小説なんて大層な言葉では飾れない 2
人は何故生きているのか
分からない
世界は何故つくられたのか
分からない
私たちを支えている根幹というものは曖昧なものなのだ
だから人は自分を自分で定義しようとする
そうしないと、足元から全てが崩れ、目に映る世界が全て狂気に見えてしまうから。
何故生きているのかと、そのまなこをしっかりと捉え
屈託のない、曇り一つない真実を見透かすような瞳で問われたとき
あなたは一体どう答えるだろうか。
「警察官になる」「看護師になる」「お嫁さんになる」
「愛する○○のために生きる」「お金をたくさん稼いで幸せに生きる」
人の願望は無限大にある
こうでありたい、こうなりたい。
こうはなりたくない、ああはなりたくない。
何かを目指して、高みへ至らんとすることで自分に価値を見出す。
何かと比べて、何かを蹴落とすことで自分に価値を見出す。
人が抱く価値観は無限大にある
人を殺すことで自分の存在を証明する
人の上にたち導くことで自分の存在を証明する
誰かを愛することで自分の存在を証明する
「私は、この世界に居るんだ」
そう、思うことに疑問を抱き、恐怖しないように。
私たちは、本当の意味で生まれた、生まれてきた理由を知らない。
私たちは、本当の意味で世界がつくられた理由を知らない。
私たちが、私たちを支えている、生きている本当の意味は
一体なんなのだろうか。
私たちは生まれ、愛され、育まれ、大人になり、歳を重ね
そして寿命に身を任せることしかできないのだろうか。
私たちは、一人として同じ存在はいない。
この世界でたった一人、かげがえのない存在。
私たちが一人として同じに生まれなかったのは何故だろうか。
振る舞いという名の善意を着飾ることなく無意識にはためかせ
人を引き寄せるような存在があり
悪逆非道という言葉に何の躊躇も抱かず
人を殺め狂気に染まる存在があり
愛を謳い、愛に愛され生きる人がいて
愛に飢え、狂気へ染まり堕ちる人がいて
私たち人間は、一体どこへと向かっていくのだろうか。
私たちは生まれ、そして死んでいくしかないのだろうか。
もし、私たちをつくり、世界をつくった存在があるのだとすれば
その存在は私たちをどう見ているのだろう。
憐れむかもしれない。
憤るかもしれない。
呆れるかもしれない。
だから、問いたい。
私たちは何故、生まれたのかと。
善意と悪意がひしめき合い
常識と非常識が交錯し
勝者と敗者がいて
誰一人同じ存在がいないこの世界で
私たちが何故、生きているのか。
社会のルールにのっとり、生活し、自分を自分で定義し
そうやって存在し、歳を重ねていくことを否定はしない。
だけれど、何か根本的な
何か大事なことを
見落とし、そして忘れている気がしてならない
私たちが、愛してやまない
大事にして、尊びやまない
「今」とは一体なんなのか
本当に私たちは生まれそして死にゆくしなかない
そんな儚い存在でしかないのか
私には、そんな世界が
ひどく、冷たく
ひどく、無常な
何もない、何にもならない
どうしようもないものにしか
見えなくなってしまった
そう、これは小説なんて大層な言葉では飾ることができない
何故、を解決する術を持たない私たちは
そんな曖昧な世界でも
死を選択しない限り
生き続けるしかない
それは果たして本当に「生きている」と言えるのだろうか
籠の中で生まれ
籠の中で育ち
籠の中を全てと思い、信じて
そして籠の中で一生を終えていく
そんな小鳥たちはいつしか飛び立つことを忘れてしまった
籠の外の世界をまるでなかったかのようにして
都合よく世界を塗り替えてしまったから
そして、その背中についた翼の意味を
小鳥たちは忘れていった