55話 トラとタヌキの皮算用 後編
「受け切った……いや、避け切ったといった方が正しいか」
宝斎は驚愕していた。
宙に作り出した数々の武器。殺傷能力がある鋭利な刃物はどれも重量すらあるため重力に引かれる力で致命傷に届き得る力を持っていた。
どれもが朱抹に降り注ぎ、武器と武器の隙間なぞ僅かばかりのものであった。
しかしながら恐るべきはトラの体のしなやかさなのだろうか。
朱抹はその隙間に見事入り込んでいた。
「だが、少なからずの傷は受けたようだな」
「いてて……」
致命傷とまではいかずとも、掠り傷とは言えないくらいの傷を負わせることは出来ていた。
しかし、行動を妨げるほどではなさそうだ。その証拠に朱抹はスッと立ち上がると、
「今度は俺の番だ」
朱抹が爪を立てる。
その威圧感は先ほど宝斎が出した武器以上のものを放っていた。
有り得ないはずではあるが、触れただけで即ししそうなほどの。
「ここは隠れるのみ」
宝斎はすぐさまどこからともなく能力で自分と似た姿の分身をいくつも作るとそれに紛れ込んだ。
「またか」
朱抹は呆れたように言う。
「それはもう見飽きた。見た目も、匂いも一緒だ。味はどうだかは分からんがな。だが動くことはない。そう、こいつらは全く動かない」
宝斎はすでに百はくだらない分身の1つに収まっている。
見分けなど付くはずがない。そしてその分身は今を持っても増産中だ。
「初めっから俺は能力の使い方を間違ってたんだ。身体能力の強化? そんなもんこいつらにはいらねえ。素の力と速さで十分だ。……ああ、このままで良かったんだ。クソッ、本当に余計な力を使わせやがって」
朱抹は体から力を抜く。
戦闘中にそのようなことをするということは自殺行為そのものだが、周囲には動かない宝斎の分身しかいない。宝斎もその中の1つではあるが、動かない。動けない。動けば即座に見つかり殺されるからだ。
「『虎の心』」
何も変わらなかった。
力は変わらず、速度は変わらず、技も変わらない。
ただ、少しばかり目が鋭くなり耳が前へと傾いただけ。それだけであった。
「温存だ。温存した力こそ、今の状況には最適だ」
朱抹は耳を澄ませる。
朱抹は目を凝らせる。
「……そこだ」
朱抹は一点を目掛けて走る。そして爪を振るった。
「――なっ!?」
朱抹の攻撃は正確であった。
数百はいるはずの宝斎の分身の中から、全く身じろぎしない本物の宝斎を見つけ出し、攻撃を加えようとしているのだから。
朱抹の爪が振り下ろされる。
「『狸の心』!」
朱抹の眼前に、宝斎を守るようにして盾が出現した。
「……見切ったよ。その強度の限界も、出現位置もな」
まるで事前にどこから盾が現れるのかが分かっていたかのように朱抹は盾を避け、そして無防備に、動く気配すら無かった宝斎の体に爪を振り下ろした。
「ぐ、あぁぁぁぁ」
かろうじてだが間に合ったのだろう。
体中に巻き付かれた鎖が朱抹の爪の威力を軽減していた。
「よく見てみりゃあな、どこからともなく剣も盾も出てきたわけじゃねえんだ。お前の能力は何かを何かに変える能力。条件は触れた物だ。それさえクリアしておけば質も量も関係なく変えちまう。……まあ、さすがに俺の爪を超える強度は無理みてえだから、人間の作り出せる強度が限界ってところか?」
軽減したとはいえ、その鎖すら易々と切り裂いた朱抹の爪を受けたのだ。
軽くはない傷を受け倒れた宝斎に朱抹は歩み寄る。
「塵芥、つまりは埃か? お前の体に触れた埃がそこら中に、大気に散って、あふれてやがる。1つ1つを武器に変え、俺の頭上から降らせた。……瓦礫はあるいは埃に変えてたのを解除したってところか?」
武器も瓦礫も、そして宝斎の分身すらもどこからともなく現れたわけではない。どこからともではなく、そこらの埃から。
何も目に見える物だけを馬鹿正直に変えるわけではない。目に見えない小さな物を見えるくらいに大きくし、見える物を見えないくらいに小さくする。
目くらましであり騙す能力である真骨頂。
変幻自在。ただし自身を除く。それは逆に言えば自身以外であれば何にだって変えることのできる能力。
普通は気づかれないはずであった。
目に見えないくらいの小さなものなのだ。1m先の埃だって肉眼で見ることはよほど纏まっていなければ見ることはできない。
塵も積もれば山となるとは言うが、積もっていなければ所詮は塵なのだ。
「俺の能力がただの身体能力の強化だったら無理だっただろうなぁ」
しかし、朱抹の能力は
「貯めた力で身体能力から治癒力、あるいは五感だって冴えわたらせることだって出来る。勿論、それ相応の力を溜めなければいけねえが、少しばかり目を良くして耳を良くするくらいなら大したことはねえ」
視力を強化して周囲の埃が武器に変化しているのを見極めた。
聴力を強化して数多ある分身の中から本物の宝斎の心臓の音を聴いた。
「ああ、蓋を開けてみれば大したことは無かったんだ。ただ、その数の多さと刃物の登場に強いのかと錯覚しちまっただけだ。タヌキに化かされちまってただけなんだ」
爪を一度振るってみればすぐに分かった。
本体は強くない。
むしろ本体こそが弱い。
その弱さを覆い隠すような能力。本体である宝斎を強く見せかけるだけの能力。
「本物の強さには勝てねえんだよ、それじゃぁ」
まだしも己の強さを、本質を変えようとしたセプテムの方が強かったのかもしれない。
周囲を変えて自分を隠す能力。
自分だけを変えて強くなる能力。
どちらが強かったのか。どちらも弱かったのか。
勝者だけが比べることができ、敗者は等しく他者の下となる。
それを良しとしない者だけが勝者へと、抗うことができる。
「まだ、終わってはおらんぞ! 『狸の心』」
何も出現しなかった。
朱抹の頭上にも、宝斎を守る盾にも。
まるで失敗したかのように宝斎の能力で変化した何かは現れなかった。
「……? 透明にしたわけ、じゃ……?」
ふと朱抹は自分の体に違和感を覚えた。
重くなった。
呼吸が苦しくなった。
視界が歪み始めた。
朱抹は自分の体を見下ろす。
「ああ、なるほどな」
朱抹の体が膨れていた。
風船のように。
体に異物が入り込んだように。
「大気中に散った埃は呼吸を通じた体内へと入り込む。……あまりやりたくなかった。これをやれば死体が死体として残らないのだからな」
朱抹の体は現在進行形で膨れていた。
このままいけば朱抹の体は破裂するだろう。
「体内の埃を変えた、か」
しかし、それは朱抹にとっては
「悪手だな。俺の能力を教えなかったか?」
ゴクリ、と朱抹は嚥下した。
そして、朱抹の体内で吸収が始まる。
「喰った分だけ力を増す。俺に喰えないもんはねえ」
朱抹の体内の入り込んだ異物。それすらも朱抹は喰らい尽くす。
「終わりだ」
「『狸の心』!」
宝斎の体に出現した盾も、鎧も、鎖も、何もかもを宝斎ごと切り裂いて、宝斎の命を朱抹は喰らおうとし――
「……あっちか」
後方をチラリと朱抹は見た後に――宝斎の死体を遠くへと投げ飛ばした。




