神聖ローマの一部であるザクセン選帝侯に保護されてたらしい。
そう言う意味でチェンバレン伯爵はうってつけの人物だ。誰もわざわざ裁判所のトップの持ち物を壊そうとは思わないだろう。気分を害されたらどんな判決を出されるかわかったもんじゃない。
と、こちらにとっては都合が良いが、相手にとってはそうでもない。幾ら王命があったとしても、私を養女にすることにはデメリットしかない。チェンバレン家は王の機嫌を窺う必要の無いほど信用されているし。
口ではきついことを言われたが、私の身辺を守るためにわざわざ貧乏くじを引き受けてくれた。その行動に感謝しかない。
「わしも打算無しにキサマを受け入れたわけではない」
巌のような顔をした伯爵は意外なことを言い出した。
「わしに息子がいるのは知っているか?」
「ギディオン様ですね」
牢で出会った騎士の顔を思い出す。
「うむ。あ奴はわしに似ず、元々騎士であるチェンバレン家の血が濃い。
貴族らしい駆け引きができず、脳みそまで筋肉でできているような人間だ。
わしとは折り合いが悪く、早くから家を出て知人の騎士に弟子入りした」
彼が語った内容は、乙女ゲームの知識と合致するものである。
「わしも父の期待に反し、法律家を目指した身である。
あ奴にも自分の進退くらい好きにさせてやりたいが、王から賜った伯爵領への責任もある。
正直、後継者として期待が持てん。あ奴は人を使う人間ではなく、人に使われる人間だ。
領地経営するには有能な人間を雇えばどうにかなるかもしれんが、あ奴も書面と格闘するより形ある敵と格闘したいだろう」
「つまり、私に領地経営に携われと?」
「それもある。平凡以下の領を富ませ、反乱を企てる程の資金を生み出したキサマの手腕は買っておる。
が、それが原因で罪に問われたばかりだ。暫くは大人しくしていた方が無難だろう」
釘を刺されてしまった。では何を期待されているのだろう。
「実はそれ以上に頼みたいことがある。
あ奴、幼いころから男だらけの世界に飛び込んだので、想像以上に女に慣れておらぬ。
それで変な女に引っかかるのでは、と心配してな」
そう言えば、騎士ルートは難易度が低かった。
ギディオンの母は(つまりチェンバレン伯爵夫人は)彼が幼いころ他の男と駆け落ちしたので、家庭的なものに憧れている。
手作りとかそれ系の選択肢を選べば、初心者でも楽勝で攻略できる。
「キサマとは面識があるそうだな。うちで引き取ったと言ったら、早速顔を見に来ると連絡があった」
「お優しい方だから同情してくださっているのでしょう」
ギディオンは堅物でくそ真面目だが、悪い人では無かった。私を気遣ってくれるような素振りもあったし。
「あの剣しか目に入らぬ息子が珍しく興味を持っている。これはチャンスだ。
キサマは義妹として身内の異性となった。距離を縮め、息子に女への免疫をつけて欲しい」
「お任せください! 必ずや打ち解けて見せます!」
私は拳をぐっと握った。
新しい家族と仲良くなる、そんなことで良いなら喜んで。
私は前世でも兄弟がいなかった。兄に対する憧れもある。
幸い、騎士ルート攻略の知識は頭に入っている。好感度が上がる行動もわかる。
乙女ゲームの逆ハーエンドのように、複数の男を侍らせるような女の取り巻きにさせてしまっては、将来は絶望的だ。引き取ってくれた伯爵のためにも恩を返さねば。
(裏面)
会議の議事録を纏め終え、一区切りついたので大きく伸びをする。
あの一件から、父に“暇にさせておくと碌なことを考えない”と言われ、以前と比べ物にならない程の執務を回されるようになった。
細々した雑用はあるが、一番大きいのは魔法陣製品に関する庁の監督のようなものを任されている。
安全性の確保、法案の整備、研究開発の助成金、外国への輸出、その他諸々。
それから、油断ならない隣国、サルバラードの対応。今は国内のごたごたで手一杯だが、昔から我が国と仲が悪い。現に大量の魔鉱石を我が国へ密輸している。現政権と和平条約を締結したが、かの国が平和を望む勢力だけでないのは確かだ。
数か月後に国内の学園に入学する身だから期間を区切って、と手加減はされている。
とは言え、未成年にさせる仕事じゃないと思うけど。
「そろそろお食事の時間では?」
護衛をしているギディオンが声をかける。
「もうそんな時間?」
言われてみれば腹が減っている気がする。
「ギディオンも休憩の時間でしょ。一緒に食事でもどう?」
彼は融通が利かず、固いところはあるが、真面目で信用ができ、好感が持てる。
兄と同じ年らしいが、歩んできた道のりが違うと同じ時を過ごしても人はこうも変わるらしい。
それにリズベスの新しい家族でもある。少しでも情報を得ておきたい。
「有難いお誘いですが、申し訳ありません。本日は食事を持ってきているので」
「珍しいね」
独身の騎士ならば、昼食は食堂で食べるのが常だ。夏場は特に食材が傷むし、冷めてしまう。
すると、ギディオンは照れた顔をした。
「義妹が作ってくれまして。無下にはできないのです」
へぇー、そう、妹が。
今までいなかったから、新しくできた妹だよね。親と不仲で実家に帰ってなかったはずでは?
リズベスの手料理なんて、僕だって食べたことないのに。
その日はそれ以降の執務が手につかなかった。
‡ ‡ ‡
帰宅すると言うギディオンに無理言って馬車に同乗した。
王都にあるチェンバレンの屋敷は様相を変えていた。
女主人が長く間不在だったこともあり、以前来たときは清潔だが重苦しい圧迫感があった。今は所々に花が飾られ、可愛らしい小物が置かれている。
使用人たちは慣れた様子でギディオンから荷物を受け取り、お嬢様は旦那様と居間にいます、と案内した。
果たしてリズベスは居間にいた。
ソファーに座るチェンバレン伯爵の背後にぴたりとくっついていた。
「お義兄様! お帰りなさい」
来室者に気づくと、ぱっと顔を輝かせる。
「殿下まで来てくださったんですか! お久しぶりです」
いつも会っているギディオンはお帰りなさいで、僕はお久しぶりか。
会えたと思って浮かれた機嫌が急降下する。
「あー、ただいま、リズベス嬢」
「呼び捨てで良いと言っているではありませんか」
最早機嫌は下がることも無く地の底を伝う。
「手が止まっているぞ」
あろうことか、チェンバレンが彼女のか細い手をぎゅっと握った。
「ごめんなさい」
リズベスは手を動かし始めた。どうやら肩を揉んでいるようだ。
そんなこと召使にやらせれば良いのに、伯爵は勝ち誇った目でこちらを見ている。
後でギディオンに聞いたところによると、リズベスが仕事で疲れている義父を気遣って自主的にやっているそうだ。
彼女の厚意につけこんで、何てことを。
そんな光景には慣れっこなのか、ギディオンはリズベスに近づいて瓶を差し出した。
「これ、その、土産だ」
「何ですか?」
リズベスは目をぱちくりさせる。
女の子に送るには洒落っ気のない瓶だなと安心していたが。
「肌に塗る軟膏だ。上司に聞いた。雷に打たれた痕に良いらしい」
騎士は魔術師や魔物と戦うことも多く、魔法による傷を受けることも多い。
だから下手な医者より知識と技術を持っている。
まさしく彼女に必要なもの。こんな気の利く人間だったか?
一方、僕は急だったので何の手土産も用意していない。
「私のこと考えてくださったんですか?」
リズベスは受け取った瓶をぎゅっと抱きしめて微笑んだ。
「嬉しい」
「別に、大したものではない」
ギディオンは頬を赤くして顔を背けている。
何この初恋の青少年たちみたいな甘酸っぱいやり取り。
「丁度良いじゃないか。早速塗ってみなさい」
チェンバレンが横から余計すぎる横やりを入れる。
早速ってなんだよ、背中だぞ、肌を晒させる気か。
「え? でも、入浴もまだですし、殿下がいらっしゃってるのに」
さすがのリズベスが戸惑う。伯爵は茶目っ気たっぷりに片眼を瞑った。
「殿下と内密の話があるのでな。悪いが……」
「わかりました。行きましょ、お義兄様」
物分かりも察しも良すぎるリズベスが、とっとと退出する。
「お礼にあちらでマッサージいかがですか?」
「いや、それはちょっと……」
ギディオンの手を引いて。
マッサージとか何だよ、羨ましすぎる。
「良くできた娘だ。エリーに似ず生意気なところはあるが、何事も一所懸命で好感が持てる。女の目線で色々屋敷に手を入れ、大分過ごしやすくなった」
「年頃の異性同士ですよ。嫁入り前の娘に対して、距離が近すぎやしませんか?」
「娘も妹も居たこと無いので知らん。あんなものではないか?」
「そんなわけないでしょ。伯爵夫人にでもする気ですか?」
苛立ちから出た言葉だったが、チェンバレンはにやりと笑った。
ギディオンは人が好いが、政には疎い。
彼が領主になるなら助けが必要だ。例えば、領地経営に通じる有能な妻が。
「彼女は僕の婚約者です」
「キサマの婚約者はリズベス=レアードであろう? チェンバレン家の娘ではない」
ぐっと歯を食いしばる。人権などを剥奪する人狼刑はリズベスを生かすためにやった。後悔はしてないが、婚姻を含めた全ての契約も解除される。
「国王陛下もそれくらいの仕返しは黙認しておられる」
良い年の大人が仕返しか。その大人二人を脅した僕も僕だけど。
「キサマと家の娘の間には何もない。異性の訪問は控えていただこうか。
嫁入りに差しさわりがあるのでな」
「ギディオンとは兄妹です。婚姻は認められません」
異民族は血がつながってなければ義理の兄妹の婚姻にも寛容らしいが、契約を尊ぶカナンではあり得ない。義理でも教会に届け神に報告したら兄妹なのだ。
「そんなもの、他の家に再度養子に出すなど幾らでも方法はある」
ふざけんな。どんなことをしてもぶっ潰す。
「と、まあ、息子の嫁にするつもりだったが、あんな朴念仁には勿体ない。わしの後妻にする」
「何、頭湧いたこと言ってるんですか」
リズベスを処刑しようとしてたくせに。
「家の養女は自身も罪を犯した大罪人の娘です。後妻くらいが関の山でしょう。
王子殿下の婚約者などとてもとても。妃殿下も猛反対していらっしゃるようですし」
慇懃無礼な口調で指摘されたように、第二王子でも王族の配偶者には色々条件がある。外国人であってはならない(但し王族を除く)、特定の宗教を信仰してはならない、特定の病気ではなく健康体で子供が望めること、など。
犯罪歴が無く、身内にも犯罪者がいないことが望まれるのもその条件の一つ。
特権階級の女を体現するかのような母は、僕が誓約の輪でリズベスの処刑を回避させたことを快く思ってない。
口を利かないとまでは行ってないが、リズベスのことを話題にするのをお互いに不自然なほど避けている。
「前領主夫人でも息子の執務を手伝う理由にはなるだろう。
母の面影もあって美人、いざと言う時の胆力は目を見張るものがあるが、抜けてるところがあって目が離せん。
わしも若い後添えが欲しい」
「年を考えろエロジジイ」
もう黙れ。寧ろ息をしなくても良い。
僕は脳内の貴族年鑑を捲り、早急にこいつらから引き離すべく、新しい養子先の洗い出しを行っていた。
「あはは、お義父様はからかってるんですよ」
タイミングが良いのか悪いのか、メイドの代わりに紅茶の盆を持ったリズベスが入室してきた。
「お義父様みたいな素敵な大人の男性が、私のような小娘を相手してくれるわけないじゃないですか」
そんなことないぞ、とチェンバレンは鼻の下を伸ばしている。
否定してるのに、全く安心できないってどう言うことだ。
「お話はもう終わりましたか? 少し殿下とお話しても?」
素敵と言われたチェンバレンは鷹揚に許可する。
全然余裕の無い僕にリズベスは向き直る。
「あのね、チェンバレン家に養子になること、殿下が提案してくれたって聞いたの」
「ああ、うん」
今はものすごく後悔してるけどね。
「私、元の父とは仲が良くなくて」
仲がどうこうの話ではない。彼女は虐待を受けていたのだから。
「でも、今の義父は優しくて、義兄も気遣ってくれて、嬉しい。
私、新しい家族と仲良くなれるように、殿下にいただけた居場所で頑張るね」
いや、他の男に親しくしないで欲しいんだけど。もっと言うと、喋ったり、触れたりして欲しくないんだけど。
「殿下、新しい家族を授けてくださってありがとう」
宝石のように輝く瞳で告げられたら、「それは良かった」と言う他ない。
くそ、これでは彼女とチェンバレン家を引き離せない。
適度に顔を出してチェンバレン親子をけん制しつつ、母を説得して、功績でも何でも打ち立てて、リズベスと再婚約を認めさせねば。できるだけ早く。
新たな誓いを胸に僕は王宮へ戻った。
‡ ‡ ‡
後日、リズベスに肩を揉んでもらった。
物凄く痛かった。
脂汗を流しながら「平気だ」とやせ我慢する僕に、リズベスは言った。
「もう少し義父と義兄で練習してからリベンジします」
僕の受難は続く。
「私、兄弟いたことなかったのに、兄さんとお義兄様と二人も兄弟ができちゃった」
「ふん、良かったな。表に出せる優しいオニイサマができて」
「何言ってんの。兄さんも優しくて自慢の兄弟だよ。殿下に紹介したじゃない。……もしかして妬いてるの?」
「はぁ? 馬鹿言うな、何だって俺が」
「えへへ。兄さん」
「何だよ」
「大好き」
「……」
本年は、駄文失礼しました。
皆さま、良いお年を。




