44話 7匹のヤギは空をも飛ぶ 3
およそ遡ること8日前。エボリュー動物園大実験初日のことであった。
「スマートに殺すことは簡単です。しかし、それは実に簡単すぎてつまらない。殺すだけが全てではない。あの人間はそのように言いたかったのだと私はスマートに訳しました」
初日にして2つの死体を引きずりながらストマックはそう結論付けた。
殺した理由は明白至極。ストマックを殺そうとしてきた、あるいはストマックを見るなり逃げようとしたからだ。
何という短絡的な生き物だろう。
ストマックはヤギである。ヤギは草食動物であるがゆえに動物の肉を食べることはない。
だからその辺に捨てておけば誰かしらが処理してくれるだろう。食べるなり、さらにばらすなりして。あるいは人間が清掃してくれるかもしれない。
しかし、そのどれも良しとせずにストマックはその死体を引きずり続けた。
その様は臆病な動物を遠ざけ、血気盛んな動物達をおびき寄せていた。
「スマート過ぎるようだ。つまらなすぎる」
適当に小石をいくつか拾い、適当に狙いをつけて投擲する。
その小石はどれもが1つにして20個程を同時に激突したのと同様の威力を秘め、集まっていた動物の1匹の頭部に当たると、その動物を気絶させた。あるいは腕や足に当たった動物達はその箇所に痣を作り悶絶させる。
途端にその気絶した動物に群がり、貪り喰らう他の肉食動物達。
その横を悠々とストマックは通り過ぎて行った。
逃げる、殺す、食らう。
この3つだけがストマックの周囲には満ち溢れていた。
満ち溢れすぎて飽き飽きしていた。
遠近どちらも優れる能力であり、敵無しとさえ思えるのは決してストマックの驕りではないだろう。
むしろストマックは己の能力を当初は弱いものだと思い込んでいた。
いくら増やしたからといって元が弱ければ意味がない。
0.1を10倍にしたところで1であるし、100倍しても10。
元から強さが10の者の方が通常からして強い。ストマックは精一杯で10であるのに対して、だ。
しかし現実は違った。ストマックは0.1どころか1を超えて2や3……下手をすれば10にも迫るほどの素の強さ、素質を持っていたのだ。闘えば闘うほどに強くなり、闘いの勘というものを得て周囲との格差をより広げていった。
そのため周囲には落胆した。弱者であるのに群がろうともせず徒党も組まずにただ互いに牽制し合っているだけ。ならば日が暮れるまで存分に睨み合っていて欲しい。……ただし、自分のいないところでだ。
逃げる、殺す、食らうに1つ増やされるとしても睨み合うだけ。
もっと心を躍らせてくれるような者はどこかに無いだろうか、そう思っていた。
「あ、あー……そこの白いやつ」
死体を2つ引きずるストマック。そんな彼に敵意や殺意、怯えの感情を向けようとも、無関心に近い感情を向けられたのは初であった。
「(死体を見て恐怖という感情は無いのでしょうか……あるいは興奮しない……。それなりに肝の据わった者なのでしょうかね)」
ストマックは目の前の黒いスーツを着た男を見てそう思ったが、すぐに思い直した。
この顔は、そんな深いことを考えている顔ではないと。
むしろ、目の前のことよりも自分の疑問を考えすぎて今の状況が分かっていない。
「なあってばー。なんで皆こんなに自由に歩き回っているんだー? それにこの姿って……人間だよな?」
マジですか……。
思わず言葉が崩れかけるほどストマックは今の言葉が信じられなかった。
昨日説明されたではないか。あれだけの大事。人生が変わるどころか生まれ変わったと言ってもいいほどの出来事をよくも忘れることができたな。
それにこのありふれて有り余る殺気を感じていないか。嫌でも臨戦態勢にさせようとする濃厚な殺意漂うこの動物園にて唯一の能天気が目の前にいる男なのではないだろうか。
様々な考えが浮かび、消えていく。
能天気とはどこか違う……そう、この男は、何も考えていないだけだ。
「ふむ。では、スマートに答えて差し上げましょう。昨日まず起きたことは――」
このまま闘うというのも何か惜しい気がする。
それは今までとはどこか異質な相手に出会ったことによる興味本位だったのか、それともこれまでの敵に飽きてしまっていただけなのか。この男に何かを感じ取っていたのかもしれない。
ともかくとして、昨日起きた出来事を一から十まで簡潔に説明し終えたストマックに対して目の前の男は、
「へえ。そんなことがあったのか。みんな大変なんだな」
と、どこか他人事のように感想を述べた。
「で? アンタは俺と闘いたいってわけか?」
ストマックが目の前の男と闘いたがっている。見当違いのようなことを、己が関わっているくせにそれすらも他人事のように言う。
「そうですね……別に闘いとか殺し合いとかそこまで執着しているわけではないのですが……ええ、それはスマートではありませんしね」
「そーかそーか。じゃあな」
それで興味を無くしたかのように目の前の男は背を向けようとした瞬間であった。
「しかし、あなた個人には興味が沸きましたよ。なぜそこまで何事にも無頓着になれるのか。殺し合いではなく、決闘です。私が勝ったらその答え、教えて頂きますよ!」
ストマックは小石を目の前の男へと投げる。
「『山羊の心』」
先ほどの動物を気絶させたのと同様の威力。
1つの小石にして20個分の威力を秘め目の前の男へと向かって行く。
「(このまま気絶させてもらいますよ。目覚めたら話をして、つまらなかったらやはり殺しましょうか)」
殺意はなくとも自分の能力を少しでも知ってしまえば殺してしまった方が良い。
何もなければあくまで淡々とこの1ヶ月をそうやって生き残っていくつもりだ。
しかし、目の前の男は他の動物とはやはりどこか違った。
考え方も。能力の質すらも。
「『阿呆鳥の心』」
目の前の男の口から何かが出る。舌が伸びたとか、痰が吐き出されたといった明確な物質ではなく、空気が震えているようにも見える。
音による攻撃か? そう思ったストマックは身構えた。
だが、目の前の相手の口から発せられたその何かはストマックの体に対して何をした様子はない。
「……?」
ストマックによって投擲された小石は目の前の男の口から発せられた何かによって撃ち落とされることもなく、そのままストマックのコントロールの良さを発揮するがまま目の前の男の頭部に激突した。
「あいてっ」
しかし、20発もの威力を秘めた小石はクラッチの頭部に当たるも、目の前の男に痛みを与えさせるだけで終わり、気絶やそれどころか負傷の形跡すら与えなかった。
恐ろしく頑丈になる。
それが目の前の男の能力なのかと思い、ならば次はガラス片でも投擲しようかと服の裾から取り出そうと手を伸ばすが――体が動かなかった。
「(な、ぜ……?)
なぜ、その言葉すら口から出てこない。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ――なぜだ!
体を動かすことすら、それどころか舌を動かすことや声帯を震わせることすら封じられている。
「なぜだ!?」
なぜ、それを何回も考えたところでようやく声となってストマックの口から発せられた。
「あー、なぜかって?」
ストマックの疑問をクラッチは正面から受け止める。
「俺の能力、『阿呆鳥の心』は能力を変えちまうみたいなんだよな。それでアンタの能力も変わっちまったんじゃないのか? まあアンタの能力が何なのか知らないけどなぁ」
相変わらずの気の抜けたような話し方でストマックにとっては致命的なことを言ってのける目の前の男。
ストマックの能力が目の前の男の能力によって変えられた。
なぜ?も、どのようにして?も、もう関係ない。
どのような能力に変えられたのかも推測はできていた。
これまでのストマックの能力は、ストマックの一回の行動を数回から数十回以上にまで増やすこと。これはストマックにとって大いなるアドバンテージをもたらす能力であった。
しかし、変えられた後の能力は恐らくではあるが、ストマックが行動を一回起こす際に数回から数十回の行動を必要とすることであろう。
投げられた小石は20個分の威力を秘めていたはずが、1個どころではなく1/20となったのだろう。20個当たってようやく1つ分。当たり所が悪ければ1個でも致命傷を与えるはずの攻撃が多少痛い程度で済んでいたのは威力が大いに引き下げられたから。
それと同様にストマックの行動さえも「なぜ」と発言するために「なぜ」を数回と繰り返さなければ発言してくれないものとなっていた。
裾にしまってあるガラス片を取り出すことも何度か繰り返さないと体は動き出さないことであろう。
しかし、それよりもストマックにとっては致命的なことがあった。
ストマックの体が動かないことよりも致命的なこと。それは目の前の男が動かないストマックを殺しにかかることではない。それよりももっと致命的で確実なことだ。
「(息ができない……)」
思考は保てているが、体中の筋を動かすことが叶わない。すなわち、呼吸筋すら動かせていないのだ。意識的な呼吸も、無意識的な呼吸も。
何度か繰り返せば呼吸は出来るが、体が求める酸素には届かない。供給が需要に追い付いていなかった。
「(まずい……このままでは――)」
酸素不足の中でストマックの意識が途絶えようとした瞬間、ふっと体を縛り上げていた感触が無くなり、肺の中に空気が一気に入ってきた。
「げほっげほっ……」
これまで吸っていなかった酸素を取り戻すがごとくむせて呼吸を促すストマックではあるが、すでに頭の中では別のことを考えていた。
「なぜ……?」
再びの疑問。
だがその中身は違っている。
「なぜ、能力を解除したのですか?」
能力の時間制限というわけではないだろう。
タイミングが良すぎるし、何よりこんな短い効果時間ならば窒息なんて闘い方はしないだろう。
……いや、相手の能力を知らずに使った能力なのだ。どのような効果を発揮するかなど知らないだろうし、ストマックが窒息しかけたのはストマックの能力が基盤になっているが故だ。
だからこれは故意に、目の前の男が能力を解除したとみて間違いないだろう。
「俺はよぉ、自分に知恵が足りてないって分かってんだ」
「……?」
何を急に語り出すのだろう。
そしてそれはストマックの求める答えではない。
「アホウドリだから阿保ってわけじゃねえ。これは俺自身の問題だ。俺という個が他の個よりも明らかに知恵の部分で劣っている」
「……だから、何だと言うのです?」
「そしてアンタは頭が良さそうだ。俺に持っていないものを持っている」
ストマックと相手の男。どちらが頭が良いかと言われればそれはストマックだろう。前日の話すら、この緊迫した状況すら理解しないで歩き回っていた男のどこに利口さを求められるのだろうか。
「だから、アンタと組むことにしたよ。俺は少なくともアンタよりも弱くはない。だから足を引っ張ることはないと思う」
まさかであった。
まさか、この男はストマックに己の力を誇示した上で仲間にしてくれと言ってきたのだ。
能力を使い、ストマックを追い詰めてなお、そこで力を見せて仲間になるに足り得るから、と。
「俺は自分の力すら使いこなせていない。だからアンタに使ってほしい。実はちょっと前から見てたんだぜ? アンタが他のやつらと巧みに闘っているのを。上手く能力を使いこなしているのを」
なるほど。
周囲で一番強く賢い動物を見つけて、その上で殺すのではなく味方に付ける、と。
確かに能力を変えるだけの能力ならば、身体能力で圧倒する動物には勝てないのかもしれない。だから、他の動物の力が必要なのかもしれない。
だが、ストマックは今この目の前にいる男に圧倒されかけていた。事実、負ける直前であった。
それなのになお、ストマックを配下にではなく仲間に欲しいと言う。
知らず知らずにうちにストマックの口角は上がっていた。
初めての闘い以来の、それ以上の楽しみ。
この阿呆はどこまでも阿呆であり、そして強い。
阿呆を上回る強さ。それは能力的なものでも身体的なものでもなく精神力の強さ。
「いいでしょう、貴方の能力をスマートに使いこなしましょう。私はストマック。ヤギです」
「俺はアホウドリのクラッチだ。ところで――」
――スマートってどんな意味だ?
その疑問には、仲間になって初めてのクラッチからの質問にストマックは上手く答えることが出来なかった。
なぜならそれはただの口癖であり、心の奥底からの自分へのエールなのだから。




