Take2―19 悪魔
黒と黒が衝突し合っていた。
一つは浅黒い肌の色によるもの。
筋肉質の体を覆う健康的な肌は黒く輝いている。
力を存分に発揮するために邪魔はしない。
動きを最適化するために……筋、血管、神経を纏めあげそれら全ての総力を幾倍にもするための浅黒い肌が森の中でもう一つの黒を追っていた。
異なる黒は漆黒の黒。
肌の色ではない。まるで影法師のように地面を低飛行と見間違う小さな黒が移動していた。
見ているだけで己の本質が黒に染まっていくと錯覚するような、邪に近い黒であった。
「『指猿の心』……それが私の能力」
黒い影がふとそう呟いた。
その呟きは影を追う浅黒い肌の男――ゴリラのウッホの耳に届く。
「アイアイ……猿か」
大猩々……つまりはゴリラと近しい存在の猿科かとウッホは思い出す。
親近感が沸くわけでは無いが、その特性の一部でも理解出来たような気にはなれる。
人間に最も近い猿系の動物の中でもゴリラは力に優れた存在である。
ウッホの能力が力の上昇、というシンプルなものになったのが何よりの証明だ。
対してアイアイ。
ウッホの微かな記憶と人化したことで手に入れた僅かな知識では小型のサルといった印象がある。
人間……とりわけ日本人の童謡では愛玩されている動物だ。
ゴリラの下位互換とまではいかないが、力勝負であればまず負けることは無い。
速度では劣ろう。だが、こと闘いにおける速度は何も走力だけではない。
時には判断や反射に関わる速度も必要とする。
そしてそれらを下地にして力や走力が発揮される。
自身がゴリラであることが、相手がアイアイという動物であることがウッホにとって苦戦することは無いと思わせるには十分な判断材料であった。
しかし非情なるは現実。
ウッホの体には無数の小さな傷跡が。
相手の体は綺麗なものであった。……尤も、影のように黒いため傷跡など見えやしないのだが。
「猿、違う。アイアイはアイアイ。……私をあえて表すならば悪魔」
そう返すアイアイを名乗る影。
先ほどまでウッホと相対していた小さな少女……イビルアイであった。
「南の島の悪魔……私は悪魔……『指猿の心』は悪魔になれる能力」
「悪魔……」
正体不明ともとれる黒い影。
その姿形は未だウッホから見ても認識できない。
黒く靄のように体を覆うソレはイビルアイを隠す。
相手がイビルアイと分かっていようと意識していなければダイダラボッチのような巨人や妖精のような小人と闘っているような錯覚を起こす。
ともあれ、巨人や小人では無いことは確かだ。
錯覚はつまりは正体ではない。
それこそ、イビルアイ本人が言うように悪魔であるのだろう。
「恐ろしい? だって悪魔は動物を越えた存在だものね。ただの動物が敵うものじゃない。人間でさえ恐ろしさに怯え、そして騙される。そんな悪魔を相手にあなたはしているの」
見れば、ウッホの足は震えていた。
足を叩けどその震えは消えない。
恐怖を相手に与える能力か、とウッホはイビルアイの能力を推測する。
悪魔と呼ばれ恐れられる存在への変貌。
その背景にはアイアイという動物が悪魔と呼ばれている事実がある。
小さな身体にそぐわない醜悪な姿形。そして暗闇に光る眼。
今の、影のように暗く黒い姿は悪魔と呼ぶに相応しい。
「対して、あなたはただ力を強くするだけ? それなら……私よりも弱い」
更にイビルアイの悪魔化は恐怖を与えるだけでは済まさず、身体的強化を含む能力であった。
ウッホの力と同格。
そして、駆ける速度も上昇しているようだ。
辛うじて追いかけて追い付いてはいるが、それもあえて追い付かされている感が否めない。
ウッホの繰り出す拳に合わせるようにしてイビルアイの拳も放たれる。
拳と拳が衝突する。
威力は完全には相殺しきれず互いの拳にダメージが入る。
しかし、イビルアイの拳は無傷。
ウッホの拳のみ皮が擦り切れ出血が起こる。
指の骨も何本かは折れているかもしれない。
「……驚いた。本当に力の強化だけなんだ。無様だね。そして可哀想」
イビルアイは呆れたような、憐れむような目でウッホを見る。
イビルアイの拳が底上げされた防御力によって衝突し合った拳のダメージがゼロであったことと、ウッホの拳は自身の放つ衝撃に耐えられなかったことを比較しているのだ。
「肉体の筋力、速度、防御すらも悪魔的なまでに強化する私の能力。分かる? あなたが震えているその理由を。理由もなしに動物は恐怖しない。本能が相手を格上だと認めているからこそ恐怖し、そして這いつくばるの……こういう風に」
イビルアイはウッホの顔面を小さな手で掴む。
手は黒い靄により拡大されウッホの顔面全てを覆う。
ウッホは抵抗しようとするも、イビルアイのもう片方の手で払いのけられ、そして地面に顔面から叩きつけられた。
「うぐあっ!?」
顔から地面にのめりこみ、次いで体がそれを追いかけるように接地する。
その姿はイビルアイの言うように無様であった。
「恐怖だけじゃない。悪魔とは傲慢で嫉妬深く怠惰で強欲で暴食で色欲に塗れ……そして憤怒にかられる。暴力も情欲も兼ね備えた無敵の存在」
ウッホが立ち上がればイビルアイの連打が追い打ちをかける。
その一撃一撃が並みの動物であれば致命傷足り得るもの。
ウッホは自分の力であればダメージこそ入るが相殺に近いことが出来ると分かりイビルアイの拳に合わせるように自身の拳を放っていく。
「ッ!?」
追い付かない。
ウッホとイビルアイの力は互角。
しかし速度は互角どころかイビルアイが一枚も二枚も上手だ。
徐々にタイミングがずれていき、遂にはイビルアイの拳はウッホの胴を捉えた。
「これで……終わり?」
「……ゴフッ!?」
ウッホの口からは血が噴き出す。
あばら骨が何本か折れ肺に突き刺さっているのだろう。
呼吸が苦しい。
吸えば胸が痛み、吐こうとしても吐ききれない。
「諦める、なんてことはしなくていい。最後まであがいて、もがいて、あなたの醜さを全てさらけ出してみせて。それこそが悪魔の楽しみなのだから」
ニィ、とイビルアイが口元を歪に引き上げて笑ったような気がした。
「ゲホッ……ハァハァ……醜さならすでに出している。俺の能力そのものがそういった類なのだからな」
力の強化をする反面で失われていく理性。
それによって危機に陥ったこともあった。
切り抜けられるはずの場面で危うく仲間を死なせそうにもなった。
そして――ウッホ自身、一度命を落としていた。
「悪魔には無いのか……? 醜さとか、低悪さとか、そういったものを煮詰めたようなものだろう。アイアイは可愛らしいから悪魔になったんじゃない。……醜悪さから悪魔になったと聞く」
「……」
イビルアイは答えない。
答えるだけのものを持ち合わせていないのか、あるいは無視しているのか。
「……まあいい。蛇足にも過ぎない話だ」
体中に付けられた細かな傷はもはや気にならないくらいの負傷をウッホは抱えていた。
この戦闘中の回復はまずもって期待できない。
少しばかり休んだところでどうにもならない。
「会話なんてものはこの場において何の意味もないな。俺の強さも、お前の自称無敵も、何の変りも無い」
「……自称じゃない。私は、悪魔は無敵」
だから、この会話の中で一つ大きく息を吸った。
痛みをこらえて……無視して問いかける。
「ならなぜお前は負けたのだ?」
「……?」
「なぜお前はここにいる? この世界は負けた者がいる世界。無敵と言うのならば、必勝と言うのならばそれは矛盾している。負けて、死んだからお前は今この場で俺と闘っているのだ」
「それは……」
何か弱点があるはずだと、ウッホは探りを入れる。
時間制限か、もしくは動きに法則性でもあるのか。
負けたということはそれに値する何かがあったということだ。
負けるための理由がある。
ウッホの力がウッホにそのまま返ってきたように。
「それは、仕方ないことだった。まさか……まさか予想出来るはずなかった。私以上に、悪魔以上に暴力の化身がいるなんて思えるはずがない」
「暴力の化身か。なるほど……」
「そう。あの動物は悪魔よりも恐ろしい。悪魔よりも悪魔らしい。流石は王と呼ばれる存在。そういえば……百獣の王ライオンは傲慢を司る動物だったっけ……?」
糸口、というわけでは無いが一つ光明の細い道が見えた気がした。
ウッホは思う。
ああ、恐れていただけなのだと。
臆していたから足は震え止まり、そして力を発揮出来なかった。
自分の能力がどういったものなのかを失念していた。
「ライオンか。ああ、そうか……お前はライオンに負けたのか」
「ライオンは強い……それはあなたも知っているでしょ?」
先ほどまで自分こそが無敵であると謳っていたとは思えない程にライオンを立て始めるイビルアイ。
それを見てウッホは確信する。
勝てる余地はある、と。
「ライオンは決して無敵ではない。お前と同様にな」
「な――」
反論しようとするイビルアイを手で制し、ウッホは続けた。
「ライオンを殺すゴリラの話を知っているか? ライオンイーター……殺すどころか食ってしまうらしいがな」




