71話 虎と白虎 2
初対面の印象は『美しい』であった。
己や他の同種族を見ても、同色の体毛はいない。
限りなく似ているどころか、少しでも似ている要素のある仲間がいない。
黄色や黄褐色という体毛色に対して別に誇りがあるわけでは無かったが、その純白を見ると少しだけ羨ましくは思ってしまい、自身の黄金の黄を嘆いた。
だが、それよりも惹かれたのは彼女の孤高さであった。
人間に誘導され、同じ檻の中に入ろうとも、なびこうとしない。
雌雄合わせて4匹、この檻の中にトラはいた。
その全てが自分の支配下にあった。力でねじ伏せていた。
面白い。
『美しい』という興味はすぐさま『強いのだろうか』という疑問に変わった。
群れに馴染むことなく数日が経過した。
その間、警戒を休めることなく常に視界に入れ続けた。
奴も常にこちらを見ている。
戦うのはまだ早い。
だが、確信している。
機が熟するまでそう時は長くない、と。
「……」
更に数日。
心なしか、白いトラとの距離が近くなっている気がする。
心の距離ではない。まだ一言も会話はしていない。
近く、短くなっているのは物理的な距離。
なるほど。距離感を狂わせてきたか、と思った。
気が付かなければ、いつの間にか接近を許し、そして油断したところを攻撃されていたのだろう。
やはり強い。駆け引きが出来ている。
面白い。面白い。
そして出会ってから十日が経った。
白いトラは手の届く距離にまで迫っていた。
こちらが遠ざかればその分だけ近寄る。
他のトラたちは白いトラを怖がっているのか、近づこうとしない。つまり、俺に近づくことも極端に減った。
……このままでは群れの運営にも関わるか。
そろそろ己の力を誇示しても良い頃合いか。
「……あの」
と、思っていたら向こうから声がかかった。
「何だ」
「……良ければ私と……その……」
ああ、そうか。
こいつも図っていたのか。
徐々に近づいていたのは俺の警戒心から強さを図っていたのだろう。
そして、測定は完了した。
白いトラとしても戦う頃合いを見つけ出したのだ。
「良いぜ。それ以上は言わなくても分かっている」
「……そうか」
「俺からも言おうと思っていたところだ。付き合ってやるよ」
「……では!」
「ああ。……今からでいいな?」
この距離だ。
戦闘開始と共にどちらかの攻撃は当たるだろう。
その一撃で済めばよし。
済まなければこの場所は血に染まる。
「私として……そちらが良いのであれば場所も時も厭わない」
「成立だな。良し、行くぜ」
縄張り全てに聞こえるよう、一鳴きする。
トラ達はその轟きに怯える。
白いトラは一歩後退しようとし、踏みとどまる。
……良いじゃねえの。
これで身がすくまないなら、少なくともあいつらよりも楽しめそうだ。
その声を以て戦闘開始と俺は勝手に決めた。
元よりこれからやろうと宣言したばかりだ。
向こうもすでに心構えていただろう。
右前足を持ち上げる。
白いトラは俺のことを見つめ続ける。
視線は外さない。基本は抑えているな。
回避されるかもしれないな。そう半ば諦めもあったかもしれない。
だが、どれだけ通じるか。この白いトラの力がどれだけのものか。
それを見極めるためにも俺は爪を振り下ろす。
白いトラは爪が振り下ろされる前。
俺が前足を持ち上げた時に、全てを受け入れるが如く、腹ばいになった。
まるで降伏を示すような。群れの一員になるようなポーズをとる。
「……あ?」
時すでに遅し。
白いトラが何をしようとしていたか、俺には理解できず。
ただ、爪が白いトラの乳房の片方を抉る感触が俺の手に残ったのであった。
セティの眼が鋭くなる。
同時に、その爪も鋭さと……長さが増した。
「っ!?」
かといって、速度が劇的に増したわけではない。
振るわれた爪を回避するには十分に余裕がある……はずであった。
完全に躱したはずが頬に痛みが走る。
「熱……くはねえ! 何だ? 冷てえぞ」
触ると、頬から血は流れておらず代わりにつるりとした、冷たい感触があった。
見ればセティの白い爪は伸びている。材質は爪とは違うものによって。
「……寒い」
周囲一帯の温度が下がっているようだ。
朱抹は身を震わる。
武者震いとも高揚とも違う。
シバリングという体温を上げようとする身震い。
「悪いが、私は陽の光に弱い。代わりにプレゼントしよう。曇天の下に敷かれる氷床を」
「氷だと?」
氷のような雰囲気という意味ではないらしい。
その爪に伸びる材質の正体こそが――
「そうだ。能力の応用……いや、奥の手というやつか。まだ私も使いこなしたとは思えていない。だが、貴様を殺すには十分すぎる代物だ」
氷で作られたナイフは容易に皮膚や筋肉を貫く。
まともに喰らえば致命傷にも届きうる武器である。
爪もそうであるが、セティはそれを氷の爪とすることで自在に伸縮を操ってみせる。
「そんな脆いもの、全部砕いてやるぜ」
しかし朱抹はその能力を軽んじる。
鉄のナイフであれば多少の衝撃であっても攻撃を受け止め、砕けることは無いだろう。
爪であれば、鋭利さ次第では受け止められれば攻撃を加えた方が肌に引っかき傷を残すかもしれない。
だが、氷だ。氷は水を冷やしたもの。分子の結合を強めたもの。その強度は形によって変化はするだろうが、爪を伸ばしたような形であれば問題は無い。脆い範疇だ。
依然として身体機能は朱抹に軍配が上がっている。
振るわれる爪の、氷部分を側面から叩き壊すことも可能である。
「チッ……」
「爪を伸ばす能力みたいなものだろ、要は。だったらいくらでも戦ってきた」
かつては無限と思えるほどに角を伸ばしてくる敵とも戦った。
それに比べれば、爪が数㎝伸びようと、そう理解していればいいだけの話だ。
まさか数m伸ばしてくるわけでもない。
そうなったらそうなったで、恐らくバランスが悪くなり、セティの攻撃の回避が容易くなるだろう。軌道も長い方が読みやすい。
ネイルチップのように爪に足された氷を壊すと、次いでセティ本体にお返しとばかりに爪を振るおうとした朱抹であったが、本能が一度下がれと警鐘を鳴らす。
朱抹は逆らわずに様子見と後方へ下がる。
「……そりゃ氷か」
回避は遅すぎた……いや、間に合うタイミングなど無かったのかもしれない。
セティは朱抹の動きに合わせて氷の爪を伸ばし、そして斬りつけた。
朱抹の太ももがざっくりと斬られていた。太い血管が傷つけられている。
未完成、とセティは言っていたが、彼女は周囲の気温すらも操っているのか、寒いと感じる気温であっても傷口から流れる血液が氷り止血されるわけではない。
「……」
動けはする。だが、状況は決して良いわけではない。
「先程の攻撃時に爪を伸ばしたことを貴様は気が付いていたか? それが無理だったから、その頬の傷はあるのだろう」
脆い? 爪が伸びる? 凶器としては十分?
それ以上に、武器として氷を扱うのであれば。氷使いを相手するのであればもっと気を付けるべき点はあったのだ。
氷なのだ。爪と違い、材料は空気中にいくらでも散らばっている。
瞬間的に生やすことも出来るし、壊されたところで瞬間的に再生することも出来る。
そして、
「『白虎の心』」
セティは、初めて能力名を唱える。
尤も、能力名を知ったところで今更であるが。
セティがホワイトタイガーであることなどとっくに知っている。
……だが、この能力名を知ったからこそ後に朱抹に希望の道は開くことになる。
それまで朱抹の戦意が残っていれば、だが。
ああそうか、と朱抹は己の間違いを認める。
セティは氷で爪を伸ばしていたがそれが能力の限界とは言っていない。
尤も簡略的でコントロールしやすく、接近戦に向いているから氷の爪を好んで使っていたにすぎない。
距離を取れば違う攻撃法も存在する。
空気中の水分が固められ槍と化す。
「んなの、ありかよ!?」
朱抹は空を仰ぎ叫ぶ。
万全であれば避けられただろう。
だが、回避の要となる足にダメージがある。
「終わりだ」
その場から動けない朱抹目掛け、無数とも思える槍の雨が降り注いだ。




