60話 死よ誘え 3
集団自殺する動物という印象を付けられているレミングであるが、実際のところそのような習性は彼らには無い。
増えすぎた群れに対し餌の供給が追い付かなくなり、集団移住する際に海に落ち、川でおぼれているに過ぎない。
生きようとした結果、死んだだけであり、決して自殺しようとしたわけでは無い。
だが、その先行した印象が能力となったことにレミングである青年は当初は戸惑っていた。
本能でも習性でも何でもない。
ただ人間が押し付けた印象に過ぎず、それが能力となる意味が分からない。
分からないまま、能力を使い続けていた。
自身が自殺するわけではない。
自殺を押し付ける能力。
それが音を経由するのは集団……つまり一度に多くの動物に能力をかけるためであろう。
対多数と闘える能力であったが、相手に自殺を演じさせるためにはいくつものプロセスがあり、そこに辿り着くまでの手間を考えると、素直に刺殺なり撲殺なり絞殺なりすればいい。
しかし、与えられた能力であるから使わない訳にはいかず、徐々に能力に感化されたのか音楽を知ったような口調となった。
そして2週間の闘いを経て、自殺までに辿るプロセスに意味づけた。
それぞれを曲とし、能力として組み込ませた。
曲を体に馴染ませるための、開始の練習曲。
後悔の記憶を想起させる、悲壮の追走曲。
自身が誰であるかすら分からなくなる、混迷の遁走曲。
そして自殺を完了させる、静寂の鎮魂歌。
それだけでなく、自殺に追い込んだ動物を操る曲をも生み出した。
生を操るでもなく、死を操るわけでもなく。
死へと導く能力の使い手、それがレミングのクルチュワートという青年である。
「自死とは壮絶であってはならない。凄惨であってはならない。後悔と無念の中で藻掻き苦しみ、その後にひっそりと命の灯火を吹き消す。静寂の鎮魂歌とは誰が誰を殺す能力ではない。ただの自殺だ」
アヌーラの死を前に叫ぶフェルを見ながらレミングのクルチュワートは小さく呟いた。
「他者が嘆くことは無い。その者はようやく救われたのだ。後悔に続く日々から逃れることが出来た。善悪など些細なこととばかりに等しく訪れる死へ自ら向かったのだ。お前は嘆くどころか、共に歩んだ者として誇るがいい」
フェルに自身の音楽が効かないカラクリはすでに見抜いていた。
見抜いたうえで、次に使えば効果があることも知っていた。
だが、フェルの能力の正体すらうっすらと分かってくると、その近接戦闘能力はアヌーラ以上にクルチュワートにとっては脅威であった、
そもそもで、アヌーラの攻撃は風やアヌーラの心音を聴くことで回避出来ていたのだ。
当たってしまえば一撃必殺であっただろう攻撃を紙一重で回避していくのは彼にとっても内心冷や汗をかいていた。
音を奏でている間に近寄られれば回避に専念するしかなく中断しかねない。
攻撃に転じようにも、直接的な戦闘能力はクルチュワートには無い。
「羨望の行進曲」
遍く死者は生者を羨むだろう。
その想いを込めた高低差のある音を奏でる。
2つの音だけであるはずなのに、それは曲として完成していた。
この場の死者のほとんどはアヌーラが破壊してくれていた。
残るは――アヌーラその者の死体だけがあった。
「……老師!?」
アヌーラの体が起き上がる。
首は捻じれたままで。
目には生気が灯らないままで。
死者が死体のまま動き出した。
「その力、我が為に存分に振るえ」
クルチュワートの指揮棒に合わせるかのようにアヌーラは動き出す。
やや乱雑にフェルへと拳を振り下ろす。
「……ッ!?」
それをフェルは回避する。
拳が振り下ろされた先の地面に亀裂が走る。
「……能力なしでこれほどとは」
「……能力ありきであれほどの力だったか」
地面の亀裂を見てフェルとクルチュワートは互いに呟く。
フェルはアヌーラの身体能力を改めて高いと評す。
クルチュワートは死体の体を爆ぜさせていた程の力は無いと低く評す。
どちらにせよ、この場で最も力が強いのはアヌーラであるのだが、クルチュワートの望む程では無かった。
だが、それでもフェルにとっては十分過ぎるほど。
「せっかくだ。再演奏を聴いていくといい。悲壮の追走曲」
澄んだ音が響く。
だが、同時にフェルの脳内ではトラウマとも呼べる思い出が次々に浮かび上がってくる。
誕生時から、この動物園に引き取られた時、人化した時、初戦闘時、アヌーラやミガテとの邂逅……そしてアヌーラの死。
「う、あ……」
先ほどアヌーラを失った痛みが蘇ってくる。
「今が一番不幸だから、不幸の想起は効かない。そう宣う愚か者が時折存在する。だが、それは否である。悲壮は積み重なるもの。一番強いからといって、二番、三番があるのであれば、それが同時に襲ってくる。それが一番だけの時と同じなわけがない」
「あ……あ……」
そしてアヌーラの死体がフェルを襲う。
「ぐっ……」
一撃がまともに入った。
必死に両腕で庇ったようだが、片腕から骨の折れた音がする。
「このまま死者に弄ばれ死にそうではあるが……それは客席から追い出された客と同じ。音を聴き、客のまま死するがいい」
指揮棒を構える。
構え、思いついたようにフェルに問いかけた。
「まだ名前を聞いていなかったな。お前も、その老体も」
「……フェル。あの方はアヌーラだ」
「そうか。フェルよ。私はクルチュワート。案ずるな、死者となった後も我が音楽はその身に染みる。生者も死者も関係なく、な」
クルチュワートが指揮棒を弦楽器のように構える。
低く鈍い音が響いた。
クルチュワートが指揮棒を構えた時、フェルの頭の片隅に何かが引っ掛かった。
それは目の前にいるアヌーラでもない。
闘う相手であるクルチュワートのことでもない。
そして、フェル自身でもない。
生者と死者。
クルチュワートのその言葉が、悲壮の追走曲ですらも蘇らなかった記憶を想起させた。
カンガルーの特徴は様々ある。
オーストラリア大陸に生息している。
後肢のみで立っている。
跳躍する。
ボクシングスタイルでオス同士闘う。
そして、有袋類であるためメスは育児嚢を持っているということだ。
カンガルーは未熟児のまま生まれる。
当然ながらそのままでは野生で生き延びることはまず不可能。
故に、メスの育児嚢の中で育ち、長ければ一年以上をそこで過ごす。
フェルはその未熟児を計3匹、自らの手で殺していた。
事故であった。
他のオスとの闘いが熱中し、周りが見えなくなり、振り回した尾がたまたま付近にいた3匹のメスの腹部に当たってしまったのだ。
3匹のメスはいずれも育児嚢の中で赤子を育てていた。
尾は狙いを定めたかのように的確に赤子を潰した。
全てフェルの子共でもあった。
子供が死んだと知ったのは数日後。
育児嚢の中で何時まで経っても動く様子の無かった赤子を心配した母親がそれを発見した。
他に原因があったかもしれない。
尾ではなく、ただその赤子が成長しきれずに死んでしまったかもしれない。他の要因があったのかもしれない。
当時はそう思い込み、自身に過失は無いと、またメスに赤子を作らせればよいと思っていた。
実際に、次の赤子はすくすくと成長していたし、結果的に何の問題も無かったのだ。
群れの中でも強さを発揮したフェルはハーレムごと動物園に移送された。
他にオスはいない。闘う必要のなくなった彼はふと思ったのだ
――ここでならあの事故は起きなかったのではないか。
自らが本当に殺してしまったのか分からない。
すでに死んでいたのかもしれない赤子たち。
生きているのか死んでいたのか。
曖昧なままに自らが加害者であると決めつけられない。
――彼らは果たして生きたかったのだろうか。
――死を覚悟してこの世に誕生したのだろうか。
分からない。
分からない。
考えてみても分からない。
その機会はフェルが奪ってしまったかもしれないのだから。
――せめてそれだけは聞きたかった。
――苦しみの中でも藻掻きつつ生きたかったのか。
――喜びの中でも諦めて死んでしまったのか。
それを尋ねるためにも彼は『生と死の守護者』を自称した。
生きたいのか死にたいのか。
生と死を曖昧にしないためにも。
それは須く境界を引いて別物にするべく。




