Take2―36 暗闇
カラスのシャルドレーダはゴミ捨て場で誕生した。
母烏が卵を落としてしまったのか、故意によるものなのか、猫等の動物が持ち去ろうと一時的に隠したのか。
ともあれ結果としてシャルドレーダを秘めた一つの卵は巣からではなく、ゴミ捨て場に存在していた。
住人が多かった、そしてマナーを守る者が少なかった。
ゴミを収集されてもすぐに次のゴミが溜まる。
乱雑に、分別されずに。燃えようと燃えなかろうと粗大ごみもペットボトルも缶も関係無くそこにはあった。
何かしらが熱を持っていたのだろう。
熱が籠り、母烏に温められているのと丁度同じ温度の中で卵は育っていく。
孵化すればそこはゴミという名の餌の宝庫。
金属の破片が引っ掛かったのか、雛であるシャルドレーダの口元に肉や魚の食べ残しが落とされる。
少し育てば自身から餌を求めてゴミ捨て場の中を這いずり回った。
鳴くことはしなかった。
それはただ人間を呼び寄せてしまう愚かな行為だと分かっていたから。
飛ぶことはしなかった。
それはこの安全地帯を手放すことに他ならなかったから。
孵化するまでゴミに温められ、孵化した後はゴミに育てられた。
成長し、一人前と言えるまでに成鳥となったシャルドレーダはようやくゴミ捨て場を飛び出したのであった。
大きさからしてそろそろ隠れきれないのもあったが。
シャルドレーダはワタリガラス。オオガラスである。
ゴミに紛れ続けるのも限界であった。
何より、シャルドレーダは別に引きこもりを決め込んだわけではない。
外の世界にも興味があった。
母はいるのか。
家族はいるのか。居るのか。要るのか。
1人でここまで生きて来られたから、誰かと共に生きることを想像できず、しかし夢見てしまう。
「此方にはまだ何もない。だから何かを手に入れることが出来る。ああ、なんて希望に満ちているのでしょう」
少なくとも、この時までのシャルドレーダには悲観なんて感情は無く、むしろ喜びや希望、期待に満ち溢れていた。
満ち溢れていたから、手に入るだろうと期待していたから、落差はより大きなものとなった。
家族は見つからず。
天敵にばかり見つかる。
猫に襲われかけ、人間に石を投げられる。
満足に餌を見つけることもままならず、見つけたゴミ捨て場は他のカラスがすでに縄張りとしているか人間の管理がされていた。
あの安全なゴミ捨て場にいれば、こんな思いはしなかった。
生まれた場所が最も心安らげる場所。
日々、空腹の中で餌を探して、天敵から逃げて、心も体も疲弊していく。
だから、見つけてしまったのだろう。
……見つかってしまったのだろう。
迷い込んだのは動物園。
小動物コーナーなり、どこにでも餌は地面にばら撒かれていた。
少しくらい……と、欲を出したのが間違いであった。
餌に近づき、口に咥えた瞬間に、シャルドレーダの全身に網が絡まっていた。
『……なんだこれは?』
『カラス、か。どこからか迷い込んで来たんだろうな』
『どうする? 逃がそうか。この動物園で飼っているわけでもあるまいし』
人間が何かを話している。
この時はその会話の内容は理解できず、人化した今となっては覚えていない。
ただ、捕らえられてしまったという恐怖が全身を震えさせていたことだけは覚えていた。
『だが、カラスは動物園内で飼われていないっていうのがいいんじゃないのか? サンプルは多いに越したことはない。どんな能力が芽生えるのか、もしかすればライオンやトラをも超える能力になるかもしれんぞ』
『……まあ、それもそうか。さっきも関係のない猫にも打ち込んだばかりだしな。どうせなら手当たり次第に見つけた新たな動物を人化させていくのもいいかもしれない』
『ネズミはすでに枠が埋まっているから、それ以外だな。……あ、一応錺さんに許可を得ておくか』
黒い服を着た男達が懐から何かを取り出し会話している。
その行為をシャルドレーダには理解出来なかったが、男達は錺に連絡を取り許可を得ていた。
そして取り出される注射器。
先端が鋭く尖ったソレは、中身など関係無く恐ろしいものである。
黒い服を着た男達が鋭い何かをシャルドレーダに刺突した。
それから先は一時的に記憶が混濁している。
目が覚めた時には体は人間のものとなり、黒い腕という能力を得ていた。
黒……それはシャルドレーダの体表を覆う羽根の色であり、シャルドレーダが恐れた男達の色でもあった。
自身でありながらも恐怖の象徴。
何時しか自身が恐怖そのものとなりつつあることをシャルドレーダは自覚せず、ただただ闘いに巻き込まれ、あっさりと日の照らす空の下で黒の腕の軌道を読まれて殺されたのであった。
「だから此方は日を克服した。火を克服した」
トリニコの灼熱の球体は防御無視の攻撃である。
たとえルビーのような金属並みの防御力を誇っていたとしても、それをも燃やし溶かし尽くす。
黒の腕が闇の中で不可視であっても、それが物質であるならば関係ない。
それはトリニコの爪で傷を付けることが出来る程度の防御力であることからもすでに証明済みである事実。
もしシャルドレーダの能力が暗闇に紛れる黒い腕を操るというものであったら防ぎようも無く、シャルドレーダと共に燃やし尽くされていただろう。
「悲を克服した」
瞬間、灼熱の球体が縮小していった――ようにトリニコは感じた。
シャルドレーダの前に構えられたいくつもの黒の腕。
それら全てを呑み込み燃やし尽くしていく灼熱の球体。
その度にシャルドレーダの腕は煙を上げ、火傷を作っていく。
黒の腕と完全に同じ状態にならないのは腕からのフィードバックが100パーセントではないからだろうか。
最後の腕。それに接触した瞬間にこれまで止まる気配の無かった球体に異常が起きたのであった。
「オイラの切り札が……」
最後の黒の腕は灼熱の球体を掴むと、これまで呑み込まれた分を取り返すかのように呑み込み返していく。
球体が全てを燃やし尽くす太陽だとすれば、その黒の腕は全てを喰らい尽くすブラックホール。
闇に紛れる黒の腕と闇そのものの黒の腕。
「この力は此方には使いこなせていなかった。運よく使えたとしても身を守る術にならないと此方は思っていました」
絶体絶命の状況を乗り越えた。
死からの生還。
生き延びた歓び。
生きている喜び。
殺す悦び。
「其方のおかげです。悲しみを乗り越えた先にあるものを此方は知ることが出来ました。此方は喜びを、歓びを、悦びを知った」
嬉しくて嬉しくて楽しくなってくる。
殺したくて殺したくて愉しくなってくる。
乗り越えて強くなった。
使いこなせていなかった能力を使いこなせるようになった。
「今度は此方の手番。其方の切り札を打ち破った此方の奥の手をお見せしましょう」
乾燥した空気は用意に着火を招く。
周囲の木々が完全に掻き消されたトリニコの灼熱の球体から燃え移っていた火で燃え盛っている。
すでに薄暗い森の中ではない。
燃え盛る森の中。
片や切り札を使い切り、攻撃の手段に乏しいトリニコ。
片や遂に明るみの下に照らされた黒の腕。すでに闇に紛れることが出来ずトリニコに視認されながら黒の腕を操作しなければならない。
「……防戦一方だけどよ、何とか凌ぐっきゃねえよな」
ここまで来ても諦めずトリニコは不敵に笑う。
勝ち目はない。
だが、負ける気もしない。
「またいつか火が灯るかもしれない。決してオイラの火は絶えない。だからオイラは諦めない」
「それもいいでしょう、トリニコ。其方は笑い此方も哂う。笑い笑って殺し合う。それはとても楽しいのでしょう」
黒の腕が周囲の木々を撫でる。
決して破壊力を伴った攻撃ではない。
ただ撫でただけ。
母が赤子の頭を撫でてあやすが如くの接触加減。
だが、それだけで触れた木々が薙ぎ倒されていく。
「んなっ!?」
円心状に、トリニコを中心として、トリニコを目掛けて木々が倒れてくる。
「……だが、さっきも似たようなことになったのを覚えているぜぃ」
音も無く木々が倒される。
暗闇の中で先ほど体験したことだ。
なるほど、木々の根元を見てみればそのカラクリが分かる。
黒の腕との物理的な接触が薙ぎ倒されたのではなく、全てを喰らい尽くす黒の腕が根元に穴を空けて倒したのだ。
倒れる際に他の黒の腕で押してやれば倒れる先も容易にコントロールできるのだ。一度倒れてしまってはそこからの軌道修正は難しいだろうが、倒れる前であればそう難しいことではない。
しかしトリニコは避ける。
シャルドレーダの真の能力を知った時に予測していたのだろう。
予知していたかのように倒れてくる木々の合間を縫うように回避する。
だが、
「ぐぅっ……」
木々の合間を縫うのはトリニコだけではない。
その隙間からはシャルドレーダの黒の腕もまた蠢く。
見え見えの攻撃。だがしかし避ける余地がない。
当たれば絶望的な巨木と、打撲程度の黒の腕。
どちらを取るか選ぶまでもない。
威力の程度すら見え見えだからこそ、自ら黒の腕へと当たりに行った。
黒の腕に殴られ倒れたところに更に黒の腕が重なっていく。
不幸中の幸いか、全てを喰らう黒の腕は木々を薙ぎ倒したことにより消耗しきったようだ。動き出す気配はない。
あれだけの力を見せつけて囮にした。
奥の手という価値を見せつけて尚、これまでに散々見せつけた攻撃で決めようとした。
「……さっきまでのも全て嘘だったってわけかい?」
黒の腕の山から何とか抜け出したトリニコ。
その体は全身痣だらけ。
立つのもやっとで、足は震えている。
「奥の手でオイラを殺すんじゃ無かったのかい? まさか普通バージョンだとは思いもしなかった」
「嘘ではありませんよ。これから其方を奥の手で殺します。結果論ではどちらも一緒でしょう?」
ここまで動かなくなれば後はどうとでもなる。
奥の手たる全てを喰らい尽くす黒の腕をゆっくりとでも動かしてトリニコを完全に喰らい尽くせるだろう。
「……楽しいかい?」
「ええ。愉しいです。こうして其方を追い詰めたのも、これから殺すことを考えるのも」
「そうかい……そりゃよかった。笑っている方が美人さがよく分かるぜ?」
会話を繋げながらトリニコは打開策を講じる。
何か使えるものがないか、敵の弱点はないか。
「だけどよ、美人薄命とも言うぜ? オイラみたいな醜男の方が案外と生き残るってもんだ」
「……まさに今、死のうとしている其方が此方よりも長く生きると?」
「その可能性もあるかもなぁ。現にこうしてオイラはまだ生きているんだぜ」
ああそうか、とシャルドレーダは理解する。
これはただの命乞いなのだ。
少しでも長く生きるためにシャルドレーダと会話しているだけに過ぎない。
会話の内容に意味などない。
すでに話す価値もない。
追い詰められたから、トリニコという生物はそれなりの戦士かと思っていたがただの過大評価であった。
落胆混じりに全てを喰らい尽くす黒の腕を操作する。
トリニコの頭上へと掲げ、振り下ろそうとした時――
「弥七よ、こういう時、俺達はどちら側に付くか分かるか?」
「……?」
2つの気配が突如としてシャルドレーダの頭上の木の陰から出現したのであった。




