72話 虎と白虎 3
初めて会った時。
私はソレが己の番になることを知っていた。
場の雰囲気も、己の年齢も、互いの相性も。
恐らくは番として人間に連れて来られたのだろうと察した。
私が他のトラ達と違うことは知っていた。
体色もそうであるが体質も違う。
病弱というか、少しだけ体が弱い。
長時間日光の下にいることが出来ないということを本能的に悟っていた。
運がいいのか、用意された棲み処は森林ベースであったために日陰が多かった。
適度に日陰で休憩しつつ探索を行うことで運動不足を解消する。
どころか、日陰であれば別に自身の身体能力はそれほど低くないことを知った。
一定の年齢に達するまでは体質もあってか他のトラとの交流は滅多になく、また幼少期に成体と戯れたところで比べることも出来ない。
ようやく一人前と言える体にまで成長したところで私はソレと……朱抹と出会わされたのであった。
ソレ……と形容しよう。
私は朱抹と出会った時、同種のトラであると一瞬だけ認識することが出来なかった。
何かもっと別の……知識が増えた今であるならば神話の生物とでも表すべきであろうか。
次元の違うような、そんな……種族どころか生物としての範疇を超えた差を感じさせられた。
だが、それも一瞬だけのことだ。
朱抹が私を認識し、そして意味ありげに笑みを浮かべた。
それを見て、ソレがトラであり、そして同じ世界に生きる生物であるのだと認識することが出来た。
そして、恐怖を覚えかけていた感情は反転し好意へと移り変わっていた。
吊り橋効果やストックホルム症候群と言うのだろうか。
新たに得た知識の中に似た意味の言葉がいくつか浮かんだ。
それが正しい言葉なのか確かめようがない。
私の感情を一番理解しているのは私だ。
他者の言葉で表そうとすることは出来るだろうが、全く同じに当てはめることは出来ないだろう。
恐怖が大きすぎたのだろうか。
朱抹への好意を自覚するまで、出会ってから数秒とかかっていない。
だが、私はその間に緊張してしまった。
あろうことか、好意の対象である朱抹との距離感を測りかね、恥ずかしくて近づけなくなってしまったのだ。
これまで冷静沈着であると自負していたが、それはとんだ間違いであった。
ただ、感情の表現が苦手なだけのメスであったのだ。
番としてこちらが認識している以上、向こうも同様のはずだろう。
トラ同士で戦っても利益は無い。
別に群れのボスを争うわけでも、縄張りを広げようとしているわけでもない。
それにオスとメス。
どちらかが庇護下に入るにせよ、争う関係性にはなりえない。
私が奥手に行動しているのと同様に朱抹もまた奥手であるのだろう。近づいてこないことをそう解釈した。
少しずつ。ほんの少しずつであるが慣れてきた。
近づいても思考が停止しない。
勇気を出して一歩ずつ歩み寄っていく。
朱抹から近づくことは無い。
オスとしてのプライドか。それとも単にそういうものと思っているのか。
私が朱抹に触れるところまで近づけば私の勝ち。私はそう思った。
触れた。
そう思った時には私の体は引き裂かれていた。
何が起こったか分からない。
死ぬのか……?
この感情が何か分からないまま……どこに行くのか道も定まらないまま私は死ぬのだろうか。
朱抹に触れようと思い近づいた。
流石に無言は失礼かと思い、さらに警戒されては困るので声をかけた。
だが……薄れる視界の中で見えたのは私の血に濡れる爪を舐めながら笑う朱抹の顔であった。
あの時の私の感情は紛れもなく愛や恋に近かったのだろう。
何も知らない、無知な私。
感情を向ければ相手も同様に返してくれるのだと錯覚していた、愚かな私。
初対面の相手を好きになろうと努力し結果として恋に落ちた、純情な私。
無知で愚かで純情な私。
それら全てはあの時に死んだ。
女として、メスとしての私はもういない。
生き永らえながらも、片乳房は落とされ、更に生殖能力と繁殖能力すらもどういうわけか失っていた。
精神的に私はどこかおかしくなってしまったのだろう。
いや、生まれ変わったことで初めから私はこうだったのだと再定義されたのか。
恋は怨に。
愛は恨に。
恋愛は怨念に変化し、恋する少女は復讐者へと堕ちた。
朱抹を殺すに相応しい能力を得て、更に復讐を望んだ私の能力は進化を遂げた。
「『白虎の心』」
相手の力を奪い自身のものとする能力。
それ自体も強力なものであるが、更に氷を操るものとなった。
これこそ私に相応しい能力だ。
殺意を研ぎ澄まし、氷の刃を作ろう。
一気に焼き尽くすよりも、切り刻もう。
あの時、私の体が裂かれたように。
今度は朱抹の体を私の氷の爪で裂くのだ。
「……まだ生きていたか」
氷の槍の雨が止んだ後も朱抹はまだ動いていた。
鈍いが、それゆえに生命力の強さを感じさせられる。
流石にしぶとい。
そのタフさは見習うべきだろう。
ただの一撃で、しかも能力を得る前の身体能力での爪撃で気絶してしまった私は尚更に。
言い訳させてもらえるのならば私の体が弱かったことが要因の一つであるが。
それは朱抹には通じない。
「まあ、な……」
だが、効いてはいる。
応えた様子ではある。
……獣は死の直前こそ最も厄介になる生物だ。
まだ勝利を確信するには早い。
「私への謝罪はあるか?」
「謝罪? 何でだ? 命乞いのためか? するわけないだろ」
「違う。貴様の罪悪感の有無を確認するために問うたのだ。あの時のこと、貴様だって覚えているだろう」
覚えてはいる……はずだ。
朱抹はきっと覚えていてなお、
「ああ。俺とお前が初めて戦った時のことか」
そう。
この男にとって私との出会いは、私を切り裂いたあの時は戦闘に他ならない。
私が伸ばした手は攻撃と思い込み、私へと伸ばした手は攻撃であった。
謝罪とか、罪悪感とか。この男に求めることが間違いだ。
そう、求めるならば命乞い。
この男に勝てないと思わせるくらいに私は私の強さを示すしかない。
「『白虎の心』」
氷で伸ばす途中の爪で朱抹へと攻撃を仕掛ける。
完成させた爪では間合いが図られる。
途中であれば誤魔化せる。
残念ながら純粋な強さは朱抹の方が上だ。
能力で私は朱抹を上回るしかない。
爪を朱抹は大きく避ける。
爪の伸長速度よりも遠く。
間合いを誤魔化す範囲の外に朱抹は退避した。
「……ほう」
だが、それで私は勝利へと一歩近づいたと確信する。
朱抹は明らかに私の攻撃を警戒している。
そこらの十把一絡げの弱小な動物たちと違い、私を私と認識し、攻撃を避けている。
戦闘が成り立っている。
「ははっ」
自然と感情が零れる。
楽しい。
あの朱抹を私は追い詰めている。
「随分と楽しそうじゃねえか」
「ああ。貴様との戦いは陰鬱で興ざめたものと思っていたが……こうまで一方的であると逆に面白くなってくる」
「一方的とは言ってくれるじゃねえか」
「今の私と貴様が対等とでも? あの時と逆ではないか。ただ、なすがままに裂かれた私。今の貴様はあの時の私だ。何も出来ぬまま、そこで裂かれろ」
空気中の水分を冷やし固めて氷の剣を2本作り出す。
私に剣術の才などない。
振るうのは初めてだ。
だが、武器の有無は戦いにおいて重要。
リーチの差もあるし、腕同士がぶつかるのとでは意味合いが違う。
触れただけで武器は凶器となる。
「死ね!」
両の剣を交差するように左右から振るう。
回避したところで、破壊したところで私にはまだいくらでも攻撃手段がある。
空気中の水分全てが私の武器の源。
「いいや? 死ぬのはてめえだぜ」
朱抹は剣を避けない。
どころか、正面から突っ切り、両手でそれぞれ剣を叩いた。
朱抹の拳から血は流れない。
……驚く技術だ。
剣の腹を叩いたか。
金属ではなく氷の剣である。容易に剣は破壊される……だけではなかった。
「なっ!?」
破壊された氷の剣の断面は融解していた。
溶解するような薬液を使ったとは思えない。
朱抹のはそういう能力ではない。
まさか胃液を強化し吐き出したとか、そんな器用さは無いはずだ。
むしろこれは……
「熱い……!」
周囲の気温が上昇していく。
私が能力で意図的に下げていたのとは逆に。
逆……反対の能力……。
「いいねぇ。楽しくなってきたじゃねえか」
あの時と同じだ。
同じ目。同じ笑い方。同じ表情で朱抹は笑っていた。




