74話 虎と白虎 5
その動機が復讐であろうと、発端は好意という感情からであった。
朱抹がセティをどう思おうと、思ってさえおらずとも、好意も殺意も一途で一方通行であることに変わりない。
セティが朱抹にどのような感情を向けようとも、朱抹から返ってくることはない。
だが、それで構わないのだ。
だって、セティは確信しているから。
この戦いの後に両者とも生き残っていることは有り得ない。
ならば、返答は求めない。
意味のないことに労力を向けることは無駄だ。
1パーセントよりも限りなく低い、ほとんど0に近い可能性であるが、もしかすると朱抹もセティに好意を持っていたかもしれない。
それでも最後に立つのは1人だけなのだ。
この戦いは止まらない。
終わるまで、どちらかが死ぬまでは止めることが出来ない。
始めたセティも、始められた朱松も、中断は望んでいないのだから。
「私はそれでも! 貴様とこうして戦う機会を得たことをもう逃がしはしない!」
セティは叫びながら朱抹へと駆ける。
鋭くない爪を振るいながら。
「そうかよ!」
だが、それも虚しく朱抹の指先1つで転がされてしまう。
技術と駆け引き。この2つがセティは朱抹に比べ圧倒的に欠けていた。
相手の力を奪い自身のものとするセティは、いうなればステータスを相手よりも上回ることで力押しの出来る状況にし戦い、勝利を続けていた。
対する朱抹は敵と互角に立ち回れるようなステータスにまで自身の力を強化し、力任せではなく力と力を、技と技をぶつけ合えるような状況で戦ってきた。
たとえセティが力を奪おうとも、経験値は奪えない。
殺意で以て戦い勝ち続けてきたセティと、戦いを楽しみ勝ち続けてきた朱抹との差がここにあった。
「それよりも、1つ確認したいんだけどよ」
「……なんだ」
不意に朱抹がセティに問う。
未だ戦闘は継続中。
セティに不利な状況とはなったが、まだ牙は鋭く研がれたままだ。
朱抹にとってもまだ油断は許されない状況。
しかし、問いかけるには最後のタイミングだったのだろう。
この戦いの決着もすぐそこにまで迫っている。
朱抹が自覚している通り、負傷と消耗は互いに限界が近い。
ここで話さなければもう殺すしか手段は残されていない。
「『白虎の心』……そう言ったな?」
セティの能力名。
白いトラ。セティが朱抹と違いただのトラではないが故に能力名もこうして亜種となった。
だが、そこに疑問が挟まれる。
果たして、セティは本当にホワイトタイガーなのだろうか、と。
「ホワイトタイガー。確かに白いトラってのはそう呼ばれるな。だが、もう一つあるだろう? ホワイトタイガー以外にも白いトラってのは」
「……」
セティは答えない。
朱抹の問いへの答えはセティ自身持ち合わせている。
しかし、セティの中では戸惑いがあった。
それは己に興味を持ってもらえた喜びか。それとも今更なのかという怒りか。
いや、それ以上の動揺があった。知られたくなかった。そのような感情がセティの中に走っていた。
どちらにせよ、セティの中では感情の揺れがあった。
殺意が薄れてしまう程に。
「アルビノか」
「……!」
セティが答える前に朱抹が自ら正当を述べる。
解答はセティの反応で十分であった。
アルビノとホワイトタイガー。
同じ白であるが、その成り立ちは全く違う。
色素の減少により白く見えるホワイトタイガーと違い、アルビノはメラニンの生合成に関わる遺伝子情報の欠損により引き起こされる遺伝子疾患である。ホワイトタイガー……白変種の遺伝子は正常のままだ。
その差は瞳の色が特徴的だ。
ホワイトタイガーの瞳は黒のままであるが、アルビノのトラは青や赤となる。
そして、アルビノは視覚障害や日光に弱いという欠点もある。皮膚は容易く損傷される。
弱い……劣っている。
朱抹が推理した奪う能力に至った経緯が、このアルビノというセティの正体を掴んだ所以である。
劣っているが故に強くならなければ戦いにならない。
他者が自身より強いことが前提のアルビノ。
更に朱抹に乳房を奪われた過去が加わり、セティの能力は他者から力を奪い自身を高めるというものに完成した。
「はっはっは! アルビノと聞いて納得したぜ。お前の力をよ! 同じトラでも俺の方がここまで強いってのは俺の才能のせいかと思ったが、元からお前は弱かったってことか」
「……っ」
そう、セティは朱抹にその結論に達して欲しくなかった。
強さを求める朱抹には。
強き敵を追い求める朱抹に、セティは自身が弱いアルビノという種であることを知って欲しくなかった。
知られてしまったら……セティは朱抹の横にも前にも立つことは出来なくなるから。
共に戦うことも、敵として互角に戦うという未来も、朱抹は考えもしなくなってしまう。
それだけは避けたい。
自身が殺されるよりも、朱抹を殺すことよりも。
セティはセティの弱さを知られたくなかった。
「そうか、そうか」
朱抹は何かを納得したかのように頷く。
その表情からセティは何も読めない。
興味を失ったのだろうか。
一抹の不安がよぎる。
「強くなったなぁ。ああ、期待以上だったぜ」
「……え」
しかし朱抹の口から出たのは称賛の言葉であった。
期待以上。少なからず期待をしていたのか。それもあるし、セティの力は朱抹の想像を上回っていたという事実が言葉の中にあることに気が付く。
「俺はお前のその眼が良いと思ったんだぜ。何物にも屈しない。全てが敵であるかのような眼が。そうだよな、お前からすれば俺や他の群れのトラだって自分よりも強い奴だ。攻撃されれば敵わない」
朱抹が何を言っているのか。
なぜそのような結論に至ったのか。
セティには分からない。
朱抹を好きになろうとしたメスと、セティを初対面から好敵手になるだろうかと測っていたオスの違い。
結末はどのようになろうとも、その出発点は朱抹にとってセティは戦いと思えるトラであったのだ。
「俺達動物ってのは強い奴には頭を下げちまうもんだ。俺の群れだって、俺を一目見て全員降伏しちまったんだぜ? だがよ、お前の眼は戦うことを止めなかった。戦意はちっとも薄れていなかった。だから俺はお前に期待したんだぜ」
「……はは」
ああ、そうだったのか。
セティは気づく。
目の前のオスの愚かしさを。
感情の機微に疎すぎる。
何がどうなれば、好意を持って近づいたセティを、戦意を持って近づいた敵として見たのだろう。
警戒心が反転して好意となり、さらに殺意へと変異したセティと違い、朱抹は最初から最後までセティを戦うべき相手として見ていた。
最初から、セティは朱抹の前に立つ資格は持っていたのだ。
「期待以上にお前は強い敵として俺の前に再び立ってくれた。感謝するぜ。これで俺は更に強くなれた」
「……私はお前の好敵手となれたのか」
「ああ。俺を殺す手前まで連れてきてくれた。ここまで強かった奴は少ないぞ」
「……!」
救われたような感覚に陥る。
憑き物が落ちたかのような。
殺意が薄れ、これまで行おうとしてきた目的が達成出来ないくせに、なぜか晴れた気持ちになる。
「……感謝する」
「そりゃ俺だ。って、さっきも言ったな。まあいいや。それじゃあ、決着付けようぜ」
ここまで来ても和解という結末を互いに提案せず殺し合いを続行する。
それでよい。
それでこそ朱抹なのだと、セティは愛おしく思う。
警戒心が反転して好意となり、さらに殺意へと変異し、最後に愛情へと成り代わる。
朱抹とセティ。
互いに構え、そして爪が交差する。
「愛しているぞ朱抹」
「俺もだセティ。好きだぜ」
それは敵としてか、メスのトラとしてか。
朱抹が何を思いそのように言ったか分からない。
しかし朱抹の爪で裂かれ、絶命の瞬間まで、セティの顔は幸福に満たされていた。




