39話 狐七化け獅子一裂き 前編
少女の徐々に太くなっていく腕がリオナの首を絡めとり、そしてへし折ろうと力を込め――そしてリオナに止められた。
リオナの数倍は有りそうな太い腕を難なく握力のみで掴み上げ閉じられかけていたものを開くとその腕の持ち主を背中から振り落としてリオナは拘束から脱げだした。
「くっ……」
仕留めきれなかったことに対し少女は悔し気に息を吐く。そしてすぐさま体勢を整えた。
いつの間にか太くなっていた腕は元の筋肉のひとかけらも無さそうな細い腕へと戻っていた。
「腕を太くするのがアンタの能力ってわけかい?」
「違いやす。私の……あての能力はそんなちゃちいものではありせん。あての能力、すなわち『狐の心』とは完全なる身体変化。腕を細くも太くも、長くも短くするもあてには容易なこと。質量保存の法則なんぞ無視。だからこんなこともできるんどすえ」
少女の声の質が変わる。舌足らずなものから大人びたものへと。同時に口調も敬語から関西辺りの方言が混じってくる。
少女は後方へと手を伸ばす。伸ばす。伸ばす。少女の本来の腕の長さはとっくに超えており、たとえ関節を外す技術があったとしてもそれすら超えた長さにまで伸び……後方10m以上先にあった柱の1つを掴んで腕の長さを戻した。
もちろん柱が抜けるわけではなく、腕の長さが戻るにしたがって少女は後方へと引っ張られていく。
そして柱の近くまで移動するとリオナの方へと向いた。
「それが腕を長くしたり短くしたりってやつかい? なるほどね、便利そうだ。しかしそれでアタシとどう闘おうっていうんだい?」
腕を鎌のように振り回したり、巨大にして押し潰したり。
リオナはそうやって闘うのだろうかと期待していた。
見かけは弱そうな少女かと思っていたが、蓋を開けてみれば何とも戦闘向きの能力を持っているではないか。しかも戦意も十分あると見た。
「腕の伸長巨大化で闘う? そんなことはしまへんで。あてはこうするんどす」
少女がそう言うや否やスッと姿が消えた。
一瞬の出来事であったが、まるで砂浜に書いた文字を波が攫ったときのように一瞬であった。
「どこへ行った!?」
視界のどこを探しても見つからない。
右も左も前も後ろも上も下も。中央――自分の身体を睨みつけたってどこにもいない。
「速度が上昇したわけではなさそうだね。臭いは……なしか」
先ほどまであった少女の臭いすら消えている。
膝からの出血があったためその血の臭いすら消えているのだから見事なものである。
「ならば透明化かな? 臭いすら消すならば隠密行動に特化した能力か……しかしあの腕が説明できないね」
悩んだが特に説明できそうも無かったので暴れてみるかと思いつき、とりあえず隣にある建物を壊そうとした動いた瞬間……リオナの腹部から夥しい血が流れた。
「……へえ」
しかし慌てずに腹筋に力を入れ簡易的に出血を止める。
どうやらリオナの腹部を何かが貫いたようで、その貫いた何かはすでに抜かれていた。
貫かれた感触からして何かしらの硬い物質。先ほどは見えなかったが爪だろうか。腕を長くも短くも、巨大にも小さくもできるのならば、硬化でも軟化もできるのだろうか。
姿の見えない相手、そして攻撃にリオナは決して慌てなかった。
心臓も脳も万全に動いている。いくつかの臓器がやられようと、問題ない。むしろ臓器に巡る血液が筋肉に巡って凄いパワーが出せそうじゃないか。
そう思うほどにリオナの心は動じていなかった。
どころか、
「ここだね!」
空中の一点に向けてリオナは拳を突き出していた。
「ぐえっ」
と、カエルの潰れたような音を出して何かが吹き飛び、背後の壁にぶち当たり瓦礫ができあがった。
「な、なんでわかったんどす?」
未だ姿の見えない空中から声が聞こえる。
それは先ほどの少女のものであった。
空気が揺らめきそこに姿が現れる。
それは先ほどまでリオナと会話していた少女ではなく全く別の顔の持ち主であった。
年は20をとっくに過ぎ後半に差し迫った程。身に着けているのはまるであの僧兵が来ていたような袈裟。しかしこの場合、僧は僧でも尼僧であろうか。
腕を交差し、リオナの拳を防いだようだが、衝撃が大きすぎて後ろに吹き飛んだようだ。クロスした両腕は銀に輝き、金属特有の光沢を輝かせていた。リオナの攻撃をまともに受けて無事でいるのはその両腕が理由のようだ。むしろ少しだけリオナの拳の方が痛い。
「血はすぐに拭き取り腕も元に戻したはずやのに……」
「臭いだよ、臭い」
尼僧の問いにリオナは自分の鼻を指さし答える。。
「臭いだって完璧に消したはずや! いくらあんさんの鼻が利こうとも、無い臭いは嗅がれへんやろ」
「それはあくまでアンタの臭いだろ? ついてるのさ、アタシの血がアンタの腕にね。そこからプンプンとアタシの血の臭いが漂ってきているよ今でも」
「……!? そうか、盲点やったわ……臭いやけどね」
両腕の交差を解き、銀に輝いていたのも元の腕に戻る。
改めて見ると、先ほどの幼女がそのまま20年ほど年齢を重ねた姿であるようだ。
尼僧のような衣服であるのに髪が生えているのはそれがあくまで己の個性であるだけだからなのだろうか。頭巾からは耳が突き出していた。頭巾の耳の部分だけ破かれていることからもやはりれっきとした尼僧でないことは間違いないだろう。そもそも10日前まではただの動物であったのだから。
「しかしあての背中はこのおうちにぶつかったせいで痛いけど、あんさんの拳はもっと痛いやろうなあ。何せあての両腕は今さっきまで鉄になっていたんやから」
「鉄だと……?」
「せや。あての能力はすでに言ったやろ? 完全なる身体変化。火を噴いたり水を吐き出しりは出来へんけど、血液中の鉄分を集めて固めて鋼鉄のようにするくらいは簡単や」
「あー……そういえば全身って言ってたね。ならこの腹の穴もその腕でやったってことか」
両腕だけを変化させてたから勘違いしていた……と、リオナは素直に自分の非を認める。と、同時にこれまでの攻防でそこそこの強さがあると思っていた相手にそれ以上の強さがあることを確信する。
「……何で、腹に穴空いてるのにそないに笑えとるのかね。あてには理解できへんわ」
「何でって、楽しいからに決まってるじゃないか」
「楽しい……楽しい、ねえ。ならもっと楽しませてあげましょか」
尼僧の全身が光沢を放ち始める。
両腕だけでなく全身を鋼鉄のように固めているようだ。
全身を鋼鉄のように鉄分を固めるだけでは終わらない。
先ほどリオナの首元に腕を回した時と同様に膨れ上がる。血管中の鉄分を集め固め、筋肉中の肉という肉を細胞単位で大きくし腕を膨れ上がらせる。
風船のように腕は膨らめど、その中身は空気ではなく一片残らず筋肉だけで構成されている。
「見ておきんさい。これがあての身体変化の最上たる技。身体全てを一から構成しなおして、考えうる限り最高の身体へと仕上げとる。肉弾戦においてあては無敵や」
「無敵か。……最強と無敵、どっちが強いのかね。最も強いアタシ。敵がいないアンタ。早くぶつかり合いたいね」
リオナは右手を堅く握りしめ、左手は爪を尖らせる。
「せや、闘う前に名前を聞いておこか。見たとこあんさんは強そうや。後で自慢するときに名前を知っておいた方が便利やしね」
「リオナ、ライオンさ。そういうアンタは?」
「キツネや。キツネのセプテム。さっきはあてのこと背負おうとしてくれてありがとな」
「いいさ、弱いやつには親切にする。当然じゃないか」
「弱いやつに優しくして信用させて取って食うつもりなんやろ?」
リオナとセプテムは互いに笑う。
リオナとセプテム、ライオンとキツネは共に肉食獣。
この後殺し合い、負けた方が食われることを分かっている。
リオナは確信していた。今、目の前にいるキツネは先ほどの少女と同一人物であるにも関わらず今まで出会った者達の中で最も強いことを。朱抹すら超え得る可能性のある能力を持つ敵に自然と笑みが浮かぶ。
セプテムは称賛していた。さすがはライオンと言ったところだろうか。こちらは能力で最大まで強化した上でこの場に立っている。しかしあのライオンは素の身体能力だけでこの闘いを行おうとしているし、勝とうとさえ思っているようだ。能力で飾っていないありのままの強さに対して尊敬の念さえ覚えていた。
両者は笑った。
両者は笑って走り出した。
両者は笑って走り出して――そして殺し合った。




