Take2―6 火炎
火とは全ての生き物に共通して弱点である。
火を克服できた生物は数少ない。クマムシなどの高温下で生存できる生物は珍しい。かぐや姫に出てくる火鼠や、火の中に飛び込んで再生する鳳凰など、火を克服出来るのは超常生物あるいは伝説と呼ばれる生物だけなのである。
少なくとも哺乳類は火を克服出来ていない。素肌に触れれば火傷をする。深ければ広ければ致死に至る。ニンゲンといえども火は操るものであって触れて良いものではない。それは年間の火事による死亡者数で分かることであろう。
「火……ヒ……ひ……ひ、ひ、ひ、ひ……」
だからウッホも眼前の火を見て怯えてしまっていた。
理性で打ち勝つことも出来ない。必死に理性で抑えられない。
なぜなら、彼の理性は知能低下とともにどこかへと飛んでいってしまったのだから。
「逃げなければ……どこか火のないところへと逃げなければ……」
今もどこかで闘っているホミーも、倒れているミガテも、治療するトリニコも、全てを捨ててウッホは逃げようと敵に背を向けた。
この場にいることは耐えられない。
恐怖に支配されてしまっている。
もう闘えない。
自分でも分かりきってしまっているほどにこの状況は敗戦濃色であった。
「逃げようとする。それを止めるのが俺っちの仕事さ。これでいいんだろカメサマよ」
しかし背を向けたウッホの前にいたのは先ほどまでカメサマの隣にいた痩せた男。
「まだ俺っちの名前を言っていなかったな。ウサギの翔太郎だ。すぐ死ぬだろうからそれまで覚えていな」
そう言って痩せた男――翔太郎が地面に幾枚も葉を散らせた。
ただの葉ではない、全て濡れている……水ではなく油で。
「良いだろう。お前の能力はこういったことに向いている。俺では相手の背後には回れない。相手を囲めない」
カメサマが再び甲羅に石を打ち付け点火する。
その炎はカメサマの足元の油を辿りウッホとトリニコ、ミガテの周囲へと広がっていく。
「なん……だと!?」
周囲に油を撒かれた様子はなかった。逃げるためにそれだけは阻止するつもりであった。
だが現実は違う。周囲に油は撒かれた後であった。
「いつの間に……いつ、油を撒いたんだ!?」
気づけばドラミングをしていた。
もはや力づくではこの状況を打破出来ないのに。
炎には筋力など何ら意味もないのに。
しかしドラミングを止めることは出来ない。彼にとっての唯一。筋力だけが彼の拠り所。それを上げることで少しでも自分を安心させたい。その一心でドラミングを繰り返す。
「駄目だ……早く倒さないと」
ドラミングを重ねていく。筋力は飛躍的に上がっていくが知能は絶望的に落ちていく。
「炎がなんだ。飛び込めばいいだけ……今の俺の力ならあの甲羅も壊せる……そうだ、念のためもう何回かドラミングをして……」
炎は燃え盛る。そこに飛び込むということは焼身自殺以外のなにものでもない。
目の前の火をどうにかするために無意味にドラミングを行って、行って、行って……
「倒す倒す倒す倒す倒す……」
それはあの時と同じ。
かつてドリーに挑みそしてあっけなく敗北した時と同じかそれ以上にまで筋力を上げ知能を落としていた。
カメサマの元まで辿り着けば勝てるだろう。今のウッホに真正面から勝てる生物は存在するか怪しい。最強のライオンですら寒気を覚えるレベルだ。
だが、それではカメサマには勝てない。
辿り着く前に火の海に溺れて死ぬ。
「旦那。俺の出番だな」
だからこそトリニコは立ち上がった。
ミガテの治療を終え、ウッホの元へと歩み寄る。
今のウッホには味方は見えていない。見えているのは敵であるカメサマと翔太郎のみ。
そこに近寄ろうものならウッホに認識すらされずに振り回した腕に当たって殺されかねない。
だがそれでもトリニコは近づいた。
「旦那ぁ。オイラは旦那に期待してるんだぜ?」
トリニコの手から火が出る。
カメサマの絶対的な破壊の炎と違い、それは見た者の心を癒す優しい灯火であった。
「今の旦那には効くだろうさ。体の傷じゃない。心にだ」
トリニコの手から伝わった灯火はウッホの全身に広がる。
「ウガァァァァァ」
それは苦しみによるものかそれとも正気に戻る合図か。
ウッホは絶叫する。カメサマや翔太郎を震わせるほどに。
「ァァァァァァァァ」
何秒経っただろうか。
一瞬とも言える、長い長い絶叫をした後ウッホは
「ァァァァァ――目が覚めた」
正気を失い光を失っていた目には光が戻り、そして火を見ても今度はドラミングをしなかった。
「不甲斐ないばかりだ。ああ、俺は正気じゃなかった。知能が下がり切っていた」
「そりゃあ、闘いが始まったんだ。能力を使っちまったんだから仕方ないさ」
ウッホの自責にトリニコが首を振る。
「いや、違う。俺は闘う前から知能が下がっていた」
「へ?」
「トリニコ、お前と出会った時だ。俺はあの時ドラミングを一回、行っていた。一回くらいなら大丈夫。そう思っていた。それこそが間違いだと気づかないくらいには俺の知能は下がっていたんだ」
ウッホの能力は持続する。永久的に。不可逆的に。
トリニコと出会った際、不意打ちや思わぬ闘いに備えてウッホは一度ドラミングを行っていた。念のため、というやつでありその後闘いは起こらなかったのだが、ウッホはその後の会合や今の襲撃者達との闘いを知能が低下した状態で行っていた。
「まさか自分の行ったドラミングの回数さえ数えられないとはな。嫌になるほどの欠点だ」
一度死にでもしない限りはウッホの知能は戻らない。言わば脳細胞を破壊するイメージに近いのだから。
「そ、それよりお前ら! 早くこの炎を何とかしないと!」
ウッホの知能が戻った。この場で一番恐怖に支配されているのはミガテであろう。
起きたら周囲が火の海なのだ。逃げ出したいが逃げる場所などない。
「待て、見ろよあいつを」
トリニコが指さす方。そこには火の海の内側にいる翔太郎がいた。
「なんだ、あいつマヌケだな。仲間の能力で自分もピンチになってやがる」
ミガテは翔太郎を笑う。つい今さっき自分達が同様にピンチだと認識したはずなのにそれを棚に上げて。
「バカミガテが。そんなことのためにオイラはあいつを指さしたわけじゃねえよ」
「あん? 誰がバカだ?」
「だからそれよりも今の状況だ。いいか、あいつがこの中にいるってことはどこかに抜け道があるってことだ。ただマヌケにこの中にいるとは思えないし、仲間が見捨てるとも思えない。あいつがこの火の海を脱出する時。それがオイラ達がこのピンチを切り抜ける時ってわけだ」
「なるほど……そういうことか!」
ミガテはそれを聞くや翔太郎を睨みつける。
一挙一足すら見落とさない。何が合図になるか分からない。
どこに抜け道があるのか。どこから味方が助けにくるのか。
「『兎の心』」
しかし現実は非情である。
抜け道があるわけでも仲間が救出しに来るわけでもない。
翔太郎は自力で火の海を飛び越え――跳び越えた。
「消えた……だと!?」
傍目には消えたと言うしかない程に一瞬の出来事であった。
いや、たとえどれだけのスロー再生をしたところでその動きは消えた、瞬間移動をしたようにしか映らなかっただろう。
自分の速度から計算して時間分の距離を移動する能力。
それが翔太郎の『兎の心』という能力なのだから。
「あん? 俺っちに何か期待していたってんならそりゃ無駄骨だな。俺っちが火の海の中にいたのはこの火の結界が完全に脱出路が無いかを確認していたからだ。そしてどこにも綻びがないことを確認した。四方は完全に火で囲まれている。風も強いから、数分もしないうちにお前らのとこに辿り着くだろうさ」
翔太郎の言う通り風の勢いが強まってきている。それに伴い火の勢いも増し、ウッホ達へと近づいて来る。
「やべえよ旦那……さすがに火を食らいながらの回復は出来ない。ダメージを負いながらの回復なんてオイラには出来ねえんだよ」
「俺なんてまだ能力を一回も使ってねえんだぜ……せめて何か食べられるもの……」
トリニコは観念したかのように手にあった灯火を消し、ミガテは地に這いつくばり動物の破片――能力の糧になるものを探す。
「落ち着けトリニコ、ミガテ。諦めるのはまだ早いし、今更何かの能力を得たところでこの火の海を跳び越えるにはあのウサギと同じような能力しか有り得ない。火を直接掻い潜ることなどトラでもない限りは不可能」
と、朱抹が聞いたらさすがに無理だと怒鳴られそうなことをウッホは言う。
「そう、直接火の海は超えられない。かと言って地面を今から掘る時間もない……いくら俺に力があろうと道具が必要だ。そして俺達にはあの火を飛び越える翼もない」
ホミーであったならまだ違っただろう。
鳥類ならば地面の火など空中にいればいいだけだ。
「だから、積み上げる。高さを作り出す。ドラミングは……最初の一回だけで良かったんだ。『大猩々の心』」
ウッホは一度だけドラミングを行った。
一回のドラミングは木の幹であろうとへし折る。
石を砕く力も貫く力も、まして鉄を曲げる力も今はいらない。
ただ、木さえへし折れればそれでいい。
「生木というのは意外と燃えにくい。表面だけは焦げても中はしっかりと崩れにくいことが多いんだ」
へし折って木をいくつも四方を囲む火の一片に落す。それをいくつも、積み重ね、積み重ね、やがて海の中に生えている木全てをへし折った頃には四方の隅だけは火が燻り木の下で小さく燃えているという場所が出来上がった。
「動けるな? 行くぞ」
ウッホの先導の下3匹は火の海から脱出する。
そして辿り着いた場所。それはカメサマと翔太郎の真正面であった。
「や、やばい……カメサマ! また火だ。早く火でやつを追っ払ってくれ!」
翔太郎は叫ぶがカメサマは一瞬戸惑う。
それをウッホは見逃さずすぐさま接近するとカメサマの甲羅に手をかける。
「な、なんだ!? 俺の甲羅は砕けないぞ。仮に壊せたとしても油が余計に噴き出るだけだ」
カメサマは言うがウッホは構うことなく甲羅ごとカメサマを持ち上げた。
「「「「……は?」」」」」
ウッホを除いた4匹が全員とも目を丸くする。
オサガメの巨体を両手で頭上に持ち上げたのだ。
いくらウッホに力があるからといって……それも今はドラミングは一回のみである。
「お前……意外と軽いな……」
息も絶え絶えでウッホはそう言っているが強がっていることは丸わかりだ。
だが、強がりとは言え持ち上げられていること自体は変わらない。
その秘密はウッホにではなく、カメサマ――オサガメにあった。
オサガメは見た目に反して体重は軽い。とは言え1トン未満ではあるが、それでも他の同程度の大きさの動物と比べれば軽い方であろう。
その理由はオサガメの骨格にある。オサガメの骨は中空が多い。骨を空洞化することで体重の軽量化となっている。それが移動能力に影響しているのだとすれば良いことなのだろうが、現在は違う。
ウッホに持ち上げられることをもしも想定していたならば……不可能なことではあったが体重は重い方が良かったに違いない。
とは言え1トン。それを持ち上げることは困難である。
今もウッホはギリギリ。外部から衝撃があればオサガメを持ちあげ続けることは難しいであろう。
「し、翔太郎……早く俺を助けろ……。こいつだって俺を何とか持ち上げているだけに過ぎな、い……?」
オサガメは目を見張った。
すぐ横にいたはずの翔太郎。彼はすでにその場にはいなかった。
ウッホや他の2匹に攻撃されて退場したわけではない。彼は自らこの場から退場した――『兎の心』を使って。
少し離れたところから翔太郎はカメサマに呼びかける。
「悪いなカメサマ。俺っちはさっさと逃げさせてもらうぜ。勝てるならともかく劣勢になっちまったら俺っちは生き延びるために逃げる。それが俺っちの闘い方だ」
そう言って翔太郎はどこかへと姿を消した。
「あ、あ、あああああああぁぁぁ!?」
3対1。すでに状勢は決していた。
最初の2匹を庇いながらの1対2とはまるで立場が違う。
カメサマはウッホに抱えられながら暴れるがウッホもそれをこらえて進む。
「ま、まさか……」
カメサマはウッホのやろうとしていることに気づいた。
ウッホの歩む先、そこにある物は確実にカメサマの命を奪うに十分である。
「やめろやめろやめろやめろ……」
カメサマの抵抗も虚しくウッホはその場所に辿り着く。
ウッホとて限界。一秒でも早くカメサマを持ち上げる手を離したい。
「冷静になってみれば分かり切っていたことだった。カメサマ、お前も火を克服しているわけではない。ただ操ってみせただけだ。火は相変わらず俺達生物の命を奪うものに違いはない」
ウッホは投げることもなく、足元で燃え盛る火の中にカメサマをそっと落とした。
「――――」
声にならない悲鳴を上げながらカメサマは燃えていく。
それは今もなお燃え燻る木とは比べ物にならない勢いである。
「やはり、そうか」
その光景を見てウッホは得心行ったとばかりに頷く。
「近距離で俺に向けて油を放つことを避けた理由。それはお前自身も燃料だからだ。体から油を出すんだから当たり前だが、知能が低下した俺はお前は火の影響が無い、そう思い込んでしまっていた」
だが実際は違う。
甲羅から垂れ流され続ける可燃性の油。自分で点火する際には上手く体に火が付かないように避けていたが、こうして火の中に入れてしまえば後は体に含まれる油が勝手に燃えてくれる。
やがて火の中で暴れていたカメサマも動かなくなる。
「火はやはり俺達には手に負えないものなんだよ」
知能が低下し戻り解決策を見つけたウッホはなお、火とは知能関係なく生き物にとって須らく天敵であることを再確認するのであった。




